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カトリックプロテスタント交流会コミュの架け橋になりたい

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このコミュに参加している人はカトリックとプロテスタント諸派は共にキリストの教会であり一緒に手を携えていけたらと願っていると思うのです。しかし残念ながら現実の教会においてもmixiのキリスト教コミュにおいてもそう思っている人ばかりではありません。「カトリックは間違った教えを保持している」とか「プロテスタントは完全な教会じゃない」とか思っている信徒も結構いるように思います。それは先入観であったり誤解であったり知識不足のせいだとは思います。わたしたちはそういう人たちに対し双方の架け橋としての役割もあるんじゃないかなとそう考えることもあります。このコミュは小さいコミュです。でも小さくても行動もしていきたいとそう思うのです。

 もちろんこのコミュはまったりとお茶を飲みながら気楽に話をすると言うのが趣旨ですのでどうぞ気は楽に、でも真剣に話ができたらと思っています。
どうぞお願いします。

コメント(33)

すでに1960年代から「朝祷会」という、各教会の交流会があるのですが、当時から
メンバーは増えてない感触。 一度地元の「朝祷会」にご参加をとお勧めする所です。
 ゴダイスキー中佐さん
母教会にいた頃数回ほど参加しました。(母教会が会場だったので)
早起きが苦手なもんで・・・・ほとんど参加できませんでした。
実は来週の主日正教会の礼拝に出ようかと思っていたんですが来週はペンテコステ礼拝で夜ある信徒の方から「あなたが居ないと寂しいし正教会の礼拝に行くのは次の機会にしてほしい」といわれて取りやめました。このコミュはカトリックとプロテスタントの交流を計るコミュですから正教会は含まれていませんが、しかしそれは正教会との交流はどうでもいいという意味ではありません。

 でも、問題はそういう交流している信徒や牧師に対し不当なレッテルを貼る人たちがいるという現実です。まあそういう人たちは無視すればいいというのも一つの考え方です。でも大きなキリスト教のコミュで教派を巡る対立をクリスチャンでない人たちが読むと、内輪もめとしか見えないわけです。そしてそれは決して証しにはならないと思うのです。

このコミュはそういう他教派に対し拒否反応を示している人たちにアピールする手段はないのか探っていきたいと思うのです。
聖餐式の相互陪餐に付いてはルーテルとの間では話し合いが始まっています。
決して遠い未来のことではないのです。
そうした話し合いが進んでいるようで良いですね・・・
教団ではいわゆる北村慈郎先生の免職処罰でもめております。その問題の核は「オープン聖餐」を認めるかどうかというものです。皆さんはオープン聖餐に対してどの様に思っているのでしょうか?
蒼井 零@屍鬼人さん

聖餐を巡る問題は奥深いですよね。昨年ぐらいに牧師に尋ねたことがあります。
聖餐の意味を知らない人に聖餐に預かってもらうのは帰ってその人にとって害になる可能性があるというような答えでした。そのような理解も一理あると思いました。
現実的な問題として二つに大きく分けてあると思いますね。
死後の生を先取りするものとしての聖餐とこの世で聖別された人たちが食するものと。
理解は出来ますが、たまに教派によってはコリント書の「相応しくないままで飲み食い」するという言葉が引かれますが、あれは文脈がおかしいと昔も今も思っています。
実際そこで、指摘しているのは共に飲み食いすることを奨励するものであるわけで、共食をすすめているのです。
そう考えれば洗礼を受けた者だけが聖餐式に与れるというのは若干の矛盾を感じますね
久しぶりでこのトピを見ました。
聖書に書かれているコリントの教会って食時を浮かせるために聖餐に来る人が居たらしい。
それで大量のパンとぶどう酒を呑んで酔っ払う人も居たらしい。
パウロ先生もさすがに苦言を示した。
このパウロの苦言がおそらく愛餐と聖餐を分離し聖餐のオープンとクローズを分けた。
教会が聖なる公同の教会であるかぎり乱れは正さなければならない。
そのところで聖徒の交わりとはいかにあるべきかが問われる。
神学的問題と教会政治のあり方が同時に問われる問題かと・・・
聖餐はクローズであるべきだと、はっきり言えないと思います。
実際に各個教会がどの様な問題と直面し、それに応えるためにオープンにする必要が出て来る時もあると思います。
確かな信仰を持った礼拝参列者であれば、聖餐が後であっても先であっても、洗礼は受けると思います。手続き論になるのであれば、何故日本基督教団がクローズのみが認めるのか分かりません・・・
蒼井 零@屍鬼人さん

「確かな信仰」の客観的な基準が「受洗者」ということではないでしょうか。

マタイかのような分類ができるようです。

クローズド:その教会(教団)の構成員のみ
オープン:受洗者(どこの教会で洗礼を受けても可)
フリー:礼拝出席者(未受洗者でも可)

http://blog.goo.ne.jp/bethel_goat/e/fa3e4b9339b7026c602e8b89395ec496

引用したサイトではより細かく分類していますが・・・

蒼井 零@屍鬼人さんが取り上げているのはオープンではなくフリーということでよろしいでしょうか?

そしてこのコミュはあくまでもカトリックとプロテスタント間の交流が趣旨です。聖餐論は確かに重要な問題ですがカトリックとプロテスタントの交流に関連させて取り上げていただけたらなと思います。

そうですね。すいませんでした。

カトリックの方達は今の教皇についてどの様に考えているのですかね?
プロテスタント側から見れば、保守に戻ったな・・・、という感想を持っていますが
>カトリックの方達は今の教皇についてどの様に考えているのですかね?
これについてはカトリックの方々からコメントがなさそうですね。
別のアプローチの方がよろしいかと・・・・
基本的にはキリストにある和解が問題なのかも・・・・
聖餐その他お礼拝行為を「供え物を献げ」ることにたとえるなら・・・
「その供え物を祭壇の前に置き、まづ行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい」
マタイによる福音書5章24節
トピ主さま
カトリックとプロテスタントの間には真の問題点は他の誤解と言う挟雑物に埋もれている可能性を感じます。
例えば聖餐が聖礼典として大事にされていることを理解していないカトリックの方も多いのかと・・・
ですから「誤解」の問題を取り上げて見てもよろしいのかと・・・・
蒼井 零@屍鬼人さん

現教皇が保守的であることは聞いております。しかし第2ヴァチカン公会議からの大きな流れが真反対に変わることはないでしょう。現に2017年の宗教改革500年を合同で祝おうという企画がカトリックとルーテル教会の間で進んでいるのですから・・・
しのぶさん

もともとこのコミュは議論型のコミュではなく交わりをメインとしたコミュとして立ち上げました。ですからあまり議論はしたくはないんですが・・・・

聖餐式とミサは根本的に違うものか、同じものか、そこから考えていく必要はあるかもしれませんね。
あっちゃんさん
私は聖餐式とミサは本質的に同じだと考えています。
ただし・・・その概念のすりあわせに・・・後500年ほど時間がかかる。
その概念のすり合わせなしには相互陪餐は罪そのものかもしれません。
なにしろ宗教改革以来相互に峻別しあった歴史がある。
そこには多くの誤解が蓄積している。
そりあえず誤解を少しずつでも解きあうための交わりは必要でしょう。
プロテスタントの歴史の中で聖餐式の重要性は低くなり、説教の重要性が高くなっていってしまいましたからね…
今でこそ聖餐式の重要性が見直されて、プロテスタントの中でも一部の宗派は毎週聖餐式を行う教会があるようですが。
しかし、まだカトリックとプロテスタントの溝があるのは否めないでしょう。それは、プロテスタントがカトリックの伝統を見直す必要もあると思いますし、カトリックも自らの首位権を誇りとしてではなく、和解の象徴として歩み寄って欲しいものです。
仲良くしたいものですね〜

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>>[32]
プロテスタントのクリスチャンです。
なんか、プロテスタントは排他性が強くてカトリックのクリスチャンが自由で羨ましいです。プロテスタントからカトリックに転向する人っていますかね?

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