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静岡県立静岡高校コミュの単位偽装

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我が母校でも単位偽装とはOBとして情けない。

今の高校は予備校替わりなんですかね。

前校長(現在は県教育長だそうな)が「子供たちのためにやったこと」と言っているようですが、本当に「子供たちのため」になっているのか?
「高きを仰ぐ」とか言っといて、その一方でせこいごまかししてて悲しくなってこないか?
ほっといたって、卒業後2年もすればほとんどの生徒が自分で勉強して大学入っているんだろうから、高校在学中の単位数なんてごまかさずにきちんとやればいいと思うのは私だけ?

皆さんはどう思われますか?

コメント(33)

110期の矢部と申します、デリケートな問題ですのであえて本名で。

今回の件、残念なことではあります。褒められたことではないでしょう。

しかし自分の在学時を振替えってみると、似たようなことはやっていた訳です。当時それを「単位偽装」と思ったこともなかったですし、何の疑いもありませんでした。

不正(とまで言うには気が引けます)がここまで社会問題になっているので、なんらしかの対処は必要かと思いますが、そこまで杓子定規にいかなくてもというのが本音です。

今回のことから学生さんには「ルールはルールなので守ること」と、「ルールはルールとして、うまくやること」を両立する術を学んで欲しいと思います。社会人になって痛切に感じる生きていく知恵ですね。

ま、結局のところ、卒業から10年も経てば、身に付けた受験知識などはキレイに抜け落ちましたけどね。
現在私は世界史の知識が微塵もないことを恥だと思っています。
世界史に限らず、旧来の全教科を勉強する教育課程のほうがよいとおもいます、という話は置いておいて。

世界史が必須などといったことは当時まったく知らず、最近の偽装問題になって初めて知りました。大学の調査書を見ればわかったらしいのですが、そんなことにはまったく気づきませんでした。
現在、偽装をさせられたということに対しては腹を立てています。ずるしないで人生歩んできたと思ったのに。
多少勉強が大変になってもいいから(といってもほとんど大変にならないだろうけど)ちゃんと胸を張れるようなカリキュラムで教育を行ってほしいものです。
在学中は一年次が現代社会、二年次(文系)が世界史、日本史、地理から二科目、三年次が世界史、日本史、地理から一科目のみの履修であったと記憶しています。

今回の単位履修不足問題が報道されてからも、二年次に二科目やっていることから、静岡高校は大丈夫であろうと思っていましたが、やはり三年次の世界史のみ選択では単位不足であったようです。

私は世界史、地理を受験に使ったため、世界史の授業を受けて、地理は二年次の続きからは独学でした。たしかに、「なぜ授業をやってくれないだろう」と不思議であった記憶があります。

昔は社会科も地歴全部をやっていたと聞きます。一体いつごろから単位不足の状況が続いたのか、学校側にはしっかりと事実調査をしてもらって、責任の所在をはっきりしてもらいたいところです。
25年前の(一応)静高生です。
それも成績最悪だったので授業の内容は、ほとんど覚えていませんが……

あの当時は確か、世界史・日本史・倫理社会・政治経済・生物・科学・物理・地学・
数?・数?B・数?・古文・現国……。
文系理系関係なく、なんだかもう、勘弁してくれってくらい全部やった記憶があります。

あの静高なら、きっと頑なに全部やってるんだろうと勝手に予測していたので、
ちょっと残念です。
↑同感です。
私も同じカリキュラムで授業を受けました。
当時の共通一次を、
理系で世界史日本史
文系で物理化学
って珍しくはなかったと記憶してます。

当時の先生方は、大学に入ってからこのカリキュラムのありがたさがわかるとおっしゃってました。

私は、社会人になってやっとわかりました。
111期です。

僕は,世界史専攻していました。が,受験生になって,日本史を取らされていたのをよく覚えています。

今は,綺麗さっぱり,受験知識は抜け落ちました。
日本史も世界史も。

何が起こっているのか,いまいち,把握しきれていませんが,受験に必要ない教科は,切り捨てて,みんな,受験勉強に関係ある教科だけやってる(やってた)って,ことでいいんですよね。。

日本史の授業やってても,全然聞かないで,世界史をやっていたのをよく覚えています。なら,授業をやっても意味が無いのでは。。
ええーっ、静高でもなんですかぁーっ\(◎o◎)/!私たち、

大卒だけど高卒じゃない。

みたいなことになるのかなぁ???単位足りてないと思うと、自分の意識的にはそうかも。
106期?の者です。

実は、最初にゆとり教育云々言いだしたのは、本学OBの遠○文部大臣の時ですよね…二年の時だったか、彼女の後援を市民文化会館に聞きに行かされたのを覚えています。

確かに、「世界史」って大事かも知れないけど、別にそこまで必要でしょうか??当時、文系で日本史&地理選択でしたけど、地理なんてまるっきり聞いて無かったし(何やったか、全く記憶に無いし)、「日本史」オンリーで法学部に行って、困ったことなんて何にも無かったですよ。むしろ、社会科学系の経済や商学、法学部なんかだったら、日本史(近現代)と現代社会の方が全然使えそうな気がするんですけど…
107期 柴山です。

ニュースで世界史の単位がと言う話が出てたとき
高校時代に全く世界史を勉強しなかったので、
もしかして静高も?と思っていたのですが、
現実にそうだとはショックです・・・。

世界史を知らなくて、困ったことはありませんが、
そんなことも知らないのかと恥をかくことは何度かありました。勉強嫌いですが、一般常識として知っておくべきことぐらいはやっておくべきですね。

高校時代に勉強しなくて、なんか損したかんじです。
108期、今となっては高校卒業も遠い昔か…。

で、今回の件、決して褒められたことじゃないけど、
まあ、状況的に見れば、仕方なかったと思う。
卒業した今から振り返れば、単位偽装なんてケシカラン、
仰高の精神はどこに行ったと簡単に非難できるけど、
実際、現場としてはギリギリの判断だったんじゃないかな。
教師だってサラリーマンである以上、進学実績を
上げなきゃ立場がないわけだし、現に清水東や浜北、
沼東に水を空けられつつあるんだから。

生徒だって−それが違法であるとは知らないまでも−
正直なところ、受験に関係ない科目なんかやりたくないと
思ってたと思う。「受験に関係なくても…」なんて考えが
現実の前では空虚な建前論に過ぎないということ位、
いくら高校生でも気付いているだろうし。

実際、自分らだって3年の頃は受験で手一杯だったでしょ?
受験に全く関係ない科目を1度たりとも「ウザい」って
思わなかった人なんかいないんじゃないかな。
多分、仮に自分が今高校3年だったとして、もし、
受験前のこの時期に補修だなんだという話になったら
「ふざけんな!」と思うだろうし、まともに補修なんか
受ける気にはなれないと思う。

現実問題として履修不足が発覚してしまった以上、
何らかの手は打たなければならないのだろうけど、
これに関しては、正論、建前論で頭ごなしに非難する
ことには正直違和感を感じる。

あと、仮に補修だのレポート等の措置をとるにしても、
彼らが受験前で高ストレス状態になってることも考慮して
なるたけ余計な負担をかけない形で行われることを
祈りたい。 生徒には何ら落ち度はないのだし、
今まで各人なりにコツコツと努力をしてきたことは
間違いないのだから。
そうなんですよ、のどもと過ぎれば何とやらで、
3年のときは、センターでつかう地理の時間すら内職で英語を勉強してました。
高校で受けられる教育なんてくだらねえ、と、かなり思っていましたし。高校生なんだから、そんなに悟った姿勢を持てるものじゃないと思います。なにしろ、人生が決まってしまう受験を目の前に、かなりストレスフルでしょうから。

文部大臣が「公平性を欠かないためにも救済措置はない」と言っていましたが、そもそも公平って何なのよ?と思います。
たとえば生徒が非常に態度が悪く、誰も先生の話を聞かないで授業なんてするだけ無駄のような高校(あるかどうかは知りませんが)と、母校のようにそれなりに生徒がちゃんと授業を受ける高校での世界史の授業が同じ1単位ってことがそもそも公平性を疑いたくなります。
確かに1つの学科を学ぶのに時間が必要とはいえ、同じ70コマ×50分という時間だけをもってして単位認定がどうのというのは、勉強の効率が人によって違うことを考えるとそちらのほうが不公平じゃないか?と思います。(関係ないですがこのことは、小中高の教育すべてに言えることだとは思いますが。結局、できる生徒もできない生徒も不幸、みたいな。その点母校は成績がよければ授業中に寝てたりしてもそんなに怒られたりしない点でとても環境がよかったです。)
また、2年生の補習と3年生のこの時期の補習じゃ意味が違うわけで、受験直前になって補習ってのが本当に「公平」なのか?とも思います。文部大臣の「公平」は本当に杓子定規で、時間の価値が違うことなど考えられていませんよね。
世界史未履修のために、受験学科のアドバンテージがあったとしても、今から世界史ってのはそのアドバンテージがなくなるどころか、ディスアドバンテージになると思うのですが。
世界史が法学部において、必要ないという議論は賛成しかねます。たとえば、国際関係や国際政治を学ぶ際には世界史は前提知識として考えられています。法律系の科目ばかりを履修しているとしても、日本の法律の源泉はドイツであったり、フランスであったりします。その時に世界史の知識(知識というよりかはイメージといったほうがいいかもしれません)は当然に必要になります。日本史にしても、政治系の科目を学ぶ人にとって、政策を考える点で前提知識として問われます。地理にしても、細かな知識はともかく、その積み重ねから得られる、意識の根底にあるイメージというものは、世界の出来事を考えるにあたって、無意識的に依存していると思います。

ともあれ、静岡市の進学校出身としても、日本を担っていくインテリゲンツィアとしても、学ぶ必要がないと一蹴してしまうのは情けないと思うのですが・・・。

勉強が大変だから仕方ないと言う人もいますが、昔はみな学んでいたことですし、社会科をしっかり二科目とって受験に望み成功する人もいるわけですから、勉強が大変というのは言い訳に過ぎないと僕は思います。

一番主張したいことは、高校時代に学習しないことによって、将来の選択肢が狭まってしまうことは勿体無いと思います。将来の進路を決めるのは、大抵大学在学中です。その時になって、高校時代に学習せず知識がないからと言って、その分野の選択肢を削ってしまうのは非常に勿体無い。大学受験を目的としてしまって、その先にある将来の選択肢を狭めてしまっている。ああ、もったいないです。
110期です。

あまりのできの悪さがゆえ、教科書丸写し×2でやっと単位をもらって卒業したのに、それでも偽装ですかそうですか。
進学していないんで中退でよかったんですが。

ちなみに東京の私立校出身、私立文系コースの友人は理科は2年以降選択でまったく受けてないみたいです。
長々と失礼。

私は文系の世界史選択で、表向きは日本史の授業で世界史やってましたが、それでもイッパイイッパイでした。
ただでさえ中学校で色々内容減らされて(今時の中学校ではフランス革命もロクにやってないんですよー、アヘン戦争も名前だけなんですよー、ひどいとこだと方程式の利用が一週間で吹っ飛ばされていきますよー、サイアクな場合食塩水問題を解かないまま中三になるんですよー)、生徒の知識がショボくなってゆくなかで、大学受験できるレベルまで叩き込むのは相当な苦労があると思います。
しかも総合とかなんとか増やされて、そりゃ無理ってもんです。先生が可愛そうだ。

「受験のための予備校」とあしざまに言われてますが、では高校がそうなった責任は全て高校のものですか?
学歴社会や学校化社会に責任はないのですか?
そんな社会を作り上げていったのは私達有権者ではないのですか?
学校や教師だけを批判するのはおかしいと思います。
現実問題として、学歴社会があり、大学名でレッテルを貼られ、企業の採用不採用が来まる今の世の中(去年も一体何人が大学名でマスコミ業界から締め出されたんでしょうね!)、なんだかんだで大学受験は人生の一大イベントなわけです。
そこで本人の希望通りにさせてやりたいと思うのが教師の心情じゃないですか?

「受験のための科目以外は勉強しないじゃ学校の意味がない」(ワイドショーの発言より)
大学のレベルも日々上がってるんだからある程度の内容の深さは必要だし、内容の深さが必要だったらある程度範囲(=科目)は切り捨てなきゃいけないのは当然の帰結じゃないですかしら。
一昔前とは違います。広く浅くで全科目やれてた時代とは違うんです。

「受験よりも長い人生を歩むための教養が学べない」
その長い人生が大学受験で決まるんじゃないですか?今の世の中。
そういう社会制度にしているのは誰?高校教諭なの?

学校現場ではなく、学校を取り巻く社会構造そのものの抱える問題だと私は思います。自分が大学で教育学を学び、教職をとり、塾でバイトしているので余計強くそう思ってしまうのかもしれませんが。


つか、本当に必要なら人間勝手に勉強するし。学問との出会いなんて所詮テキトーだし。
鎌倉時代以降の日本史に一切興味がもてなかった私も、歌舞伎にはまったせいで今はすっかり江戸時代オタクですよ。そんなもんでしょう、教養なんて。人生の幅なんて。
112期です。
教育課程が以前のものなので、私たちの世代では、現代社会が必須で、地歴は選択でなかったかな。理系なので日本史も世界史もやってません。
それよりも、理科Iが必修だったはずですが、理科Iと銘打った生物の授業を受けていました。下の代からは化学になっていたでしょうか。これだってばれたら問題になりそうですが。
教育課程がちょこちょこ変わるのも原因の一端ではないでしょうか。

>>17
>「受験のための科目以外は勉強しないじゃ学校の意味がない」(ワイドショーの発言より)
鼻で笑いますね。そういうコメンテーターたちは、なにかを考えて受験したのかと。
受験があるから、ある程度の一般教養が身につくんじゃない。
最近、マスコミがなにかを誘導していそうで怖いです。

私としては、まんべんなくやるよりも、もっと好きな科目だけ特化してやりたかった。
化学部でもないのに勝手に化学室で実験やってましたが。
どうでもいいけど、どうせなら体育偽装してほしかったね。
走らせすぎだから。この学校。
水を差すようで申し訳ないが、
静高が偽装してようと情けないとは思わないです、正直いうとね。
面倒くさいことに巻き込まれた現役生や先生ら当の本人たちには悪いが、
あとはお国がうまく収めるしかない問題で、
外野がガタガタいうほどの話とも思えないなあ。
結局、この一連の騒動は、うまいことやった連中に対して、
バカ正直にうまくやってなかったから損した気分の連中と、
ズルい奴らを見つけてワーワー騒ぎ立てたい功名心ばかりの連中に
流されてる一過性の大衆の空気感ってなだけでしょ。
もし問題の本質を鑑みたとしても、それは、
偽装したからズルくて情けない、とか
しなかったから損した、とかってことじゃないと思うぞ。
…とかなんとか言いながら、
まあ、自分の頃は、こんな感じだったって、
懐かしい思い出話に終始する程度なんだろうけどねw。
ナナ父さん! に一票!!

>どうでもいいけど、どうせなら体育偽装してほしかったね。
>走らせすぎだから。この学校。
これすら受験は体力とかいってそう(笑)


まだ高校生に人生の選択を迫るのは酷ですが、その選択をするためにもいろんなことを学ぶ必要があります。その意味では何でも勉強しとけばいいのですが、当時の自分にそんな余裕はなかったでしょう。私たちの時代、日本史の授業で世界史の補習をしていたことを、断罪するか許容するか。私にはケシカランとは言い切れません。ちなみに私たちのクラスは一部生徒の希望でちゃんと授業をしました、迷惑な気持ちもありましたが楽しくやってました。

余談ですが、私たちの在学中から週休2日が導入され始めました。完全週休2日ではなかったと思います。授業は75分が4コマだった。4年経って教育実習でお世話になった時、65分(?)の5コマになっていたと思います。先輩方の時にはもっと1コマが長かったと聞いたことがあります。今はどうなんでしょうか。
カリキュラムに則してコマ割りすることが難しくなったり、長い尺の授業に耐えられなかったり。理由は様々ありましょうが、静高らしさって何だろうと考えたりします。私には未だに重たい看板です。
地歴ばかり話題になっているようですが情報の偽装問題もあるようです。

http://oku.edu.mie-u.ac.jp/~okumura/blog/node/1087
http://ttmtko.air-nifty.com/a/2006/10/post_730b.html

静高はどうなんでしょう?
ちょっと探してみたんですがわかりませんでした。

やはり週休2日制が大きいようですね。
ちなみに私は118期(在学期間99年度〜01年度)ですが、理系は世界史をやらなくてもいいカリキュラムになっていました。
私は履修していませんし。
なので、05年度より前から履修不足があったはずです。
失礼します。私は在学中の3年です。OB・OGの方には詳しく知る権利があると思うので書き込ませてもらいます。
現在履修不足は4つあります。
1,情報
2,保健
3,理科基礎
4,理系の世界史

です。まだ文科省及び県の教育委員会からの指示はきていませんが、明日から朝読書の時間などを利用して毎朝15分間の時間をもうけて対応していく方針です。1〜4とも完全に未履修というわけではなく、不足があるということです。
あ〜保健の授業は1年の時しかなかったなあ

それでその先生が
「1年の保健の成績がそのまま2,3年の保健の成績になるから
 よくテスト勉強しとけよ」
と言っていた記憶がある。

今思うとそうゆうことだったんかなぁ
僕は全然恥ずかしいことだとは思いません
理系で世界史やりませんでしたが
勉強なんてその気になればできるものだし
大学に入れる実力をつけようとしていたんだから
実際生徒のためになっていたと思います

あと学校が予備校代わりというのは
学校が予備校の役割も担わなければいけない
そんな世の中なんだと思います
高校行ってた時、やっぱ、大学に行けば一人暮らしして、女子大生と合コン(古いね)して、徹夜でゲームしたり、酒飲んだり、買物行ったり…いろんな楽しいことが待ってるっていうモチベーションで頑張ったおもいでがある(ごめんねレベル低くて…)。

在校生の皆さん。振り回されて大変だけど、頑張れ!!!!乗り越えれば、大学で(特に一人暮らしする奴らは)好きなことが死ぬほどできるから!!!!
たまたま今騒がれてるってだけで、ほんとは知ってたと思うよ、国も。
誰も気づかないなんてことある訳ないと思うけど。

かわいそうなのは今の3年生だよね、振り回されて。
学校に言われるまま素直にやってただけだと思うし。

文系だったし世界史も取ってたけど、聞いてなかった記憶がある。
クラスの半数以上は聞いてなかったと思う。
そこまでして全員にやらせる意味があるのかどうかも疑問だけどな〜。

勉強なんてやれって言われてやるもんじゃないし。
やりたい人がやりたいことを勉強すればいいんじゃないかと思いますね。
もう高校生なんだし。自分で判断できるでしょ。そのくらい。
嫌々やらせたって頭に入る訳がないので… ねぇ?
受験という観点から見れば、単位偽装は起こって当然だと思います。何しろ、静高は東大を何人出すかにこだわり、浜北を常に意識しているわけですから。

教養という点で、受験にとらわれず、広い知識を学ぶことも必要だと思います。実際、自分は地理しかやっておらず、世界史、日本史を知りません。とても恥ずかしく思います。

自分は医学部の学生なので、世界史、日本史などを知らなくても何も困りません。ただ、自国の成り立ちを知らないというのは何とも情けない限りではないでしょうか。解剖の実習班に、アメリカからの帰国子女がいます。今回の件に絡んでアメリカでの話を聞いたところ、アメリカではとにかくアメリカ史を徹底してやっているそうです。地理は適当らしく・・・。アメリカ史を徹底して学ばせることで愛国心を育てているのでしょうね。

日本の将来を担う若者が、受験に必要な知識、職業的専門知識しか持ち合わせないというのは、国が財政的に豊かであっても、なにかむなしさを感じざるを得ないのですが・・・。
多分、111期です。

社会がA/Bに分かれ、履修不足の原因になった学習指導要領が実施されたのは、1994年度の1年からです(告示は1989年)。ですので、制度上、113期以降において、問題があった可能性があります。また、毎日の記事を読む限り、『情報』が盛り込まれた学習指導要領は2003年度の1年からの実施(告示は1998年)と言うことになっているので、122期以降にその可能性があります(前校長の任期は、01-05なので、120期〜124期)。あー保健はわかんねっす。


静高OBとして僕も情けなく思いますが、自分の高校時代を振り返るに、生徒、保護者の誰一人として、『単位』というものを考えていなかったような気がします(もちろん僕も、考えたことなどありませんでした)。しかし、正論ではありますが、学習指導要領と、授業計画が公開されているので、チェック自体は可能なわけです。前校長含めた学校側が、どんな意図を持っていたかは知りませんが、それに対して保護者なり生徒なり当事者がチェックをすることは可能でした。しかし、なされたことはなかった。それはひとえに、『ミス』…ではなくて、単位、つまり、履修や卒業を証明するものに対して無関心だったからでしょう。受験がどうあろうと、結局僕らは学校の指示内でしか動けなかった、そのことが歯がゆい、残念だと思うのです。マスコミが何を言おうと構いませんけどね。

逆に、これ以降、単位や内容を意識して授業を見られるようになったら、いいんじゃないでしょうかね。どうせ大学では自分でやることなので。真面目に授業受けることはないんですけど(僕も良くさぼってましたが)、自分が何をしているかは分かるようになって欲しいと思います。

学校『側』に対して、残念だと思うことはありませんね。この校長含めて、教師、職員の殆どは、それぞれの都合でいなくなりますから。その瞬間の静高を形作ってはいますが、作り上げてはないんです。あくまで作るのは現役の生徒(OBでもない)であり、その上に次の生徒が作る。僕はこの件に関して、OBとして、そういう種類の責任を感じています。
日本の公教育のそもそもの枠組みが現実に即していないんです。
日本の教科枠組みは(私の記憶が正しければ)明治時代から変わっていません。一つの教科枠組みを百年近く保持している近代国家は世界的にも珍しく、欧州などでは教科枠組みそのものの見直しも含めて公教育の指針は定められていきます。
明治時代当時は有効であった五教科六科目+実技科目も、現代社会では果たしてどれほどの実感を伴って認識されているのでしょうか。
現在の枠組みの中で「教育」としてまた「教養」として果たして適切な指導を行えるのか。私は甚だ疑問に感じています。

またゆとり教育を基本方針にしておきながら、義務教育の枠内ではないとして大学受験についてはメスを入れてこなかった点も大きな問題かと思います。
それまで分散していた「負担」が高校に集中し、それこそ「ゆとり」がなくなってしまった。でも大学には受からせないと風当たりがきつくなる。

もちろん高校が予備校化することは望ましい事ではありません。
しかしご覧になって下さい、未履修校は地方に集中していますよね?これは地方に有力な私立や予備校といった、大学進学を主眼にした教育機関が不足している結果です。
また地方のほうがぼったくります…(某秀でた英才予備校もその内の一つ…あれは本当に酷い)。地方にはもともと首都圏ほどお金ないのに。
そんな中で、どうやって生徒を受からせるか?
これは先生方の親心ではありませんか?

そこにネームを重んじる学校の風潮が在る事は確かです。
しかし昨今の情勢だと「生徒数が少ない」=「教師の指導力不足/学校の指導力不足」→教育委員会で吊るし上げ。
生徒が何を見て高校を選ぶか?自分の学力と一致しているか=落ちないか、少しでも「良い大学」に行かせてくれるか=合格実績。
つまり厳然たる事実として背景には学歴社会がありそれを受け入れる子どもや家庭があり、その中で学歴社会に沿った価値基準で判断される学校が存在している訳です。
ところで大学でも学生の人数が少ないという理由で演習が閉じられたりしてるのはご存知ですか?
えー、学問の価値って学ぶ人の人数で決まる訳?つまりは大学ですらカネ。要はカネ。

つまり現代の日本という社会が「良い人生」として認識している人生の幅が非常に狭い。
その狭い価値観の中で、家庭からも公からも世間からも突き放されて攻撃される学校現場がある(しかも政策は二転三転)。
前の書き込みにも書きましたが、問題なのはこの社会が抱えている「教育」の理念とその実行方法そのものではないでしょうか。

アメリカだと高校中退して大検受けて合格して大学行ったら「素晴らしい!」って言ってもらえるのに、日本じゃ「将来大丈夫?」ですよ。あー…。


あと更についでに言うと、教養って学校で勉強するもんなんですか?生意気な言い方をしますが、勉強って教養って、自分でやることじゃないですか?学校はその手段の一つあるいは場の一つに過ぎないんじゃないでしょうか。
なんでもかんでも学校に任せる、人々の無責任さや学びへの消極性こそ、この問題の根幹にある気がするんですけど。
つまりはまぁ、人任せにしないでテメーでやらんかい、と。学校で教えてくれない!って言うけど、本当に学びたいなら自分で勉強すればいいじゃん、とか思ってします。
日本史も世界史も参考書はたくさんある。一冊読めば一年間履修したのと同じくらい学ぶ事が出来る。
まぁそんな事やってたら「良い人生」からドロップアウトしてしまうのも又事実だし自力で出来る人が全てじゃないし学校が良いきっかけになることもまた確かなんですけど。ど。ど。
学校でやらないと一生やらない人たちの方が圧倒的多数なのも事実なんですけど。ど。ど。
…でもそういう人たちって果たして授業真面目に聞いてるのかなぁ。とか。とかとかとか。

とりあえずまぁ、isさんじゃないですけど、何でも人任せって、これどうよ。とか思ってしまいます。

そういう意味では履修漏れを知ってて(当時の先生の説明を聞いて単位ちょろまかしてるのには気付いてました)あえてそれを納得していた自分はちょっと浅はかだったかなと。
後輩のことは考えてませんでした、反省。
…私にとって所詮高校は遊べる予備校だったし。はは…。
学習指導要領などその時々の制度の是非はあるにせよ、「受験に関係ない授業なんて要らないじゃん」とか「その気になればいくらでも自分で学べるよ」なんて考えであれば、何故わざわざ高校に進学するのか(在籍し続けるのか)が不思議です。

煩わしい「不要」な授業や行事に一切関わることなく、自宅で学ぶなり予備校に通うなり、「必要」な勉強だけを徹底してすればいいのでは?(受験資格は別途で取得できるわけですし)

勿論、私も静高在籍当時にそんなことを突き詰めて考えていたわけではありませんが、受験に関係ない授業を「こんなの要らない」と思ったことは一度もありませんし(成績が上がらないから「やりたくない」と思ったことはありますが(^^;)、そういう諸々を含めて「高校生生活だ」と感じていました。

まぁ、最終的な決定権は学校側にあるわけで、そういう意味でこんな間際に事実振り回されている生徒さん達は災難だなぁ、とは思いますが…。

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