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ひろ兄記念館【離れ】コミュの『イルミナ・シオン』

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『イルミナ・シオン』

 その長い長い列は神戸市の繁華街である三宮の周辺を迂回しながらぐるぐると中心を目指している。到着するまでに1時間はかかりますよという警備員のアナウンスにため息をついてから既に1時間半経つけれど、あと少し、あと2回角を曲がったら到着という惜しいところで列の進行はついに止まっていて、斎藤季子(サイトウ・キコ)はそこで既に40分、車両通行止めにされた車道の真ん中で、人混みに文字通り紛れて立ち尽くしていた。

 7回目ともなれば冬の寒さ対策は万全で、スカートなんかはもってのほか。少し動きにくいくらいに着込んで会社を飛び出したし、給湯室で水筒に熱々のミルクティを準備することも忘れなかった。ロングダウンのポケットには非常食がパンパンに詰まっているから、あと1ヶ月ぐらい、この行列が動かないとしても食べることだけには困らないだろう。もちろんトイレにも行ってきたので現在心に余裕もある。さっきから隣で寒さと想像を絶する人の多さに完全に機嫌を損ねてぐずっていた少女にはポケットカイロを差し上げた。待ち時間ならいくらでもあったからカイロにサインペンで今流行りの女の子向けアニメのキャラクターを描いてあげ、そいつにさらにはポケットから非常食も添えて渡せる余裕すら、今年の彼女にはある。

「ずいぶんと、立派になりましたね、わたし」

 見上げた空に星空は見えない。繁華街のど真ん中。クリスマス直前の神戸はどこもかしこもイルミネーションだらけで、夜空はどことなく紫がかっている。でも今日は星空なんて見えなくても良い。


 阪神大震災から20年が経とうとしている。今年も鎮魂のイベント、ルミナリエの点灯期間に入った。いつからか自分の人生の中に入り込んできたルミナリエ。広場や通りを独特の幾何学模様で構成されたイルミネーションが飾るこのイベントを合図に自分はいよいよクリスマスを実感し、仕事を納め、そしてゆっくりと年の瀬を迎え1年を終える。そんな流れが既定のように繰り返されるようになり、季子はそんな冬が好きだった。

 行列がゆっくりと進み始める。しばらくの停滞の後、動き出す行列は、いよいよ点灯が直前であるという合図だ。ルミナリエは点灯する瞬間がなによりも素晴らしい。頭上に世界が唐突に姿を現す。あの瞬間は見逃せない。だからもう今日は同僚に頭を下げて仕事を頼み、終業時刻ちょうどにデスクを立ったんですよ、今日にかける意気込みはちょっと他の人とは違うんですよ、わかるでしょう、ルミナリエの神様・・・そういう祈りが通じたのだろう、ゆっくりと進む行列はそのあと2度角を曲がって、直後に停止。季子の目の前に点灯前のイルミネーションの骨組みが静かに姿を現して、季子は息をまず一度、飲んだ。


「楽しみたいならちゃんと調べないと」 


骨組みを見てすぐに思い出したのは、裕一の言葉だった。初めていっしょに来た7年前、裕一は飾られるイルミネーション一つ一つの意味を入念に調べ上げていた。ルミナリエは場所によって様々なデザインのイルミネーションが飾られるが、その一つ一つに名前と込められた祈りがある。曰く、「そういったところまで調べてこそ、本当の意味で楽しめるし、鎮魂になる」との高説は若干鬱陶しくもあったが、それでも骨組みを見て真っ先にその言葉を思い出したわけだし、まぁ暇だし、季子はiPhoneを取り出すと、ルミナリエの公式ページを表示させ、「楽しむため」に意味を調べようとした。しかし同様の暇つぶしを考える人たちがわりと多いのか、肝心のページがなかなか表示されない。


 恋人、安永裕一(ヤスナガ・ユウイチ)が姿を現したのは季子が鼻の穴を広げてホームページの表示を待っている、ちょうどそんな時だった。


「え!マフラーしてる!」
「悪いかよ」

 笑う季子の出会い頭の一言に、照れたようにうつむく裕一。

「だって似合ってないもん」
「雰囲気作りだろうが」
「ありがと、でも雰囲気作るなら寝癖ぐらいはなんとかしてよね」
「ごめん、寝起きで」

 こういうところを素直に謝る裕一が好きで、それなのに、素直に謝ってくれることくらいわかってるのに、いつまで経っても嫌味を止められない自分が対称的に嫌だった。

「こんばんは、季子」
「おはよう、裕一。なにか良いことあった?」

 いつも通りのやりとりでいつも通りの会話が始まる。


「ラボの金くんの話、覚えてるか?」
「あの、彼女がほぼ完全にストーカーの」
「そうそう」

 裕一のラボにいる中国人の金くん、季子も一度話をしたことがあるが、木訥な良い青年で、勉強熱心、研究熱心。給料の大半を祖国の家族に送っていて、お金がないのでラボの一角を寝床にしていたのだけれど、住所不定になってしまって強制送還されかねない事態になりかけたとき、アルバイトスタッフの女の子がなぜだか自室の提供を買って出て、なんとかなるにはなったのだけど、その女の子・・・名前がややこしくて覚えられないが、要するに彼女が金くんにぞっこんになってしまって、金くんも当初は献身的な彼女、あるいは情熱的な彼女に祖国の女性にはなかなか見られない魅力を感じて交際をスタート。
 歯止めを失った彼女の感情表現は一気に度を超して、シフト外でも毎日ラボに姿を現し、ちょうどラボの様子が見渡せる休憩室に一日中待機、金くんの一挙手一投足を見逃すまいと一心不乱に鉛筆を走らせていて、要するに彼氏を一日中スケッチしているという話は裕一から聞いていた。

「まさにその金くんの彼女にオレが狙われてる」
「なにそれどういうこと?事と次第によったらラボの休憩室にいるのが金くんの彼女だけじゃなくなるし私は私でポケットカイロに裕一の顔を描きまくってラボ中の人間に配布することもできるけれど」

 早口でたたみかける季子を制して裕一は首を傾げる。

「ポケットカイロ?」
「ううん、なんでもない。いや、なんでもなくない。なんなのそれ」
「季子、落ち着け。まずうちの人間にポケットカイロは必要ないし、そもそも季子様にわざわざうちのラボまでご足労いただく必要はない」

「オレが狙われるのは『ライバル』としてって意味」
「ライバル・・・あー、なるほど」
「そう。この前までのプロジェクトが落ち着いて、ちょっと時間ができるかと思ったんだけど、マネージャーが『空いた時間を有意義に使うのが日本人だ。安永、金くんの指導係をやれ』と実に迅速な命令を下して、そのまま流れ流れて金くんが携わってるプロジェクトを見守る係に任命されたわけ」
「で、一日中裕一と金くんがいっしょにいるのが面白くない・・・と」
「そういうこと。そしたら彼女、仕事を辞めてしまってさ」
「え!なんで!」
「悲しい話だけど、むしろシフトに入ってる日の方が金くんを見ていられる時間が短くなるだろ?」
「仕事があるから・・・か」
「そう。だから一日中いっしょにいるために、彼女は辞職を選んだ。賢明な判断だと、彼女は思った」
「賢明な判断ではなかった」
「そう、なぜなら」

 季子は人差し指を立てて裕一を制する。

「関係者じゃなくなってラボに入ることもできなくなってしまったから」
「正解、さすが季子」

 こんなやりとりが不意に胸を打つ瞬間が彼女にはある。7年の交際の中で、こういったやりとりをどれだけ繰り返してきただろう。初めは噛み合わなかったやりとりも徐々に洗練されてきた。100の言葉を尽くさなければ伝えられなかったことが50で伝わるようになった。残る50は相手がフォローしてくれるようになった。交わす言葉は減っていない。その分交わせる話題は倍になった。きっとそうやって生まれるのが「阿吽の呼吸」だと思う。

 でも、それでも・・・。

 乗り越えてきた苦難だってたくさんある。今だってきっと苦難の真っ最中だ。単純に昔ならなんでもかんでも「苦難だ」と喚いていたのをそのうちの8割は「残る2割に比べれば大したことないよね」と強がれるようになった、いや、信じられるようになった、苦難と認定しなくても彼となら乗り越えられると信じられるようになったのかもしれない。

 7年という毎日を、そうやって成長して来れたという実感が、例えば今のような小さなやりとりの中に感じることができる、それが今、彼女をかろうじて笑顔にできているんだと思う。

「どした?」
「鼻ビス」
「はなびす・・・?」
「ごめん、鼻水」

 ロングダウンからティッシュを取り出して裕一に見えないように鼻をかむ。

「今年の意味は調べた?」

 裕一の声がする。

「ルミナリエ?」
「うん」
「調べようとした真っ最中に、すでに調べているだろう人が現れた」
「おそっ!」
「どうもこういう研究的なモノが苦手で・・・」
「研究以前の問題というか、好奇心の有無なんじゃないかな」

 そんなおおげさなことじゃないよと季子は呆れて笑うけれど、呆れられてるのは自分の方だろう。いつもそうだ。「今度からそうする」と言って、そうした例しがない。

「今年のテーマは”la memoria de la luz”、『光の記憶』だそうですよ」

 お構いなしに裕一は続ける。やっぱり調べてる。

「ほおほお、またなんだか・・・」
「ベタ、ですよね」
「ですよね」

 意味を調べようとしたことは、過去7回の第1回を除いた6回の中でなくはない。調べたこともあるのだけれど、やはりこういう大衆向けのイベントということもあり、掲げられるテーマは特に深い意味はないということがわかったのも、彼女が研究熱心になれなくなった理由のひとつではある。もちろん理由のひとつであるし、言い訳のひとつでもある。

「最初の、広場まで続く15個の光のゲートの名前は例年通り『フロントーネ』。時の覚醒の意味で、この通りを進みながらゆっくりと時間を遡り、鎮魂すべき魂を今一度広場に呼び戻す、わけだね」

 裕一は何かを読み上げているのか、それとも丸暗記しているのか、季子からはわからなかったが、毎年毎年「本当に楽しみにしてくれてるのか」という不安がある季子にとって、裕一がルミナリエについて調べてくれていることはうれしかった。たしかに頭は寝癖がひどいけれど、それは仕方ない。季子だって朝は寝癖がひどいのだから。

「んでまぁさ、それぞれのイルミネーションはその都度解説してあげるけどさ、今回はどうしても見たいやつがあるんだ」

 裕一は視線を逸らして言いにくそうに呟く。季子は少しだけ違和感を覚えた。「見たいやつ」だろうがなんだろうが、どうせ

「どうせ全部まわるからいいのにって思ったろ?」
「うん、一字一句同じようにそう思った」
「まぁ、そうなんだけど、広場の一番東。それはもう一番目立たない場所にあるやつ」
「うんうん、去年も一昨年もそこが一番きれいだったよね」
「広場の外れだし、人が少ないからね」
「そこに行きたいの?」
「うん、見たい」
「なんで?」




 鐘の音が響き渡ったのは、そのときだ。



 もちろん鐘の音はスピーカーから流れているのだけれど、点灯を知らせる鐘の音で周辺から歓声と拍手が上がる。季子の胸も高鳴る。何時間も待った期待が今、爆発しようとしている。荘厳なパイプオルガンの演奏が流れ始める。いよいよだ。

 いよいよ頭上に世界が現れる。

「点灯?」

 裕一が訊く。季子はうんとうなずいて、そして「行くよ!」と声をかける。

 裕一の返事は聞こえないけれど構わない。



 季子は裕一を、いや正しくは、Tシャツにマフラーを巻いて、寝癖頭の裕一の、彼の上半身が映っている、彼女のiPhoneを頭上にまっすぐ掲げた。


「見える?」
「あぁ、特等席だ。よく見える」

 画面の中で裕一が答える。12時間も時差があるのに、わざわざこの時のために起きてくれた裕一に、よく見えるよう、頭上にiPhoneをまっすぐあげる。いっしょに来るときはいっしょに。いっしょに来れなくなってからは毎年こうして、地球の真反対に住んでいる恋人とルミナリエを楽しむ。離れることを許した。待つことを選んだのだから、これぐらいさせてもらわないと。

 今年もこの時間が共有できるときがきた。何万キロも離れた彼氏と見るイルミネーション。

 この時間だけは──。


 
 光は音もなく、ただふわっと広がった。
 光の世界が夜空に浮かび上がった。




「おー!すごいね!」

 掲げた指先から、裕一の声がする。バカみたいなのんきな声だ。

「季子ー、見てるかー?」
「見てるよ!」

 安永裕一がブラジルへの転勤辞令を受けたのが3年前。期間は3年。当時交際4年を過ぎていたふたりは当然結婚を考えてもいた。けれど、季子も仕事で責任のある立場を任されていたし、即座に仕事を辞めることはできなかった。裕一は「辞める必要ないよ、ちょっと行ってくる」と笑った。当時裕一が自分たちの関係よりも仕事を優先したように季子には思えたが、自分だってふたりの関係よりも仕事を優先したのだから文句は言えない。文句は言えないがやり場のない怒りというか、寂しさが当時の彼女の真ん中で常にくすぶっていた。

 裕一がブラジルに赴任した最初の12月、テレビ電話で話していたときに「いっしょにルミナリエを見よう」と言ったのは裕一だった。うれしかった。赴任が決まってからそれまでの間で、裕一がわかりやすく「ふたりの関係について考えてくれている」とわかった提案だったから季子はとても嬉しかった。その日のうちにガラケーをスマートホンに変えたのも、うれしさゆえ。ルミナリエについては調べないが、テレビ電話については調べまくった。とは言え、時差がきっちり12時間あるこちらとあちら。テレビ電話どころか、普通に電話で話すことも難しいという現実があった。季子が仕事を終えて一日の終わりを噛み締めながら電話をしても、裕一はこれからが一日の始まりである。時間的なズレだけでなく、気持ちの温度差も手伝って、電話をする機会はあまりなかった。お互いに忙しい身である。毎日の何から何までずれてしまっている。でも、それでも、1年で1度は共有できるものが欲しかった。だからスマホに変えてテレビ電話について覚えた。覚えたと言っても立ち上げれば使用できるアプリだが、そのアプリにたどり着くまでいろいろなアプリを試した。それが仕事に活きたこともあったがそんなことはどうでもよかった。

 毎年恒例になったテレビ電話でのルミナリエ中継。今年も季子は裕一を抱きながら広場をまわる。裕一はそれぞれのイルミネーションの解説を聞かせてくれる。どうやらパソコンでホームページを表示させて、それを読み上げているだけのようで、語尾に必ず「だってさ」をつける。裕一だってあんまり興味ないじゃないか。そうしてだいたいのイルミネーションを見終わって、出店でなにかを買って、それを裕一に隠して食べて、感想だけで何を食べているのか当てさせるという、例年のゲームを終えたとき、裕一が少し真剣な声で「広場の奥に行こう」と言った。



「うわー・・・っていうか、うん、なんか地味じゃない、今年。さっきまで派手なの見てて目が肥えたのかな」
「いや、これは地味なんだ。うん、すごくいい」

 広場の一番奥というか端、すぐ目の前は道に隣接しており、大きなトラックが一台路上駐車しているような、ちょっとなかなか不憫な場所に、地味な花が何本も咲いていた。裕一が見たがったイルミネーションは地面から生えた何本もの植物を模している。紫色の花びらの真ん中が黄色く光っている、これまでの幾何学模様とは打って変わって、かなり写実的な「花」だった。

「『シオン』っていう花でさ、煎じて飲むと痰を取ったりできるし、漢方として昔は使われてたんだ」

 製薬会社研究室勤務の安永裕一さんのありがたい解説に耳を傾ける。

「ちょうど先月、アンゼリッカがさ、素敵な話をしてくれてね」
「アンゼリッカ?」
「金くんのストーカー彼女」
「あぁ、アルバイトの。そんな名前だっけ」
「うん」
「っていうか、仲良いのね」

 季子の鼻が膨らむ。

「仲違いする前の話だからな」
「じゃあ許すよ」
「え? 怒られてた?」

 裕一の声が怯えている。

「うん、隙を見て怒るよ、私は」
「身が引き締まるね」
「そっちは夏でしょ?」
「だから余計怖い」

 季子は笑って「そのアンジェリカがなんて?」と尋ねる。

「シオンの花言葉を教えてくれた」
「ブラジルにも花言葉なんてあるの?」
「いや、花言葉っていう日本の習慣はオレが教えた」
「アンジェリカにはずいぶんやさしいね」
「彼女だけじゃない、老若男女ブラジル人にはウケるんだよ、この手の話。占いとかそういうのは世界中で愛されてるから、誕生花と花言葉をそれぞれ教えてあげると仕事がしやすくなる」
「なんてメルヘン」
「あぁ、情熱的メルヘンの国、それがブラジル」

 裕一はそこで笑って、そして息を吐いて、そして吸った。

「シオンの花言葉はね」

 季子は裕一の映る画面を見つめて、次の言葉を待ちながら、なんだかドキドキして、鼻から息を吸ってしまい、あまりの冷気に頭に痛みを感じる。

「大丈夫?」
「もちろん大丈夫。シオンの花言葉は?」




『遠くにいる、君を想う』




 なにをバカみたいにクサいことを言ってるんだろうこいつはバカなんじゃないのかそういうベタなことをして喜ぶのは若いときだけだよルミナリエのベタさ加減に影響受けて自分までベタになったんじゃないの?って笑ってやればよかったし、なんでそれができなかったのかはもうわからないけれど、季子は言葉に詰まった。『遠くにいる、君を想う』そしてついさっき冷気で痛んだ鼻が今度は熱く燃え上がってくるのを感じたし、その炎は目頭に引火したことも感覚でわかった。


 泣く。


 そう思って画面から目をそらした季子は気付いていなかった。既に画面の中から裕一がいなくなっていたということに。画面には、部屋。味気ない裕一の小さな部屋の一部が映っているだけだということにもまだ季子は気付かない。時間にしてほんの2分。気持ちを落ち着けた季子が再び画面をのぞき込んで、そこに裕一がいないことに気付いても、まぁトイレかなんかかなということを一瞬考えられるくらいには季子は落ち着いていただろう。


 でも。


 のぞき込んだ裕一のいない裕一の部屋が、壊れ始めるのを見たとき、さすがに季子は目を見開いた。
 後ろに映っていた壁が、後に倒れていく。その音。そのものすごい音。
 まるで目の前で起きているかのように臨場感溢れる音。


 眉間に皺を寄せて季子は顔を上げる。画面の中で壁が後ろに倒れていくのと同じタイミングで、ずっと停まっていた、路上駐車のトラックの荷台。金属の荷台の壁が変形でも始めたかのように、ゆっくりと開いていく。画面の映像と連動するように。


 いや、違う。

 季子は息を吞む。

 これは連動じゃない。


 花が咲くようにゆっくりと開くトラックの荷台。内側は部屋のセット。さっきまで見てきた裕一の部屋。3年間何度も映像で見た裕一の部屋に、模したセット。


 安永裕一は、そんな奇妙なスタジオセットの真ん中に立って、明らかに震えていた。




「ただいまっ!!」

 寒い身体を抱きしめるようにして、わりと距離のある季子に向けて裕一がそう叫んだとき、季子は遅ればせながら、裕一が日本にいること、目の前にいること、3年ぶりに会えたことに気が付いた。全然遅かった。だから季子は「ただいま」にベタな返事をすることさえできない。

「寒くない?!」
「寒い!」

 裕一は極めて情けない姿勢で立っている。無理もない。マフラーは巻いているけれど、冬の日本でTシャツ姿なんだから仕方ない。画面で見たのと同じ格好で裕一はそこにいた。

「仕事は?!」
「プロジェクトは終わった!!」
「金くんの指導係は?!」
「金くんがマネージャーに直訴してくれた!」
「なんて?!」

 少し間が開く。これはなんだっけ、こういうときの裕一はなんだっけ。

「安永さんは早く日本の恋人に会えるよう、早く仕事を終わらせた!僕に指導係はいらない!日本人だから働けとか言わないで、安永さんを日本に帰らせてあげてくれって!」

 言いにくいこと、手前味噌なこと、自慢話になりそうなことを言うときはいつもそう、そうやって間が開いて、それから自棄気味に早口で言う。それが裕一だった。


「もういいの?!」
「ああ!年明けから日本だ!お待たせ!」


 言葉に自分からぶつかっていくように、季子は走り出す。広場の柵を乗り越えて、トラックの荷台に手を置く。金属製の床は、とても冷たい。腕の力で一気に上がろうとするが上がれない。何度も何度も飛び跳ねるけれど、途中から「これはだめそうです」と自分でもわかる。顔を上げると裕一が立っていて、季子の手を取る。3年ぶりにつないだ手。裕一が季子の身体を一気に引き上げそして季子は3年ぶりに裕一の腕の中に抱かれる。

「ひぃ・・・冷たい」

 季子のロングダウンは冷え切っていて、抱き合ったことでそれが裕一に密着してしまい、裕一が思わず悲鳴を上げる。

 少し考えた。でもすぐに結論は出る。

 今はまだいい、あとで。


 自分にそう言い聞かせて季子は裕一から身体を離す。

 タイミングよく裕一に投げかけられたのは大きな毛布で、見ると、トラックの脇に人影が二つ。真っ赤な髪の毛の女性と、金髪で耳から鼻にチェーンの通った青年。

 派手なふたり。

 金髪の青年はその筋肉質な体格と、ど派手な服装、強面な作りなのに、目をうるうると潤ませてこちらを見ている。その隣で真っ赤な髪の毛の女性が呆れている。

「えーっと、あの方達は?」
「うん、便利屋の方で、サプライズを手伝っていただいたんです」
「こんな大がかりな?」
「うんだいぶお金かかった。だからクリスマスは期待するなよ」

 当たり前の会話に思わず流されそうになったけれど、そうか、今年はクリスマスもいっしょに過ごせるのか、そう思って、それだけのことなので季子の胸はまた熱くなる。

「どこにも行かなくていいし、なにもいらない」

 季子は裕一に毛布をかけながら言う。たぶんこれは無意識に口を突いて出た言葉だろう。



「いっしょに過ごしてくれたら、もうそれでいい」


(2013.12.06)

コメント(1)

ぼくばこれを読んでiPhone購入を決めました。

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