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mixii岡林信康三宅洋平の会コミュの音楽批評家の岡林信康アルバム『グラフティ』批評

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【序】岡林さんの作品の一節が口をついてでる。それがアルバム「グラフティ」の中にあることまではわかる。
「もしもあんたが」で始まる。そうして下記の評論と出会った。
評者の言う通りかもしれない。
だが日本青年館大ホールで、ロックバンドセンチメンタルシテイロマンの演奏で聴きにいった。途中から加藤和彦がサプライズでゲスト出演、ギター演奏で協力していた。

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GRAFFITI(紙ジャケット仕様)


アーティスト: 岡林信康, SENTIMENTAL CITY ROMANCE
出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
発売日: 2007/10/17
メディア: CD
もちろんLPは持っている。
だが、正直同時期のビクターの一連の作品と比べても再生頻度が低いのが事実だ。

それは何故か?
それは他のアルバムと比較してエネルギーを感じさせる楽曲が少ないからだ。今回改めてそれを再び感じた。

教会生まれの岡林は当然幼少の頃から西洋音楽の根底とも言える教会音楽(賛美歌)に接している。このため楽曲として成立する「8小節」のフレーズには凡夫の邦人より優れた旋律を生み出す能力があるといえよう。事実岡林の曲で長く愛されている曲(「友よ」「チューリップのアップリケ」「自由への長い旅」「私たちの望むものは」「あの娘と遠くまで」「オリビアに」諸々)は、世の中の多くの楽曲がそうなのだが、この8小節の組み合わせによるものである。
これまで岡林は音楽の中に精神的開放を見いだした時に素晴らしい楽曲を作り出すのだが(デビュー直後、はっぴぃえんどと組んだ時、CBSソニー移籍時、演歌とポップスのコロムビア時代、メジャー復帰のビクター時代の初期、そして「エンヤトット」を始めた時)、このアルバムを作った頃岡林自身は既に音楽的な迷いを相当持っていたのではないかと思うのだ。
精神的開放感から曲が生まれる事を岡林は「便秘で溜まったウ○コが出る」と例える事があるが、そんな時の楽曲には確かに力があるのだ。

「GRAFFIT」の前には加藤和彦&ムーンライダースというこれまた旧知の面子で「STORM」を出している。
ストーム(紙ジャケット仕様)
ストーム(紙ジャケット仕様)

アーティスト: 加藤和彦, 岡林信康
出版社/メーカー: ビクターエンタテインメント
発売日: 2007/09/21
メディア: CD

(岡林とデビューの地域、時期が近い加藤和彦は、紛れもなく「天才的メロディーメーカー」である事は誰も異論のないところだろう)
「STORM」をプロデュースするに当たって加藤は歌詞の中の「逃げた言葉」を止めるよう説得した。3rdアルバム「俺らいちぬけた」以来の語法を禁じたのだ。
岡林は自ら「逃げた言葉」を禁じる事によって、歌詞を納得させる・歌詞に力強さを持たせるメロディの音楽性を強いられる事になってしまうのだ。

そしてこれが岡林自身の音楽的な行き詰まりを促す結果になってしまうのだが。

またこのアルバムでは当時の流行だった「スカビート」にも挑戦しているのだが、当時のブリティッシュビートの少なからず衝撃を受けた事をその後何度も岡林自身が述べている。
そしてこの「GRAFFITI」内の曲「マンハッタン」でも歌っているようにマンハッタンに約1ヶ月滞在していたが、当時のニューヨークは米国経済の低迷期でもあり、街のムードも決して芳しい状態でもなかった(ハズ)。
そんな中「街はハレ(お祭り)」という軽い気持ちでいた岡林が、高度化した文明の象徴であるマンハッタンでショックを受けたのは言うまでもない(同曲の歌詞にも歌われている)。
そして多分、この前後ではないかと思うのだが、「クリムゾン帝国」のロバート・フィリップ総統に「物マネだ」と音楽的な指摘を受けたのがこの辺りではないか、と思われる。

もし岡林が普通の邦人音楽家であれば総統に「根底に東洋的なモノ」を感じさせていたのかもしれない。しかし加藤和彦と異なり、岡林氏の根底は西洋音楽なのである。その上に始めて日本土着の音楽があり、そしてその上に外国系の音楽がまとわりついているのだ。
R.フィリップ総統はその辺りを見抜いていたのではないだろうか?
そしてそのように指摘したのではないのだろうか??

そして後年本人が述べる様に「エンヤトット」を見いだすまで岡林の「迷い」が続く訳である。

そう思うと「ジェット・プレイン」「マンハッタン」以外の曲は、その語法はビクター時代のパターンなのだが、楽曲自体にエネルギーが感じられない。
「マンハッタン」にはアルバム「誰ぞこの子に愛の手を」に近いニュアンスを持っているか、精神的なベクトルは全く逆の方向を向いていた可能性がある。

事務所のバックアップも弱くなり、精神的にも弱くなった状態で作られたこのアルバム、共演した事もあるセンチメンタル・シティ・ロマンス(細野繋がりから考えるとかつて「はっぴいえんど」が果たした「岡林に対する精神的起爆剤」を期待しているのではないだろうか?)が苦労して、協力して、アルバムにまとめ上げたように思える。

そういう意味では隠遁生活を決め始めた岡林の3rdアルバムに近い雰囲気があるを感じる。

だからこそいくつかある岡林のターニングポイントの一つであるこのアルバムは無視する事ができない存在であるといえよう。

コメント(2)


hirokindさん
「イイネ」にあつく御礼もうしあげます。

ずみさん
「イイネ」に厚く感謝いたします。

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