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ひろ兄記念館【離れ】コミュのある塾講師と最後の生徒。《後篇》

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高橋なつみの病状についての詳しいことは妹の高橋さつきにはわからない。中学3年生なのだから当たり前だ。

その病状が決して軽いものではなく、治療法もハッキリと確立されていない珍しい病気であるということ、そしてそんな珍しい難病に罹ってしまう原因のひとつとして「大きなストレス」が考えられるということを、塾講師はなつみの、さつきの、母親から聞くことになる。

その日、喫茶店で講師と母親は向かい合っていた。

塾外で生徒に会うことも、その保護者に会うことも禁止されていることは承知の上で、母親と講師は連絡先を交換し、会うことになった。

母親は見るからにやつれていた。

「まだ意識は戻りません」

なつみが入院してから1週間が経とうとしていた。センター試験はもう終わっていた。センター試験前に意識を失ったなつみはセンター試験が終わってからも昏睡状態のままだった。そんな中、一時も娘から離れたくないであろう母親が、それでも時間を割いて、塾講師に面談を申し入れ、昼の仕事を終えた講師のスケジュールに合わせて職場の近くの喫茶店にまでわざわざ足を伸ばして、その上で「さつきの受験を、よろしくお願いします」と頭を下げた。

「さすがに今回は参ってしまって…。わたし、たいていのことは楽観的で、それこそさつきに似てるんですけど。なつみは私達とは真逆で、本当に真面目で、それが今回の病気につながってしまったんじゃないかと思うと、親として大きな間違いを犯してしまったんじゃないかと思わずにはいられません」

悲痛に語る母親に、独身で子供もいない塾講師が何か言えるはずもなく、ただ母親の言葉に耳を傾けることしかできなかった。

「私は働いていませんから、せめてふたりの娘の受験を精一杯応援してあげたかったんです。でも、病院に行ってなつみを見舞ってから帰って、そこにさつきがいるときに、うまく笑えなくて。さつきも私立高校の入試が近づいてるのに、うまくしてあげられないんです」

塾講師には子供を持つ親の気持ちなんてわからなかった。友達からの悩み相談であれば、気楽に気軽にそれらしいことを言えた彼も、今目の前の、本当に悲しい想いをしている母親になにもできないことが苦しかった。恥ずかしかった。

「だから、さつきの受験のことを、先生に全部お任せさせていただくわけにはいかないでしょうか? とても勝手なお願いですが、さつきには『先生が仰ることは全部聴きなさい』と話しています。受験のことで困ったとき、母子で話しあうことも多かったのですが、今はさつきが晩ご飯を食べるときに家にいられないことも多くて、なかなか話も聴いてあげられないんです。だから『受験のことで困ったら、全部先生に相談しなさい』と言ってしまったんです」

母親はそれでも塾講師に涙を見せることはなかったし、怒っていた。自分の力が及ばないことに強く怒っていた。そして娘を想っていた。なつみのことも、さつきのことも、強く強く想っているということ、それは子供のいない塾講師にだって簡単に伝わった。

塾講師は「もちろんです、任せてください」と胸を張った。けれど、これはやはり虚勢だった。当たり前のことだけれど、『受験のすべてを背負う』となると、数学だけを見ていれば良いという話ではなくなる。他の教科の進度、理解度を把握して、志望校もT高校で本当にいいのか、それ以外の選択肢はないのかを考え、私立入試と公立入試の試験当日までのスケジュールを全教科で立てて、その上で受験に関するすべての質問や相談に応えるというのは、その塾講師が、アルバイト講師として背負い込めるレベルを超えてしまっている内容だった。

だけど、それでも「それは困ります」なんて言うつもりはなかった。

一度塾を辞めることにしていたその塾講師が、最後の生徒として高橋さつきを選んで、高橋さつきが卒業するまでは担当すると決めて、それで今の彼と高橋家の関係がある以上、ひょっとすると塾講師はなつみのことがあろうがなかろうが、さつきの受験のすべてを自分で担当するつもりでいたのかもしれない。だから彼は請け負った。まるで安請負のようなテンションで、簡単に見えるように受け取ったのだ。

ただひとつ、塾講師には気になっていることがあった。
その日の最後に母親から聴いた話である。



─毎日担任の先生に提出する生活ノートの中で、さつきが『お姉ちゃんの分もがんばらないといけない』って書いていたんです─



高橋なつみの意識が戻ったのは、その翌週のことだ。最初は目が開いても、しばらく天井を呆然と眺めていただけだったけれど、そのうちベッド脇に座っているさつきや母親、父親の顔をじっと見るようになり、話しかけても無反応だったのが、冗談を言ったときに笑うようになり、流動食が病院食に代わる。意識を取り戻してからのなつみは本当に順調に快復してきた。

もちろんなにもかもがハッピーだったわけではない。意識を取り戻した直後のなつみは意識が混濁していて、自分が誰なのか、ここがどこなのかもわからなかった。一時期はさつきが誰なのかもわからなかった。けれど意識と記憶は少しずつ明瞭になってくる。自分が高橋家の長女で、かわいい妹と大好きな両親がいることをすぐに思い出す。

そして母親に「チョコレートがたべたい」というメールを送ることもできるようになったとき、自分の携帯電話に届いた予備校からのメールマガジンに「センター試験、お疲れさまでした!」と書いてあるのを見て、「自分が大学受験に向けて勉強をしていて、その本番前に倒れてしまったことで試験を受けられなかった」という残酷な現状さえすべて思い出してしまうのである。毎日14時間の受験勉強を自らに課して、とにかくストイックに大学受験に挑んでいた自分のことも、はっきりと思い出してしまうのである。

「お姉ちゃん、病室で号泣してたらしいです」

毎週のようになつみが快復していくニュースを聴ける楽しみから、つい「お姉ちゃんの調子、どう?」と聴いてしまった塾講師に、さつきはそう答えた。その頃からさつきの表情にどこか思い詰めたものが浮かぶようになっていた。

塾講師はその正体が、その理由が、あの生活ノートに書かれていることはわかっていた。

さつきの成績は少しずつ上がり始めていた。けれど、ケアレスミスが目立つようにもなっていた。難しい問題は解けるのに、簡単な計算問題が解けなかったり、難しい問題の解き方は合っているけれど、計算間違いの数字を使っているせいで答えが合わなかったり、とにかく「さつきらしくない間違い」が目立つようにもなってきた。さつきは、焦っていた。


高橋なつみは順調に快復していたけれど、とにかく重たくて難しい病気である事に変わりはなく、向こう5年は様子を見続ける必要さえあるというが、聴く話が極めて順調なだけに、そこまで重病である事がにわかには信じがたかった。

そんな矢先、なつみが3月末まで入院することが決まった。もちろん安静にしておくに越したことはない、受験ももう終わってしまったのだから、とにかく今は安静にする方が良い、ここまで読んでくださっている人はそう思うかも知れないけれど、3月末まで入院しなければならないという決定は、同時に「高校の卒業式に出席できない」ことの決定も意味するのである。

少しずつ塾講師はなつみの話をさつきに聴かなくなっていた。楽しい話ばかりではないからだ。さつきも平常心ではない。当たり前だけれど、今は目の前の受験にできるかぎり集中してもらわないといけないと判断したから、彼から聞くことは減っていたのだけれど、さつきは毎週なつみの状況を塾講師に話した。あとになってわかることなのだけれど、さつきにとって、塾講師が唯一、なつみの話をできる相手だったのだ。


姉が入院した日から1ヶ月、様々な出来事をくぐり抜けて、まだくぐり抜けている途中という、決して平常心ではない精神状態で、それでも彼女は決して簡単ではない私立高校を受験し、そして合格を果たした。2月の中旬のことだった。

「お姉ちゃんが卒業式に出席できるかも知れないんです!」

高校の合格の報告もそこそこに、さつきは嬉しそうにそう言ってくれた。高校の先生や同級生が協力し、病院の協力もあって、当日は厳戒態勢の中で卒業式に出席できるようになったのだという。もちろん、当日の体調が優れない場合は中止。そこはとてもシビアに判断されるらしいけれど、けれど差し込んできた一筋の光明にさつきはとても嬉しそうだった。

「すごいなぁ、お姉ちゃん。みるみる快復していくね」

ニコニコと頷くさつきに塾講師は率直な感想を述べた。

「お母さんも毎日病院行ってるんやろ?」
「はい、ほとんど毎日」
「さつきは、ご飯はどうしてるの?」
「お母さんが病院行く前に作ってくれてるので」

「そっかぁ、お母さんもすごいなぁ」

ニコニコと頷くさつきに、塾講師はまた率直な感想を述べた。

塾講師は思った。この子はなんでこんなにもニコニコしていられるのだろうと。

だから塾講師は三度率直な感想を述べる。


「でもさ、なんと言ってもさつきがすごいよな」と。


そのとき、さつきのニコニコはまるで時間を失ったように、さつきの顔に張り付いた。


塾講師はそれを見て、今から自分が話す言葉はきっと間違っていないと思って、わかって、それから、ずっと気にしていたことを言葉にして、中学3年生にわかりやすい言葉を選んで、実にたどたどしく、自分の最後の生徒に伝えた。少なくとも伝える努力をした。


「お姉ちゃんが倒れて、入院して、お母さんもお父さんも、それぞれができることを必死でやって。そしたらお姉ちゃんの意識が戻って、お姉ちゃんもがんばって、毎日少しずつ元気になっていく。もちろん看護師さんとかお医者さんとか、みんながお姉ちゃんのためにいろいろ頑張ってくれてる中、もしかしたらさつきは『わたしはお姉ちゃんになにもできない』って思ったりしたんじゃないかなぁって思うねん」

そのときさつきが口から吸い込んだ息の音を、その塾講師は一生忘れないだろうと思う。

「お姉ちゃんが大変なときに、勉強すればするほど『こんなことしてる場合なのかな』とか考えただろうな。だけど、そんな中でそれでもブレずに、一生懸命勉強した。滑り止めやけど、きちんと私立高校に合格した。もしもさつきが心折れてしまってたら、お姉ちゃんは自分が病気になったことを責めるだろうし、お母さんはそばで支え続けてあげられなかったって自分を責めただろう。だけど心が折れなかった。折れずに、『こんなことしてる場合なのかな』と思うことを、それでも続けた。自分にはこれしかできないから、一生懸命勉強を続けた。『なにもできない』どころか、さつきの存在、受験勉強を頑張るさつきの存在がみんなの支えになっていたんじゃないかって、オレは思う。絶対にそうだ。本当に頑張ってる。だからなんと言ってもさつきがすごいんだよ」

唐突にさつきは泣いた。真っ赤になった目から次々と止め処なく溢れてくる大粒の涙を見たのは初めてで、そしてそれが最後だった。さつきは姉の話を誰にもできなかった。心配をかけたくないから家族にはできないし、友達にも必要以上に深い話を聴かせた上で、相談に乗ってもらう体力はなかったから、行きがかりとはいえ、事情をすべて知っている塾講師が、唯一の存在で、だから意外にも彼にしか見えていないものがあったらしい。

塾講師がたどたどしく話す言葉に、さつきはついに涙を流した。

けれどそのあとはきっと、「公立受験もがんばろうな」とかいう、ありきたりの話で締めたんだろう。高校受験はまだ終わってない。さつきは、なつみが通うあのT高校に合格するために、残り1ヶ月の怒濤の受験戦争をドロドロになって進んでいかなくてはいけないのである。この時点でも、さつきのT高校合格達成度はD判定、つまり50%を切ってしまっていたのである。2月の中旬、受験戦争の佳境においても、まだまだ厳しい、難しい戦いが続いていた─。


□──□


高橋さつきはその塾講師が担当した最後の生徒であるけれど、塾講師から見えていたのは、さつきとその家族だったから、彼が受け持ったのはもっと大きな、もっと重たい、もっと暖かい存在だった。彼女が、高橋家が、最後の生徒であったことを、その塾講師である僕は誇りに思う。自分の人生で、自分が講師として関われたことを誇りに思う。もちろん『最後の生徒』と言っても、これは小説とかそういうものではないから、終わらない。終わりがない。

だから本当はここで終わっても良いのだろうけれど、もう少しだけ続けよう。

姉の高橋なつみは無事にT高校の卒業式に出席することができた。卒業生入場のぎりぎりまで保健室で安静にしていて、先生の誘導で卒業生の列に混ざって堂々と入場できた。横には専属の先生が寄り添ってなつみの調子に注意を払っている中、卒業証書授与のときの「高橋なつみ!」という声に、大きな声で「はい!」と返事できたのだそうだ。

僕はその話を、お母さんのメールで知ることになるのだけど、そのメールには写真が添付されていた。写真はきっとお父さんが撮ったのだろう。写真の中ではなつみと、お母さんと、そしてさつきもいっしょになって笑っていた。

なつみの卒業式の前日、授業があったさつきに「さつきも卒業式、見に行ったら?」といったのは僕だった。T高校の卒業式は平日だったけれど、別に公立入試を直前に控えた今、中学3年生が中学校に毎日通わないといけない理由はないし、せっかくお姉ちゃんが卒業式に出られるのだから、その目で見てきたらいいぐらいの軽い気持ちだったのだけど、「本当は行きたいんですけど、お母さんがなんて言うか…」と言い淀んでいたさつきに「まぁ、『行きたい』って言うこと自体は悪いことでも何でもないんやから、当たって砕けてみたら?」と笑った。

さつきの急なお願いにお母さんは「お母さんは何とも言えない」とはぐらかしたらしいけれど、写真を見たら、さつきがうまくやったのだろう、3人ともとてもいい笑顔で正門の前で笑っていた。



そして高橋さつきの公立高校受験はどうなったか。


これについてはもう、僕はもう、本当にどうでもよかった。受かってもよかったし、落ちていてもよかった。高橋さつきが、お姉ちゃんが大変な病気になったのに、それでも折れないで私立高校に合格して、公立高校を受験できて、無事に中学校を卒業できたことで十分だと思っていた。さつきとの最後の授業は公立高校入試の一週間前、本当になにげなく、いつも通りに終わった。「悔いが残ったら悲しいから、それだけはないように」と「その日はお母さんに豪華な晩ご飯を用意してもらって、ちゃんと打ち上げをするように」と、そう言っただけ。本当に呆気なく、その塾講師の最後の授業は終わった。

さつきは少しずつ平静を取り戻していた。もちろん受験は佳境だけれど、ごく普通の、世間的な「受験間近の受験生」らしくなっていった。ただ唯一、「私がT高校に合格したら、家族が笑顔で春を迎えられる」という、またも背負いすぎな感じになっていたのが気掛かりだったので、最後の授業から数日後、公立高校の前日、お母さんを経由してメールで「さつきが家族のためにやるべきだったのは、どんなことがあっても受験勉強を諦めず、病院から疲れて帰ってくるお母さんを笑顔で迎えて、そして笑顔で卒業式を迎えること。そこまで。T高校に合格するかしないかは人のためにすることじゃなくて自分のためにすること。受かろうが落ちようが、無事に終われば家族は嬉しいもんだよ」と伝えた。

もちろんそれでさつきと高橋家がどれだけ楽になれるかはわからないし、そんなメールでなにかがどうかなるとは思わなかった。でも、自分の最後の生徒に伝えたいことはこれで全部伝えられたと思った。そう、これは塾講師の、塾講師としての、最後の自己満足だ。


そうして一週間。

公立高校入学試験日からさらに一週間後、高橋さつきから電話がかかってくる。



「T高校、合格しました!」



まったくもう、なんて素敵なエンディングなんだよ。
本当におめでとう。そしてそれよりも、なによりも、本当におつかれさま。


《完》

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