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Bar.の亭主コミュの再会・其の九

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モノローグ
一九九六年三月十八日 月曜日
リキュールグラスに注がれたアブサンが白
濁した様なそんな空だった。
その日は、すでに暦のうえでは、春だとい
うのに、嫌に底冷えのする日だった。
コートのポケットからマルボロを取り出し
火を付けると、マッチの向こうに古ぼけた看
板が見えた。私は吸い込まれる様にして、酒
場の扉を開いた。
酒場はまだ、開店前の様に、音もなく薄暗
かった。私が目の前のぶ厚い一枚板のカウン
ターに近づくと、バーテンダーが一人近寄っ
てきた。
普段は、客の方から話しかけない限り、数
多く口を開かないバーテンダーが、その晩は
向こうから話しかけてきた。
「今晩は。お待ちしておりました。」
バーテンダーの能面のような表情が崩れ、微
笑みが見えた。
「少し早かったかな。出直してこようか。」
「いいえ、どうぞ、ごゆっくり。実は今晩ぜ
ひ、飲んでほしいカクテルがあるんです
が。」
こちらから要求すれば応じてくれるが、普
段は控え目なバーテンダーが、何やら私に飲
ませたいらしい。私は、今晩の酒をバーテン
ダーに任せた。
バーテンダーは銀製のシェーカーとミキシ
ンググラスを用意すると、何やら、酒の調合 を始めた。
シェークの音が誰も居ない店内に響き渡り
アンティックな底の丸いカクテル・グラスに
薄緑がかった白っぽい液体が注がれた。次に
バーテンダーは、素早くミキシング・グラス
で何やら琥珀色の液体を撹拌し、何と、先程
のカクテルにフロートして、私に差し出し
た。珍しい作り方で、やたら手間のかかるカ
クテルだ。
私は、カクテル・グラスに口をつけると、
何だか、夢の光景をみる想いがした。
冷たく、すっきりとした口当たりだが、味
わってみると、甘みの様な、苦みの様な、ま
た、不思議なハーブの香りのする、そんなカ
クテルだった。
以前に、出会った事がある様な……。私は
思わず、バーテンダーに目をやった。
前にも一度味わった事のあるカクテル。そ
れは、ちょうど一年前の今頃、今夜のように
底冷えのする晩だった。その日、私は、風邪
ぎみの熱っぽい体で家路につく途中、ふらり
と立ち寄った酒場で味わったカクテルだっ
た。その時は、何か夢を見ている様で、カク
テルの事や、酒場に寄ったことすら私の記憶
にはなかったが……。
「このカクテル、一年前にも造ってくれた
ね。ちょうど今日みたいに寒い晩に。」
私がバーテンダーに言うと、バーテンダー
は、
「何をおっしゃいますか。数年前に、私が友
人のことで悩んでいる時に、貴方が私に造っ
てくれた物を再現したんですよ。あれから、
私も色々ありましたが、ようやく、この酒場
の開店にこぎ着けました。今夜は、本当に良
くおいでになって下さいました。」
「そんな馬鹿な。第一に、このカクテルの処
方も知らない。」
「上の層が、フォアローゼスとアンゴストラ
・ビタースのバーボンのカクテル。。下の層
が、ゴードン・ドライ・ジンと、フレッシュ
・ライム、それに、マリー・ブリザール社の
アニゼットを使った、ジンのカクテルで
す。」
ゴードン・ドライ・ジン、それは、数年
前、私が愛飲した酒。あの切ない香りを私
は、こよなく愛し、私の喜びと悲しみ、そし
て、別れを知っている酒。それに、フォア
ローゼス。あの再会の夜、友と交わした酒。
それから、しばらく、私の体から、バーボン
の香りが消えなかった。
「フォアローゼスの名前の由来は諸説、色々
あるらしいですけど、一番有名なのは、青年
実業家が、ある女性に求婚して、舞踏会で再
会した時、女性が胸に四つの薔薇を付けて
O.K.の返事をしたそうですよ。」
バーテンダーが、グラスなどを磨きながら説
明してくれた。
「ところでこのカクテルの名前は何といった
け。」
「再会(サイカイ)、再び会う。中国名では、再見
(サイチェン)、別れを意味するカクテルです。」


一九九六年三月十九日 火曜日
その晩、私は、『再会』にもう一度、出会
いたくて、あの酒場を訪れた。しかし、いく
ら捜しても、その酒場も、バーテンダーも、
どうしても見つけられなかった。
微かに街のどこかから、ビリー・ホリデー
の『オール・オブ・ミー』が聞こえたのは、
気のせいだったのだろうか。
人差し指

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