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所幸則〜幻想記憶館〜コミュのインタビュー記事などの保存

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今日たまたま、HDクラッシュで消えてしまったデータを探すため
CD-Rを探していたら556番の中から
1998年の文章チェックのテキストデータが出て来たので、
保存の意味もかねて掲載しておきます。

またなにか見つかったら載せますね。

#タイトル#
SEEKING THE CREATIVE ORIGIN
創造の根源を探る-07

#名前#
所 幸則 Yukinori Tokoro

#クレジット#
松浦央果--文
text by Ohka Matsuura

新山源一郎--撮影
photo by Genichiro Niiyama

#リード・234文字#
フォトイラストレーション界の第1人者となった写真家、所幸則氏。
デジタル合成によってその存在を不動のものにしたかに思われがちな所氏だが、それ
以前のアナログ合成の手法や絵コンテでつくりあげられる明確なイメージの存在につ
いては意外に知られていない。
80年代後半のビビットなファッションフォトグラフィでセンセーショナルに登場し、
ファンタジーの世界へと移行、現在はPS用ゲーム制作にも進出している。
所ワールドの華やかな拡張は、境界をもたないデジタル時代に羽根を休めることはない。

#本文6205文字#

#中見出し1#
簡単で楽そうな道は写真家

 高松の実家は美容院を経営していて、東京でいえば歌舞伎町のような繁華街で小さ
い頃は育ちました。初めてカメラを買ったのは小学3年生のときかな。よく遊びに行
くおもちゃ専門のデパートで8㎝四方くらいの小さな写真機を見つけた。確か250円く
らいでした。普通のフィルムが入らず、フィルムを切って装てんする仕組みでした。
一度に切れるシャッターは5枚くらいで、しぼりも付いていない、日光の下で撮ると
調度いいみたいなカメラで、友達を撮って遊んでました。
 小学5年生のときに親に買ってもらったリコーのオートハーフはゼンマイモーター
ドライブ付きで、ぜんまいを巻くと40枚くらい連続して撮れる。子供としては画期的
なカメラでしたね。店の5〜6軒先が写真館で顔馴染みということもあり、全部親の
つけで現像してもらっていました。両親も写真好きで、記念写真を撮るために旅行す
るようなところがあったから、実家には家族のアルバムが天井高く積み上げられてい
ますよ。学校でもなにか行事があるといつも僕が写真を撮っていましたね。
 進学校に進みましたがこつこつ努力して勉強するタイプではないし、高校2年に上
がるころには写真の道に進もうと決めていました。自分にとっては写真が一番簡単で
楽そうな道だと思ったんです。一所懸命勉強して県庁に入ったり医者になったりして
もなんの意味があるんだろう、それより篠山紀信さんみたいなカメラマンのほうが楽
しく稼げそうだな、自分だって女の子の写真は撮れるさ、と高を括っていたんです。
単に写真のことをわかっていない生意気な子供だったわけです(笑)

#中見出し2#
合成写真に生まれるシュールな幻想性

 大阪芸大に入ってから専門的に写真を学び始めるのですが、目指すは篠山さんです
から、心斎橋で女の子に声をかけては撮影する楽しい毎日でした。でも80年代のファ
ッション全盛期になって、久留幸子さんや繰上和美さんといった写真家が「流行通信」
などのファッション誌にシュールな表現を展開し始めた。そうなると女の子のごきげ
んをとりながらいい表情を撮らえるより、いわゆるファッション写真のほうが、より
センスを要求される高度で難しい写真のように見えてしまった。もちろん難しさはど
ちらも変わらないと思うのですが、当時は、「こっちのほうがカッコイイ!」という
気持ちになって、つくり込んだ写真を撮るようになっていきました。
 「心象風景」という言葉が流行っていて、心象風景っぽい人物写真のほうがいいか
なとか、いろいろ感じる時代の流行というものを自分なりに試していた時期かもしれ
ません。
 写真を合成するようになったのは、当初、必要性に迫られての部分が大きいですね
。というのはイメージを絵コンテに描いて、3人モデルが必要になったけれど、今日
は1人しかいない、じゃ、合成だなとなるわけです。
 黒バックに白い服を着た女の人が2方向に走り抜ける写真もモデルは1人だけです。
黒バックに白い人だと合成しやすいことを考慮して、ストロボ合成の多重露光で左右
のモデルを入れて置いて、手前のモデルはプリントの段階で入れています。同じ人物
を使うと不思議なストーリー性も生まれやすい。幻想性を感じさせるような雰囲気が
好きだったんですね、この頃から。(本当はこの作品は全紙サイズで作っていたので
もっと自然にできていたのですが、ここに掲載されているのは六つ切りサイズなので
ちょっとうまくいっていません)

#中見出し3#
ビビットでポップな戦略

 プロカメラマンになろうとしたとき、じっくり順序立てて目指す人ならスタジオマ
ンやカメラマンのアシスタントをまず5年くらい経験してからと考えるのでしょうが
、時間をかけずにコネクションもなく東京でやっていくためには、とにかく目立つ必
要性がありました。
 当時、まだない作風でいいなぁと思えるものはどんなものかと考えたとき、「ビビ
ットでポップな雰囲気でインパクトのある写真だ」と思った。サリダの表紙(写真)
にみられるような写真は、「目立つこと」を完全に意図してつくられたものなのです
。 これは、普通に8×10で撮影したものに手を加えて4×5で複写しています。でも
、プリントやポジに直接、描き加えているわけではない。種を証すと、まず撮影した
8 ×10のポジを空中につるし、その向こうの壁に白い紙を貼ります。そして、ポジ越
しでその紙にエアブラシでペイントする。最終的に、空中で2層に分かれた空間を1つ
の平面に落とし込むのです。 この手法で描いたアップを中心にしたポップな写真は
、自分ではロンドンの雑誌「 ID」の表紙を飾れるようなビジュアルをつくることを
心のなかでコンセプトにしていました。これがもとで一気に15〜6本の仕事がきまし
たから、営業活動しなくてもやっていける見通しがたった。こうして少しずつ広げて
いきながら自分のことを知ってもらおう、というセルフコマーシャルの戦略だったわ
けです。今振り返っても自己主張の強いビジュアルだと思っています。好きな写真で
すが、部屋にずっと飾っておきたくはないなという…(笑)

#中見出し4#
ファンタジーへの移行・DNAに刷り込まれた羽根

 90年代に入ると、僕のビビットでポップなトーンのパクリが音楽雑誌などで増えて
きました。このころになると、新しいジャンルのフォトグラファーとして認められる
ようになって、インパクトの部分を全面に押し出さなくても自由に制作できるように
なってきた。ビビットな作風にも飽きていたので、徐々に自分の好きなファンタジー
の世界へと移行していきました。
 女神や天使、羽根といったモチーフを次々に描き始めた頃です。天使や悪魔、いろ
いろな羽根をしばしば描くけれど、これはもう人間のDNAに基本的に刷り込まれた「
空を自由に飛びたい」欲求の表れなんだと思う。男の子の抱くバイクや車に対する憧
れというのは、結局行きたいところにどこにでも行ける、「自由な羽根」を得るのと
同じようなことだと思っています。
 僕はゴシックやロココに見られるようなデコラティブな宗教画や、その時代背景を
舞台にした中世ファンタジーが大好きだけど、映画に描き出されるような時代がかっ
た血生臭いものにはあまり興味がない。かえって、それが日本の社会で咀嚼されて、
ディティールとストーリー性だけが残ったようなゲームやマンガのファンタジーの世
界から影響を受けているんです。「指輪物語」や、マンガならますむらひろしさんの
「アタゴオル」や佐藤史生さんの「夢みる惑星」とかね。「ドラクエ」は想像もして
いなかった世界だったし。コンピュータなんて触りたくない人間だったのに、ゲーム
で遊ぶことからパソコンに慣れていったんでしょうね。

#中見出し5#
コンピュータが制作の道具に加わる・デジタル合成の効用

 91年の「CROSS」がCGで描いた3Dオブジェとの合体第一号作品です。実際に真鍮で
このサイズの十字架を制作するとしたら見積もりで200万円、重量もすごいからクレ
ーン車が必要だった。加えて、もし僕が欲しい十字架が美術で出来上がらなかったら
、とか、できあがったとして撮影後の処理をどうするのか。そういった問題が次々に
浮上した。そう考えたら、CGシステムのセットを買ってしまったほうが今後のために
もいいだろう、いろいろ作って試せるわけだし。それに、自分の好きな水晶や金属の
ピカピカした素材なら、人間の手や服と違ってなじみが薄いぶん、実写と区別なく使
えるような方法があるのではないかとも考えた。こうして、当時400万円くらいかけ
てCGのシステムをワンセット購入したんです。自分としては、日曜CG作家のつもりで
した。(「CROSS」の完成は91年ですが、パソコンによる制作開始は1年以上前)
 CGでオブジェを描くようになったとはいえ、最終的な作品の定着としては、それま
でのアナログの手法となんら変わりません。白バックで3DCGを描くことは、白バック
でオブジェを撮影するのとまったく同じことだったから、合成の手法としては非常に
すっきりしていたわけです。
 この頃から、フォトショップを使ってもきっと同じようにできる、と周りにいた人
間に騒がれ始め、デジタル合成で制作したことになっている作品も多いです。92年に
は100%コンピュータによる画像合成作品を制作していますが、それ以降もアナログ
とデジタルの併用は意外に長い。完全にデジタル合成にシフトして、アナログ合成を
一切行わなくなったのは95年頃、つい最近のことなんです。
 画像合成をモニタ上で行うようになった効用としては、不器用な自分にも緻密な作
業を簡単にできるようになったことかな。画面を拡大して1600%くらいにしてしまえ
ば、雑な作業も実質の倍率では非常に緻密な作業をしていることになるでしょう。昔
アップの作品が多かったのは、手作業でのエアブラシが大ぶりなラインしか描けなか
った、ということも理由の1つかもしれない。

#中見出し6#
フォトイラストレーションにおける写真の意味・絵コンテの存在

 以前、他の写真家の撮った写真を渡されて、作品制作の依頼をされたことがあった
。亡くなった方がモデルだったから、どうしても自分では撮れない状況だったんです
。仕方なく制作しましたが、残念ながら最後までその写真や作品自体に愛着が持てな
かった。
 依頼者のなかには、写真や美術の善し悪しが一体どういうものなのか、把握してい
ない方がまだ少なくないですね。絵コンテと機材さえ揃えばみんな同じ写真が撮れる
と思っている。でも、100人の写真家がいれば100通りの写真が、1枚の絵コンテから
できあがる。その中には、質の高いものから粗悪なものまで様々あって、玉石混交状
態なわけですよ。決して満足いく一定のレベルが得られるはずもない。ですから、誰
かに自分の代わりの写真を撮らせるなんてことはできようがないんです。でも、コン
ピュータで制作を始めてから、そういうことがわかっていない人が大勢いるんだとい
うことに愕然としましたよ。切ったり貼ったりすれば、なにかできると思うのでしょ
うか。
 作品中のどこが写真か、と聞かれても困るのですが、しいて言うなら生き物の部分
、人や動物や植物は撮影している。もちろん、すべて自分の手によるものです。
 僕が、「写真家」という職業にこだわっているのは自分でシャッターを切ることに
固執しているから。もともと19世紀初頭の写真は絵描きのデッサン用に撮影されてい
ました。自分の思うフォトグラフというのはこれに近く、形の輪郭を写し取る道具で
す。でも嬉しいことに、輪郭だけでなく質感も写し撮ることができたりする。アルフ
ァチャンネルが横に付いているような感じですよね。でも、基本的には造形物の線を
切り取るためのものなんです。
 カメラマンらしくない仕事の仕方かもしれませんが、僕は最初にしっかりとした絵
コンテを描きます。このときもカタチの輪郭線が大切で、きれいな線で描けばそれだ
けで美しいイメージができあがる。
 こうして具体的なイメージができあがっているので、それに沿ってモデルのポーズ
はずいぶん細かくつけますね。でも、それ以上の想像を超えた美しい形を見せてくれ
るモデルのときには何も言いませんけど。人間の身体は神様がくれた自然の線なわけ
で、それが表れたのだったらなるべく生かしていきたい。
 ただ、偶然の産物のような、まるで神によって撮らされたように完成された写真が
表れたときでも、僕は必ず自分のタッチを加えます。写真を撮ることにこだわりなが
らも、撮っただけでは、それが自分の身体を通ったというような実感が持てない。僕
が写真とイラストレーションという、一般的には2つに区別された世界にまたがるよ
うなかたちで作品を制作するのは、そうした理由からです。僕はあくまで自分の身体
や細胞を通らないまま作品を世に送り出すのは嫌なんですよ。ただ、こうしたジャン
ル分けすら、自分にとっては無意味でしかありませんが。

#中見出し7#
色と表現の進化論

 撮影は4×5以上のカメラを使用し、入稿はほぼポジで行っています。デジタルを取
り入れたフォトグラファーのなかにはCMYKで納品することが自分の作品に責任を持つ
ことだと自負している方も多いようですね。でも、僕は自分のやりたいこと、見せた
いイメージがあってRG Bで制作したものをわざわざ色数の少ないCMYKに合わせるとい
うのは、どうも納得がいかない。表現として後退させるのであれば、そもそもコンピ
ュータなんて使わなければいいのです。 そういうわけで、現在の印刷物の色にはあ
まり期待していないんです。でも、RGBだからモニターで見るのがベストかというと
一概には言い切れない。モニターは整備された状態で見る分にはいいのですが。自分
の手を放れたところの管理という点では、まだまだ印刷物の信頼度は高い。色に不満
はあっても細かい質感は見られるし、見られ方は安定している。ですから、そうした
利点を生かしながら、印刷物のほうがRGBに近づく努力をして欲しいと思ってしまう
わけです。

#中見出し8#
静止画に息づく世界

 静止画の世界が好きです。静止画に息づく生命性が。だからこそ、静止画はじっく
り見てもらえる気がする。ずっと記憶に留まっている好きな映像をたどると、自分は
1枚の絵や写真だったりする。ムービーでは1コマ1コマを何十分の1秒くらいでしか見
てもらえないし、残像が自分には残らない。
 確かに僕も自分のキャラクターを動かすことに魅力は感じます。ただ、自分の動か
したい度合いというのは見た目に非常に小さい。生命の息づく空気の流れや脈動にそ
ってわずかに動く皮膚の震え、生きていることだけを抽出して感じさせるような微妙
なものを表現してみたい。結局、一瞬の静止した世界に留めさせながらも、そこに確
かに存在しているはずの生命体を、自分はリアルに見てみたいのかもしれない。
 でも現実問題として、静止画のクオリティを落とさずに、こうした表現を行おうと
すると、今の画素数では表現しきれるか難しい。ハイビジョンの世界になれば少し違
ってくるとは思うのですが。
 現在、プレイステーション用ゲームの「眠る繭」を制作しています。これは自分の
ゲーム好きがこうじて企画した仕事です。ゲームに高い画質や自分の満足する動きを
求めることはできませんが、自分の築いた世界を歩いてもらったり、体験してもらっ
たりという、ビジュアルで細かいディティールを見せるのとはまた違った楽しみがあ
ります。
 それから、今年の秋か冬にCFが放映される予定です。CFでどれくらい自分のタッチ
を出せるか、これによって自分の世界観を表現できるメディアの間口が少しづつ広が
る可能性があるな、と楽しみにしています。なにしろCFは15秒というわずかな時間に
恐ろしいほど予算をかけることができるのですから。ただ、あくまで自分のテイスト
を大切にしたいから、僕が撮る意味が感じられないような作品でムービーをいきなり
まわすなんてことは絶対しません。僕の動画に対する思いというのは、あくまで静止
画の世界があってこそですから。
 CD-ROMやゲーム、CFとメディアが変わったとしても、静止画についての執着は変わ
らないし、表現したい世界は1つだと思います。魂の存在を感じさせる密やかな生命
性。たとえ、異なるメディアで動き出すとしても、静なる世界の住人の息吹に変わり
はない。静止画で築いた世界を押し広げるという意味においては、その動と静の区別
さえ、自然に取り払われるときが来るかもしれません。

#プロフィール639文字#
■ARTIST'S PROFILE
写真家。
1961年、香川県生まれ。大阪芸術大学卒業後、フリーカメラマンとして、広告、雑誌
などで活動。92年、世界写真見本市「フォトキナ92」で「世界の新しい表現者」の日
本代表として作品が選ばれる。95年、日本写真家協会と文化庁が選んだ「日本現代写
真展」(表現への試みで独自の方法論を模索し確立した写真家たちの部)に出展、作
品が保存される。96年4月からホームページを開設。98年、東京写真美術館「MEDIALO
GUE 日本の現代写真'98」に出展。現在、初めて監督とキャラクターデザインを務め
るPS用ゲーム「眠ル繭」を制作中。日本写真協会会員。デジタルイメージ会員。
■作品集
「YUKINORI TOKORO」(用美社1993)
「diva」(リブロート1994)
「Saints and sinnerS」(ぶんか社1996)
CD-ROM「幻想の世界の住人たち」(EXIT1995)
CD-ROM「夢みる廻廊」(日本経済新聞社1996)
■制作環境
カメラ :トヨビュー45G〜810G
レンズ :フジノン210、ニッコール150、240mm
パソコン:Power Mac 9600/350、SGI O2
ソフト :Photoshop、Live Picture、PowerAnimator、Shade
フィルム:EPP

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