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薔薇乙女文学館コミュのアルムのもとに 2

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 黒パンと山羊のミルク、それになけなしのチーズを差し出したものの、やはり、気高くてわがままな水銀燈はまったく手をつけようとしなかった。

 「おいておきますからね。お腹がすいたら食べるですよ」

 何を言っても聞く相手ではないし、気が向けば自分の好きなようにすることはわかっていたから、翠星石はくどく言うことはしないで、そのまま自分の仕事に戻って行った。朝にしぼったお乳の保存を終え、山羊たちの小屋の掃除をして、別の斜面に植え付けをした畑の世話を終えると、高原の一日はいよいよ西に傾いて、今日も忙しかったねといたわるようにあたたかな黄色を帯びた光が草原を走った。斜面のわずかな起伏に沿って光と影のできた陰影の中を、彼女はゆっくりと帰路につくのであった。
 部屋の戸を開くと、水銀燈は窓辺に腰をかけ、暮れゆく高原の景色を無言でながめていた。

 「まだいたですか? てっきり好きなところへ行ってしまったと思ったですのに」

 「とまれって言ったのはあなたでしょ? 人の恩は受けることにしているの。私は罪悪感なんて感じないからね」

 「貸しにするつもりはないですよ。翠星石は好きでこうしてるですからね」

 「そんなに世話好きだったかなぁ、あなたって? まるで人間みたい……」
 小悪魔な笑みを浮かべて水銀燈は嫌味な目つきをする。翠星石は一瞬、身が硬くなる。

 「そういうあんたの方が、血も涙もない冷徹人形ですよ。マスターも持たないなんて、ね。それにかばんと人工精霊はどうしたですか? そんな大事なものまでなくしてしまったですか?」

 「かばんはどこかに置いてきてしまったわ。私の人工精霊なら家の外で見張ってる。そういうあなたの人工精霊はどうしてるのよ?」

 「スィドリームは山羊の小屋にいるです。今夜は大事な行事があるかもしれないです。夜通し、付き添ってやらないといけないですから」

 「そ。大変だこと」
 水銀燈は興味がなさそうにそっぽを向いて、また草原の方に視線を戻した。翠星石はふとベッドの枕元に目をやると、さっき用意した食事がまだそのままになっている。

 「お腹すかないですか? 翠星石が食べてしまうですよ」

 「どうぞ。そもそもたのんでないわ。あなたこそ、よくこんな粗末なものが食べられたものね?」

 「ここでは食べられるだけごちそうですよ。生きてるだけで幸せなのです」

 「何を悟っちゃってるんだか。ますます人間くさい。その服だって、あなた、以前はまともなドレスを着てたはずなのにね?」

 「これは……、私のマスターがこしらえてくれたものです。農作業をするのに、あのドレスだと汚しちゃうから。形は似ていても、もう少し動きやすいものを作ってあげるからって」

 「それで、そんな人間の庶民みたいな格好して、毎日毎日、畑仕事のごっご遊びでもしてるってわけ? 物好きね? 私だったらすぐにでも逃げ出してやるわ。で、あなたのそのマスターはどこにいるのよ?」

 「今はいないです。お国でとても大変なことが起きたらしいのです。マスターは、国の王様に命じられて、ヘータイにならなければならないと言っていました。私が戻るまで、ここをちゃんと守っていてほしいのだと……」

 「なるほど。あなたはご主人の帰りを待つ哀れなシンデレラってこと? 自己陶酔もいい加減にしたら?」

 「黙れです。水銀燈に何がわかるですか?」

 「わかりたくもなくてよ。あなたはその男にだまされてる。無知はあなたの方よ。人間の争いのことも、人間の本性のこともわかってない」

 「お前は翠星石のマスターを知らないのです」
 
 「どうだか。あるいはあなたより知ってるかも。戦場におもむいて戻ってこないとしたら答えはひとつ。万に一つ無事だったとしても、今頃下界でほかに家族でも作って幸せに生きてるわ。こんな陳腐な生活、誰だって飛び出したくなるもの」

 「そんなことない! これ以上アルムのことを悪く言うと承知しないですよ!」

 「アルム、アルムって、何かの呪いかしら? あなたはそれに縛りつけられてるの」

 「アルムはこの土地の名前です! アルプスの山をのぼると美しい高原があると下界では評判なのです! それがこのアルムです! 馬鹿にするなです!」

 「そんなむきにならないでよ。そんなに不愉快なら何も言わないわ。それでいいでしょ?」

 水銀燈がそっぽを向くと、翠星石もやり返すようにぷいっとそっぽを向く。残照に暮れる部屋の中は急に静かになってしまった。水銀燈は相変わらずどこか遠くを見ていた。翠星石は壁に背をもたれ、握ったこぶしを震わせていた。

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 「……あなたにはわからんのです」
 沈黙を破り、彼女は再び口を開いた。

 「あなたは自由なのです。翼があるから自由なのです。いつだって、どこだって、自分の好きなところへ気ままに飛んでいける。私も翼がほしい。あなたに翠星石の苦しみはわからんのです。だからそんなに人のことをあざ笑って平気なのです」

 何も言い返せないもどかしさを、精一杯にぶつけて彼女は言った。水銀燈はつまらなさそうに彼女の方に視線をやった。けれども不意に真剣な声で、
 「甘えんじゃないわよ、この独りよがり」

 「なんですって?」

 「独りよがりの甘ちゃんだって言ってんのよ。翼があるから自由だって? あんた、本当にそんなこと思ってるわけ?」

 「それはみんなが思っていることです。空を飛べれば、どんな争いからも、どんな悲しみからも自由になれるです。……何にも束縛されない、そんな空に誰でもあこがれるもんです」

 「あ、そう。確かに、ある国の歌では翼をくださいって歌っているそうよ。悲しみのない自由な空へ。白い翼をはためかせていきたいって。……だけど、同じ国のことわざで隣家の芝は青く見えるとも言うわ。要するにね、他人のことはいいところしか見えないものなの。あなた、空には悲しみも争いもないというけど、たとえば嵐が来たらどうする? 急な風が吹いて地面にたたきつけられたら? 気付かないうちに誰かが狙い撃ちにしてくるかもしれない。そんなときにあなたならどうするというの? 第一、翼のある生活が本当に幸せなら、どんな生き物も翼があるように進化を遂げたはずではなくて?」

 翠星石は言い負かされて口をつむいだ。水銀燈はそれを見て不敵な笑みを浮かべる。
 「ほぉら。何もわかってないのはあなたでしょ? 恥をかきたくないなら、むやみに人をうらやまないことね。あなたにはあなたに与えられた力があるのだから。翼は翼の宿命に従い、庭師は庭師の運命を歩む。他人をお気楽なんていうのは自分の務めに対して苦労も努力も足りていない証拠よ」

 翠星石は悔しくて服の裾をつかんだが、言い返す言葉は結局ひとつも見つからなかった。水銀燈はまた興味なさそうな顔をして窓の外に目を戻してしまった。翠星石はもどかしさのぶつけどころがなくて、まだしばらく立ちすくんだままだった。しかしそうしているのも動揺させられているようで悔しかったから、水銀燈のことなどもう気にしないことにした。彼女は本棚から本をとってくると、愛用の椅子をわざと壁に寄せ、窓辺の水銀燈に背を向けるような格好で読書に集中し始めた。

 やがて残照も消え、部屋の中を夜の闇が覆った。スィドリームがろうそくに火を灯すと、翠星石の手元はほんのりと照らされ、窓際の水銀燈のところにも暖色の灯りが届く。

 「あんた、寝ないの?」
 ちらつく灯りを嫌がるように、水銀燈は舌打ちをした。

 「今夜は眠れません。母山羊がお産をするかもしれないですから」

 「山羊なんか放っておけばいいじゃない。朝になれば勝手に生まれてるわ。そこまで面倒なんかみなくっても」

 「そんな簡単な話じゃないですよ。出産が失敗したら、母親も子供も一度に死んでしまうことだってあります。そういう悲劇を何度も目にしてきたですから」

 「たかだか山羊ごときに、むきになっちゃってね……」
 水銀燈は挑発するように皮相な笑みを浮かべた。しかし翠星石はもう相手にしないで、手元の本に目を戻した。相手がわざと嫌味を言ってこちらの注意を引こうとしていることはわかっていたからだ。昔から水銀燈は、そういう形でしか他人に自分をアピールすることができないのである。

 彼女がまったく相手にしないとわかると、水銀燈はあからさまにつまらなそうな顔をして、「馬鹿みたい」と言った。しかしそれも独り言に終わった。

 しばらく、二人の間には意地を張り合うような沈黙が続いた。ろうそくの灯がゆれるほかに、部屋の中で動きを見せるものはなかった。アルムを吹きわたる風はだいぶ強く、窓がときどきがたがたとゆすられた。二人はときどき、足を組みかえたり、せきこんだり、そんなときにかすれるような音は出すものの、意思疎通の声はないままに、夜はしだいにふけていった。

 やがて翠星石はため息をつき、本を閉じた。さっきから、読書に集中しようと意識しすぎて、ほとんど読み進めることができていなかった。
 「なんで昼間はあんなに疲れきっていたですか?」

 相手の顔は見ず、口をとがらせるようにたずねた。水銀燈はすぐには返事をしない。それで翠星石は無視されたと決め込んでまた本を開こうとした。すると、

 「はじめて人間の争いを見てきたのよ」

 翠星石は驚いて姉の顔を振り返った。その言葉が何を意味するのか、まだよく理解することができなかった。

 「意外というか、正直、怖かったわよ。人間て、ああいうふうに殺し合うんだって、思い知らされた。人と人とが殺し合うと何が起こるか、今まで考えたこともなかったからね」

 「戦争の……、現場に行ってきたですか?」

 「そうよ。というより、巻き込まれたの。私はその日、一夜の宿を求めて古い教会の屋根裏に忍びこんだ。朝になったらそこを去るつもりだったわ。だけど朝が来る前に目が覚めた。教会の外は恐ろしい光景だった。……なんであの町が戦場になったのかは知らない。けど、とにかくたくさんの人が殺し合っていた。教会にも火の手が上がって、私は死にものぐるいで逃げたのよ。逃げて、逃げて、どこか遠いところまで逃げたいと思った。それで気がつくと、ここに来ていたの」

 おそらく、彼女はあまりの恐怖のために、途中で池の水か、割れた鏡などに飛び込み、次元の裏側から別の場所へと無意識に移動したのだ。翠星石はそう考える。彼女とその六人の姉妹たちは、人工精霊の力を借りることで、目に見える現実の次元から、nのフィールドと呼ばれる別の次元へと移り、そこから望みの場所へと、意識の扉を開くことで、自らの意思に導かれて移動する力を持っていた。

 「そんなことが……。つらかったですね」

 「同情してくれるの? こんな話、なんであなたの前でしちゃったんだろうね。助けなんか、必要と思ったこともないのに」

 「いいえ、水銀燈」と、翠星石は強く言う。「本当のあなたはとても臆病なひばりのはずです。本当はさびしくて仕方ないの。本来、私たち七人の薔薇乙女は、マスターとの契約なしには生きることのできない人形なのに。あなただけは、一人だけで強く生きられる力を与えられてしまった。それが不幸だったのです。誰かに甘えなくても生きられるようになってしまった。そのせいで孤独から逃げだす方法もわからなくなってしまう」

 「やめてよ。なぐさめられてもなんの足しにもならない。忘れたわけではないでしょ? 私たち薔薇乙女の宿命を……。創造主たるお父様――ローゼンの至高の愛を受けることができるのはたった一人。気高く穢れなきアリスの気品を獲得し、お父様の真の抱擁を得るそのために、私たちは最後の一人になるまで滅ぼし合う運命を背負わされている」

 「ええ、確かにそうかもしれません。だけど両翼を血に染めた娘をどんな父親が愛してくれるというのです? お父様の望むアリスというのは、悲しみの十字架を背負った堕天使なのですか?」

 「嫌ならば、ゲームから降りる道を選ぶのね。私たちはこの心――ローザミスティカを失っても自らの形だけは失わない。かばんの中に膝を抱えて、永遠に眠り姫のまま、美しく存在し続けることができるの。あなたはそちらの方がお望みかしら?」

 「違う! 翠星石は生きることのすばらしさを知ったです。お父様の愛だけが生きる糧ではありません。風のわたる草原に朝が来て、いつものお日さまと青空がやさしく出迎えてくれる。アルムのもとに生まれ、アルムとともに生きてきた。たとえ私が人形でも……。足元に目を向け、そこにある生活を抱きしめたい。アリスゲームに身を滅ぼさなくても、十分な幸せが見つかるのです。争いはすべてを奪うだけ。あなたもそれを目にしたはずですよ」

 「きれいごとね……。あなたは三番目に生まれたからそんなことが言えるの。あなたは一番目に生まれた私の運命を知らない。この黒い姿にどんな宿命が刻まれているのかを知らない。私は羽ばたき続けなければならないの。いずれあなたも気がつくわ。そのときあなたは同じことを私に向かって言うことはできないはずよ」

 翠星石は姉と自分の間に見えない壁を感じた。姉は自分の及び知らない悲しみを背負っていて、そのせいで誰の言葉も受けつけない。
 「水銀燈……」

 彼女は姉にかける言葉を探した。ここで言葉を失えば、姉はますます心を閉ざしてしまうと思った。
 「けれども、水銀燈はここに来てくれたです。おそろしい戦場を逃れ、ここへ来ることを望んでくれたです。翠星石の助けを必要と思ってくれた。そうではありませんか?」

 「……単なる偶然よ。別にあなたに会いたかったわけじゃない。たよったわけでもない。どこでもいいから、あそこでない場所に逃げたかったの。勘違いしないでよね」

 水銀燈は翠星石の好意を知ってわざとそれを拒絶していた。皮肉にゆがんだ横顔の笑みが悲しみのせいで暗く陰っているのを翠星石は見守った。一体どうすれば心を開いてくれるのだろう。そもそも頑固な姉など放っておけば良いのだ。それなのに気になってしまうことも不可解だったし、不可解ゆえに姉が心を固く閉ざすと彼女はつらかった。

 いっそのこと、スィドリームの力を借りて彼女の心の中に入ってしまえば……。そんな考えが頭をよぎったとき、そのスィドリームがあわただしくまたたきながら部屋に飛び込んできた。

 「なにがあったですか、スィドリーム!」
 混乱して飛び回るばかりの人工精霊を落ち着かせようとすると、窓際の黒い姉はいまいましそうに横目をやった。

 「え! なんですって! 本当ですか!」
 ようやく精霊の報告を受けると、翠星石は急に血相を変えて部屋を飛び出していってしまった。どたどたと、そのまま小屋を飛び出したらしい。

 「なによ、あれ?」
 水銀燈は迷惑そうにつぶやいたが、ひと騒動すぎてしまうと、狭い部屋の中は再び沈黙の中に返った。これはこれで悪くない状況だ。彼女は、「ふん」と見下すようにつぶやくと、窓際から降り立って、翠星石が使っていた灯りを消してしまった。それから暗闇の中を窓際まで戻り、自分と同じ闇の色に溶け込んで沈黙にひたった。彼女の黒い翼はこちらの方が落ち着いた。けれども、火を消してしまったときの感触が嫌に頭の片隅にこびりついていた。翠星石は灯りも持たずに飛び出してしまった。もしかしたら、彼女にあの灯りが必要だったのではないか……。

 水銀燈は気にしないように努めた。窓枠に頭を預け、いっそのこと眠ってしまおうかと思った。けれども寝つけない。どこかから時計の針の音が、チックタック、タックチックとしつこく時を刻む。夢の中に何かが入り込んで彼女のことを呼んでいた。

 「ああ、もう! うっとうしい!」

 何にいらだっているのかもはっきりしないまま、彼女は翼を広げ、素早く床の燭台を取り上げた。舞い上がった自分の羽のひとつに火を灯し、その火をろうそくに移す。羽ばたいた彼女が地に降り立つと、そこはもう小屋の出口だった。

 戸を押し開き、表の暗闇に足を踏み出す。やはり、厩舎の方から切羽つまった妹の声が聞こえてくる。月も出ない夜で、扉の外は何も見えない。

 「メイメイ」と、水銀燈は呼びなれた言い方でその名を呼んだ。すると彼女の手元に銀色の光が現れた。翠星石のスィドリームと同じように、それが彼女の人工精霊だった。メイメイ――。確かに、そういう名前なのだ。

 メイメイの光を借りながら、ろうそくで足元を照らしながら近づいていくと、寝言なのか、厩舎の方から山羊の鳴き声が聞こえてきた。おそらく母山羊はほかの仲間とは別の場所にいるはずだ。翠星石もそこにいる。そう踏んで、厩舎の横の小さな庵の戸をあけると、思った通り、スィドリームのまたたきだけを灯りに、くるしそうにうめく母山羊の側、羊水にまみれた後ろ姿が必死に何かを引っ張っていた

 水銀燈は自分の人工精霊には外で待機するよう言って、庵の扉を閉めた。それから、すっかり変わり果ててしまった妹の姿にちらりと目を向ける。

 「……灯り、壁の棚に置いてほしいです。届けてくれてありがとう」
 声も絶え絶えな妹に、水銀燈は素直に従った。どこか座るのにちょうど良い場所を探し、わらの積み上がった山のところに腰をかけ、お産を迎えた母山羊と共に苦闘する翠星石の姿を、助けるでもなく見守った。それから、くすっと笑いをこぼし、

 「面白いわ。薄汚れちゃって」

 「……見てわからんですか? そんなこと言ってる場合じゃないですよ」

 「もちろんわかるわ。逆子なんでしょ、その子。じゃなきゃ、あんたが赤子の足をつかんでる意味がわからないものね」

 「このままだと産道に引っかかって、……どっちも死ぬです。翠星石はこの子たちを助けたいです」

 「だから手伝えって? 虫のいい話だこと。言っとくけど、恩返しなんかしないからね。自分でなんとかしなさいよ」

 水銀燈は相変わらず足を組んだままで、くすくすといやらしく笑いながら翠星石たちの格闘を見下ろした。けれどもその顔がだんだんとくもっていった。

 翠星石は母山羊をはげまそうとして、その名前を細い声でつぶやいていた。「メイメイ、がんばるですよ」と。しかし、彼女がその名前を呼ぶごとに、水銀燈の顔が明らかにどす黒くくもっていった。

 「ねえ、ちょっと?」

 水の煮えるようないら立ちを込めて水銀燈は言った。翠星石はわざとそれを無視し、苦しそうにうめく母山羊に声をかけ続けた。

 「聞こえないふりしてんじゃないわよ。あんた、その山羊のことなんて呼んでる? はっきり言ってごらんなさいよ。なんて名前をつけてんのよ?」

 翠星石はしんぼうするように姉のことを無視し続けた。「メイメイ……」と、細く小さく、いとおしむように母山羊をはげまし続けた。

 「……メイメイ。メイメイ、ねえ……」
 水銀燈の声はだんだんふるえ始めた。まるで自尊心を傷つけられたように、その声には怒りがにじみ始めていた。

 「ねえ? わかってるでしょ? その名前、なんの名前なの? 水銀燈の人工精霊の名前、忘れちゃったかなぁ? 私の人工精霊もメイメイっていうのよね? なんでその名前を使うの? 横取りするつもりぃ?」

 風もないのに、小屋がぶるぶると小刻みにふるえ始めた。あるいはそのように錯覚しているのかもしれなかった。そうさせるくらいの気迫が、水銀燈からは伝わってきていた。

 それを恐れるように、翠星石はようやく口を開いた。
 「……何言っているですか? 単なる偶然に過ぎないです。この子はめぇと鳴くからメイメイです。水銀燈のメイメイとは似て非なるものです」

 「本当? そんなんで納得すると思ってるの? 大体ね、ここに来たときからおかしいと思ってたのよ。私はあの戦場で我を失った後、前も後もわからないような闇の中におちいった。……そこで聞いたのよ。なれなれしく私を呼ぶ声を。私の人工精霊がそれに反応した。私は引っ張られていったの。逆らうこともできずにね。それで気がつくとここにいた。わかる?」

 「偶然ですね。私も誰かに呼ばれたですよ。空のずっと高いところから、苦しそうに助けを求める小さな声が聞こえたのです」

 「それが私だって言うの? やめてよね。あんたの幻聴よ。自分の助けが求められてるなんて、よくもそんな勘違いができたもんね? そんな妄想癖があるから私をここへ呼んだのよ。わかる? ぜんぶあんたのせいなの。あんたが、勝手に私をかわいそうなお姉さまに仕立て上げて、そんな汚い山羊なんかに感情移入して、それで私のことを強く呼んだの。助けてあげなきゃ、なんて、独りよがりなこと考えてね。聞いてるの? ねえ? あんたがそうやって、主人を待つだとか、アルムで生きるだとか、そういうくよくよしたおままごとに没頭して、そこに私を巻き込んだ。いらだたしいのよ。そうやって人のことわかった気になって。勝手に同情して、救ってやった気になってる。それで自分は慈悲深いやつを気取って、しまいにはこっちに感謝なんか求めてくる」

 水銀燈は堰が切れたようにまくしたてた。まるで何かから逃れるように話し続けていた。自分の中にわきあがってくる何かを必死に否定しようとするように息切れしている。その声はひどく苦しそうだった。

 翠星石は何も答えなかった。聞こえないふりをして、侮辱される痛みに耐えるように唇をかみ、今やわらの上に倒れ込んでしまった母山羊をはげまし、立ちあがらせようと声をかけ続けた。

 「へぇ……」

 水銀燈のふるえる声はあざけるようにこぼれ出る。
 「あんた、私のこと見下してるでしょ?」

 冷たい声で、絶望ですらにじませた声で、水銀燈は言った。翠星石は悲しそうに顔をしかめた。しかし、返答する声ですら出なくて、水銀燈の方が見えないように顔をそむけてしまった。

 そのとき、まるで感情をせき止めていた堤防がぷつりと切れるように、水銀燈の中で何かの回路が断たれた。

 「なんとか言いな!」

 水銀燈は泣き叫ぶような声で怒鳴ると、棚に置かれた燭台を乱暴につかみ、ものすごい勢いで翠星石に投げつけた。翠星石は振り返る間もなかった。固いものの砕ける音がして、翠星石は低くうめき、頭をおさえてうずくまる。破損した燭台からろうそくがこぼれ落ち、それはわらの上に転落すると、皓々と盛り立つ臙脂色の炎を引き起こした。

 翠星石はすぐには気がつかない。彼女の頭の側のわらが赤く汚れている。何かの爆ぜる音に違和感を抱いて、頭をおさえつつその音の方を見た彼女は、悲惨なまでに蒼白な顔色になる。

 「いや! そんな……!」

 痛みに足元もおぼつかないというのに、悲鳴をあげ、翠星石は手近のわらを束にしてつかみとると、それを炎の上に叩きつけた。しかし火は消えず、這いまわるように手を伸ばした炎の先端が、狭い庵の隅の方へと押し広がろうとしていた。

 水銀燈は引きつるような笑みでそれを見守っていた。本当なら大声で笑い飛ばしてやりたい場面だ。しかし、自分のやったこと、それが及ぼした結果の深刻さを目の当たりにし、彼女は後悔ですら感じ始めていた。

 「ねえ! そんなところで見てないで、手伝ってよ!」

 翠星石は涙をいっぱいにためた目で水銀燈に訴えた。それは怒りにも等しい切実さであった。

 黒煙に巻かれて母山羊の呼吸が荒くなった。同じ黒煙を浴びながらも、漆黒の闇をまとったシルエットはやけに落ち着いて見えた。水銀燈自身も、自分がそのように見られていることがわかった。その感覚は自らと同じ色に溶け込んだときの安心であった。しかしそれはいみきらわれたものに同化してしまったときのやり切れない唖然でもあった。

 「スィドリーム!」

 悲痛な叫びにとっさに応じて、翠色にまたたく精霊は翠星石の右手に如雨露を用意した。その切っ先をふるって、彼女は自分の命をも削り取る勢いで燃えさかる炎に鎮静の水をふりまいた。しかし彼女の力ではそれに対抗することができなかった。一度は衰えたかに見えた火の勢いは、朽ちて燃えやすくなったわらの上を伝ってまた勢力を拡大しようとしていた。

 水銀燈は翠星石の顔に異様なほどの覚悟が刻まれるのを目にした。翠星石は、自らの身を投げうって、たけりたつ炎の上に覆いかぶさった。それは自殺行為に等しい賭けだった。あるいは彼女の体が焼き尽くされるか、あるいはその気迫に押しつぶされて炎の方が勢いを失うか……。

 冷徹の水銀燈ですら、思わず腰を浮かせて飛び出しそうになった。しかし次の瞬間には、小屋の中の灯りが突然失われ、目に砂を浴びせられたような暗闇が訪れた。水銀燈は炎の残像と真っ暗な視界の向こうに絶え絶えな息を聞いた。それは山羊の声ではなく、自らの妹の声であった。灯りが失われたということは火が消し止められたということだ。翠星石は命を賭した勝負に勝ったのだ。

 「水銀燈の人工精霊も呼んで欲しいです」
 暗闇の中から翠星石は言った。

 「ろうそくが駄目になったから、灯りが足りないです。スィドリームだけでは、どんなにまたたいても不十分なのです」

 「……あんた、いったいどこまでお馬鹿さんなの? ここまでするような悪党が、今さらあんたに協力するとでも?」

 「翠星石は何も恨まないです。ただ信じるだけなのです。心からの誠意は必ず誠意によって報われるのです」

 「なんでも自分の思う通りってことね。……気に入らない。気に入らないのよ」
 水銀燈は歯ぎしりした。何かがやりきれないくらい憎かった。憎しみなど求めていないのに憎かった。本当は自分の身を誰かの腕の中に預けて甘えたかった。けれども、妥協を求められるのは悔しくて仕方なかった。どうして、いつもいつも、譲歩しなければいけないのは自分の方なのだろう?

 「あんたの善人顔が気に食わない。まるで、自分は何も悪くない、だから相手が折れるのを待つ、そんな態度。……それこそ高圧的ね。素の顔を見せてごらんなさいよ。とりつくろった笑顔なら、怒りにゆがんだみにくい顔の方がせいせいする」

 「私はとりつくろってなどいない。……これが真心なのですよ。お願いだから、答えて欲しい。この子たちは私の命なのです」

 「欺瞞ね」

 冷たい闇をさらに冷やす声のトーンで、銀色の絶望は言い放つ。

 「あんた、見苦しいわよ? 言っとくけど、愛とか、信頼とか、本当にそういうものがあるのだとしたら、いちいちそれを無理に強調するのはなぜ?」

 翠星石が言葉を失うのが気配でわかった。水銀燈はたたみかけた。相手を追いつめても、本当はぜんぜん楽しくないことは知っているのに、卑屈な心はどうしてもそうせずにいられなかった。

 「人間みたいなのよ、あんた。汚いところも本当、そっくり。きれいな言葉で飾り立てないと自分に向き合うこともできない。愛? 誠実? ……ふふ。かわいそう。自分におびえて、自分を怖がって。本当の自分が残虐だってことを否定できないから、誠実な自分を演じずにいられない。だけどいつかは破綻するの。生きてる限り、いつかは誰かをあざむき、裏切る。戦場に行った私にはそれがよくわかる。あなたも同じ愚かしさを犯しているんでしょぉ?」

 「なんのことを言ってるですか?」
 翠星石はあえてとぼけたような口調で言った。拍子ぬけを装って、深刻な追及から逃れようとしたのだ。しかし水銀燈はその隙も見逃さない。

 「そこの山羊だって、はたして何年生かされるんだか」

 とっさに何か反論しようとして、翠星石の声は、ついに言葉にならなかった。

 「気づかないとでも思ってる? 冬は山羊の餌になる飼い葉も減って、夏の間に生まれた子供もいる。次の世代につなぐため、子供には生きてもらわないといけない。……ほら、だんだんあなたのエゴが見えてきたわよ。生かしておける山羊の数は限られる。だとしたら……。あなたにできることはただひとつ」

 「……違う」

 「違わない! もしもすべての山羊が天寿をまっとうするのなら、この厩舎もすべての山羊をかくまい切れないはずよ。……年寄りは殺すんでしょ? つぶして、肉にして、それが明日の糧になる。命のリレーとか都合の良いこと言ってるけど、彼らはなんで生きなきゃいけないの? あなたのゲームに付き合うためよ。農場を守るとか言ってるけど、そのために山羊の命をもてあそんで、上辺の誠実さで友達になったつもりでいる。……人間と同じ。愛情のために人形を作って、次なる愛情のために古い人形は捨てていく。そこの母山羊だって、子供を産んだからにはもう用済みなんでしょ? この冬には処分するんでしょうね? それならいっそのこと、今ここで……」

 水銀燈は腹の底から笑いがこみ上げて来て、こらえきれなくなってしまった。楽しい笑いでもなく、幸せな笑いでもないのに、こらえられなくなった。それで話しながらもあざけるような声になりかけた。しかしそうはならなかった。次の瞬間には、腹部に激しい衝撃が走ったために、彼女のあざけりは、にぶいうめき声になってしまった。


 「この野郎!」


 確かに彼女はそんな声を聞いたような気がした。けれどもそれは声と呼べるような声ではなかった。それに彼女は小屋の壁に嫌というほど頭を打ちつけられたので、周りの音など正確に聞きとれるはずもなかった。

 翠星石は力まかせに体当たりをすると、怒りくるうように泣き叫びながら姉の顔面を何度も平手で打ちつけた。けれどもすぐに腕を押さえつけられた。そのまま脇腹を蹴られて突き飛ばされる。振り返った翠星石に水銀燈は転げるようにぶつかっていき、そのはずみで翠星石は入口の硬いドア枠に叩きつけられた。先ほどの傷口が開いたのか、闇の合間に赤いものが散ってまたたく。怒りと恐怖に駆られた水銀燈は妹を地面に押さえつけて手足の自由を奪う。けれどもすぐに頬を殴られて、逆に彼女の下にひれ伏されてしまう。

 二人はほとんどもつれあうように狭い小屋の中を転げ回った。闇の中で振り上げた拳は対象を外れてそれ自身に傷を負わせた。きれいに積み上げたわらの山は散乱し、壁に立てかけた農具も落下して、過ごしやすく整えられた出産用の寝床はめちゃくちゃになった。涙交じりの吐息はもはやどちらのものともわからない。二人とも涙で視界も定かでないままに意地をかけて互いを否定し合った。


 「独善者! 独善者! 自分ばっかり不幸だと思って! 私だって! 信じちゃいない! 憎らしい! つらいのよ! 好きでやってんじゃないんだから!」


 翠星石は姉の襟首をむしるようにつかみあげ、壁際に追いつめて何度も何度も打ちつけた。姉の口元からうめきとも悲鳴ともわからない声がこぼれてくる。しかし翠星石は錯乱状態で姉を攻め続ける。水銀燈が倒れかかると、翠星石も足をすべらせて大きく倒れこんだ。水銀燈は先に立ち上がって口元をぬぐうと、妹の腹を蹴り上げて、うずくまった体の上に繰り返し右足を打ちおろした。踏みつけられるごとに翠星石は涙まじりの悲鳴をあげた。しかし水銀燈も苦しそうにおえつしている。どちらがどちらの声なのかは、はっきりしないままだ。

 翠星石はもう抵抗する力がなかった。水銀燈もすぐに疲労困憊して、何もされていないのに横倒れになった。ぼろ雑巾のようになった少女たちは、視界も利かない暗闇の中で絶望的な荒い息を繰り返した。

 二人の上を二つの光が飛び交っていた。ひとつは翠星石の人工精霊で、もうひとつは水銀燈の人工精霊――ずっと屋外で待機していたメイメイだ。

 やがて二人の息も落ち着いてきた。飛び交う二つの光の下で、先に起きあがったのは姉の方だった。しかし、立ちあがることはできず、壁に体を預けて虚空をじっと見つめた。翠星石は身を起こす気力ですらないようだった。息が整ってきてもうずくまったままで、顔を覆った両手の下からすすり泣き、やがてそれは瓦解するような号泣に変わるのだった。彼女は体をけいれんさせながら、喉が張り裂けそうなほどに声を張り上げて泣いた。まるで逃れることができないような泣き方だった。子供が自分の悲しみを訴えたくて、けれども言葉にできないから泣き叫ぶようだった。泣くことでしか悲しみを訴えられない。訴えないと自分自身が悲しみに押しつぶされてしまう。

 その泣き声でさえ弱々しく消えていくと、小屋の中にはようやく現実が戻って来た。出産が順調にいかない母山羊は、いよいよ弱々しく、半分だけ足をのぞかせたわが子を抱えたまま、ふらふらとたよりなくわらの上を徘徊した。主人たちが起きあがらないのを見限ったのか、二つの人工精霊は母山羊の方をはげましてその周りを飛び交った。けれども山羊は、ぷつりと糸の切れた人形のように――まるで主人たちの姿を真似るように――どっと力なく倒れた。

 朝はまだ訪れなかった。終わりのときがまだやってこないように。母山羊のよろめいたあとには嫌な色をした羊水が筋を作り、倒れたその体の下で水たまりになった。人工精霊たちの動きが鈍くなった。もう手遅れであることを察するように。

 けれども、母山羊は再び足に力を入れて立ち上がった。そのおぼつかない足取りのままでよろめいて、翠星石の側に歩み寄ると、消え入りそうな声で鳴きながら、はげますように主人の肩をさすった。翠星石はおびえた子羊のように丸まったままふるえている。母山羊は助けを求めるように壁際に視線を転じ、そこに身を預けた水銀燈と目が合った。彼女は何も言わなかったし、目が合っても気がつかないふりをした。

 母山羊はまた翠星石に頬をすり寄せた。まるでお互いの痛みを分かち合おうとするように。けれども出産を前にした彼女はそれ以上感傷に浸ることはしなかった。またよろよろと歩を進め、子宮に少しでも刺激を与えて、中の子供に外へ出るよう、うながした。子山羊の足はそれに応えてぴくりと動く。

 水銀燈の人工精霊は主人のところへ飛んでいき、何か主張するようにその肩を何度もつついた。

 紅い瞳をしばたたいた水銀燈はすっと妹の吐息がする方に目をやった。ちょうどその向こう側から母山羊の鳴き声が聞こえてくる。

 「……うっさいのよ、メイメイ」

 まとわりつく人工精霊を払いのけると、彼女はふるえる膝をおさえつけて立ち上がった。

 「……ったく。こんなんでいいの? どうなっても知らないんだから」


 やがて母山羊の声がやみ、代わりに水銀燈の声が、何かに向かって懸命に取り組むように繰り返しこぼれて来た。

 「スィドリーム。あんたもちゃんと照らしなさいよ。手元が暗くてよく見えないの。あんたの主人のたのみでやってんだからね」

 子山羊の足が活気を取り戻して動き回り、水銀燈はその動きを助けるように手を添えた。子山羊が動くとそれに合わせて強く引き、動きが止まるとこちらも手を止めた。あふれるようにこぼれ出た羊水が、ときどき彼女の漆黒のドレスをぬらした。子山羊の足をつかむ彼女のレースの袖はびっしょりと湿って肌にじっとりと張り付いていた。

 「気にしないわよ、メイメイ。どうせさっきの騒動でめちゃめちゃだもの、この私」
 水銀燈は自嘲気味にそう言った。もしも自分が自分でなかったら、今のこんな自分を見てきっと笑っただろう。誰にも妥協したことのないこの自分が、人の望みに応えるようなことをしているのだ。水銀燈は泣き出したいくらいに情けなかった。それなのになぜか爽快な気分だった。その爽快さがまた一段と悲しかった。

 二つの人工精霊は華麗な装いをすっかり汚してしまった彼女の手元をそっと包み込むように照らした。その光の中に、彼女は自分の両手と子山羊の足だけはしっかりと認識できた。すると、闇の中からその視界の中へ、子山羊の足をそっと包み込むもうひとつの手の平が現われた。

 「……下手くそですね。それでは強引なだけですよ」

 驚いて水銀燈が顔を向けると、現れたその手の主は、顔を真っ赤に泣き腫らした妹である。彼女は水銀燈を押しのけるように手を差し伸べて、ふるえる山羊の足を支えた。

 「なによ……。手伝えって言ったのはあんたじゃない」

 「だから、言う通りにするですよ。一人でやっては結局なんにもならんです」

 翠星石は水銀燈の顔を見なかった。けれども二人の距離は必然的に近かった。

 水銀燈は急に息が苦しくなってきた。おさえようと努めても、熱く鼓動する嫌な感じがふるえる吐息になってしまう。

 「泣いてるですか?」

 「……っさい」

 「翠星石も泣きたいです」

 「黙れってんのよ……。また殴られたい?」

 「もうこりごりです。あんなに爆発したのは初めてです」

 「だから偽善者だってのよ。自分は素顔を見せないくせに、相手の心は暴こうとする」

 「そう見えるですか?」

 「当たり前じゃない。慈悲深い声を出すやつはみんな嫌い。えらそうだもの。何さまのつもり? 人のこと言う前にそっちから本音を出してみろっての」

 声がふるえてしまうのを気にしながら、水銀燈はわざと強気にまくしたてた。翠星石は返す言葉が見つからないように黙り込んだ。

 「なによ。そんなに滑稽? 確かにね。あなたの言う通り。私はさびしいのよ、翠星石。だけど救ってほしいなんて思わない。ひざまずくくらいならかみついてやる。そんな悪魔を抱きしめる心構えがあなたにはあって?」

 「翠星石は庭師です」

 水銀燈の声に負けないように、翠星石は強い声で言った。

 「庭師はどんな枯れ木にも花を咲かせるです。正面から向き合うのです」

 「ふうん……」

 今度は水銀燈が返す言葉を見つけられないようだった。

 「降参ですか?」

 「勘違いしないでよね。あんたを助けてるのは、あんたの庭師だかなんだかの美徳心を許したわけじゃないんだから」

 「じゃあ、なんで助けてくれるですか?」

 「あんたも心の闇を見せたからよ。そこんとこ楽観視しないでよね。また善人を気取り始めたら、それこそめちゃくちゃにしてやるんだから」

 「……なるほど。それなら納得です」

 翠星石は余計なことは言わないことにした。実際、二人の間で言葉はもう必要なくなった。母山羊の声が強く小屋の壁に反響し、いよいよお産は佳境を迎えようとしていた。


To Be Continued…
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