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考える糧ゴリーコミュのプラグマティズムは今も有効か

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日常性に立脚し、そこに合理的な健康性と、発展性を見るプラグマティズム。
経験と知性との統合を図る思想で、代表的な人物として、ウィリアム・ジェイムズらが挙げられます。

ジェイムズは、バースの「我々の概念の対象が実際的にどんな効果をもちうるかを考察せよ。
その効果についての概念が、その対象についての概念の全てである」という文章を引用して、概念を明確にしています。

プラグマティズムによれば、真理はどこかに置かれているものではなくて、
観念が行為や経験を通じて確証されるとき、真理が成り立つ。
宗教臭い話になって申し訳ないですが、キリストの真理がポツンと置かれているのではなくて、
キリスト教徒がキリストのように博愛精神を見せて、はじめてキリストが真理である、となる、ということです。

真であるが故に有用ではなく、有用であるが故に真である。
一言で言えば、「それを信ずるほうが、われわれにとってよりよいであろうもの」です。
どこかの議論で、大体プラグマティズムに近い立場の言動になっている人も割りといますけど。

で、この経験というのは、創造的知性の発揮、すなわち、未来への創造行為を指します。
未来的可能性を予見することです。

ですが、この西暦2013年において。

アイフォンいじくりながらも、日本人は地下鉄に乗ったり、テレビを見たり、紙媒体の新聞を読んだり。
どこに、透明なパイプのような通路を走る高速自動運転者や、三次元ヴィジョンを移すホログラム、
脳に直接情報を送り込む、かつてのSFチックな予想が実現したでしょう?
二十世紀の頃には、二十一世紀と言えば異星人の一人や二人現れてもおかしくない、
火星旅行が日常でもおかしくない、と思われていたのに、
未だに戦車を地上が走り、飛行機は流線型で円盤型ではなく、宇宙戦艦も飛ばない。

哲学も思想も、面白いネタはほとんど考え尽くされた。
新しいパラダイムシフトを起こしそうな真理は、もうないのでは?
科学の発展も今で頭打ち、
つまり、プラグマティズムが日常に見出した健康性なんてものは、もはや幻想で、
今が人類のピーク、あとは衰退して行くのだけではないでしょうか?

皆さん、どう思いますか?

コメント(42)

>今が人類のピーク、あとは衰退して行くのだけではないでしょうか?


何をピークだと言うのでしょう。
僕は幸せこそ尺度にするべきだと思うし、その意味ではまだまだ幸せになれていない人たちは人類の中にたくさんたくさんいるから、
やるべきこともたくさんあると思います。
考え方と方向性を間違えないことが大切だと思います。
>>[4]

実際の所、これ以上の科学技術を必要としてますかね。
是が非でも核融合炉、対消滅機関をエネルギー源にしたいわけでもなさそうですし、
遺伝子治療やクローン、iPS細胞関係も、
いざ自分のクローン内臓の移植などが実用化されることを望むでしょうか?

燃料電池もなかなか実用に耐えず、
今だディーゼルだのガソリン車が走る。
通信技術なんて、もう飽和状態みたいなもので、
一体これ以上何を話したいのか、みたいなレベルまでいっている。
アメリカじゃ、フェイスブックでの対応次第で出世に影響が出たりとか。

すでに物流は整備されていて、
金を出せば、欲しいものは何でも揃う。
人類が、これ以上欲するものなんてあるのでしょうか?
それとも、肉体の限界まで長生きすることが人類にとっての残されたフロンティアなのでしょうか?
科学技術が進めば、格差は拡大する。
それは、アドバンテージが決定的なものになるため、持てないものはスタート地点で排除されるからです。
たとえば、今、携帯電話を持っていない人、使ったことのない人を、企業が採用するでしょうか。

電子データで書類が送れるようになって、
生じたことは、紙の大量消費。
日本ではFAXが現役ですが、それでなくても、プリンターがこの世から消えることはないでしょう。

もう、人間は進歩に飽き飽きしているのでは?
アフリカのマサイ族は携帯電話を勿論持っていて、観光客が来るとああいうスタイルになりますが、
それを聞いて先進国住民ががっかりするのは、
進歩とは無縁な純粋さ、無垢さをみたいという、
手前勝手なエゴでしょう。
しかし、格差の上に自分たちがいること、資本の集中があって、はじめて自分たちの給与が出るのを知っているから、
格差是正にはなかなか本気になれない。

進み過ぎた科学に人間がついていけず、反動が始まってるんじゃないでしょうか?
>>[005]

いまだに飢餓にあえいでいる人たちや、不衛生ゆえの病から逃れられない人たちや、戦争やテロに日々怯えている人たちや、
心の苦悩から脱け出せずにいる人たちなどを
幸せへと導いてゆくことこそ、ぜひ大切なことだと思います。
>>[7]

しかし、それは科学技術の発展や、
新しい真理の発見に依拠するものではないわけです。
>>[008]

「科学技術の発展や新しい真理の発見」が結局はそういうことを解決できないのだとしたら、
それらの価値というのも制限を持ったものだ、ということだと思います。
>>[9]

つまり、進歩に健全性を見るプラグマティズムは、
今は古い、ということですね…
進歩が制限付き、恰好付きのものであるとしたら、
逆に言えば、進歩したこと自体さえ、
間違いかもしれませんな。
>>[011]

科学の進歩についてですが、

私は、科学技術の進歩を、ネガティブのみにはみていません。

特に、医療分野の発展は、人の不幸を軽減してきたと考えています。
目の網膜、心臓、肝臓、腎臓など、移植に頼らないでもすむようになるかもしれません。

患者自身の、少量の細胞を採取して作る 、iPS細胞には、期待せずにはいられません。

イリア・エレオスさんが指摘された
>>[6]の

>>進み過ぎた科学に人間がついていけず、反動が始まっているんじゃないでしょうか?

に、賛同いたします。
科学は、「人間の幸せ」という観点は、あまり考慮にいれず
進んできたようだと考えます。
進められてきたようだと考えます。

人を殺傷する科学技術について、特に、そうです。

>>[4] 78910 さんがおっしゃるように、「幸せこそ尺度」という観点にたって
「考え方と方向性を間違えないことが大切」
ではないでしょうか。
それが、プラグマティズムの有意義な面だと考えます。

ウィリアム・ジェイムズの哲学を、少ししか知りませんが、
ローティが、高く評価していました。
>>[13]

ただ、僕なんかは思うのですが、
SNSや通信機器の充実をこれでもかとするくらい、人というのは寂しかったのか、という思いがしましてね。
僕もLINEやらフェイスブックやらをやっているのですが、
何が楽しいのか分からないというか、いつも見張られているみたいでちょっとうんざり。
それなら直に会えばいいじゃん、精々手紙ぐらいで良いじゃん、とか思ってしまうんですよ
(僕は、一分おきのメール・リレーも苦手だったりするので、ちょっと特殊かもしれませんが)。

この電子ネットワークの稠密化を、果たして人は望んでいるのだろうか、望んでいたのだろうか、
これは、ひょっとしたら嫌々やっている部分もあるんじゃないか、と思いまして。

あ、MIXIのこのコミュとかは別ですよ。
MIXIは人口が少なくなってから、議論用に使っていて、これは実に楽しい。
>真であるが故に有用ではなく、有用であるが故に真である。

真であるからと言って、全ての人々、地域、時代に有用であるとは限らない・・
少なくとも・・個人個人にとって有用なモノは異なる・・
ただ、ほんとに有用であるか、ないかの判断は・・個人個人の勝手な判断である場合も多い・・

ほんとにそれが「有用である」「最善である(あった)」と言い切れるのか?

>一言で言えば、「それを信ずるほうが、われわれにとってよりよいであろうもの」です

われわれ・・というのをどこまで指すのか・・
身内なのか、自分に意見の近い人達なのか、自分の住んでる地域の人達、日本人、世界の人々・・
どれかに対しては有用、効果的であっても・・他方にとっては、そうでない場合も生じる・・
個人的には・・世界の人々にとって の方が真理に近い気がする・・

>哲学も思想も、面白いネタはほとんど考え尽くされた。

個人的には、「考え出されるスピード」は落ちていってる、落ちていく・・と考えています・・
あとは、それらを実行、実現させていくことの方に力が注がれていくのでは?
過去の想像物を・・創造していくことが行われていくと・・

>新しいパラダイムシフトを起こしそうな真理は、もうないのでは?

人間にとっての真理というのは、もう遥か過去に見つけ出されていたのでは?
今行われてるのは、真理が真理であるという確証であったり、それらを有用へと、いかに結び付けれるのか・・
より多くの人々が、「いかにスムーズに受け入れていける事ができるかの手段」の模索等・・

より多くの人々が、平和に幸福に平等に生きていくべきなのは真理ではあるが
現実、現状の社会の未完、未熟さが、人々にそれらに疑いを抱かせてしまってる(抱かせてきた)かと・・

>今が人類のピーク、あとは衰退して行くのだけではないでしょうか?

個人的には、人類は調整しつつあるのではないかと考えています手(パー)
今までは、加速度的に成長をしてきたが・・何か、それではいけないとスピードを調整しつつある・・
人間が人間、世界を管理、調整することが可能になりつつあるのではないかと・・

地球の人口の増加も、人間自身が調整しつつあるのではないかと・・
衰退ではなく・・「落ち着いてきている」のではないかと考えています・・

>>[16]

この「われわれ」というのは曲者でしてね。
身内ではなくて、普遍的な人類全体を指しているようですが、
実際にはワスプを指しているかもしれない。
西欧的な価値観は普遍的なのか、西欧というローカルな地域限定なのかで意味が違っている。
少なくとも、家族とか一共同体レベルでの話ではない。

物凄い乱暴な言い方をすれば、人類という種の人口を調整してきたのは戦争で、
第一次大戦にしろ、第二次大戦にしろ、世代の交代と新陳代謝を促してきた。
しかし、もうそこまで大規模な人口減少を伴う戦争は、先進国同士ではないでしょう。
金持ち喧嘩せず。
リビアやシリアなどではどうなるか分かりませんが、それらの国々での人口の減少は、格差の拡大を促すものではあっても、格差の是正につながるものではない。

科学技術の発達で、アメリカあたりが総力戦をしたら、地球が何回も滅亡してしまう。

…それに加えて。

真理は昔に全て発見されているのだったら、人は何故考えるのか? というヤツですよ。
プラグマティズムは、有用なら価値がある考えだとした。
今は、有用であろうがなかろうが、進歩自体に疑問符がついている。
これは、何も古い倫理観やリアクションとかいう問題ではなくて、人間自体が、持て余してしまっているんじゃないかと思うのですよ。

有用であるなら真理である、というなら、真理でないものは有害(無用)である。
人間にとって、現代の科学技術や思想というのは、もう手に負えない怪物みたいなもので、
ただ指を加えてみているか、振り回されているだけなんじゃないですかね?
メールが一日に三十本も四十本も来る場合、果たして、本当にこれだけのことを話したくても今までできなかったのか、
メールという手段が出来たから、需要が膨れ上がったのか、どっちなんでしょうね?
パース(Charles Sanders Peirce : 1839 - 1914)が「プラグマティズムの格率(規則)・・・ある対象の概念を明晰にとらえようとするならば、その対象が、どんな効果を、しかも行動に関係があるかもしれないと考えられるような効果をおよぼすと考えられるか、ということをよく考察してみよ。そうすれば、こうした効果についての概念は、その対象についての概念と一致する(「探求の方法」)とプラグマティズムの論理を説明しているが、これは、概念の意味はその概念から引き出される実際的な結果によって確定される、ということであり、人間にとって大切なことは、目に見えて、しかも実行可能な行動の習慣を形成することが大事だということだと考えます。とても具体的でわかりやすいものの考え方のように思います。現代でいうなら、たとえばiPS細胞の概念(意味)は、iPS細胞が(あるいはその応用が)心筋細胞を作り出し、心筋梗塞患者の心機能を改善することが出来るという結果(あるいは、その予測される医学的効果)を考察(あるいは実証)することで、より明確にとらえることが出来る・・というところだと思います。パースは科学的方法(事実と一致する経験的普遍性に基づく方法で)を大事にしており、さまざまな分野で科学的思考が土台になってきている現代において、プラグマティズムは有効で有益な論理だと私は思います。
>>[18]

だが、あえて乱暴な事を言うと、
老人が長生きをして、若者がそれを支えるという社会を医療技術は生み出した。
それは有用で有益でしょうか?

終末医療の問題と、iPS細胞の問題とは、少し、違うような気もします…。


>>[15] イリア・エレオスさん

楽しかった場所も、楽しくなくなったりすることがありますね。
そして、同級生などとの再会や、いろんな人たちと知りあえることも楽しいんでしょうけど
どこのSNSでも、いろんなトラブルがあったりするとかも、耳に入ったりします。

人どうしの誤解やトラブルは、どこにいってもあるんでしょうけれど
イリア・エレオスさんがおっしゃるように、通信技術が進み過ぎて、人がついていけないという点はあると考えます。
人の機能は、技術革新のスピードに比べて、昔から、それほど大きく変わってはいないでしょうから。

また、初めに書かれている
「人というのは、寂しかったのか」は、
きっと、寂しかったんだと思います。
リアルの世界で、自己達成感がないとか、そんなこともあるかもしれません。
ネット弁慶という言葉もあるみたいですね。

でも、人間は、みんな寂しい心を持っていますね。

そして、あまり、バーチャルな世界にのめり込まないようにしないといけないんでしょうね。

あと、ひとりの人が交流して無理なく心地良く感じる人数は、ある程度限られてくると社会学かなんかで言ってたような気がします。
すみません。曖昧で。

また、一般的に、女性は、会っておしゃべりしたり、電話の方を好む傾向にあるんではないでしょうか。
ストレス解消にもなりますし♪

>>あ、MIXIのこのコミュとかは別ですよ。

ありがとうございます(*^^*)
なんか、気をつかって頂いたみたいで、すみません。
o(^-^)o

>>MIXIは人口が少なくなってから、議論用に使っていて、これは実に楽しい。


mixi、楽しいです♪
もっと、人口が多い時代があったんでしょうね。
>>[20]

mixiは、一時はSNSの代名詞でしたよ。
今ではフェイスブックにとって代わられましたが、あれは「自分の生活は充実している」アピールの場になってしまうので、少し辟易してます。
昔の知り合いのページを見つけてしまうと、ちょっと複雑ですな。
思い出は思い出としてとっておきたいと言う心境もありますし。

アラブ諸国では、権威体制を崩壊させるツールになったようですが…
>>[19]
パースが提示したのは、何かの概念が実際にどのようなものであるかを明瞭に考える方法として、その概念によって目に見えるどのような実行可能な具体的な効果を形成するかを考えてみるとよいという論理の方法であって、その概念を実行した結果が、人間や社会にとってどのように幸福な有益性をもたらすかを問うているわけではないと思います。人間にとっての幸福論は、別の論議になると思います。
現代の科学的思考において、プラグマティズムのような論理実証主義は有効で有益な論理方法だと私は思うのです。


>>[22]

科学的思考においては、そうですね。
問題は、プラグマティズム自身が実証することだが、プラグマティズム的な考えで幸福が得られないなら、プラグマティズムは真理ではなかった、ということになってしまうこと。
その実利性こそ論拠だし…
>>[0]イリア・エレオスさん

>プラグマティズムによれば、真理はどこかに置かれているものではなくて、 観念が行為や経験を通じて確証されるとき、真理が成り立つ。/真であるが故に有用ではなく、有用であるが故に真である。一言で言えば、「それを信ずるほうが、われわれにとってよりよいであろうもの」です。 /で、この経験というのは、創造的知性の発揮、すなわち、未来への創造行為を指します。 未来的可能性を予見することです。

成る程、勉強になります。ところで後半の通り、プラグマティズムにおいて真理が確証されるための経験とは「未来的可能性を予見」とあり、且つ、未来を先取りして経験すること自体は不可能であることから、プラグマティズムとは経験に基づいて推論される最適な選択を是とする考え方、という理解でいいわけですか?

>>[5]

>実際の所、これ以上の科学技術を必要としてますかね。是が非でも核融合炉、対消滅機関をエネルギー源にしたいわけでもなさそうですし、遺伝子治療やクローン、iPS細胞関係も、いざ自分のクローン内臓の移植などが実用化されることを望むでしょうか?

核融合炉等も研究が進み、実用化できるとなれば、そちらへのシフトを多くは望むのではないでしょうか。又、病気治療に役立てば、クローン内臓によって、健康を回復できるわけですから、やはり多くはその実現を望むのではないでしょうか。

>すでに物流は整備されていて、金を出せば、欲しいものは何でも揃う。人類が、これ以上欲するものなんてあるのでしょうか?それとも、肉体の限界まで長生きすることが人類にとっての残されたフロンティアなのでしょうか?

「欲しいもの」の多くは効果だったりしますから、技術開発による低価格化のニーズはある気がします。又、長寿願望を持つ人は多いと思いますから、「肉体の限界まで長生きすること」は勿論「フロンティア」に成り得ると思います。
>>[24]

〉最適な選択

プラグマティストのデューイによれば、
経験は、人間と環境との相互作用です。
経験の特質は、実験的特質であり、与えられたものを変化しようとする努力であって、
未来との結合にあります。

最適かどうかは分からないが、探求し反省と推理を内蔵した観念なわけです。

しかし、今、「我々」は、自分たちが作り出した環境に振り回されて、
与えられたものを変化させるのではなく、
逆に与えられたものに従属しているのではないか、というのが主題です。

卑近な例で言えば、会社に持たされた携帯電話に、休日に出勤命令の電話がかかってきたり、
フェイスブックで友人の数を競うなんて状況を、人は望んでそうしたのか、
技術があったから、そうなったのか?

引っ切り無しに携帯電話が振動してくる度に、
沈黙と静寂は贅沢品だったのか、
元々人はそんなに人に用があったのかと疑問に思います。

これは、医療やエネルギー技術にも言えるのでは、と思います。
肉体的限界の百二十歳まで、あらゆる手立てを使っても生き延びることが、
そして、それが延命治療で身体中をチューブでつなぎ、身動きできない状態で、
若者の負担になりながら生き延びることが、進歩であったのか、と思うわけですよ。
>>[17]

>身内ではなくて、普遍的な人類全体を指しているようですが、

普遍的な人類全体を指しているのなら・・真理に近いと思います・・
ただ、人は行動を起こしたり、考えたりするときに・・いちいち人類全体の事は考えないかと手(パー)
たとえ「自分の日常生活に対して有用、効果的」であったとしても・・人類全体に対して有用であるかは考慮に入れ難い・・

個人的には、このように人と大きな議論を交わす時は、「人類全体(に対して)」を意識する事を心掛けてはいますが
他の人々が、それを意識しながら物事の善悪を考えてるかは謎です目

>物凄い乱暴な言い方をすれば、人類という種の人口を調整してきたのは戦争で、
第一次大戦にしろ、第二次大戦にしろ、世代の交代と新陳代謝を促してきた。

まぁ・・それらの戦争が世界の人々にとって「有用」であったのかは謎ですが
結果的に人口を調整した というのは事実でしょうねぇ・・ただ他の手段を模索すべきかとたらーっ(汗)

やはり食糧というものは有限でありますから、人口の増加の調整は重要かと思われます・・

>科学技術の発達で、アメリカあたりが総力戦をしたら、地球が何回も滅亡してしまう。

結局・・「そこまでしないと人間は気付かなかったのか?」 という寂しさもなくはないですが・・がく〜(落胆した顔)
さんざん素手で殴り合いをしても解決しなかったのに・・拳銃をチラつかせたら収まった みたいな?w

>真理は昔に全て発見されているのだったら、人は何故考えるのか? というヤツですよ。

う〜ん・・昔から「大切だとして生き続けてる言葉や思考、思想」等は、真理ではないのかと考えています・・
ただ、現在に至るまで・・「人々が、ほんとにそれらは正しいのか?」という疑いも抱いてるからではないかと目
厳密には、信じてる人もいれば、信じていない、否定している人々がいるからだと・・

>有用であるなら真理である、というなら、真理でないものは有害(無用)である。

長い目で見たら真理でありそうなものは存在するけど・・即効性があるかは謎ですからねぇ・・
人間は、目の前にある問題に対して対応策を早めに導き出そうとする・・
有用性を優先するが為に、それらが真理であるか・・長い目でみたら悪行であるかを考え難い・・

>人間にとって、現代の科学技術や思想というのは、もう手に負えない怪物みたいなもので、
ただ指を加えてみているか、振り回されているだけなんじゃないですかね?

個人的には・・「進化のスピードが速すぎる」のではないかとも観ています・・
特に先進国や、最先端の研究等は、成長スピードが速すぎるのではないかと・・
それらが「資本主義」「競争主義」の影響かは知りませんが・・速さを追求し過ぎたが故の障害?

「ついていける人間にしかついていけない世界」というのが誕生してるのかもですねぇ・・冷や汗
「多くの人々が善悪を判断する」余地も無いまま一部だけが伸び続けてるのかもです・・
それはそれで危険かもです・・無理して合わせて生きなければいけない人々は苦しむでしょう・・

>メールが一日に三十本も四十本も来る場合、果たして、本当にこれだけのことを話したくても今までできなかったのか、

個人的には・・人と多くを話す事を好まない人間なので理解しがたい部分はあります・・
やはり、人の寂しさがそうさせてるのかと手(パー)
「人との繋がりを常に感じていないと不安である」というのはあるかもです・・
俺は、「1人で思考する時間も好き」なので、人に対応するのばかりは望みません・・人影

>>[25]イリア・エレオスさん

>プラグマティストのデューイによれば、経験は、人間と環境との相互作用です。経験の特質は、実験的特質であり、与えられたものを変化しようとする努力であって、未来との結合にあります。最適かどうかは分からないが、探求し反省と推理を内蔵した観念なわけです。

成る程、とすれば、「最適かどうかは分からない」にしても、「探求し反省と推理を内蔵した観念」によって算出される最も良さそうな選択を採用していくのが、プラグマティストということでいいですか。

>しかし、今、「我々」は、自分たちが作り出した環境に振り回されて、与えられたものを変化させるのではなく、逆に与えられたものに従属しているのではないか、というのが主題です。

因みに確認しますが、「デューイによれば、経験は、人間と環境との相互作用」とありますから、最初から、環境から人への作用というのも想定されるわけですよね。とすれば「逆に与えられたものに従属」させられる事柄も、環境から人への作用として、デューイが提示していることである、ということになりませんか。
>>[27]

その理解で正しいです。
で、人から、人の作り出した環境へ作用の余地があれば、プラグマティズムの生きる余地がある。
早い話、「もう原発辞めたい」と言って、止められるならば、
あるいは、延命治療を決断した後、止めることが出来るのならば。
携帯電話無しで、ビジネスマンが仕事をしたいと思って可能なら。

ガラパゴス化した日本の携帯電話が、
スマートフォンが流行するまで、日本市場を支配していたように、
我々は与えられたものを受け入れるだけになっているのではないでしょうか?
やはり、人間は「何が真理か?に気付いていない」状態なのではないかと・・

それによって有用性は変わってくる・・

個人的には「世界は平和になるべき」だと考え、真理ではないのかと考えてはいますが
「別に世界が平和になる必要はない」「自分の周囲だけが平和であれば良い」
と考えてる人達もいるわけで・・

そうなると、その人達の有用な(最適な)行為等は、「世界が平和になる」ことに対する行為等ではなくなってしまう・・

本来は・・「何が本当に真理であるのか」に気付かないと、何が真に有用であるのかも分からないのではないかと・・

人々の目標が定まらない状態で、何が有用、最良かは定まらない・・
>>[31]

「エネルギーの獲得」は重要でしょうねぇ・・
太陽光の有効利用が進むのか・・核融合炉等の開発が進むのか・・
なんにしろ今以上にエネルギーの獲得が容易になる事を目指すでしょうね・・

個人的には、人間は「自分のエネルギーの消費」をそれほど望んでいないかと・・
「過酷な肉体労働等」は、多くのエネルギーを要しますが、人間にとっては苦痛でしょう・・
機械の発達により、それらは人間から機械へと移行しつつあります・・

労働というのは、「人間が望んでいない、人間自身のエネルギーの消費」なのかもです・・
娯楽や趣味等に、「人が自分のエネルギーを喜んで使用する」のとは違いますし・・

人間は、他者に「他者自身のエネルギーの消費を促しあいをして」争いが生じてるとも見れるかもですね?
嫌な仕事、過酷な仕事になればなるほど、押し付け合いのような気がしますし・・

今後は、より多くの人々が幸福に平和に生きていけるように「エネルギーを有効、平等利用する」のが、人間の共通の目標となるべきかも・・

パースは言葉の意味というものが、人間の行為とその結果から成るものだというプラグマティックな格率を打ち立てた。ジェイムズはこれを受けて、真理とは或る観念にもとづいて行為したなら、望まれた結果をわれわれにもたらすような観念のことだとした。
これは真理とは観念と実在の一致だという伝統的な真理概念(ジェイムズはこれを認めながらも曖昧だと言う)と一味違う。
≪それを信じたい人には信じるに足る材料を与えてくれるけれど、疑う人にまで信じるに足る証拠はない。超常現象の解明というのは本質的にそういう限界を持っている≫(ウィリアム・ジェームズ)

ウィリアム・ジェームズはアメリカの哲学者でパースとともにプラグマティズムを創始した人である。彼の弟はアメリカ文学を代表する小説家ヘンリー・ジェームズで、いわゆる天才の家系と言ってもよいかもしれない。

冒頭の言葉は「ウィリアム・ジェームズの法則」と呼ばれている。一見超常現象を否定しているかのようにも受け取れるかもしれないが、そうではなくて彼のプラグマティストとしての真理観を表現している。

我々は『信じようとする意志』(Will to believe)によって支えられているのである。振り返ってみれば、我々が「真理」だと思っている事柄の多くは確実な根拠を持っていないのである。

≪例として、向こうの壁にかかっている対象(もの)をとってみよう。諸君も私もそれが「時計」であると思っている。しかしそれでいて我々の誰一人それを時計たらしめている隠れた仕掛けを見たわけではないのである。しかもわれわれは験証しようと試みもしないでわれわれの考えを真であるとして通用させるのである。もし真理が本質的に真理化の過程を意味するのならば、それならこのような検証されていない真理は未熟なものと言われねばならないのではないか?
決してそうではない。なぜならば、真理の圧倒的多数はそのような験証されていない真理なのであって、われわれはそれを頼りに生きているのだからである。≪  (「プラグマティズム」W.ジェームズ著、桝田啓三郎訳 岩波文庫 P.206)

たとえ十分な証拠をもっていなくとも、場合によってはそれを信じる権利がわれわれには有る、と彼は言っているのである。よく「真実は一つ」と言われるが、真理は多元的なものであると彼は説く。
ウィリアム・ジェームズの、radical empiricismには、ある意味、実証主義と形而上学との橋渡し的な面あるという考え方を支持しています。
ウィリアム・ジェームズの、根本的経験論 [radical empiricism]における世界観は、実在と現象という二元的な世界にとらわれず、一元的な世界観です。
ですから、多様で 多元的な世界を認識することが可能なのではないでしょうか。
ウィリアム・ジェームズのプラグマティズムとバースとのとの相違点は ありますね。
何故かプラグマティズムには安っぽい「実用主義」みたいな理解が行き渡っているようなきがします。是非、多くの人に岩波文庫の「プラグマティズム」(W,ジェイムズ)を読んでいただきたいと思います。そこには深い哲理があることに気づかされるはずです。もっともかなり難しいので、私も3分の一くらいしか理解できていませんが‥‥。

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