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資本論および資本主義研究会コミュの労働力の商品化と人間

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資本主義社会と非資本主義社会を隔てる分水嶺の一つに「商品」が挙げられてきました。マルクスも資本論第一巻の冒頭において「資本主義社会とは巨大な商品の集合である」と述べています。そしてその後商品規定を行い、商品が如何に交換され、その交換が如何に貨幣を生み出すかについて記述しています。

資本論において商品は超歴史的な規定を持っています。使用価値と交換価値が存在すればそれは商品であると考察されているからです。
しかし本当にそうなのでしょうか?
資本論には労働生産物と商品の概念規定の違いや商品のなかでも労働力商品が商品生産に占める役割についての考察は不十分であると考えます。
私は商品が商品たるためにマルクスの二つの商品規定のみでは足りないと思います。そこには労働力が商品化されること、が決定的に重要であるとかんがえます。労働力が商品化されるということはどういうことでしょうか?それは労働力が他人の労働の支配下に入ることを意味します。では他人の労働とは何でしょうか?
労働にはさまざまな種類と役割が存在しますが、人間と労働を考えたときに人間が自然のなかで生きていくために必要不可欠な物資の調達という労働がそのなかでもとても重要であると思います。自然との交通と言い換えても良いと思います。
この自然との交通を労働と仮定しますと、この労働力商品とはこの交通を遮断された労働であるともいえます。なぜなら自然に対して如何に働きかけるのかという決定権を有していないからです。
元来労働力とは法的な「一定時間の労働の指揮命令権ならびに処分権を被雇用者は雇用者に賃金の代わりに譲渡する契約」であると理解されてきましたが、もっと現実の人間の生存に基づいて考察する必要があるとかんがえます。
この労働の一部が自然との交通を遮断されつつ商品交換券によって自然との交通の結果を得ることが出来ることは、つまりこの商品交換券に対する錯覚、つまりこれが本来的に価値を有しているかのような錯覚を人間の目、というより言語的な意識に反映します。
紙切れがそれ自身が元来価値を有しているかのように人間の脳が思い込むというものです。
もちろんそもそもにおいて人間は思い込みをしています。将来性を担保するために貯蓄とその貯蓄を有利にするための交換手段を持ってはいます。しかしそれらは純粋な希少性や機能性によって支えられていました。しかし純粋な交換手段としての貨幣にはそのような使用価値は一切捨象されています。
つまり貨幣が貨幣として機能するためには二つの条件が必要になるということです。
?労働が商品化され労働力が形成される。⇒自然との交通からの遮断
?前提として将来への希望を有している。⇒信頼
もちろんこの条件は現実においては政治的文化的影響を強く受けますが、それらを捨象した純粋なモデルとしてみたときには上記二つの理由が貨幣を貨幣として機能させることに役立っているとかんがえます。

労働力の商品化とはそれゆえそもそもにおいて矛盾しています。正しくは労働の商品化を媒介とした労働力の生成であるとかんがえます。
人間にとってこの労働力商品の誕生は多面的な分業への参加を容易にしました。自然との交通の労働における独占的な位置を崩すことが出来たからです。そしてそれはまた貨幣に内在的な価値があると思い込むことで希望や価値の定量的な把握を可能としました。そして消費活動が誕生しました。
消費は使用とは異なります。それは使用が自己労働の再生産のための投資であることに対して消費とは再生産とは異なる領域に属しているからです。使用はそれを使用することで何らかの目的を達成するための合目的的活動なのですが消費についてはそれは異なります。それは目的を有していないのです。
人間は労働力商品を手に入れることにより分業への自由な参加と消費への自由な参加を手に入れました。とはいえこの自由は剰余価値、搾取の必然というある種の不自由を必然としていました。しかしそれらのことは人間の意志や主観とは異なる超越的な部分、つまり人間の巨大な相互行為とそれへの解釈と介入というサイクルのなかで決定されてきました。そしてそれらのサイクルにおける重心といいますか、サイクルのなかで非常に重要な部分がどこにあるのかは手探りで進むしかありませんでした。
次回はこの剰余価値と搾取について考察したいと思います。

PS.管理人の仕事が多忙となってきたため更新は不定期となると思います。せっかく登録していただいた皆様方には大変ご迷惑ですが何卒ご了承くださいませ。

コメント(1)

はじめまして、ミクシー自体に今登録したばかりです。

労働は、商品になるのでしょうか?労働を売るには、労働があらかじめ存在している必要がありますが、そのためには、労働主体は労働手段を保有していなければなりません。しかし、労働手段を保有しているなら、その労働主体は、労働を売らずとも労働生産物を売ればよく、他人の支配下にはいる必要がありません。

労働は商品にならず労働力が商品になるのではないでしょうか?

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