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どんよりした曇り空でもコミュの26/07/12(日)@国立地球屋*昼の部*dsk.og、ウチヤマコウタ

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誰かの自殺を1日だけでも延期させるために・・・
木之俣ククルのスーサイド・コラム

『「嬉しい・嬉しくない問題」とは何か』

それにしてもライブ中、客席へ向かっていろんなことを言う出演者が居る。例えば、

� 嶌F�は呼んでいただいてありがとうございます。」

これは、おそらく客席というより、客席に混じっている主催や関係者に向けての挨拶だと思われるのだが、極端なことを言えば、自分は望んでここへ来たわけではなくて、呼ばれたから来てやっただけであって、あくまで自分はゲストとして借りてきた猫の様にして居るだけで、イベントの成功に責任を負ってるわけではありませんよ、と言っているようなものである。HITOMIのような、いや別にHITOMIじゃなくてもいいのだが、よっぽどの有名人でもない限り、そんなことをわざわざ言うべきではないと私は思うのだが、かなり普通のブッキングライブ(かなり普通のブッキングライブでも幾度となく魔法のような夜を経験したことがあります)で、石立鉄男さんの言葉をお借りするなら「おまえはどこのワカメじゃ」というレベルの、なるべく良い表現を用いると「フレッシュな」方が、偉そうにこんなことを言っている場面に年に数回出くわすことがある。私なら「本日はお仲間に混ぜていただいてありがとうございます」ぐらいの表現が妥当だと思うのだが、ニュアンスの違いがお判りいただけるだろうか。要は、お客さんを楽しませる主体としての責任をどの程度自覚しながら、なおかつ謙虚な姿勢で演奏に臨んでいるのかという話なのだが、挨拶の中でこの程度の表現を使い分けられない人が、はたして作品の中でまともな言語表現を用いることが出来るのだろうか。と思いながらそういう方の歌や演奏を拝見すると、やっぱり何だかそういう感じである場合が多い。


�◆嶌F�は最後まで楽しんで行ってください」

例えば、漫才師が舞台に出て行って「今日は思う存分笑ってください」と言うだろうか。客はもちろん言われなくても漫才師に笑わせてもらうつもりでそこに居るのだし、「ならば一刻も早く笑わせてくれ」と私ならば思うだろう。ニルヴァーナの歌詞をお借りすれば「ヒア・ウイ・アー・ナウ、エンターテイン・アス。(いいからさっさとおれたちを楽しませてみろよ。)」というわけである。ずいぶん場違いで不必要な挨拶に聞こえないだろうか。劇場や映画館のモギリのおばちゃんが「最後までゆっくり楽しんで行ってくださいね」と言うのなら分からなくもないのだが、その日「楽しい」か「そうでもない」かについて、ある程度の責任を負う立場の人間であれば、そんな他人事のようなセリフをどうして言えるのだろうか。と思いながらそういう方の歌や演奏を拝見すると、やっぱり何だかそういう感じである場合が多い。


��「今日は最後まで楽しんで行ってもらえると嬉しいです」

かわいらしい表現をすれば、メロンソーダの上にバニラアイスが乗っかっているようなケースである。出演者であるAさんにこれを言われた場合、純朴なお客さんは「それなら、Aさんを嬉しい気持ちにさせるために、我々は協力して楽しんでいる様子をAさんに見せてやった方がいいのかな」と、妙な頼まれごとを依頼されたような気持にならないだろうか。しかしながら、お客さんは何のために客席にいらっしゃるのだろうか。Aさんとお客さんとの関係が、アイドルと推しの関係つまり積極的な奴隷というか比ゆ的な意味での金正恩総書記と北朝鮮国民とのそれであればそういうものかもしれないと私も納得するのだが、かなり普通のブッキングライブ(かなり普通のブッキングライブでも幾度となく魔法のような夜を経験したことがあります)で、石立鉄男さんの言葉をお借りするなら「おまえはどこのワカメじゃ」というレベルの、なるべく良い表現を用いると「フレッシュな」方が、偉そうにこんなことを言う場面に年に数回出くわすことがある。Aさんが嬉しかろうが嬉しくなかろうが、お客さんには何の義務も責任も無いし、むしろお客さんを嬉しい気持ちにさせる義務や責任はAさんにあるはずなのに、そんな他人事のようなセリフをどうして言えるのだろうか。と思いながらそういう方の歌や演奏を拝見すると、やっぱり何だかそういう感じである場合が多い。


などと、いろいろ書いて来たが、私はおそらく少し疲れているのだと思う。

(つづく)

(#つづくのかい)




2026/07/12(日)@国立地球屋*昼の部*

「アコ義賊、地球屋23周年をお祝い」
出演 dsk.og / 木之俣ククル a.k.a. The End / ウチヤマコウタ(新潟)

OPEN 13:00 / START 13:30
CHARGE 2,500円 + 1ドリンクオーダーをお願いします。



夜露しくお願いします。
QQL・K

コメント(7)

木之俣ククルのスーサイド・コラム「可能・不可能問題」

これまでロックは奇天烈でなければならないという強迫観念にとらわれ「普通」であることに否定的なスタンスを取ってきた。私が知る限り「普通であること」を賛美したロックのアーチストは、キンクスのレイ・デイヴィスぐらいなもの(アルバムでいうとヴィレッジ・グリーンからショービズ、プリザヴェイションあたりまでの時代は特に)だが、そのキンクスにしても初期のステージでは乗馬ルックで「キンキー(変態)」なブーツを履いたり、暴力的なギターサウンドなどの奇天烈さを売りにしていた。

もし誰かが自分らしくあろうとして、それでも彼がいわゆる「普通」の範疇に収まっていたとき、それは誰かの目から見たらつまらない人生だとしても、彼は正直で幸せな人生を送ったと言える。そういう意味で個性とは必ずしも、幸せになるための条件ではないはずなのに、近頃はビジネス的なうたい文句にもけしかけられるのか、普通であることを嫌がり、目的もなく個性的であろうとする人が増えたように思う。

ここで、ゆで卵の断面図を想像していただきたい。ゆで卵の断面図を我々の社会だとして、黄身にあたる部分を「普通」の価値観だとしよう。白身の部分は「普通ではない」けど「犯罪」でもない、いわゆるグレー・ゾーンである。ちなみにそこから外側、殻より外側の部分は法による支配が及ばない世界である。「普通」であることを拒み、黄身から白身へ移動する成分が増えると、断面図上で黄身は縮小するか、全体的にゆで卵ではなく溶き卵のような状態に見えるはずであり、それが現在の社会の姿だと私は思う。

そもそもロックは、世界を溶き卵のような状態にすることを目指していたのだろうか。かつてチャック・ベリーやバディ・ホリーに夢中だった若者達は、大人になることをもうしばらく拒んでみたかっただけなのかもしれない。ボブ・ディランやビートルズが現れ、ジミ・ヘンドリクスやセックス・ピストルズが現れ、良くも悪くもロックが社会に影響力を持ったおかげ(?)で、もはや常識と呼べるものが失われてしまった世界で、ふと周りを見渡せば大人と呼べる存在がどこにも見当たらない世界で、私はまだ「常識なんてクソくらえ」と無邪気に歌わせていただけるのだろうか。

私は、「生きにくさ」の正体を知りたいと考えている。前回のコラムでも最後に触れたが、私が疲れを感じるのもおそらく「生きにくさ」のせいだろう。もしも生きにくさの原因が、社会の溶き卵化が原因で、それがロックのせいだとしたら、ロックにたずさわってきた者の端くれとして、私には最後に何かやるべきことがあるような気がする。そういう意味で、数日前にもコラムで書いたように、なぜステージで歌うのか、私は世界をどうしたいのか、ステージ上でのあいまいな言動には気をつけたいと思う。

ついでに話をしておくと、溶き卵状になった世界によく見られる(前回にも触れた)「●●してもらえたら嬉しいです」問題と並んで、「●●していただくことは可能でしょうか」問題がある。

「●月●日に、こちらでライブをやっていただくことは可能でしょうか」

このようなメールが来た場合、「可能です」か「不可能です」で回答するものだと思うので、スケジュールが空いている場合は「(スケジュール的には)可能です」という返事を送ったとする。ただ、私はその時点ではまだそのライブをやらせていただくと決めたわけではないのに、先方からは

「ありがとうございます!めちゃくちゃ嬉しいです!」

という、もうすっかり決まったかのようなリアクションでこちらが面食らってしまったことがある。

「可能であれば●●をリクエストさせていただけたら嬉しいです!」

これも、ロックが世界を解放して、溶き卵状にしてしまったせいなのだろうか。

スケジュールや距離的に「可能」であるのと、私が仕事としてそのライブをやらせていただきたいと思い願うかは別の話であって、演奏には気持ちが影響する以上、イベント企画者は出演者の意志を確認することが不可欠なのに、ロールプレイングゲームの主人公が村人に何かを頼むような気軽さでこちらにいろいろ要求してくる。

これを「生きにくい」と言わずして、何とお呼びすればよろしいのか。

極端な話「私と結婚していただくことは可能でしょうか?」という問いに対して「不可能ではない」としたらすべて「可能」つまり「OK」になるのだろうか。不可能ではないが気持ち的に難しいという場合がほとんどなのに、見かけ上の選択肢は2つしか提示されていない。

これを「生きにくい」と言わずして(つづく)

(#まだ続くのかい)

QQL・K
ここで皆さんに重大なお知らせがあります。
国立の地球屋さんはこのたび・・・

23周年ではなく、24周年でした。
皆さんに多大なご迷惑とご心配をおかけして申し訳ございませんでした。
謝罪?アンド?撤回?アンード?訂正?させていただきます?

( # 半疑問形)

反省してまーす(スノボニキ)。

なお、24周年イベントの一環につき
オープン(13:00)からスタート(13:30)まで
ビール200円だそうです。

3杯飲んでも600円!

30分って!

QQL・K

木之俣ククルのスーサイド短歌

慰霊の日

ネットニュースを見てみれば

ビッグダディの8度目婚とか


QQL・K
心をへし折られた若い女優さんの話は国民にしてみれば直接な関係はないわけだし、どうでもいいとは言わないまでも、あとは当事者の間で相談してサポートと再発防止に取り組めばよろしいのであって

いま国会で何が決められようとしているのか、大人はもっと気にかけるべきだと思います。

って、さっき知らないおじさんがブツブツ言いながらあっちの方へ歩いて行きました。

QQL・K
ありがとうございました!

前回、下津君とのライブ前に、地球屋の音響スタッフがエルさんに頼み込んで、アコースティックギターの生音を拾うために良いマイクを準備してくれたんですよ。あのときは買ったばかりで、感度の高いマイクを正直まだうまく使いこなせてなかったんだけど、今回はりゅうちゃんが私のギターをうまく拾ってくれました。若者の成長って素晴らしいなあ。

いまはアコースティックギターといっても、音を電気信号に変換して処理する、いわゆる『エレアコ』が主流なので、ステージでアコースティックギターをマイクで拾う『昔ながらの』仕事は音響スタッフにとっても減りつつある経験なんですよ。

そういった中で、なぜ私がそれにこだわるかというと、うまくやればそのやり方がいちばん良い音でやれるし、演奏にも集中できるからなんです。私のそういう考えを理解して共鳴して、いろんなお店の音響スタッフさんがマイクの立て方なんかをそれぞれ勉強してくれて、そこでライブをやる度に音がずいぶんスッキリして前回よりやりやすいなあ、っていうのは本当に嬉しいし、私にとってはお客さんにお会いできるのと同じぐらい楽しみのひとつなんです。

極端なことを言えば、地球屋の24年は、演者とスタッフとのそういったやりとりの24年でもあるわけで、そういう経験の蓄積はお店の宝物だと思うし、私もその(ほんの一部だけど)一部になれたことは私にとっても宝物です。

ということで、ダイスケ君エルさんいつもありがとうございます。いつもどおりって言うのが実は難しいんだよね。初めましてのウチヤマさんも、暑い中お集まりいただいたお客さん(『アップテンポの曲、やりますか?』)も、ありがとうございます。

エルさんがね、やっぱりライブ中もずっと観て下さってるじゃないですか。やっぱりね、あれなんですよ。あの見守ってる感じ。あれが魔法を生むんですわ。

エルさん、これからもいつまでもお達者で私たちを見守って下さい。こんな私にも、いつか御恩をお返しできる日がありますように。

QQL・K



>>[6]
とても素敵なLIVEでした

ありがとうございました

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