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mixii岡林信康三宅洋平の会コミュの藤田正さんの岡林信康論

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 フォーク・ブーム全盛の時代、「神」とまで呼ばれた男がいた。
 岡林信康である。

 60年代の後半から70年代の初頭にかけて、「友よ」「山谷ブルース」「手紙」「チューリップのアップリケ」「それで自由になったのかい」ほか、いくつもの名作や問題作を発表し、数多くの追従者を出しながら、短い期間のうちに寒村へ引きこもった男である。その隠遁(いんとん)は数々の憶測を呼び、しだいに彼は生きる伝説となっていった。

 そんな彼は今、「エンヤトット」を歌う。
 エンヤトット、エンヤトット。日本の、アジアの、田舎くさいリズムだ。岡林はこれこそが自分の音楽の、新たな出発点だと考えているようだ。
 日本の祭り歌に朝鮮半島の音色が盛り込まれたそのリズム。バックには津軽三味線とサンバのパーカッションが加わっている。

 祭りも伝統も形ばかりになったような時代に、かつての「フォークの教祖」は、人と祭りのつながりを歌う。久しぶりの東京公演となった岡林信康のステージに、そのココロを聞いた。

MANDALAでのライブ(photo:Beats21)
■2000年12月11日・南青山「MANDALA」
 小奇麗なライブ・ハウスが、ほぼ満杯になった頃、岡林信康はメンバーを連れ立ってステージに表われた。
 ジーンズの上下に黒のシャツ、黒のスニーカー。何の前触れもなしに、岡林は歌いはじめる。ギターに平野融(とおる)、アフリカン・パーカッション(ジンベ)に吉田豊。黒人風のコーラスを付ける3人の女性が一番後ろに控えている。
 音のボリュームを低く抑え、ゆったりとした調子で全体のリズムをまとめようとする気負いのない姿である。そこに、岡林をはじめとした主要メンバーの余裕、充分なキャリアが感じられる。
 3曲が終わったところで、岡林は奇妙なことを言い出した。
 歌をうたうようになってから35年間、今夜、初めてステージが楽しいと思える、と。こんな気分は自分自身にとっても大きな変化ではないかと、彼は言うのである。
 そして歌い出したのが「山谷ブルース」であり「チューリップのアップリケ」だった。
 60年代後半、音楽が政治と濃厚に結びついていたあの時代、反体制派にとっての象徴的な1曲が「山谷ブルース」だった。最下層の労働者が住む日雇いのマチ、山谷。岡林は、このマチの人々の感情をこの歌を通じて訴えかけた。
 もう一つの「チューリップのアップリケ」は、貧困と部落差別をテーマとする名バラードである。ともに、日本のフォークの記念碑とも言うべき名作なのだが、岡林はしばらくの期間、よほどのことがない限り歌うことはなかったとされる。
 そんな曲が、さらりとした形で、再び舞台に乗せられたのが当夜だった。
 分かりやすい歌詞で、誰もが気軽に入ってゆけるメロディだからこそ明確になる社会と人間のかかわり。岡林の歌のメッセージは、「過激」「怒り」といったイメージからは遠く、その優しい歌い口にはキバもない。あるのは疲れた体に染み込む、いっぷくの緑茶ののような安定感である。 
 言葉が、体に浸透してゆくのが実感できる歌である。

MANDALAでのライブ(photo:Beats21)
■いち抜けた男の発見「エンヤトット」
 岡林信康。1946年、滋賀県近江八幡市に生まれる。父はキリスト教の牧師である。
 66年、同志社大学神学部に入学する。しかし、東京のドヤ街(山谷)に入り込んだ体験をきっかけとしてドロップアウト。
 自分でも歌をうたおうと決めたのは高石友也のコンサートがきっかけだった。
 69年、アルバム『私を断罪せよ』を発表し、一気に日本のフォークにおけるヒーローと目されるようになる。と同時に、世間の限りなく高い評価と「本当の自分」とのギャップに深く悩みはじめる。
 71年、『俺らいちぬけた』を発表。以後、5年ほど岐阜などの山村に引きこもる。
 70年代後半は、美空ひばりとの交流が話題になるなど演歌に傾倒し、毎年コンスタントにアルバムを発表する。
 80年代に入り、日本の祭り囃子や伝統的歌謡への関心が深まり、日本〜アジアのリズムを探索した結果、「エンヤトット」のリズムを提唱しはじめる。
 98年、歌手生活30周年記念作品『風詩(かぜうた)』を発表。
 岡林は今、日本土着のリズム、アジア的な味わいを現代に生かそうとする「エンヤトット」で、全国を回っている。
 岡林は以前、「美しいものは、例外なくシンプルである」と言ったことがある。自分の作風も、こねくり回すことなく、歌のあり方はつとめて単純にしているのだと。
 ノド越しのいい讃岐うどんのようなメロディ・ラインも、ゆっくりと落ちついて人の感情を高揚へまで辿りつかせるリズムにしても、すべては岡林の「シンプルな美しさ」に基づいている。それは、かつて反戦フォークの第一人者として祭り上げられた時の歌にも、エンヤトットで祭りの賑わいをうたう今の歌にも、共通にそなわる彼の美学であることが、コンサートを見ればよくわかった。
 アンコールで歌われた「らっせーら!!」にしてもそうである。青森ねぶた祭りのリズムを使ったこの代表的一作は、平野、吉田に加え、笛の佐藤英史、津軽三味線の高橋希脩(きしゅう)、太鼓の美鵬成る駒(びほう・なるこま)ら、エンヤトットのフルメンバーが勢ぞろいしたダンス・ナンバーである。
 繰り返される「らっせーら」の掛け声のもと、岡林は、祭りという名の人生を踊り抜こうじゃないか、とだけ歌う。祭りで一つになれるかもしれないね、と。
 ありふれたテーマである。しかし、和洋のエッセンスを丸モチのように練り込みカドを取り除いたリズムの中に漂う、このメッセージには、「人の永遠なる営み」という言葉すら浮かぶのである。
 リズムの間に流れる篠笛が、実に綺麗だった。
 かつて「神」と呼ばれた男は、今も、人の生を歌い続けている。

(文・藤田正)

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