ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

Bar.の亭主コミュの再会・其の参

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
一九九五年四月十八日 火曜日
夕刻に降った雨のせいか、珍しくこの街の
空気が光っていた。
天空には、手の届きそうな宝石の屑が、今
にも降り出しそうだった。もしも、銀河鉄道
の停車駅があるとすれば、その街にも、こん
な酒場があるだろうか。
今晩のお客は、一般相対性理論と統一場理
論をバーテンダー相手に力説する老人が一人
だった。
店内には、宇宙空間の暗闇が広がり、時間
は数億光年の彼方へと流れていった。
どうやら老人は、船で世界各国を廻ってい
るらしい。今朝、港に着いたその船は、明朝
の出航だという。老人の造る表情のような、
ゆっくりとした旅である。
私がゴードン・ドライ・ジンの注がれた
ショット・グラスを三回空にする間に、老人
の話は、無限に広がり、ビックバンからブ
ラックホールへ、そして、宇宙の終焉とな
り、銀河の果てに飛び散った。
静寂した店内に流れ出したのは、ビリー・
ホリデーの奏でる『月光のいたずら』だっ
た。そして、老人の目の前のグラスには、赤
褐色に染まり、天空に浮かぶ月に似た色の飲
み物が注がれた。たぶん、それは、謎のカク
テル、ヨコハマだろうか。と、その時、静止
していた、澄みきった店内の空気が揺れ、酒
場の扉が開いた。どうやら老人の連れが来た
らしい。背の高いその男は、バーテンダーに
XYZを注文すると、老人に話しかけた。
「遅れて、すいません。何しろ、久しぶりの
日本で。」
「いや、いいんだ。今ちょうど、統一場理論
を完成させたところなんだよ。」
「え、まだ、そんなことを、おっしゃってる
んですか。所詮、幻なんですよ、完全な法則
なんて。」
「何を言っている。それでは、私の存在も幻
だというのか。」
「解りません。でも、僕の今、飲んでいる、
このXYZだって、ひとつの物じゃありませ
ん。嬉しい時のXYZもあれば、悲しい時の
XYZもあるんです。」
「どういう事かね。」
「通常XYZは、最後の意味だと考えられて
います。しかし、数学の世界だと、ABCを
既知数とすると、XYZは未知数だから、未
来を意味するもの。XYZ・カクテルは、こ
れからの酒と解釈する事も出来ます。」
「いや、それは、酒が変わったのではない、
人が変わったのだよ。バーカウンターの上の
目の前のグラスに注がれた中身は、自分自身
の姿なんだよ。例えば、ウイスキー好きの人
でも、疲れた時、嬉しい時、憂うつな時、食
前、食後、味も違えば、飲み方、とらえ方も
変わる。」
「解ります。しかし、カクテルは、その人に
よって、カクテル自身を変えられます。教
授、貴方のマティーニもあれば、私のマ
ティーニもあるんです。」
さりげない謎掛けのような会話が店内に流
れた。どうやら、老人は、教授と呼ばれてい
るらしい。老人の造る表情は、少年のような
瞳をもち、夢を語るのが好きな、空想好きな
冒険家のようだった。
老人は、グラスを掲げ、背の高い男に語っ
た。
「このヨコハマってカクテルは不思議なカク
テルでね。一九三十年代には、飲まれていた
らしんだけど、当時、珍酒だったウオツカを
使う、このカクテルは、誰がいつ、造ったの
だろうね。」
「私のような白系ロシア人かも知れません
ね。多分、横浜に夢を見たんでしょう。私
が、日本でベースボールに夢を見たように…
…。」
「そういえば、いつか会ったあの青年は、ど
うしているだろうね。」
「昭文とかいう、あの青年ですか。彼は、過
去に取り憑かれています。未来を見ることが
できず、過去を見てる目でした。」
聞くとはなしに入ってくる、二人の会話に
私は、一瞬自分を失った。二人のいう昭文と
は、まさか、私の知る、沢村昭文なのだろう
か。私は、二人の空間を割って、口をはさま
ずには、いられなかった。
「すいません。その昭文とかいう人、どんな
方なんですか。」
二人は、驚くでもなく、不愉快そうでもな
く、無表情のまま私を見つめていた。やが
て、老人が、ゆっくりと語った。
「彼とは、ちょうど八年ぐらい前に、よくこ
の店であってね。今の君のように、一人でジ
ンを飲んでいたね。何でも、ハイ・スクール
時代に、事故でなくした恋人のために、毎
年、厚木まで花を届けてるとかいってた
ね。」
「よしましょう。今、居ない人の噂は。」
背の高い男が、グラスをカウンターに置くと
スツールをたった。
「すいませんでした。私の知り合いで、沢村
昭文という男がいて、どうしても、彼のこと
を知りたくて、つい……。」
「いえ。私たちは昭文の本名は知りません。
酒場では、名字や肩書きは必要ないんです。
ただ、一時、同じ空間を過ごしただけなんで
す。」
二人はそれっきり、語ることもなく、店を
出ていった。後には、老人の座っていたス
ツールに、忘れられた傘が一本掛かってい
た。

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

Bar.の亭主 更新情報

Bar.の亭主のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング