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Chez Yutaコミュの上智大学ドイツ語科によるドイツ語の紹介、その他。

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「地域研究のすすめ−ドイツ語圏−  第2版

編集:上智大学外国語学部ドイツ語学科」

http://www.info.sophia.ac.jp/fs/doitsu/susume.html



「まず、ドイツ語が、世界の言語の中で、どのように位置づけられるかについて考えてみましょう。ドイツ語を始めるとすぐに、ドイツ語が音声的にも文法的にも、これまで学んできた英語と非常によく似ていることに気づくはずです。これは、どのような理由に基づくのでしょうか。また、私たちは、ドイツ語をひと目見ただけで、それが日本語とは全く違うと直感します。なぜでしょう。それは、人間関係にたとえるならば、ドイツ語と英語は親戚同志で、ドイツ語と日本語は全くの他人であることに起因します。この言語の親戚関係が「語族」(Sprachfamilie)で、歴史的にさかのぼれば最後にまとめられる言語上のひとつの族、人間にたとえれば、ひとつの民族に相当します。以下、主な語族を挙げてみましょう。

(略)

 これで、ドイツ語が英語とならんでインド・ヨ−ロッパ語族に属することが 、おわかりいただけると思います。日本語は、どこにも見当りませんね。日本語は、どの語族に属するのかいまだ不明で、専門家の間でも意見が一致しません。このような言語は「孤立言語」(isolierte Sprache)とよばれています。日本語が、他のどの言語とも似ていないのは、血縁関係が不明なので、当然のことといえましょう。ピレネ−山脈の西北部で話されているバスク語も、日本語と同様に、孤立した言語のひとつとされています。
さて、今私たちが問題にしているのはドイツ語ですから、ドイツ語が属しているインド・ヨ−ロッパ語族について、少しふれたいと思います。インド・ヨ−ロッパ語族は、文字通り、インドからヨ−ロッパにかけて広く分布する世界最 大の語族です(約150言語、人口20億)。この語族の存在は、18世紀末に、イギリス人で東インド会社の法律顧問を務めていたウィリアム・ジョ−ンズが、インドのサンスクリット語とヨ−ロッパの大部分の言語との間の近親関係を発見したことによって確認されました。この語族に属する言語は、いずれも共通の「 祖語」(Ursprache)から派生したと学問的に推定されています。

インド・ヨ−ロッパ語族は広範囲に分布しているので、当然のことながら、 多くのグル−プ、つまり語派に分類することができます。死滅してしまったものを入れると、その数は10以上になります。今は、そのなかでも代表的な、1)スラブ語派、2)イタリック語派、3)ゲルマン語派の3つに限って紹介することにしましょう。(以下略)」
http://www.info.sophia.ac.jp/fs/doitsu/doitsugo.html



「ドイツの元々の地であるゲルマンには多様な方言がありました。「ドイツ」という言葉はこれらゲルマン人の方言を包括する概念として使用されるようになりました。ラテン語では「トイトニクス」(teutonicus)という言葉が「ドイツ語」を意味しますが、これは沢山のゲルマンの方言をラテン語と区別するために使われていたのです。前述のように、後に13世紀から「ドイツ神秘運動」の背後で、これらのゲルマンの言葉が学問的にも用いられるようになりました。このような用語は現代においても様々な学問分野で使われているのです。そして、この変化に多大な貢献をしたのがエッカート、タフラー、ゾイゼといった中世神秘思想家であったのです。」
http://www.info.sophia.ac.jp/fs/doitsu/mauz.html



☆


教えてgoo
「ドイツ語はなぜ「ドイツ語」?」

「「ドイツ(Deutsche ドイッチェ)」の語源である「theodiscus テオディスクス」というラテン語が始めて文献に認められるのは、786年のことであり、#2さんの言われるように、「民衆の言語」という意味です。
当時すでにほとんど文語となっていたラテン語に対して、「人々が会話で使う言語」という意味を持っていたものと思われます。
これをイタリア人が、「アルプスの北に住むゲルマン系の言語を話す人々」という意味で使い始め、1000年頃にドイツでも自称として使うようになったようです。
そのころは、「ディウティスク(diutisk)」でした。
14世紀後半以降は国名も、「ドイツ国民(deutscher Nation)のローマ帝国」と称されるようになりました。
なお、オーストリア(ドイツ語でエステルライヒ)は、神聖ローマ帝国内の一領邦に過ぎず、たまたまハプスブルク家の領地であったということです。」

http://oshiete.goo.ne.jp/qa/1761233.html


☆

「ドイツ語 navi」

ドイツ語の歴史をかんたんにひとことでいうと。


http://www.doitugo-navi.com/category1/entry2.html


「ドイツ語は英語と同様にインド・ヨーロッパ語族の
ゲルマン語派の歴史をたどっています。

2000年ほど前にこの二つの言語は分かれたと考えられています。

ドイツ語は750年ごろにフランク族が使用していた
ゲルマン語から分かれてできた言語だといわれています。


最初にラテン語の文献にドイツ語の歴史が記述されているのは、
786年に書かれたものです。

”theodiscus”というラテン語の言葉を用いて表されています。


それ以降、中部や南部で用いられている言語と北部で用いられている言語は、
異なった発展の仕方を遂げます。

中部や南部で使用されている高地ドイツ語は大きく分けると
4段階にわたって発展した歴史があります。

一方、北部で使用されているのは低地ドイツ語と呼ばれ、
大きく分けると3段階にわたって発展した歴史を持っています。

この二つの言語は、紀元後500年ごろに違いが明確になったとされています。


11世紀に入ると、今度は多くの文献が書かれるようになりました。

もともと多くの方言がありましたが、あまりに理解するのが大変なので、
共通点をまとめた言語が出来上がりました。

しかし、それから後も地方によって異なる書き方で本などの出版物が書かれていました。


その後、マルティン・ルターによってドイツ語の聖書が書かれたことをきっかけに、
歴史の上で大きな発展を遂げました。

現在使われている言語は、17世紀ごろに完成されたといわれています。

近年では、英語の単語を取り入れてドイツ語独自の単語を作るなど、
新しい言葉がどんどん生まれています。」


☆

ドイツのラテン語の影響。

「ドイツの歴史における古代は、先史時代から、ゲルマン民族の大移動が始まるまでの長期におよぶ。現在のドイツ南部では、およそ紀元前1300年から紀元前200年にかけて、ケルト人のハルシュタット文明(紀元前1300年から紀元前400年)、およびにラ・テーヌ鉄器文明(紀元前500年から紀元前200年)が栄えていた。ラ・テーヌ鉄器文明と同時期、ドイツ北部地域にはゲルマン人が居住し、ゲルマン人による社会を形成していた。しかし、紀元前3世紀頃からゲルマン人は勢力を拡大し始め、紀元前後の頃にはライン川・ドナウ川流域で古代ローマ世界と接触するようになった。その後、しばらくはライン川とドナウ川がローマ帝国とゲルマニアの境界線となっていたが、4世紀後半にゲルマン民族の大移動が始まると、ローマ帝国の崩壊とフランク王国の成立によって、ドイツ地域は徐々に中世封建社会へと移行していった。

世紀後半より、ゲルマン人がライン川・ドナウ川を越えて本格的な移住を進め、旧ローマ帝国の領内にゲルマン人諸国家が成立した。その中で、5世紀末のガリアに登場したクロヴィスは、481年にフランク族を統一しフランク王国を建国、メロビング王朝を興した。フランク王国は、ローマ・カトリックを受容してラテン系住民からの支持を集めるなど、徐々に勢力を拡大させていった。751年に至り、臣下であった小ピピン(ピピン3世)が教皇の支持を得て王位につき、カロリング王朝が興る。
ピピン3世の子カール大帝は、ザクセン人(現在のドイツ北西部)を平定し、バイエルン(現在のドイツ南部)にも勢力を伸ばして西ヨーロッパ世界の政治的統一を推進しつつ、東方から侵入してきたアジア系遊牧民のアヴァールを撃退するなどの活躍をみせ、800年にローマ帝国皇帝の冠をローマ教皇から授かって古代における皇帝の理念的継承者となった。このことは、東ローマ帝国に対する西ローマ帝国の再興を意味した。また、カール大帝はアーヘン(現在のドイツ北西部)の宮廷にブリタニアの僧アルクィンを招いて古典古代のラテン語文化を復興させ(カロリング・ルネサンス)、古典文化、ローマ・カトリック、ゲルマン人の諸要素を加えた独自のヨーロッパ世界を築き上げた。」

http://ja.wikipedia.org/wiki/ドイツの歴史

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