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京都を楽しむ会(^O^)コミュのはじまりは、弟の怨念‐桓武天皇と早良親王‐(^O^).2

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こんな背景があり、『早良親王(さわらしんのう)』の祟りを鎮めるために、怨霊を神として祀りました(^O^)
その後、御霊信仰が流行り この社に生前の怨みを抱えたまま亡くなった人たちが次々に集まり、合祀されます(^O^)
まずは、『井上内親王』と『他戸(おさべ)親王』(^O^)人差し指
『桓武天皇』がまだ、『山部親王』の時の話しで 『井上内親王』は 『桓武天皇』の父親(光仁天皇〔こうにんてんのう〕)の后で、『他戸親王(おさべしんのう)』は弟になります(^O^)人差し指
その母と息子が、『光仁帝』を呪詛(じゅそ)したという大逆罪で 「大和宇智群(現在の奈良県北葛城群)に幽閉され、悲運のうちに 亡くなります(>_<)
親子が同日に亡くなるのも 不可解なことで、どうも殺害されたようです(^O^)人差し指
その時、『井上内親王』は 子供を身ごもっていて、その子供も火雷神として祀られています(^O^)
次に『桓武天皇』の第2夫人である『藤原吉子』(^O^)人差し指
第3皇子『伊予親王(いよしんのう)』の母親ですが、この2人は 『桓武帝』の死後、家臣の謀略に巻き込まれ、謀反の首謀者にされ 捕らえられ 807(大同2)年 幽閉されていた大和で、服毒自殺をして亡くなります(>_<)
その『藤原吉子』も祀られています(^_^;)
『桓武帝』から、『平城天皇』『嵯峨天皇』『淳和天皇』と続き、『嵯峨太上天皇』が亡くなった2日後の842(承和9)年7月17日 “承和の変”が起こり、謀反の首謀者の1人として挙げられたらのが、『橘逸勢(たちばなの はやなり)』です(^O^)人差し指
『空海』とともに遣唐使として遊学し、『嵯峨天皇』に『空海』を紹介したのも『逸勢(はやなり)』だと言われています(^O^)人差し指
書の達人で、『嵯峨天皇』と『空海』と『逸勢(はやなり)』は、“三筆”といわれました(^O^)人差し指
これほどの人物なのに、『逸勢』の弁明は全く聞きいられず 『橘』という姓を奪われ、伊豆に流されました(>_<)
しかし、その途上で衰弱死してしまいます(>_<)
『逸勢』の死後も、都では奇怪なことが起こっていやす(^O^)
『逸勢』が書いた内裏の安嘉門の字が、髪を逆立て 沓(くつ)を履いた子供の姿に見え、その門を通る人が 蹴り倒されたと言われてます(^_^;)

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