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歴史上の奇説研究会コミュの朝鮮出兵は秀吉とフェリペ2世が

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なんてタイトルの本か覚えてないけど、秀吉の朝鮮出兵は秀吉の単独の計画ではなく、秀吉とスペインのフェリペ2世との共謀によるものとの説が書かれていた。つまり当時のスペインは無敵艦隊を擁し七つの海を支配する大帝国だったが支配領域を広げ過ぎて、これ以上自前の軍事力で支配領域を広げるには兵力が絶対的に不足していた。一方当時の日本は最新のハイテク兵器だった鉄砲を世界中の約3分の2を保有し、しかも日本軍は200年以上続いた戦国時代を戦い抜いてきた歴戦の近代軍隊だったが造船技術や航海術が未熟で海外に飛び出すすべを持ち合わせていなかった。そこで兵力不足だが大型艦船を多数保有するスペインと大型艦船を持たず航海術が未熟だが陸上に有り余る戦力を擁する日本との利害関係が一致。日本はスペインの海軍に将兵、軍需物資を中国大陸に輸送してもらい、明を征服してその見かえりとしてキリスト教の布教を全面的に許すというものだったけど、肝心のスペインの無敵艦隊がイギリス艦隊に壊滅され制海権を失いこの計画はパーになって、自力で大陸侵略を実行するしかなくなった秀吉率いる日本軍は海軍力のなさをさらけ出し、補給を断たれ大陸でもちぐはぐな戦いをするはめになった。
長々とすみませんでした。

コメント(3)

 アメリカが恐れた「日本の海運力で膨大な中国兵が攻めてきて、国内で黒人とネイティブが叛乱を起こす」を彷彿とさせますな。
 実際の所、和船は江戸時代初期までは結構丈夫で、朝鮮水軍に李舜臣という、朝鮮史上最高の軍人さえ現れなければ互角以上だったと推定されているそうです。和船は、鎖国政策により沿岸航海に特化し、竜骨を抜いてしまったりして、江戸時代に急激に弱まった様です。
 中国は明代に巨木を斬りつくし、大鑑の建造技術を失っておりました。
 スペインはと云うと、まさしく支配範囲を拡げすぎて破綻したポルトガルを併合して、とても極東まで大艦隊を派遣できる状況ではなくなっておりました。実は、関ヶ原の合戦の頃、ポルトガルは国王も失い、事実上スペイン領だったりします。それに、スペイン無敵艦隊というのは敵艦に接舷して兵を送り込んで戦う白兵戦艦隊なので、他国の兵を乗せる余地など無かった筈です。
そういえばカプコンの新鬼武者にもスペインと秀吉が手を組んでいた話がありました。
ポルトガルと同君連合になった1581年から、アルマダの海戦の1588年の間でフィリペ2世と秀吉の間で密約が交わされた可能性ですね。
その時期、秀吉はスペイン(特にカトリックキリスト教)に危機感を覚えていた可能性があります。
一つの事例ですが、1587年に秀吉は宣教師の追放令を出しています。
追放は実際に実行されはしなかったようですが。
フィリペ2世の信条面から推測するとこの措置は耐え難いものだと思われますがどうでしょうか?
また、同君連合といえども日本交易はポルトガル人が主体的に行っており、スペイン人が本格的にのりだしてくるのはもうすこし後になったはず。
秀吉とスペイン・ポルトガルが決定的に決裂する原因はどちらかというと後に進出してきたスペイン人宣教師にあったようにも思われます。
(ここらへん、もっと詳しい方がいるはず!)

スペインは確かに大帝国でしたが、国家財政は常に破綻していましたし、80年戦争は泥沼、ユグノー戦争にも足を突っ込んでいて、簡単な説明ですと、その当時欧州はプロテスタントとカトリックの争いが混沌とした大混乱状態であり。仮にアルマダに勝利したとしてもはるか東方の日本に大艦隊を派遣するのは難しかったかと思われます。

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