ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

歴史上の奇説研究会コミュの聖徳太子は女性だった!?

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
聖徳太子は女性だったという説に関する資料などを探しております。情報をお持ちの方がいらしたら、コメントをいただけないでしょうか。

コメント(17)

 ある本に、聖徳太子は実在しなかった、その証拠に子孫を名乗る人がいない、という記述があったのですが、どこだかに「聖徳太子の子孫の村」ってあるんですよねー。
 一万円札はやっぱり聖徳太子の方がいいなあ。

 聖徳太子は皇太子になりながら遂に即位しなかった訳ですが、考えてみるとこれってエゲレスの黒王太子エドワードに似ていますな。まあ、文官と武官、君子と紳士の違いはありますが。
 黒太子エドワードは日本史では聖徳太子よりもむしろヤマトタケルに似ています。本人は即位しなくても、子孫から後の王統が出る、というところも共通です。
 ああ、ヲウスノミコトなら確かに武官ですしねえ。

 ゆうきまさみの「ヤマトタケルの冒険」が、エッチでアホだけど、けっこう好きなんですよ。
太子なのに即位しなかったということから、同母妹との近親相姦説を採った小説などありましたが、女性だとするとより納得できる気もしますね。そうすると山背の王子とかもともといなかったことになるのでしょうか。
女かどうかというより、そもそも、その実在を疑われているようです。
藤原不比等が天皇家の権力を高めようと、厩戸皇子を聖徳太子に仕立てたとか



●歴史家の中には、聖徳太子の実在を疑う人が少なくない。その急先鋒が、大山誠一である。

『「聖徳太子」の誕生』の中で、大山誠一は、

1)用明天皇と穴穂部間人王の間に生まれた
2)601年に斑鳩宮を造って、そこに住んだ
3)現在の法隆寺のもととなる寺を建立した
という属性を持つ厩戸皇子(厩戸王)の実在を認めつつ、その厩戸皇子が

1)冠位十二階を定めて、門閥主義を排し、有能な人材を登用した
2)十七条憲法を制定して、天皇中心の国家理念と道徳を提示した
3)小野妹子を隋へ派遣し、隋と対等な国交を開くことに成功した
4)『三経義疏』を述作し、蘇我馬子とともに国史の編纂を行った
という属性を持つ聖徳太子であったことを否定する。要するに、厩戸皇子は実在したが、聖徳太子は実在しなかった。聖徳太子は、ヤマトタケルと同様に、『日本書紀』が捏造した、たんなる神話的存在に過ぎない。なぜなら、聖徳太子の実在を保証する、信頼に足る史料が何もないからだと言うのだ。
http://www.nagaitosiya.com/a/shotoku.html より

●聖徳太子の名前の由来

「聖徳太子」という呼称は何に出てくるのだろうか。日本書紀には出てこないのであるというと不思議に思われるかも知れませんがでてこないのです。753(天平勝宝3)年に編纂された「懐風藻」で初めて出てくるのである。前述の聖徳太子の師である恵慈が太子の死を知って「玄(はるか)なる聖(ひじり)の徳をもって日本の国に生(あ)れませり」と言った言葉(玄聖之徳)に由来する。従って、聖徳太子の存命中に「聖徳太子」と呼ばれることはなかった。

さて、聖徳太子についてあれこれと書いてきましたが、これは、ほんの一部の見方で角度を変えればまだまだ色々な説があります。厩戸皇子説、架空人物説、蘇我馬子説、蘇我入鹿説等々何が正しいか結論は出ません。決定できるような事実がないからです。
http://www.page.sannet.ne.jp/s-endo-kyoto/flame10/syoutokutaisi.htm
 聖徳太子の業績に関しては、数人の業績が聖徳太子一人に集約されたという説が信憑性が高そうです。
聖徳太子が女性だったというだけでも、奇説度はかなり高いのですが、さらに、推古天皇=聖徳太子説となると、これでもかというぐらい奇説度が高くなってきますね。

ということで、奇説の殿堂に入れさせていただきます。今後も子のテーマに関する議論や情報提供等々をよろしくお願いいたします。
わずか数日でこれほどの【難題】に対し、惜しみなくご意見や情報をお寄せ下さいました皆様、有難うございました。

わたくしは、聖徳太子は日本古代史の最大の謎の一つ、いえ、謎の要のようなものだと思っている一人でございます。
といっても古代史研究に関わっているわけでもなく、その関心は個人的な趣味の領域を出ませんが・・・・、

聖徳太子という≪偉人≫は、この現代でも我が国の紙幣に印刷される≪歴史上の人物≫としては、あまりに素性が定かではなく、≪太子信仰≫まで生まれたほどの高徳な人物でありながら、その墓所さえもはっきりしないということ、
また推古天皇を若くして補佐した有能な皇子であり摂政政治を行なった為政者として歴史上名高いにも関わらず、

それほどの人物の子孫が皆、悉く「乙巳の変」(いっしのへん=山背大兄王襲撃)を経て後に、太子の遺族が揃いも揃って自害と言う形で死亡したということ、それほどに≪偉大な聖人≫のお子達十数人が(たとえ、*山岸涼子さんも『日出る処の天子』でお描きになられていらっしゃいますけれども、仮にそこで描かれたように山背大兄皇子が太子のホモ説によって太子の実施ではないという問題があったといたしましても、)建前上は次期天皇候補として最有力の一人だったわけですから、それがそのような死を迎えるという説明は、どうも納得がいきませんし、

にも関わらず、それに対する歴史学上の説明があまりに≪シンプル、いえ冷淡≫とさえ感じられて参りました。

素人が考えても、このようにおかしいと思われることに対して、実証的な説明がされないまま説明を放置したままで平気でいるように思える日本の歴史学界というところに、
わたくしは古代史ファンの一人として素直に「おかしいと思わないのかしら?」と懐疑的でございました。

ではありますけれど、
わたくしは、数人の歴史上の人物を聖徳太子という一人の創造上の人物に仮託したのではないかという諸説、また太子=推古古天皇説には、ちょっと無理があるようにも思えております。(説明は長くなりますので省きますが・・・)

最近の「聖徳太子は蘇我入鹿だった」という関裕二説、太子を暗殺したとされる人物こそが太子自身だったという奇説にも首をひねってしまいましたし、
また『法王定説』の著者の隠された意図を読み解いたという前提で、聖徳太子は、蘇我の善徳という人物だったという関説には、梅原説の法隆寺の謎解き以上に大変興味を持ちました。
既に梅『隠された十字架』などの梅原説は、古典のようなものになってしまっておりますけれども。
ちなみに法隆寺の謎解きでは、関説が大変興味深いですね。

しかしながら、聖徳太子を襲撃し一族を滅亡に追いやった悪人とされている蘇我入鹿=実は聖人だったとされる善徳という人物だったという奇説には、なかなか興味深いものがございますけれども、やはり、太子=善徳=入鹿という流れになると、う〜ん・・・と唸ってしまうわけです。
その辺のことにことに興味を抱かれたかたは、奇説『聖徳太子は蘇我入鹿だった』(関裕二著)をご一読いただくとして、

わたくしは、太子ホモセクシュアル説よりも、
太子は女性だったのではないかと考えた方が、いろいろと符号が合うのではないかという≪妄想≫をいつしか抱くようになってしまいました。(苦笑)
太子信仰の対象として、残されたいる太子の像がよく≪子供の姿≫であるということが問題視されておりますけれど、それは、子供だったのではなく、実は女性だったというだけのことではないのかと。
コミック風に申せば、
池田理代子さんの『ベルサイユのバラ』の男装のオスカルの、彼女の「少年時代から青年時代」をイメージして戴けば、お分かりいただける方には、よりお分かり頂けるのではないかと思いますし、

太子の墓所が特定されない理由も、
お墓を掘り起こされることで何かが判明しては困ることがあったのではないかしらと仮定しますと、
墓所が暴かれて困ることってなにかと。
歴史上墓所が特定されない理由の多くは、その死因の本当の理由を後の権力サイドが隠蔽せざるを得ないとき(隠したいとき)以外になにがあるでしょうか。中でも、太子の場合、もし女性であったなら、一番困るのは、太子の性別が分かってしまうことで、そこから歴史の謎解きが行なわれたら大変困ることになるのではないかと思われたのです。(汗)

ということで、
聖徳太子女性説に関する情報をここでお声がけさせていただいた次第でございました。
最初に理由をお話しようかと思いましたが、論争するような根拠も意図もございませんでしたので、控えさせていただきました。
なにせ、mixi初心者でございますので、トピックスを立てた者として皆様のご意見を交通整理しなければならないような状態になったら、困るなあと。(TT)

どうぞ、今後も、何か情報がございましたなら、また、ご意見などを頂戴できましたなら、お寄せいただければ幸いでございます。

まずは、ここまで書き込みくださった方たちに、この場をお借りしてお礼を申し上げたく思います。

有難うございました。m(__)m
偽史学博士さま

ご著書『古事記異端の神々』を読ませていただいております。
HPの「幻想研究室」での「かぐや姫考」も、大変興味深く読ませていただきました。
わたくしなど、かぐや姫と道教思想の西太母などが関係しているのではないかと思っておりましたので、アルテミス信仰のお話がとても新鮮で、魅力的に感じられました。
今後のご健筆をお祈りいたします。m(__)m
>月光院様
あの、オスカル様は趣味で男装の麗人であって、決して性別を詐称していた訳ではないのですが…。
厩戸皇子が実際は女性であったとすると、そうせざるを得ないのっぴきならない理由が必要です。生まれたときから男と偽るには、身の回りを世話する召使に絶対に秘密を誓わせないといけないですし。「皇位継承のため」というのが一番考えられますが、厩戸皇子が誕生したころは、父親である用命天皇の即位の10年くらい前で、その一代前の敏達天皇が即位したばかりでした。しかも、その当時は豪族の合議制で時期天皇が決まり、たとえ天皇の長男といえども即位するとは限っていません。敏達天皇に皇后腹の竹田皇子(588年までは生存)や押坂彦人大兄皇子(広姫生存中は有力候補)がおり、厩戸皇子にも同母の弟が数人いたのに、男性の【ふり】をしなければならない理由がないように思います。

● 572年 敏達天皇即位(34歳くらい?)
●573年(か574年)厩戸皇子誕生。
●576年 敏達天皇、豊御食炊屋姫尊を皇后とする
敏達天皇4年(575)に豪族・息長真手王の娘、広姫を皇后としたが、広姫は4月に皇后に立てられたあと11月に逝去したため、576年、炊屋姫皇女が皇后となった。
●585年用命天皇の即位
●588年蘇我・物部戦争(竹田皇子参戦)
>踊る船さま

こんばんは。ご説ごもっともでございます。

>オスカル様は趣味で男装の麗人であって、決して性別を詐称していた訳ではないのですが…。

はい、存じております。わたくしが申し上げたかったことは、あくまで男性か女性か分からないという年齢的な時期にいまでも中世的な容貌をもたれる人たちがおられるように、その時期のそうした容姿という外見のイメージをお考えいただけたらと思い、例えとして出させていただいた次第です。性を詐称しなければいけない状況の類似を指摘するために例示したのではなかったので、そこはご理解いただければと思います。

しかしながら、

>当時は豪族の合議制で時期天皇が決まり、たとえ天皇の長男といえども即位するとは限っていません。敏達天皇に皇后腹の竹田皇子(588年までは生存)や押坂彦人大兄皇子(広姫生存中は有力候補)がおり、厩戸皇子にも同母の弟が数人いたのに、男性の【ふり】をしなければならない理由がないように思います。

との「踊る船」さまのご指摘はもっともだと思います。

が、どうも調べてみた限りではございますが、厩戸皇子は、いわゆるいまでいう思春期から、他の兄弟とは別の住居で暮らしていたようでございます。これは、当時の皇子たちの暮らし方からすると「普通じゃない」ように思われ、わたくしとしては、、そうした必然性がない行動が謎を生む一つになっているようにも思われるのです。
もしかすると、半陰陽のような肉体的な問題を抱えていたのかもしれないとも。それに加えて優れた才知やあるいは異能の持ち主であると思われた場合、女の子として当時求められた暮らしぶりとはかなり違う学究的な日常もそのまま通用して、それがため性別もまた「保留」されたのではないかしらと。

太子に仕えた人たちはいろいろとおられますが、実在した秦野河勝の太子亡き後のその後の人生を、たまたま播州赤穂の郷土史を研究しておられる方のお話を伺っていたとき、思いかけずお聞きする機会がございまして、以来気になり出したのです。
太子をただ単に尊敬して慕っていたにしては、変だなあと。(汗)

まあ、わたくしの勝手な奇説でございますので、
お楽しみいただければ幸いです。
>月光院様
拙著ご高覧ありがとうございます。
やはり聖徳太子の子孫が絶えた最大の理由は一箇所に固まって生活していたところを襲撃されたからでしょうね。
太子としては自分の理想を継承する人々のための
コミューンを用意したつもりだったのでしょうが、
襲う側からすれば一網打尽だったわけです(犯人が入鹿の兵かどうかはともかく)。
聖徳太子が女性だったのではないかと、ふと思いついたので、検索したらここがヒットしました。

私がそう思ったのは、「聞く(聴く)能力」についての男女差があると聞いたからです。
たとえば、
http://www.logophilia.com/study/brain_sexes/

聖徳太子の頭の良さを示す逸話として、七人の話を同時に聞いたというのが有名ですが、これは女性ならできるのではないかと思ったしだいです。

歴史マニアではないのですが、一つの傍証になれば幸いです。
聖徳太子=ペルシャ人説もありますね

太子のブレーン、秦川勝が中東から来た
とか
厳島神社、今の神社を作ったのは平清盛ですが
元は、聖徳太子の時代にできたとか
(詳しい内容は忘れましたが)
厳島神社に、ペルシャ人説を裏付ける証拠があるとかないとか(笑)

ログインすると、残り3件のコメントが見れるよ

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

歴史上の奇説研究会 更新情報

歴史上の奇説研究会のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング