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カンボジアNGOコミュのあの時のカンボジアが手の中に

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週末一本の電話が鳴った。
相手は市内の古書店からだった。

この店は以前、博多勤務を命じられフミヤではないが、「JR有明族」を名乗っていた頃から、随分お世話になって来た店舗だ。
毎日往復の通勤時間は4時間半、行き帰りの車窓からの景色も覚えてしまった。
仕事が遅くなったりオフ会の時など、週2回は博多駅周辺のビジネスホテルかサウナに泊まっていた。 地元を離れため地域活動は、したくても出来ないまどろっこさから光明を得るため移動時間は読書タイムとした。
では何を読むかで考えた、あの観光省日本語ガイドたちは「このモリモトギドユウは日本のサムライの名前です」と言い、日本のどこの侍か?知らない。
では調べて見よう、あの国が好きだから。
調べ初める中で仕事明けの日などは、古書探しが生活パターンになった。
カンボジアに関する書籍資料など少ないので、植民地化したフランスの文献からも、過去を封印した同国の文化や習慣を探し求めた。
結果、神からのご褒美なのだろう「森本儀太夫」は地元加藤藩の家臣だった。
カンボジアのポルポト(マオ)の事も、農業の事も理解が深まった。

一本の電話は先の日記にも書いたが、和平後同国プノンペンに支局を開設し日本に現地情報を配信し続けた、日本電波ニュース社の望月健支局長が書き下ろした直撃取材記(文庫本=絶版)を手に入れたとの同店からの連絡だった。
週末に受け取りに行った。
新書価格より少々高めだったが、手にして嬉しかった。
手の中の本からは、あの時のプノンペンの空気感が戻って来るようだ。
まだ何もなかったプノンペン、至る所のビルにまだ砲弾の後が残っていた。
支局長の奥様が現地通訳者だったので、同支局にも何度もお邪魔した。
8月の訪か時もあの時の元支局後を、通ったがあの時の利用したパラボラアンテナが邸宅の屋根に残り、今の平和を見守っていた。
この書籍はすでに図書館で借り拝読していたが、「自分の歴史」としても手元に置いておきたい書籍でもあったので、全国を探してもらっていた。

この本には、まだ日本大使館の業務も確立してない頃、当時の同国内の蛇頭組織による、密航者問題を直撃した内容が書かれている。
当時から訪問していた私にも、政府官僚の名前や団体名、至る所でうなずける箇所が多くあった。

その後、支局長ご夫婦はプノンペンから、情報がより少ない南米に向け、次の業務での転勤をされ、随分の時間が経ってしまった。
人は皆、違うリズムと形で「生きた証し」を刻むもの。
今ではご夫婦どうされているのだろうか。

本に目を落としながら、評価者の一人として気になっている。

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