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懐かしい昭和の風景やエッセイ集コミュの新燃岳の入山規制

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今日新燃岳の火山警戒レベルが2に引き上げられました。先日爆発直後の新燃の裾野の写真を掲載しましたが、また入山が規制されました。

私は小学校1〜5年生は(昭和11年〜16年)は牧園小学校、また昭和29年〜37年まで加治木高校に勤務しました。ですから御池から栗野岳に至る霧島連山は庭みたいなものでした。今日は当時の写真を三枚掲載します。但し白黒写真です。

最初の写真は昭和37年3月、加治木を去るにあたってお別れの単独縦走をした時の新燃岳の火口湖です。写真を写した反対側の熔壁から水蒸気が上がっていますが、今回も此処からの水蒸気が多い事がテレビで紹介されました。霧島連山は御鉢火口を含めて生きた火山です。大抵の山はホマーテと呼ばれる火山です。山は高くない割に火口が大きいのです。(臼状火山)新燃はこの火口湖が問題なんです。若しこれが山麓に流れますと大きな被害が予想されるからです。

大きな火山には側火口があります。桜島で噴煙を上げている昭和火口は南岳の側火口です。平気で泊まったり温泉に入る丸尾温泉なんか大浪之池の側火口です。

火山は大きな恩恵と危険がありますが、霧島連山は我々にとっては恵みの山であり、日本最初の国立公園でもあります。高千穂の峰の天孫降臨伝説、また霧島連山の最高峰、韓国岳は名前の通り韓国と関係があるかも知れません。ソウルから帰る大韓航空の韓国人観光客は空港到着の前になると一斉に立ち上がり霧島連山の火口を眺めます。日本は火山の国でもあります。

二枚目の写真は加治木の蔵王岳です。独特の形をしていますので名物なんですが、現在は町からは殆ど見えない。この写真は加治木高校の校庭からです。野球部員が9名居ます(9名しかいなかった)。でが今はこの場所から蔵王岳を見ると、建物や高速道路ではっきりしなくなりました。勿論この山は登れます。

三枚目は加治木の空中写真です。加治木高校が木造校舎です。中央の森は加治木島津家の館跡です。周囲は水田や空き地が目立ちます。

加治木島津家は島津一門の筆頭の家でした。豊臣秀吉の九州征伐で降伏した島津義久は家督を弟の義弘に相続させて此処に隠居しました。ですから島津本家は義弘の子孫ですが、加治木の方々から見ると加治木が本家なんです。だから私が住んだ頃は「加治木似た鹿児島」と言う言葉がありました。誇り高い住民、平成の市長村合併でも加治木の名前を残したかったと推測しています。

西南戦争の時は県庁も置かれました。鹿児島の方が加治木に似たんだとの思いがありました。私事ながら私は加治木で結婚し二人の子供も生まれました。

加治木高校に伊作高校から転勤した時、PTA会長さんが私が小学6年の時の校長先生でした。間の悪いものですが、この先生が私の見合い相手を探して下さいましたが、何分ブニセの典型、見事に振られました。鹿児島の世間は狭いものです。その見合い相手の弟が野球部員に居ました。「コラ わいげん 姉さんは おいを ふったが」と言いながらノックをして鍛えました。

お粗末な一席でした。ごめんなさい。

コメント(5)

高千穂の峰の天孫降臨伝説・・・もしかしたら学校で習っていたのかもしれませんが、お恥ずかしい話・・・一昨年、天の岩戸に行き初めて?(^_^;)
認識しました。

雲仙の平成新山もホマーテなんですか。

韓国岳は、山頂から韓国が見えることから名前がついたと言われていますが・・・そんなはずはないですよね〜まさか、韓国が見えるなんて・・・それほど、眺めが良いってことなのかなーと思っていました。
でも・・・やはり韓国と何か関係があるんでしょうねー。

西南戦争のころ、加治木に県庁げっそり
す、すごい!

薩摩さん!生徒の指導に私情を持ち込んではだめよ〜(^O^)/

今回も勉強になるお話をありがとうございますm(__)m
swanさん、コメント有難うございます。

日本の神話伝説の舞台は鹿児島です。何故なのか私も判りません。
天孫降臨をしたニニギノ尊(済みません漢字が当用漢字にない)は霧島神宮に祭られていますし、墓は可愛山稜(川内)です。次のヒコホホデミノ尊(山の幸で竜宮城の御姫様を貰いました)は鹿児島神宮に祭られ、墓は高屋山稜です。次の
ウガヤフキアエズノ尊は鵜戸神宮、墓は吾平山稜です。

この三つの山稜は今でも宮内庁の所管、皇室の先祖の墓として保存されて居ます。ウガヤフキアエズノ尊の子供が神武天皇となります。

これらの話は戦後否定されました。古事記・日本書記に掲載されていますが、実際には無かったとされて居ます。

だが韓国岳の名称とともにロマンを感じます。高千穂に降りた天孫は韓国系だったのかも知れません。

否定されても神代三代の話の舞台が鹿児島だったのを知らない県民の多い事よ。
SWANさん、質問に一つ答えて居ませんでした。

雲仙岳は全体としてみればコニーデ型(円錐状火山)だと思います。典型は富士山で山頂に火口があります。しかし雲仙普賢岳は別な火口で頂上に溶岩がせり出し、火口を塞いでいるかのようです。その溶岩が落下して火砕流を起こしました。開聞岳がそうです。開聞岳は8合目付近まではコニーデ型ですが、最後に溶岩が山頂に出て流れなかったものが火口を塞いだ例です。だから頂上付近はトロイデ型(塊状火山)なのでコニトロイデ型と言われます。参考までに溶岩がせり出してそのまま固まった火山がトロイデ型で箱根山がそうです。
うん、うん、
確かに・・・「神代三代の話の舞台が鹿児島だったのを知らない県民の多い事よ」
私もそう思います。って・・私も若いころは知らんかったけど(^_^;)

火山のお話、ありがとうございます。
勉強になります。

娘が、阿蘇山の上が吹っ飛ばなければ、
富士山より高い山は阿蘇山だったと言ってました。

↑の薩摩さんのコメント内容は、娘が興味を持ちそうです。
うちに戻ってきたら、こちらの記事を見せます(^。^)

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