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懐かしい昭和の風景やエッセイ集コミュの遠行

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遠足、昔は遠行と言いました。妙園寺遠行が最も有名です。私も少年時代から参加しました。最近の遠足はどうも遠バスだったり、遠汽車だったりしますね。

何故今でも徳重神社(妙園寺)までの遠行が盛んなんでしょう。水上坂(みっかんざか)から伊集院まで片道20キロ、江戸時代、明治・大正・昭和・そして平成の今日まで続いている行事です。1600年、関ヶ原の戦い、島津義弘は西軍に属し、西軍敗北の戦いの帰趨がはっきりした時、東軍の中央を突破して逃げました。敵の後ろを見せて逃げるのでなく、前へ逃げる、島津勢の強さを証明しました。関ヶ原の戦いのあと、西軍の多くは領地を失い或いは減領となりましたが、薩摩藩だけは領地は元のままでした。

徳川家康は利口で冷厳な政治家でした。島津を攻めると犠牲が大きい事を良く承知していました。だが268年後、徳川幕府が薩摩に滅ぼされるまでは見通せなかったでしょう。また徳川家を残し江戸城明け渡しをしたのは、薩摩の女性「篤姫」であったのも面白いと思います。

話しが横道にそれましたが、その関ヶ原の戦いを偲んで徳重神社への遠行が始まったようです。学校も参加しました。私も生徒として教師として参加しました。しかし最近の車の増加により、私の勤務する学校は薩摩半島縦走へ切り替えました。遠くまで歩く、鹿児島の昭和も続きました。

何時までも残したい風物詩です。でも最近は当日になって病気を理由に参加を取りやめる子供が増加していると聞いて居ます。ちっ(怒った顔)

コメント(2)

母の時代の遠足は、
伊作の小学校から伊作峠を越えて、市内まで歩いて行ったそうです。
峠を歩くのはきつかったぁ〜と申していました。

徳重神社への遠足経験はありません。
薩摩さんの記事を拝読して、行ってみたいなと思いますわーい(嬉しい顔)

私が印象に残っている遠足の場所は、小学校から歩いて行った、
「磯庭園」です。
中高時代は、吉野公園が印象に残っています。

娘の通っていた都内の小学校では、小6の受験前は、親が遠足で風邪をひかせたくないのか・・・
前日まで元気だった子が、次の日(遠足当日)は病気になって、遠足を休むというパターンが多かったですね(>_<)
過過過保護???ママさん、年々増加しているようです(^_^;)

話題からはずれますが・・・
上履きを使い捨てにするママさんがいらして、何十足も買いこんでいるママがいました。
これにもびっくりげっそり

そのうち、遠足は、自宅からタクシーで送迎する学校が出てくるかも
げっそり
現在の遠足は「遠バス」であり「遠汽車」ですね。
歩くと言う習慣は鹿児島では若者の鍛錬の手段として連綿と続いて参りました。
弁当と水があれば十分、「山坂達者」と言う言葉もあり妙園寺遠行は水上坂(みっかんざか」を越えて歩きました。平地に乏しく、シラス台地の多い鹿児島では坂道を歩くのは運命でした。短足胴長になったのも当然です。

でも体型と頭脳は関係ない、自然は教材の山でもあります。歩く事を通じて如何に多くの事を学んだか、若い両親は学んで貰いたいものです。

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