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フリオ・イグレシアスコミュのフリオの公式ブログより

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本日: 2010年10月16日3:17 Fernando Toribio Carreraさん作成
フリオ・イグレシアス公式ブログに
下記のスペイン語の記事が載りました。
公式ブログとは、
スペイン人のアレハンドロさんが担当している、
公式サイトとは、また別に
フリオが公認している、国際ブログです。
今流行中のツィッターなどとも連携しています。
この公式ブログは、ちょっとおかしな翻訳ではありますが、
日本語にも対応しています。
私の古い友人”amigo"の Fernando Toribio Carreraさんが
担当しています。
WWW.JULIOIGLESIASLIVE.COM

サイトへのアクセス方法が分からない などの
お問い合わせは、→私 el amor まで ご相談ください。

Julio Iglesias hace propósito de enmienda en las Pirámides de Guiza

El Cairo, 15 oct (EFE).- A sus 67 años, Julio Iglesias confiesa ser "un viejo zorro" que cantó mal y aprendió tarde, pero que regresa a las Pirámides de Guiza treinta años después de actuar por primera vez, en una gira internacional que tiene propósito de enmienda.

"Desgraciadamente aprendí tarde, pero aprendí. Si no hubiera aprendido, no habría vuelto (a los escenarios internacionales que visitó hace décadas)", afirma Iglesias en una entrevista con Efe, horas antes de ofrecer un concierto con el trasfondo del majestuoso conjunto de las Pirámides y la Esfinge de Guiza.

El espectáculo, que fue aplazado el pasado mes de mayo por razones técnicas, forma parte de su gira mundial "Starry Night", iniciada en enero pasado en Uruguay y que toma su nombre de un disco homónimo editado en 1990.

El cantante español más internacional, que ya actuó en el mismo lugar en 1981 invitado por el entonces presidente egipcio, Anuar el Sadat, asegura que "volver a cualquier lugar es siempre una especie de premio", que sólo se da "cuando los pueblos siguen, en el fondo de sus vidas, queriéndote".

Iglesias recuerda enseguida que fue, tras Frank Sinatra, el segundo artista occidental que cantó al pie de la última de las siete maravillas del mundo antiguo; hasta ellos, "solo invitaban a artistas que se llevaran bien con la Esfinge y tuvieran una música no muy fuerte", agrega.

"Las pirámides tienen una energía natural increíble", explica el intérprete de canciones como "Bamboleo", que no conserva apenas imágenes de aquella primera vez y que, para enmendar el error -"antes era medio boludón"-, ahora grabará el concierto en alta definición.

La vida de las Pirámides de Guiza sigue igual, con "el desierto y la arena alrededor y la misma sensación de que la cara se te ilumina cuando se habla de ellas", pero Iglesias admite llegar con "las piernas mucho más flojas".

"Todo lo que es físico en mi vida está en un período de vuelta. No subo las escaleras como las subía a los 30 años y no recorro el escenario con aquella fuerza física, pero sí con más emoción", precisa.

La clave, dice, está en que "lo que se pierde físicamente se va acumulando y capitalizando en el corazón y el cerebro" y él, a su edad, trata de mantener "una disciplina cerebral fuerte".

"Dos horas de escenario a los 67 años es como cinco partidos de fútbol a los 30", indica quien ha vendido 300 millones de discos y ha ofrecido más de 5.000 conciertos en 600 ciudades del mundo.

Con la sinceridad de quien no tiene nada que perder, Julio Iglesias está convencido de que su éxito internacional en la década de los 80 llegó "cuando no estaba preparado artísticamente".

Y ahora, ha vuelto a recomponer su "matrimonio" con la compañía Sony para preparar un disco que, bajo el título de "Número 1", reunirá más de 50 temas que estuvieron en lo más alto de las listas de ventas de todo el mundo.

El objetivo, señala, "es volver a cantar lo que canté mal, porque siempre fui un artista mediocre, pero cuando empecé a cantar con Sinatra, Stevie Wonder o Sting, aprendí".

La nueva aventura le está permitiendo redescubrir y "rehacer" algunas de sus composiciones más conocidas como "Quijote", "33 años", "Momentos", "De niña a mujer", "Canto a Galicia", "Me olvidé de vivir" o "La vida sigue igual".

"Forman parte de una historia pequeñita, pero las tonterías sencillas que decían aquellas canciones me parecen fundamentales en mi manera de ser", asegura quien ha cantado en Finlandia o China con "coplas pequeñas que tocan el alma de las gentes sin ninguna identidad política".

A esta segunda oportunidad lleva entregado desde que se casara en agosto pasado con Miranda Rijnsburger, después de veinte años de vida en común y cinco hijos.

"La luna de miel la pasé en el estudio", bromea Iglesias mientras saluda a una turista estadounidense. Cuando la admiradora se aleja, Iglesias confiesa: "Seducir después de 40 años es casi un milagro".

"La boda con mi mujer ha significado tanto para mis hijos que si los dos hubiéramos sabido eso, nos habríamos casado mucho antes", añade un artista que habla sereno de música, política o del vino que elabora junto a unos amigos y que ha sido distinguido recientemente por el diario "New York Times" como el mejor vino español del año.

Antes que "señor o truhán", Iglesias dice que ha sido siempre "un golfo", amante de "lo bonito de la vida pero sin dar jamás la espalda a lo feo, lo marginal o los marginados".

Y dice contar con energía para rato: "Voy a cantar hasta que muera porque, aparte de que no sé hacer otra cosa, mis piernas se llenan de agua y se hacen pesadas si no canto".
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Auroraei Bellaさん、Maria D'angeloさん、Connie Koopさんが「いいね!」と言っています。

my facebook より転送

文責:el amor
*

コメント(10)

ざっと和訳してみました。
間違っていたらごめんなさい。 作文してるところも多々
あります。
コンサートは無事に終わったようですね。

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フリオ・イグレシアスはギザの大ピラミッドで改心のコンサート
2010 10. 15. カイロ

67歳になるフリオは「年老いたゾロ」になることを告白した。
彼はこのギザの大ピラミッド前で初めて公演してから30年ぶりに再び
この場所で歌う。 改心(悔い改める)の思いをこめたワールドツアーの
一環としての公演である。

「恥ずかしながら私は何度も失敗し、そのたびに着実に学んでいった。 
学んでいなければ今まで国際舞台で何十年もやって来れなかっただろう。」と
EFE通信とのインタビューで彼は語る。
雄大なギザのスフィンクス・大ピラミッド前でコンサートを行う数時間前に
行われたインタビューである。

今年5月には技術的な問題から、コンサートが延期されたいきさつがある。
今年1月にウルグアイから始まった、フリオの「スターリーナイト・ワールドツアー」は
1990年発売の同名のアルバムにちなんでつけられた。

フリオは1981年に当時のサハドエジプト大統領に招待されて、この同じ
場所で公演を行った。 
「同じ場所で今回公演ができるのは、ファンの皆様が愛してくださり応援
してくださったおかげです。とても光栄なことです。」

フリオは思い出を語る。
「世界七不思議の中で唯一現存する、ギザの大ピラミッド前にて
公演を行った2番目のアーティストは、フランク・シナトラで、その次が私だった。」

「ピラミッドはとてつもない自然のエネルギーを持っている。」とフリオは
説明する。 
彼は初めてここで歌った頃と比べて、今やもう別人だ。 過ちから学んできたから。
以前はどこにでもいる歌手だったフリオも、今や最高のコンサートが
できる実力派歌手である。

「私は体力的には衰える時期にきている。 今まで30年間階段をかけ上がって
きたのと同じように階段を昇ることはもう無理だし、ステージ上でも以前のように
動けないけれど、感情は以前にも増して伝えることができるよ。」

体力的に失われるものが心と脳に蓄えられて形になってくるというのが
キーポイントだ。 67歳になった彼は「脳の力強い規律」を保つために常に努力
しているという。

「67歳で2時間のステージをこなすのは、30歳でサッカーを5試合連続で
こなすようなものだ。」 3億枚のアルバムを売り、世界600都市で
5000回のコンサートを行ってきたフリオは言う。

正直いってもう自分は何も失うものはないとフリオは確信している。
「80年代に私が世界で成功をおさめた当時、まだ自分的には
アーティストとして準備ができていなかった。」

「Numero 1」というタイトルで出す予定のニューアルバムを準備中の
フリオは、SONYとの契約を再びリセットしようとしている。
次のアルバムは、世界中で最も売れた彼の歌50曲あまりをもう一度
レコーディングする企画である。

「このアルバムを作る目的は、昔うまく歌えなかった曲をもう一度
歌うことだ。 なぜなら私はずっとさえないアーティストだったが、シナトラ、
スティービー・ワンダーやスティングと歌うことで学んでいったからだ。」

今回の再録音により、最も知られている「さすらい、33歳、愛の瞬間、
少女から大人へ、ガリシアの歌、人生を忘れて、人生は同じように続く」
などのフリオのヒット曲は生まれ変わり、再発見されることになろう。

  (一部省略)

続きです。

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ミランダ・リジンスバーガーとは20年間連れ添い、5人の子どもをもうけて
きたが、今年8月にフリオはミランダと結婚した。

「ハネムーンはスタジオで過ごしたよ。」と、米国人旅行客女性にジョークを
言うフリオ。 そのファンが去った後、彼はそっとつぶやいた。
「40年たっても女性を誘惑できるとは、ほんと奇跡だね。」

「ミランダとの結婚は私の子どもたちにとって大きな意味があった。
私たちがそのことに気がついていれば、もっと早く結婚していただろう。」と
フリオは話す。
そして音楽、政治について、また友人たちと一緒に醸造・開発している
ワインについてフリオは真摯に語る。 そのワインは最近New York Timesで
今年の最高スパニッシュワインに選ばれた。

「"紳士かドンファンか"という以前に、自分はずっとgolfo(いたずらっ子?)
だった。」というフリオ。
「私は人生の素晴らしいところが大好きだった。 でも決して
醜いこと、貧しい人、疎外された人を見放したりはしないよ。」

「今はまだ気力があるから大丈夫。 死ぬまで歌うつもりだよ。
なぜなら他にすることを知らないから。 それに、ステージで歌わなければ
私の脚に水が溜まって重くなってしまうよ。」

めぐさん

実に素晴らしい日本語訳です。

あのフリオが、
一介の普通の男として、
明らさまに発言しているところに
好感をもちました。

私からすれば、
マヌエラやアブラサメがヒットした時点で、
すごいシンガーだと思ってしまいましたが、
やはりフリオの最終目標は
フランク・シナトラなどと、
同等のポジションなのでしょうかね。

フリオが醸し出す おとなのおとこのステイタスは
これからも、私を魅了するはずです。

めぐさんの翻訳に
心から謝意を捧げます。
大統領の名前はサハドではなく、サダトでした。
お詫びして訂正します。
彼は1981年に暗殺されてしまいましたね。
ご無沙汰しております。
めぐさんの訳は、本当に素晴らしいですがね。

先週届いた『HOLA!』にコンサートの写真が載ってました。
以前は、エジプトに行った時に、ここでは、フリオがコンサートをしたのかと感慨深く見学したものです。
まさか、フリオが今年コンサートを再度するとは
行ってみたかったですね、このコンサートに!

エジプトの観光シーズンは、日本では10月から3月位だそうです。
あまりにも、暑すぎるからだそうです。
私達のように8月に旅する人達は変わり者らしいです。
ですので、日本人のツアーとは全然会いませんでした。

帰国してからエジプトに8月に旅行することは無謀だったことを知りました。
まして、イラクに近く戦争まっただなかでしたし・・
罪のない一般人が被害にあって、たくさんの貴重な遺産を破壊されて、とても悲しかったです。
帰国する前日は金曜日で、サドル師がアメリカ軍に襲われたので暴走が起きるかもと言われて、機動隊がたくさんいましたが、市内見学で市場の方にも行くことが出来ました。
千葉県人の私は、成田空港が出来る際に、反対派の人や学生が年中、機動隊ともめていたことを思い出しました。
たった6人の参加でツアコン、ガイド、スルーガイド、運転手の10名でした。


ホテルも、100年前のものに宿泊して、まさにフリオがコンサートをした場所に近いオベロイは、たくさんの木々、花、プールがあり、3つのピラミッドが見える夜景は、実に素晴らしかったです。砂漠の中の楽園ですね。
ツタンカーメンはやクレオパトラが生きていた頃と時空を超えて会えたような気持ちなりました。
ディナーの時に、生バンドが、なんとなんと『アブラサメ』を演奏してくれました。
ツアーの6人の内訳は、弁護士ご夫婦、二人連れの女性教師、我ら夫婦で、20代の女性のツアコン、エジプト在住の日本人の男性ガイドで、3人男性、女性5人でした。
昼間はともかく、夜はそれなりの服装をするので『セレブですか?』って聞かれてしまったとツアコンが言ってました。
まあ、セレブが泊まるホテルに似合うのは、弁護士事務所を持つご夫婦くらいで私達は超庶民でしたが・・・
それ以外のホテルも、アガサクリスティやチャーチルの泊まっていたホテルで自分で操作するエレベーターもよかったですね。
鍵がなかなか開かないとか、色々不便なことはありましたが・・


当時、薄暗く太陽があまり照らないイギリスに比べて太陽の日差しが強いエジプトは憧れの地だったようです。
ですので、私達は午前中に見学して、午後はひたすらホテルのプールで泳いだり
していました。
一番理解できないのは、プールのそばで、デッキチェアに座って本を読んでいる人たちです。『とにかく暑いのなんのって、この人たちの体はどうなっているのか?』って思いました。
以前も、夏のスペインのマラガの海で泳いでいる人たちにも驚いた事があります。なにしろ冷たいのです、水が!
一緒に行った若い子たちはブルブル震えてあがってきました。
『もう、入っていられない。』と。

たしかに、冷房のきいたバスからおりて、ピラミッドや墓地跡(あまり有名でないピラミッドや王家の谷の墓地ではない場所もです。)では50℃は軽く超えていたでしょう。

そんな、8月にに旅する日本人はいないと言われてもい、また行きたいです。
見学する時は、待つ事もなく、実にゆっくりと見学できましたし。
私の目的のアブシンベル神殿のところにある唯一のホテルには、たったの15名しか宿泊してませんでした。プールとナセル湖が同じような位置になっていて、人工の湖ながら綺麗でした(当時の大統領だったナセル氏の名前をとって)。
とにかく、夕方も、朝も人があまりいません。私達だけでした。

そのかわりに、夜のショーの時は、船できている人達が多かったです。
夜のショーは、たくさんいる人は々の言語で流れることになっていました。
スペイン語でした。ラムセス2世の物語のです。
日本語が流れるイヤホンの訳はあまりよくなかったのですが、スペイン語は
このショーに、とてもよくあっていました。
めぐさんのように、スペイン語できたら最高ですがね。

クレオパトラの住んでいたアレキサンドリアで昼食ををとりました。
日本で言えばは、ちょっとはよい海の家ってかんじのお店でした。
入り口に、有名な人達の写真が貼られてありました。
スペインのソフィア王妃とかも。
実は、高級なレストランで、私達が頂いた昼食は、ここの人達の1ヶ月分の給料と同じ額だと聞いて驚きました!

最後はまたカイロに戻って『フォーシンズホテル』に2泊しました。
12泊のうち、最悪だったのです。
アメリカのホテルってムードないですし、ダイニングはないし
フリオは、このホテルがお気にいりだそうで、以前の来日の時もホテルに宿泊していたので、友人と一緒に2泊しました。
本当に、部屋の内装があまりに同じすぎでびっくりしました。
今回も泊まったのでしょうか?

でも、マルベーヤに近いので、愛するミランダや5人の子ども達のところに自家用ジェットで帰られたのでしょうか?
それにしても、エジプトでのコンサート、行きたかったですね
みなさまはじめまして

何気なくフリオの名前で検索していたらば
このサイトにつながりました

もしかしたらばサイト主のel amorさんは
あの有名な東北地方にお住まいの方ではございませんか?

あのころよく永田文夫さんと交流があったのでは?
私は高輪プリンスで
あなたさま?とお会いしています

いずれにしましても
久しぶりにフリオのこと
たくさん読ませていただきました
普段のストレスが発散したようです

最近はまわりの友人達も
リッキーさまやルイス・ミゲルくんのほうに行っちゃって
フリオのことは.....
みたいな感じでした

めぐさんは翻訳家ですか
すごい英語力です

ろみさんはエジプトまで行っているのですね
私がエジプトに行った時には
サダトさんとフリオが会談していました
日本でいうNHKみたいな国営テレビで放送していたんです

父がタンゴの舞踏家だったんです
だからいつもラテン音楽がわが家ではかかっていたんです

フリオを見たのは
1979年のニューヨークでした
とても寒かったです
普段はボクシングをやるところでコンサートでした

またお邪魔しますので
たくさんフリオの話をしましょう
ろみさん

エジプトの旅行記、とても興味深く読ませていただきました。
真夏のエジプト旅行はきついと聞いていますが、8月に行って
来られたとはすごいです。 ほんと体力がありますね。
気温が50度だなんて、想像すらできないです。 でもエジプトの
人たちの多くはクーラーのない家に住んでいるわけですし、
人間の適応力って素晴らしいなと思います。
(マイナス何十度という環境に暮らしている人たちもいるしね。)

暑いのも寒いのも苦手な私は、日本に生まれて幸せ?!


>キャンドル・ローズさん

はじめまして。 素敵なハンドルネームですね。
どうぞよろしくお願いします。

お父様がタンゴの舞踏家だなんて、なんとうらやましい家庭
環境なんでしょう! ラテン音楽一家でいらっしゃいますね。

私がフリオの歌と出会ったのは、大学のときにスペイン語
専攻だったからです。 当時日曜日にFMラジオで「世界の音楽」を
聴いていて知りました。

今はただの主婦で、翻訳家でもなんでもないですよ。(笑)
ただ楽しいから訳しているだけです。 
(ルイス・ミゲルファンでもあります。)

私の周りにもラテン音楽ファンはいないので、mixiやネット
掲示板はとても楽しい交流の場です。
またフリオのことをたくさんお話しましょう。





めぐさん
あらためまして、翻訳やコメントに感謝します。

ろみさん
お久しぶりでした。
エジプトでのエピソード、
楽しく拝見いたしました。

キャンドル・ローズさん
思い出しました。
元のHNは"パリの朝市”さんですね。
その節はお世話様でした。

お久しぶりでしたので、
フリオ来日時を振り返ります。


今回4月には、
上記の ろみさんと めぐさん
そして、公式サイトのスタッフである、
海外在中のNさんのおかげで、
"フリオ・イグレシアス・スターリーナイト・ツアー"を拝見することが出来ました。

私の個人的なことではありますが、
フリオさんのことなので、
4月までを振り返ります。

私はよく”貧乏暇なし”とジョークで言いますが、
実際に、今現在も
重責で仕事にあたっています。

三度のメシよりも大好きな→フリオさま
ではありますが、
仕事上のスケジュール、
当時の母親の体調(看病)など諸般の事情、
どれをとっても、フリオの来日には
立ち会えない状況でした。

事実、Nさんからお誘いいただいた時点では
丁重に辞退もしました。

そこに、めぐさん経由で
ろみさんから、ご自身のチケットを無駄にしたくない、とのご連絡が入り、
それならば、と上京を決めた次第でした。

結果、フリオにも ろみさんと共にお会いできたし、
あの日、あの時
仕事を優先して、フリオに逢いにいっていなければ、
今頃は、大きく後悔していたはずです。

そのようなロケーションでしたので、
ろみさんには、とても感謝しているのです。

ろみさんとは、当日が初対面でしたが、
実は、28年も前に
1982年4月の、
銀座山野楽器でのイベントでお会いしていたのです。

これらのことは、まさしくあの頃、
キャンドル・ローズさんと語った、
フリオ・マジックであり、
フリオ・パワーの賜物ですね。

フリオをメインに
ルイス・ミゲール(ミゲルという表記は間違いです。マーク・アンソニーではなくて、マルク・アントニーが正)やリッキーマルティン、息子のフリオ・ホセ君やエンリケ君などの話題でも、
このフォーラムでは→大歓迎です。

そして、みなさんの”個人的体験談”などでも
どのようなことでも、フリオやラテンに関わることで、このフォーラムで語り合いましょう。

昨日は、業務終了後に
仙台で、有志による”オフ会”を開いてきました。

みなさん、それぞれに
ご家庭を持つ方々ですが、
まるで女子校生のような
熱いノリでした ので、
付け加えさせていただき、
ペンを置かせていただきます。

*今回はあえてイタリア語の動画をフィーチャーしました。

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