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結社(人間文明類)が不幸の原因コミュの「村八分事件(結社現象)」と「八(蜂)」と名が付くもの

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●ドローンの語源は「オスバチ」
ドローンの語源
https://www.miyoshi-yohoen.jp/blog/569

ネット抜粋
雄蜂は常には存在できない蜂で、春から秋ぐらいまでは見ますが、晩秋ごろからは、家から追い出されたり、殺されたり、いわゆる用無し状態。
見た目は働き蜂(メスバチ)に比べて、1.5倍くらい大きく、目もギョロっとした大きい目をしています。
針を持たず、みているとのんびりウロウロしていますよ。
海外では『ドローン』と呼ばれています。ドローンの意味は『なまけもの』で、最近よく耳にする無人飛行航空機の名前はオスバチ(ドローン)が由来でつけられたそうです。色々説はあるそうですが、イギリス軍の軍用機の『カイーンビー(女王蜂)』に対抗して、アメリカ軍が自機に『ドローン(雄蜂)』とつけたとか。。。。?プロペラの音がぶーんと蜜蜂のようだからとか。。。?

●ドローンを発明した元祖はニコラ・テスラ

ネット抜粋
https://rikatime.blog.fc2.com/blog-entry-134.html
ニコラ・テスラを知っていますか
「ニコラ・テスラ」。結構偉業を成し遂げた物理学者なのですが、物理を専門にしている人をのぞけば、知名度はイマイチどころってもんじゃなさそうです。エジソンよりちょっと若い程度なのですが、知名度は天と地の違いがあります。
しかし、このニコラ・テスラ、ナイスなキャラクターで私の心をつかんで離しません。
彼はイケメンで、かつ数学や物理学では学者レベルの最先端の知識を身につけたインテリなのですが、
「天才とは1%のひらめきと99%の努力だ」
というエジソンの有名な言葉に
「わたしならその努力の90%を節約することができる!」
とつっこんでしまうお茶目さんでもあります。

あのオウム真理教がテスラの発明をハルマゲドン兵器として利用しようと、ベオグラードのテスラ博物館まで行って彼の秘蔵論文を探した、という逸話まであるというオカルトぶりも語らずにはいられません。
また、テスラのことを知ると、電流戦争のライバルであった発明王エジソンのあまり知られていない姿も見えてきます。あなた実はそんな人だったのね(泣)と。

●「蜂の結社現象」ではないか?と考えられる村八分事件。村人複数が「一つ知能で活動している」のではないか?ネットでは村八分を「ブラック(被差別部落・黒人の事ではないか?)」と一部で呼んでいる様子。
他、「八=蜂」ではないかと仮定し、八(蜂)と名が付くものをピックアップしました。それが結社の一派閥だと考え中。
「異分子排除」をしている様子。「八方ふさがり」と思われる。四面楚歌も同じか?
※「呉公」と古事記に記されていた事が判明。それをムカデと読んでいる!?ムカデは「八紘一宇Tシャツ」の柄になっている。=右翼なのか?ソ連(ソビトの連ね)やアイヌ系(第二次世界大戦の戦犯、ロシア革命)ではないか?と考え中

(全てネット抜粋)
・静岡県上野村村八分事件
上野村では、1952年以前から組織的な替玉投票が公然と行われていた。隣組(同村では、戦後も隣組が維持されていた)の組長が各家庭を訪問し、「棄権するなら代わりに行ってくる」と言って半ば強制的に入場券を回収したり、「棄権する人がいたら組長宅まで入場券を持ってくるように」と記した回覧板が廻されるなどして、「棄権防止」という名目のもと、入場券が集められた。即ち、こうして回収された入場券で村の有力者が何度も投票していたのである。しかし、選挙管理者はこれを黙認しており、村民もこうした行為に何の疑問も抱いていなかった。

同村在住の中学生・石川皐月(後の加瀬皐月、1935年5月11日に出生)は、事件の2年前の1950年6月に行われた第2回参議院議員通常選挙の際にも同様の不正に気付いており、こうした風潮に憤りを感じていた。そこで、こうした不正選挙を問題提起するため、在校していた上野中学校(現在の富士宮市立上野中学校)の学内新聞「上野中学新聞」に、替玉投票を告発する文章を掲載した。しかしこの時、学校側は全生徒から配布された新聞を回収すると、全て焼却してしまった。

告発
事件の引き金となる1952年5月6日に行われた第2回参議院議員補欠選挙においても、同様の手口で不正選挙が行われたことに気が付いた石川(この時彼女は富士宮高校に進学し、高校生となっていた)は、不正を改めて告発する決意を固めた。〜
当時石川は警察と学生の間で頻発していた様々な問題を見聞きしており、警察を信頼していなかったため、警察に訴え出ることは念頭になかった。そこで、石川は朝日新聞に不正選挙を告発することとした。
〜事件が記事となり、さらにその数日後には、事件の関係者十数名が警察に出頭を命じられた[1]。

こうして問題は落着するかに見えたが、事件はこの後異なる問題へと発展してゆく。

村八分
選挙が終わって暫く経った日、石川は路上で同村の女性に呼び止められた。そして「今日十何人もの人が警察に呼ばれた。まだ皆帰ってきていないが、帰ってきたら皆してお礼に行くそうだ」と報復のお礼参りが計画されていることを仄めかされ、「学生なのだから、他人を罪に落として喜んだり、自分の住んでいる村の恥をかかせることが良いことか悪いことかくらい分かるだろう」と、あたかも不正選挙を告発することが悪であるかのように主張された。

この頃から、石川家に対する村八分が開始された。田植えの季節が既に始まっていたが、近所からの手伝いが誰も来なくなり、朝夕の挨拶すら避けられるようになった。また、石川は友人から、村民の一部が石川の奨学金を停止しようと各所に働きかけていると知らされた。さらに、近所の小中学生が石川の妹に対して「アカだ」「スパイだ」と野次を浴びせたり、地元の新聞が石川の父親の操行について書き立てた。法務局の調査に対して、村民は村八分の正当化のために「石川の父親が金を返さない」と申し立てたが、父親の問題と選挙の問題は別であると考えていた石川は、「父親の行為を正せないものが、村の問題をとやかく言うべきではない」という村民の意見を聞き、ショックを受けた。

結局、同年6月24日付けの朝日新聞を皮切りに、全国の新聞や雑誌がこの村八分問題を報道し始めたことにより、上野村は全国から注目を浴びることとなった。この日の朝日新聞の紙面では、石川の「不正をみても黙っているのが村を愛する道でしょうか」という言葉や、石川の恩師の高校教師の「正しいことはあくまで押し通すべきだと教えながら、現実の社会悪に対しては全く無力です」という嘆きの声が報じられている。

一方、村民の中には、村八分をせず石川を支持する者もいた。たとえば、富士宮高校の生徒会は全会一致で石川の支持を宣言した。また、教職員らも石川を支持し、7月上旬には、静岡県教職員組合及び同組合富士宮高校分会が石川を全面的に支持する声明文を発表した。

しかし報道はさらに過熱していき、石川が日本共産党に入党したという噂が流れたり、左翼思想や危険思想の持ち主であるかのように報じられた。また、警察が自分や自分への訪問者の思想傾向などの身辺を調査していることを知った石川は、報道や警察への不信を募らせた。


・村八分やばすぎ!引越ししてはいけないブラック市町村まとめ - 引越しハック https://hikkosi-hack.com/murahachibu/#i-2


・八紘一宇
「世界を一つの家にする」を意味するスローガン。第2次世界大戦中に日本の中国,東南アジアへの侵略を正当化するためのスローガンとして用いられた。『日本書紀』のなかにみえる大和橿原に都を定めたときの神武天皇の詔勅に「兼六合以開都,掩八紘而為宇」 (六合〈くにのうち〉を兼ねてもって都を開き,八紘〈あめのした〉をおおいて宇〈いえ〉となす) とあることを根拠に,田中智学が日本的な世界統一の原理として 1903年に造語したもの。 40年第2次近衛文麿内閣が「基本国策要綱」で東亜新秩序の建設を掲げるにあたり,「皇国の国是は八紘一宇とする肇国の大精神に基づく」と述べ,以後東亜新秩序の思想的根拠として広く唱えられた。

提唱者の田中智学の思想(「超国家主義」にて)
若くして日蓮宗の堕落に憤りを感じ、宗門改革に乗り出した。
父親は強い「尊王精神」の持ち主で日蓮宗信者。
世界統一の為、三保を選び富士山に巨大な「最勝郭」建造。「国立戒壇」の場所とし、世界各地の大統領や、帝王が洗礼に訪れねばならない、地点とした。
富士山は「宗都」、東京は「帝都」、伊勢は「神都」だとした。

宮沢賢治は22才頃に田中の国柱会に入信し日蓮と田中に「人生を捧げる」等と手紙に書いている。
その頃に数々の作品は書かれた。
「銀河鉄道の夜」の中で「天上よりもっといいところ」「みんなの本当のさいわい(死後には存在しない)」をつくる、それは「僕の先生」の指示だと語る。それが田中智学らしい。

・やまた‐の‐おろち【八岐大蛇】
日本神話にみえる頭と尾が八つずつある巨大な蛇。出雲の簸川(ひのかわ)上流にいて、大酒を好み、毎年一人ずつ娘を食ったが、素戔嗚尊(すさのおのみこと)がこれを退治して奇稲田姫(くしなだひめ)を救い、その尾を割いて天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)を得たという。

・蜂岡寺(広隆寺)
 広隆寺は大秦景教のお寺
広隆寺が建立された頃と時を同じく、唐においてはネストリウス派のキリスト教である景教の布教が活発になっていました。そして景教は638年に公認され、その寺院は当初「波斯寺」(はしでら)、もしくは「波斯経寺」と名付けられました。3世紀から7世紀にかけてササン朝ペルシャ帝国が西アジアを支配し、景教の拠点となっていた事もあって、ペルシャに由来する宗教という意味のヘブライ語で(ファシィ)、もしくはペルシャ語の「ファルシィ」の音訳で、中国語では「ペルシャ」を意味する「波斯」を用いて「波斯経寺」と命名したのです。

 その「波斯経寺」が、広隆寺の元来の名である「蜂岡寺」の語源となりました。「経」は「宗教の聖典」を意味し、ヘブライ語では「律法」を意味する(khok、ホック/オク)という言葉で表します。すると「波斯経」は「ファシオク」となります。その発音に当てた漢字が「蜂岡」であり、日本語では「はちおか」と発音されたのです。
 その後、651年にはササン朝が滅び、イスラム共同体にとって代わったため、745年には教団の名前が「大秦景教」と改められ、それ以降、景教寺院の呼び名自体も「大秦寺」に改称されました。
 当時、中国よりも西に位置する帝国は大秦国と呼ばれており、歴史的にはローマ帝国を意味します。そしてキリスト教は既にローマ帝国において国教とされていたことから、正式に「大秦景教」と呼ばれるようになりました。その際、「波斯経寺」の名前も「大秦寺」に改名されたのです。そのため、日本においても蜂岡寺として建立された広隆寺が、いつしか「太秦寺」とも呼ばれるようになったのです。

 秦氏が景教の信望者としてイエス・キリストを信仰していたという推測は、あながち間違いではなさそうです。太秦寺は中国語で「ローマ国教の寺」を意味しますが、日本語の読みである「ウズマサ」に隠された本来の意味は、「処刑されたイエス・キリスト」を指していたのです。そして秦氏の氏神である外来の「神」イエス・キリストが、日本にうまく土着することを願い、「大辟大明神」や「ウズマサ」など、誰も抵抗を持たない風変わりな名前が命名されたと考えられます。大和の国という新天地において永久の繁栄を求めた秦氏の英知が、ここに結集されているのです。


・八旗
中国の清代に満洲人が所属した社会・軍事組織
八旗(はっき・ジャクン・グサ、満州語: ᠵᠠᡴᡡᠨ
ᡤᡡᠰᠠ メレンドルフ転写:jakūn gūsa)は、清代に支配階層である満洲人が所属した社会組織・軍事組織のことである。また、この制度を指して八旗制と呼ぶ。

八旗は旗と呼ばれる社会・軍事集団からなり、すべての満洲人は8個の旗のいずれかに配属された。後にはモンゴル人や漢人によって編成された八旗も創設される。八旗に所属する満洲人・モンゴル人・漢人は旗人(きじん、gūsa i niyalma)と総称され、清の支配階層を構成した。
八旗は、清の始祖であるヌルハチが、満洲人の前身である女真(jušen)を統一する過程で、女真固有の社会組織を「旗」と呼ばれる軍事集団として編成、掌握したことに始まる。



・八幡神
八幡神(やはたのかみ、はちまんしん)は、日本で信仰される神で、清和源氏、桓武平氏など全国の武家から武運の神(武神)「弓矢八幡」として崇敬を集めた。誉田別命(ほんだわけのみこと)とも呼ばれ、応神天皇と同一とされる。また早くから神仏習合がなり、八幡大菩薩と称され、神社内に神宮寺が作られた。


・嘘八百
「嘘八百」という言葉の意味は、「嘘を数多く言うこと。」「何もかも嘘だらけなこと。」「まったくのでたらめということ。」となります。
読み方は「うそはっぴゃく」です。

<由来>
「八百」は実数ではなく、数がとても多いことを表し具体的な数を表すものではありません。また、意味を強調する意味も持ちます。
「八百八町(はっぴゃくやちょう)や「八百八橋(はっぴゃくやばし)」といった表現で用いられる「八百」という言葉には「数が多い」という意味があります。
もともと「8(八)」という数字に、「数多く」という意味があることから来ています。
仏教の考えから来たものと思われており、仏教語には「莫大な数の地獄」を表す「八万地獄」「八万奈落」、数が非常に多いことを表す代表的な表現に「八万四千」などがあります。


・「八十八夜の別れ霜」「八十八夜の泣き霜」などといわれるように、遅霜が発生する時期である。一般に霜は八十八夜ごろまでといわれているが、「九十九夜の泣き霜」という言葉もあり、5月半ばごろまで泣いても泣ききれないほどの大きな遅霜の被害が発生する地方もある。それ以上に、旧暦では暦日と季節が最悪で半月もずれることから、農家に対して特に注意を喚起するためにこの雑節が作られた。八十八夜は日本独自の雑節である。

この日に摘んだ茶は上等なものとされ、この日にお茶を飲むと長生きするともいわれている。茶の産地である埼玉県入間市狭山市・静岡県・京都府宇治市では、新茶のサービス以外に手もみ茶の実演や茶摘みの実演など、一般の人々も参加するイベントが行われる。


・呉公と蜂との室
ムカデトハチノヘヤ
原文
亦来る日の夜は、呉公と蜂との室に入れたまひしを、且呉公蜂の比礼を授けて、先の如教へたまひき。故、平く出でたまひき。
現代語訳

オオナムチは次の日、呉公(ムカデ)と蜂の部屋に入れられました。
しかしまた呉公(ムカデ)と蜂を祓う比礼(ヒレ)を須勢理毘売(スセリヒメ)が大穴牟遅神(オオナムチ神)に授けて、同様に教えたので、何事もなく部屋から出てきました。

→室とは部屋ではなく、村ではないか?疑問

・ほう‐き【蜂起】
ハチが巣から一斉に飛びたつように、大勢が一時に暴動・反乱などの行動を起こすこと。「悪政に抗して人民が蜂起する」「武装蜂起」

・兵庫県川西市萩原(はぎわら) 八皇子神社(はちおうじじんじゃ)
御祭神
天忍穂耳尊 (アマノオシホミミノミコト)
別名 正勝吾勝勝速日天忍穂耳命 (マサカツアカツカチハヤヒアメノオシホミミミコト)
「天照大神(アマテラスオオミカミ)」と「素盞鳴尊(スサノオノミコト)」との誓約の際に、生まれた神様で、素盞鳴尊の子供にあたり、稲穂の神様。農業用水の「紅葉ヶ池」がある

・八王子神社
祭神 天忍穂耳命 市杵島比売命 他八神
(和歌山県伊都郡かつらぎ町大字星川・星山・御所・日高)
天照大神と素盞鳴尊との天眞名井での誓約によって生まれた5男3女神をお祀りし八王子神とも申し上げる。
この所は丹生都比売神社の神領地で古来より、星川に2社の八王子神社が鎮座していたが、洪水にて下八王子神社が流失、上八王子神社を4邑の氏神として再建される。
後年丹生都比売神社より丹生の大神、高野御子大神を勧請奉祀される。


・ヤオ族
中国では、ヤオ族は武陵蛮・五渓蛮と称された古代湖南の山地住民の子孫であるという説が有力である。ヤオ族の言語の多様性から、ヤオ族が南嶺山脈を南下する過程で他の民族を吸収し現在の分布に至ったと考えられ、シェ族と系統的に近いと見られている。

ヤオ族の多くは、槃瓠(ばんこ)という竜犬が敵の王を討ち取る手柄を立て、漢族の王女と夫婦になり、その間に生まれた6男6女がヤオ族の12姓の始祖となったとする「槃瓠神話」を有する。槃瓠神話は『後漢書南蛮伝』に同型の記載があり、『過山榜』『評皇券牒』という山地民の権利文書によって伝わっている。 この伝承が史記に取り入れられ、後に日本に伝わって南総里見八犬伝に取り入れられたとされている。

また、タイのヤオ族には、南京にいた12姓の祖先が干魃を逃れて海に乗り出したところ難破しそうになるが、盤皇という神に救助されたという「飄遙過海(ビウユーキアコイ)」神話が伝わっており、槃瓠神話よりもよく知られている。

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