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薔薇乙女文学館コミュのSS  「休日の乙女はお品よく」

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なんだか長ったらしい小説が一編だけでもつまらないので(笑)、ショートショートを書きます。また気が乗りしだい何か書くかもしれません。



『休日の乙女はお品よく』



 「無理じゃないもん! ひなはやれるんだもん!」
 日曜の昼下がりはいきなり大荒れの展開を見せようとしていた。椅子の上につま先立ちをして、なれないエプロンに身を包んだ雛苺は、泡だて器を危なっかしい手つきで握ってボールの中身をかき交ぜようとしていた。けれどもあまりに下手くそなので、ボールの中身がだいぶこぼれて机を汚していた。
 「違うのよ、ひなちゃん。そうやってボールを引きつけたらこぼれちゃうわ。こうやってね、傾けないように気をつけて……」

 もう人形たちの世話役が定着してしまったのりは、手とり足とり雛苺の助けに入ろうとするのだが、手つきの幼い雛苺は、何を教えても言う通りにはできない。
 「無理なものは無理ですよ。三回まわってワンといってもおばか苺には無理なのです」
 「ああん、もう! 翠星石は黙ってて! 今日はひながお菓子つくるんだからぁ!」
 事の発端は、いつもの通り、雛苺と翠星石の小さな口げんかだった。三時のおやつの時間も近づき、お料理好きの女子高生、のりがいつものようにお菓子作りの準備を始めると、
 「クッキー! クッキー! 今日はのりのお手製クッキーだ!」と、これまたいつものように雛苺ははしゃぎ始めたのだ。ところがちょうどそのときすぐ側に翠星石がいたので、すかさず嫌味の突っ込みが入り、
 「これだから、おだめ苺はぁ。翠星石はお菓子を作るのも得意なのに、おだめな苺はお菓子を食べることしか能がないのかしらねえ」
 むろん、「そんなことないもん! ひなだってお菓子くらい作れるもん!」と雛苺が強がりを言い始めるのは必然だ。それでのりは、雛苺のわがままに押し切られて一緒にお菓子作りをすることになったのだ。

 「うるさいわね! これでは読書にならないじゃないの!」
 テーブルの向かい側で本を広げていた真紅はがつんと机を叩いて不平を言った。
 「ここで本読まなくてもいいじゃないの! いじわるするとひなのクッキーあげないからね! 真紅なんか二階でジュンとじめじめ引きこもってればいいのよぅ!」
 「あら、そう? じゃあ私は二階へあがろうかしら。そのクッキー、せいぜいクッキーになるといいわね。お夕飯の卵焼きの材料になるのが関の山でしょうけど……」
 めずらしくムキになって言い返す真紅は、まるで水銀燈のようなあざける表情を横顔に作っていた。
 「うう……。真紅のいじわるぅ。なんでそこまで言うのよぉ」
 「からんできたのはそっちじゃないの。こっちはただ静かにしてと言っただけよ」
 「なによ! 真紅だってお料理しないくせに! 他人まかせのおばあさんのくせに!」
 「おば……。言ったわね? 下僕の分際で生意気なこと」
 「……まあまあ、ひなちゃんも真紅ちゃんも、けんかはいけませんよ。ほら、ちゃんと謝って仲直りしよう、ね?」
 のりは火花の散り始めた二人の間を仲裁しようとしたが、ちょうどそのとき真紅が、「生意気な下僕はおしおきよ!」の一言、手にしていた本(分厚いハードカバーの本)を雛苺に向かって投げつけた。案の定、本が重たいせいで手元がくるい、凶器のごとく宙を走る本は雛苺の髪飾りをかすめ、そのままのりの顔面の真ん中を直撃した。

 「きゃーーーーー! のり??」
 それまでわれ関せず風に笑いながら静観していた翠星石が悲鳴を上げる。しかしまさかそれでのりの意識が戻るはずもなく、重たい本の角のところの直撃を受けたのりは、そのまま後ろ向きに倒れ込んでいった。
 「危ないですぅ! テメェら、のりの頭を守れですぅ!」と、反射的に翠星石は自分がクッションになろうとのりの体の下に走り込む。言われるまでもなく、残りの二人ものりの下に駆け込んで、雛苺がなんとか彼女の頭を地面への衝突から守った。……とはいうものの、結果としてのりの真下に三体の人形が無様に押しつぶされる結果となった。
 「いったぁあ! なんで翠星石がこんな目にあうですか!」
 「あなたはいい方でしょ? 腰の隙間に入ったんだもの。私なんて背中よ。肩甲骨の直撃を受けたのよ?」
 「うぅ……、真紅ぅ、翠星石ぃ、のりが起きてくれないのよぉ……」
 言い争う二人の側で雛苺はべそをかいていた。必死でのりの顔をゆするのに、すっかり両目が「×」の印になった彼女は目を開こうとはしないのだ。
 「困ったわ。気を失ってしまったのね。やはり医学の書物は投げるにはふさわしくなかったようね」
 「そんなの当たったらどうするのよ! ひなに当たったら死んじゃうでしょ! 真紅のおばかぁ!」
 「あなたはよけると思ったのよ。のりに当たるとは思わなかったけど」
 「もう、うるさいやつらですねぇ。どうでもいいから早くのりをソファーまで運ぶですよ。ビョーニンはまず寝かせるのが先決だと前にのりが言っていたです」

 てんやわんやといさかいを続ける二人をせきたてて、翠星石は意識の吹き飛んだのりの頭をつかみ、ソファーのところまで運ぼうとした。
 「ちょっと、翠星石! それでは駄目よ! そんなに頭を引っ張ってはとれてしまうかもしれないわ!」
 「ひな、前にテレビで聞いたのよ。人間は首がとれると死んでしまうのよ。死んだら二度と動かないのよ」
 「なぬぅですぅ! 死んだら直す方法はないですか?」
 「馬鹿ね! 生き物というのは壊れると直す方法はないのよ。人形とは勝手が違うの」
 「それなら首はまずいです。腕ならとれても死なないはずです。引っ張るなら腕の方がいいのです」
 三人は顔を見合せて同時にうんとうなずいた。
 「それでは、せえので合図するですから、笛に合わせて引くですよぉ」
 どこから持ってきたのやら、翠星石はいつの間に笛を手に持ち、せぇのと大きく合図をすると、リズム良く笛を吹きながらのりの右手首を引いた。真紅と雛苺も大人しくその合図に従い、真紅は肘を、雛苺は二の腕をそれぞれ持って、全体重をのせて一生懸命に引っ張った。
 「ねえぇ? ひとつの腕を引くんじゃなくて……、もうひとつの腕も引いた方がバランスいいんじゃないかなぁ?」
 「……いいえ。こっちの方が手っ取り早くてよ!」
 「だけど……こんなに引いたら腕が抜けちゃわない?」
 「安心なさい! 腕が抜けても死なないから、またつけ直すこともできてよ」
 「そうなのかなぁ……。だけど、なんだか綱引きみたいで楽しいかも……」
 こうして何か重大なことを勘違いしながらも、三人は順調に台所からソファーまでのりを運んで行った。途中、ごみ箱や小棚が倒れたことや、のりの肩が鈍い音を立てたことについては、この際述べないでおこう。

 「さて、問題はここからどうやってソファーの上へ持ち上げるかということよ」
 「ひなたちじゃ無理なのよぉ。ジュンを呼んだ方がいいんじゃないかな?」
 「呼んだらまた面倒なことになるです。それにあのちび人間は引きこもりだからのりを持ち上げる体力なんかはいはずです。翠星石たちでなんとかするです」
 「平気よ、三人もいるんだから。翠星石はソファーにあがって頭を持って。私は胴体を持ち上げるわ。ひなは……」
 「ひなはお足を持ち上げるの!」
 「一人だけ勝手に持ち上げても仕方ないですよ。チームワームを尊重しやがれです。まずは翠星石がマッハの(?)腕力で……」
 翠星石はのりの脇に手を差し入れて気合と共に引きあげた。むろん、そのときのりの肩が再び嫌な音をさせたことを彼女は気づくことができない。とにかくもそれに合わせてタイミングよく真紅がのりの胴体を持ち上げ、雛苺が足の先をソファーの上にのせた。
 「これで完璧なのよ! あとは熱が下がるのを待つだけなの!」
 「おばかね。熱は風を引いたときにしか出ないものよ。怪我と病気とは違うの」
 「うぅ……。じゃあどうすればいいのよぉ?」
 「いちいち気にするなです、うるさ苺。ここは何か冷たいもので頭を冷やすのが賢明です」
 「雛苺。冷たいものといえば冷蔵庫よ。私は椅子を持っていってあげるから、あなたは早く台所へ行きなさい」
 「ひな知ってるよ! 前にジュンが風邪を引いたときにのりが凍ったものを使ってたのよ」
 こうして桃色と紅色の姉妹は台所へと向かい、残された翠星石は膝の上にのりの頭を横たえてそっと額に手を当てた。

 「のりは夢を見てないですね。気を失うと夢は見ないものなのでしょうか」
 独り言のようにつぶやいていると、
 「あったよぉ!」と声を張り上げて、白っぽいものをかついだ雛苺が走り込んできた。
 「これを額に当てればいいのよね。ひな、お姉さんだからちゃんとできるのよ」
 そう言って彼女がのりの額に当てたものは確かにひんやりとしていた。その白いものの表面に「国産若鶏、手羽元」と書かれていることをのぞけば、確かに彼女の仕事は上出来だった。
 「だめね、雛苺。つめがあまい」と、後からソファーに上がって来た真紅は取りすました顔で妹のミスを指摘する。
 「氷はタオルで包む。それが看病の鉄則よ」
 「だってタオルなんてどこにもなかったのよ」
 「台所の床に落ちていたわよ。探す目が足りないのね」
 こうして冷凍の国産若鶏は、床に放置してあった雑巾にくるまれてのりの頭に落ち着いた。
 「さぁ、大変なのはこれからよ」
 腕組みをした真紅はのりの上にまたがって深刻そうな顔をした。
 「何が問題なの? のりのカンビョーはちゃんとできたんだし、もうやることはないんじゃないの?」
 「……いいえ、問題はここからなのよ。のりは気を失っている。そしてもう時刻は夕方に近い。あなたたち、この危機的な状況が理解できる?」
 「は! なるほどです。夕飯の支度をする人がいないです」
 「……その通りよ! さえてるわね、翠星石」
 「どうするのぉ? このままじゃお夕飯は抜きなのよぉ」
 「どうするもこうするも、私たちが用意するしかないでしょ? 淑女たるもの、この程度のことでへこたれてはいけないわ」
 「だけど真紅はお料理なんかできるの? 翠星石だってお菓子くらいしか作れないんじゃないの?」
 「彼女にたよることはないわ、雛苺。料理の材料なら、あなた、さっき自分自身で用意していたはずよ」
 雛苺はあっけにとられたような顔をして、それから急にはっとして驚きの表情をした。
 「まさか! さっきのクッキーのことなの?」
 「あれを卵焼きにすればいいだけのことよ。そのくらいのことは私たちにもできるはずよ」
 こうして真紅と雛苺は成り行きとして卵焼きを制作することになったようであった。大きすぎるエプロンを身につけた二人はボウルにとりかかるとぼそぼそ危なっかしいことを相談し合いながら料理を始めるのだった。
 「まぁ、どうせのりがすぐに目を覚ましてなんとかしてくれるですね……」
 翠星石は机の上の現実から目をそらして、のりの看病をするふりをすることに専念した。

 「いいこと、雛苺。お料理というものはね、手順と手際が命なのよ」
 どこからか持ち出したエプロンを身にまとった真紅は、椅子の上に仁王立ちして物知り顔に言い放った。
 「なんか……、急にたのもしくなったのね」
 雛苺はたじろぎながら真紅の次なる行動を見守る。
 「卵をとくのにもコツというものがあるのよ。まず何よりも大切なことはね……」
 泡だて器を手にし、ボールとにらみ合った真紅は、不意にそのままの格好で硬直した。
 「大切なことは……、なんなのよぉ、真紅ぅ?」
 「雛苺。やっぱりあなたがやりなさい」
 これにはのりの看病をしている(ふりをしている)翠星石もずっこけてしまった。雛苺はあやうく椅子の上から落ちそうになりながら、
 「なんなのよぉ! やっぱりなんにもわかんないんじゃないのよぉ!」
 「いいえ、雛苺。優秀な師というものは自分の技を簡単に見せたりはしないものよ。まずは弟子のあなたが自分でなんとかしてみるの。私はそれを横から見守るわ」
 「……言い逃れの作り方だけはお上手ですね」
 本人に聞こえないように翠星石はぼそっとつぶやく。机の方ではあまりの理不尽さに雛苺が何かまくしたてながら泣き始めてしまった。

 と、そのとき、二階の方から苛立たしげな足音が下りてくるのであった。
 「うるさいなぁ。日曜だからって何を騒いでるんだよ」
 不機嫌そうに顔を現したのは、彼女たちドールのマスター、引きこもり中学生のジュンである。
 「あ! ジュンなの! 聞いてよ聞いてよ! 真紅が何もわからないくせに、ひなにはえらそうにするのぉ」
 雛苺はジュンの膝に泣きついて訴えた。
 「何を言うの? そもそもこうなったのは雛苺のせいでしょ? そこのところを誤解しないでほしいわ」
 真紅も真紅で何やらごまかしの感じられる言い訳をジュンの方に訴える。
 「あのなぁ。お前らなぁ……」
 ジュンは迷惑そうに眉をひそめつつ、ふと、ソファに横たわる姉の姿に気がつく。
 「げっ! のりのやつ、何があったんだよ、一体?」
 「はぁ。これだからチビ人間はぁ……。お前がいないうちにのりが気を失ったから、翠星石がこうして、氷とタオルを用意してのりの看病をしてやったです」
 「氷とタオルって、おま……、それ……」
 ジュンはのりの額に落ち着いたその物質にどれだけ突っ込みを入れてやろうかと迷ったものの、突っ込んだら突っ込んだで面倒くさそうなので、やめた。

 「……で、この汚れた机は、一体何をしでかそうとしたあとなんだ?」
 「これはね! のりが気お失っちゃったから、変わりにひなたちで卵焼きを作ろうとしてたんだよ!」
 ほめてほしいといわんばかりに雛苺はジュンの足元でぴょんぴょんと跳ねまわった。
 「卵焼きって……。卵といてフライパンで焼くだけだろ? どうすりゃこんなめちゃくちゃになるんだよ」
 「あら、ジュン。そこまで言うなら、あなたがやってみてはどうかしら?」
 真紅が冷たい目をしてジュンを見上げる。ジュンはぎくっとして身をこわばらせる。
 「そうですぅ。チビで役立たずのジュンは、いつものりにたよってばかりで情けないですぅ。たまには男前なところ見せやがれですぅ」
 「男前って、お前な……」
 ジュンは言葉につまった。確かに、彼は料理などまるでできる自信がなかった。第一、卵焼きと目玉焼きの違いもわからないし、それに何より、卵焼きを作るのに卵をとく必要などあったものかどうか、それですら自信がない。しかしこのままでは腹をすかせた呪い人形たちは何をしでかすかわからない。そこでジュンは苦しまぎれの反撃に出ることにした。
 「ま、まずだなぁ……。クッキーとかケーキならともかく、卵焼きを作るのに卵をとくのはナンセンスなんだよ」
 「えぇ! じゃあ、卵を割ったらすぐにフライパンに入れちゃうのぉ?」
 「そう、そう。で、固まってきたら転がしてだな、丸めて、それで丸めながらかきまぜて黄身と白身をまぜあわせるんだ」
 「……それでは崩壊した目玉焼きになるですぅ。第一、熱したフライパンに落とたらその時点で目玉焼き決定なのです」
 「う……」
 「ジュン。ここは翠星石の指示に従うのが賢明ね。翠星石、あなた、料理の手順はわかっているの?」
 「確か、といた卵に塩と砂糖、それから醤油をちょっといれるです。醤油は小さじ一、砂糖が大さじ二と二分の一、それに塩はほんのひとつかみです」
 「よし……。とにかくそれでやってみるか」
 いきなり面目をつぶされて、ジュンはすごすごと逃げるように台所へ向かう。こうなっては、人形たちの言うとおりにするしかない。

 さて、まず要になるのは何を道具にして卵を焼くかだ。
 「確か、のりは四角いフライパンを使っていたのです。まずはフライパンを探すのです」
 この指令に反応して、なぜか急に競争心の出てきた二体と一人は台所のあちこちの扉を開いて卵焼きフライパンを探す。その間に翠星石は、手早く調味料を用意して、ボールの中の卵とまぜあわせた。
 「あったぁ! フライパンはひなが見つけたなのぉ! 一等賞なのぉ!」
 「いちいち宣言しなくてもよいわ。早くそれをコンロにおきなさい」
 雛苺はなんだか気分を害されてぶすくれながらフライパンをガスコンロに置いた。
 「さ。用意はできたけど、あとは油をしかなきゃな」
 「油! 油! これでしょ、ジューン?」
 「ああ、そうだね。早く渡せよ……」
 と、そう言いながらしっかり確認もせずに、ほぼ反射的にその容器から中身をフライパンにいれるのだが……。
 「……って、これハチミツじゃないかぁ! ハチミツなんかいれてどうするんだぁぁ!」
 「ひなは甘いものが大好きなのよぉ! だから油じゃなくてハチミツを使うのよ」
 「ってそういう問題じゃないだろ!」
 「いいから、早く卵を流し込むわよ」
 人の話をろくすっぽ聞かずに真紅はボールの中身をフライパンに注ぎ込んだ。

 「ぎゃーーーーーーーー!!」
 ほぼ同時に悲鳴をあげたのはジュンと翠星石である。ハチミツと卵のまざりあったフライパンは何やらいやな音を立てて白い煙を立ちのぼらせた。
 「あわわ……。早くバターをいれるです! このままではハチミツとフライパンの接触面から焦げ始めるですぅ!」
 翠星石はわたふたと両手をばたつかせる。その間にジュンは冷蔵庫に駆けつけ、バターを取り出すと、彼とは思えない反射神経でフライパンの前へ引き返した。
 「スプーンにバターをぬって付着面からはがすです! 早くしろです! こげくさいですぅ!」
 翠星石はすっかり気が動転してほとんどおどるようにくるくると回っていた。
 「なんとかはがれたはいいけど、だいぶ焦げてるなぁ」
 「火が強すぎるんじゃないのかな?」
 「火には水ね。水を足しましょうか?」
 またしても見当外れなことを言う真紅は、早くも水道の蛇口に手を伸ばそうとしていた。
 「って、真紅! お前は引っ込んでろ!」
 ジュンは阻止に入ろうとして手を伸ばすが、そのとき、すりっぱが床の節目につまずいて彼は体のバランスを崩す。そのはずみで、周りに用意していたいろいろの器具が音を立てて転落した。そして彼の手が運悪くコンロの火力調整ノブに触れ、コンロの火は極限まで強化されてしまうのであった。
 「なーーーーーー! ファイヤーーーーーーー、ですぅぅぅ!」
 もう何をどうすれば良いのかわからない翠星石は、いよいよ自分の混乱のせいで舞い上がり、何回かくるくる周ってばたりと倒れてしまった。
 「いやぁ、翠星石。お目目を開けてほしいのぉ」
 「それより先に火をどうにかしろ! これじゃ大変だぞ!」
 ジュンはほとんど飛びつくようにノブをつかみ、それを一気に回して火を止めた。まだ加熱されたままのフライパンは中身の卵をジュウジュウとこがして嫌なにおいと煙を振りまいた。
 「もう! ジュンったら! 水を入れるなんて冗談よ。そんなにあわてなくてもいいのに」
 「……もうお前らなんか知らないぞ。それにのりのやつ、こんなときに呑気に寝ていやがって……」
 ジュンはわなわなとこぶしをふるわせて言うものの、不意に台所に現れた黒い影の気配を察して硬直した。真紅と雛苺も、ただならぬ脅威の近づいたことを感じて台所の入口に目をやる。

 と、そこには、眼鏡の奥を怒りにふるわせ、雑巾と国産若鶏手羽先を手に持ったのりの姿があるのであった。
 「ジュン君……?」
 本人のそれとは思えない声が大気を震わせる。
 「……お、お姉ちゃ……。これはだな、ちょっと事情があって……」
 「のり……。怒りに身をまかせるのは賢明でないわ。最初、水銀燈かと思ったもの……」
 真紅もジュンのフォローに入るが、もうすでに事態は手遅れのようだった。
 こんなときに限り、タイミング悪く、庭に面した居間の扉がからからと子気味良く開き、
 「なんだか卵のにおいがするかしら? カナを招いて卵パーティーでもするのかしら?」
 空気の読めない金糸雀が愛想を振りまいて部屋に現れるのだった。一同のしらけた様子に、彼女があっけにとられる間もなく、
 「こぉぉんのバカぁぁぁ! はやくここをかたづけなさぁぁい!」
 のりの怒声が平和な昼下がりをこなごなに打ち砕くのであった。
 「ぴえぇぇぇぇ!!」
 こうして濡れ衣の金糸雀まで巻き込んで、人形たちとそのマスターは初めて桜田家の夕飯を用意させられるに至ったのであった。(のりの頭にのっていた手羽元肉は、彼女の頭の上でほど良く解凍させられていたので、成り行き上、料理の具材に使われたのだった)。
 ちなみにこの一件の後、しばらく金糸雀は桜田家を訪ねるのにためらいを感じていたということである。



 ―了

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