ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Bar.の亭主コミュの日本の洋酒文化の夜明け

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
以下は、自分が二十歳代の時に綴った資料です。
先人達の試行錯誤に感謝。



日本の洋酒文化の夜明け
1549年(天文18)、フランシスコ・ザビエル来日、「ちんた」「あらき」などと呼ばれる洋酒も上陸、その後、数百年の鎖国の後、黒船が現れた。
1853年(安政 元) 浦賀沖にペリー来航
ペリー提督の記録によると文献上、ウイスキーを初めて飲んだ日本人は、当時の浦賀奉行、香山常左衛門だという。一説では、この頃、蘭学者の川本幸民がビールを飲んだとある
1859年(安政 6) 横浜港、開港
この頃、バス社のペール・エールが英国から輸入される

明治の初め頃、ノルウェー系米国人ウイリアム・コープランドが 横浜にビール工場をつくリ、「スプリング・ヴァレー・ブルワリー」を設立、『天沼ビア・ザケ』が大ヒット
(ここから、多くの日本人技術者を輩出)

この頃、角長瓶のジンが輸入された記録も残る
1871年(明治 4) 滝口倉吉氏、リキュール製造に着手、失敗
ヘネシー、猫印ウイスキー、ラムなど輸入
記録によるとこの年、ウイスキー造りが試みられたが、これは輸入のアルコールにエッセンスを漬け込んだまがい物だった
1872年(明治 5) 宮内福三氏、甘味葡萄酒、蜜柑酒の製造に着手
渋谷庄三郎氏、シブタニ・ビールの製造、販売
野口正章氏、三ッ鱗ビール研究に着手
ペパーミント、キュラソー、マラスキーノ、シャルトルーズなど輸入
1873年(明治 6) 野口正章氏、三ッ鱗ビール販売(後に販売停止)

1876年(明治 9) 中川清兵衛氏、ビール工場を設立
官営工場として札幌にビール工場
1877年(明治10) 小西儀助氏、リキュール、ブランデー、シェリー製造、不成績に終わる
1883年(明治16) 鹿鳴館設立
1885年(明治18) この頃、ウイリアム・コープランド倒産
英国人エドガー・アボットやトーマス・B・グラバーが中心に横浜のビール工場の跡地で 「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」設立(後の麒麟麦酒)
後に、設備投資のため資本金を増加し、新株主に日本人も参加
1888年(明治21) 人気商品キリンビール(商品名)発売。他に、亀、孔雀、キツネ、というビールもあったという
渋沢栄一氏を中心に、札幌麦酒設立
1889年(明治22) 大阪麦酒、設立
1893年(明治26) 鳥井信治郎氏、小西儀助氏のもとに弟子入り
1899年(明治32) 鳥井信治郎氏独立、鳥井商店創業
1906年(明治39) 札幌麦酒(サッポロビール)、 日本麦酒(エビスビール)、 大阪麦酒(アサヒビール)合併。大日本麦酒になる。(後に、第二次世界大戦後、財閥 解体により、また、分割)
1907年(明治40) 寿屋、赤玉ポートワイン(現在、赤玉スイートワイン)製造、大ヒット
「ジャパン・ブルワリー・カンパニー」を買収、日本法人「麒麟麦酒株式会社」設立
1923年(大正12) 京都郊外、山崎にてウイスキー造り開始
鳥井信治郎氏はスコットランド留学で技術を身につけた、 竹鶴政孝氏を迎え、200 万円を投じて企業化へ 日本洋酒文化のの幕が開けた



            日本洋酒文化の幕開け

1923年、この頃の洋酒輸入総額が200 万円程だったという。今の何百億円だろうか。或人は、国のため、この出費を減らさんがために、鳥井信治郎氏は、財産をはたいて無謀な賭けにでたという。ウイスキー造りは長い歳月の投資を必要とし、成功するかどうかは、神のみぞ知る熟成が要る為、商売としては、常識外だった。
そして、初の国産ウイスキーは不評。スコットランド仕込みのスモーキーフレーバーが受けなかったらしい。それから数年後、寿屋は資金が底をつこうとしていた。そんな時、角瓶が発売され大ヒットするのだった。数年前、不評だったウイスキーが十数年の歳月で最高級品となっていたのだ。事実、日本のウイスキーは、気候的に、20年、30年ではスコットランドにはかなわないかもしれないが、12年クラスではどこにも負けないと評価がある。そして、竹鶴政孝氏は、契約期間を終え、独立。北国の北海道は余市へと、最高のウイスキーを求めた。
鳥井信治郎氏は言ったという『あの時、売れなくって良かった。』と。
鳥井信治郎氏、竹鶴政孝氏、両氏の先見の目は正しかったといえよう。それぞれ、理想と信念を抱いた二人。他、大勢の先人の努力と、このような世界でも珍しい幸運な成功が今の洋酒文化を築いたのである。1923年、国産洋酒の幕開けの年、東京では関東大震災の少し前、初の街場における本格派バーが開店した。米国では禁酒法の最中、欧州ではカクテル文化が幕開いた時である。

昭和初期の輸入洋酒
ブラック&ホワイト、ロイヤル・ハウスホールド、ゴードン、ボルス、マルティニ、キング・ジョージ、アボットチョイス、ジョニー・ウォーカー、マッキンレー、ヘイグ、ホワイトラベル、ブース、サンデマン、アズバッハ、スペイローヤル、ギルビー、ビスキー、getミント、オールドパー、ビフィーター、ハイランド・クィーン、チンザノ、ジョンベッグ他

コメント(1)

今、残る大手ビール会社のキリンビール以外のサッポロビール等の会社は、官営。
国の事業として、始まりました。
鉄道とか色々な多くの事業が、日本国の存続の危機感を持って、
先人達の努力によって発展してきました。
そんな中、ウイスキーは、自然に運命を委ねる所が大きい大博打、
しかも、商売になるまで数年、数十年の時間と根気、体力にいる事業には、
国は手を出しません。
それを個人の力で、成し遂げた、鳥井信治郎氏は、もっと評価されていいと思う。
事実、現在、世界五大ウイスキーとして、日本の地位が確立していますが、
他の国でもウイスキーは、作っていますが、日本のような実績はないです。
これは、物凄い事です。
鳥井信治郎氏、竹鶴政孝氏に乾杯。

ログインすると、みんなのコメントがもっと見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Bar.の亭主 更新情報

Bar.の亭主のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング