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世界の聖賢に学ぶ☆精神世界の旅コミュの2011年元旦、鏑射寺、中村公隆和尚の法話

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皆様おめでとうございます。
旧年中はお世話かけました。また皆様今年ますます幸せにいていただきたいと思います。

旧年中のお話を一応学習というテーマで1年お話させていただいて最後にこの学と言う字が真ん中に目が二つ並んで直接ずぅ〜と向こうを見つめる。そして横に耳がついてて聞くことだけ一所懸命、聞くことも一生懸命聴くと・・・・ところが子供がそういうものを観たり聞いたりしてもなかなかにこの身に付くとこまでいかん。いろいろいろいろ一所懸命聴く・・・・そうしとるうちに学習に移っていく。その習というのは羽が二つ両方にあってその下に白いと書いてある。

鳥の雛にたとえると、生まれた卵からかえったひよこが巣の中でピィピィ言ってる・・・・親が一所懸命にえさを運ぶ・・・・ところが雛にしてみると・・・・唯一の頼りの親がえさを運びに行って留守になる、ほっとかれる・・・・寂しいもんですから「どこ行くの〜」って羽をゴトゴトゴトゴトさせながら背伸びするようにして親の行く先を追ってる。なかなか帰らない・・・・時々ゴトゴトして背伸びして・・・ところがえさがもらえてやっと安心したと思ったらまた親がいなくなる「どこ行くの〜」って「ご飯持ってきてあげる」って・・・・・そういうことの間に羽が強くなってだんだんだんだん体も大きくなって成長をしている。親はそれをずぅ〜っと順序追って見届けて、・・・そしてえさの中身の濃いさって言うものもずいぶん計算入れてるみたいですね。だんだんだんだん濃厚なものを与えながら時々、近くの木の枝へ来て、子供が気がつかんようなコース帰ってきて、子供の様子見とる・・・・そうすると普段と違ってたいへん帰ってくるのが遅い、普通ならもっとすぐ帰ってきてくれるのに・・・・今日はおなかすいてたまらんのにご飯もって帰ってこん・・・・どこ行った、一所懸命こらえとるうちに砂の中からふわぁ〜と浮かんだりする・・・・親はそういうのをずぅ〜と認め、見つめて全部計算入れとるね、そしてどうにかこうにかもう大丈夫かなっていうときに、子供のほうから見える枝に止まってえさ咥えてじぃ〜っとまっとる・・・・飛びついてきたらいいし、そしてたまたま地面に落ちていくのも居る。そういった上を低〜く飛び廻って訓練させて帰ってくる、そういうことが習なのね。学習の習・・・飛べるようになる

ところがまぁ、これは人間が勉強する為に、学習とはどういうことかということで出来た文字なんです。・・・・文字というのは全部象形文字ですから、漢字の場合・・・・・ですから人間の場合それはどういうことか・・・この一般のレベルのものを見たり聴いたり、いろいろすることで考えるレベルから・・・・白いおなかが見えるレベル・・・飛び上がってそこから離れて、・・・・本当は因縁を超えた世界までが見えるようになりなさいっていうことが主なんです。一般の人は因縁の世界だけでいろ〜んなことをみて考えて判断してその世界でもがく・・・・ですから弘法大師は「因縁は空にして主にあらず」という文句を何回か使っておいでる。因縁の世界というのはころころころころ変わって実際にずぅ〜っと続くものじゃないよ・・・・「因縁は空にして主にあらず」その主の方に生きなさい。主のほうってなんですか?

これは私よくずぅ〜っとお話して参りましたけれど、この・・・・自分たちには両親がありました。両親にも両親があります。そういう両親がずぅ〜っと繋がって命が繋がっているわけ、自分が今ここに居るということは何億年かかり、何十億年かかっておる、そういう命をずぅ〜っと繋いできた間には宇宙が出来たとおんなじ歴史をちゃ〜んと遺伝子の中へ蓄えているわけ。無限の可能性をもらった命を自分がもらっておるのにかかわらず、この地上で因縁の世界でその中に居って地上におって考えるレベルしか行かないのが凡夫と呼ばれてるわけ、そういう世界を離れてもっともっとレベルの違う世界を見つめなさい、

・・・・・これは世界が今混沌としてきてまして、ちょうど干支からいいましても辛の卯(かのとのう)っていうんですかね。辛い(つらい)とか辛い(からい)とかいう字が上に書いてあるね。辛(しん)って・・・・すを下げて繁る、だから今年は繁る、ものすごいこのいろんなジャングルでも出来そうな明るいものがグォゥ〜とこの大地の勢いもらって押し上げられるってそういう年になる。ところが上側につらいからいがついとるのね。・・・・どうやったらこういう世界をこえていけるか?そのときにね。やはり因縁の世界からだけものを見とるようなことじゃどうもならん。今の政治がだいたいそういうレベルになってしまっとるためにもう国中世界中がもがき苦しんで引っ張りまわされてる。もっともっとレベル超えた世界から・・・・そうでしょう?例えば地上からいくら遠くを見ても山があったら山の向こうが見えない、だけど空へ飛び上がって高いところから観て御覧なさい。山だって向こうだって皆見える。しっかり飛べれば太平洋まで見てこれる、アメリカも見て来れる。もう北極海南極海まで行ってこれる。・・・・そういう世界があるのに、そういうもがき苦しむ因縁の世界からなっかなか・・・・それはどうして・・・

自分がどれだけの命をもらったか無限の可能性すっごいものをもらってることを忘れて、ちぃ〜っぽけな、例えばこの腕の根っこから宇宙が始まっていろんなものが出てきたと仮定するとこの指のどこかの先に人類が居るわけ、自分も居るわけ、そうするとこの指だけが自分なんて、自分が自分が自分がとだけ思っとるとこの先のちぃ〜っぽけな自分になっちゃう。・・・・
ちぃ〜っぽけな自分がすべてを見ると周りの人までもちぃ〜っぽけに見えて、もうほんとに人を粗末にするような人ばっかり増える。そういうことじゃつまらん。たとえどんな境遇の人であっても、その中に・・・・無限の可能性を持った凄い命をもらっとるそこのレベルを認め合えば、拝みあっていけるわけだ。そういうことを忘れちゃならんよっていうのがお釈迦様。・・・・弘法大師になるともう一つそれ越えてそこの・・・・地平のレベルを超えて上へいきなさい。うん・・・上へ・・・永遠の命をそのままもっとることをちゃんと自覚できるレベルがあるからそこへ行きなさい。ところがそういうことはなっかなかむつかしいんですけれど、世界人類たくさん居る中で日本人がいちばんそういうことを見つけやすいところにおいてもらっとる人類だと思います。

・・・・というのは・・・・春夏秋冬があっていろんな伝統が長くて日本列島が長くて寒いとこから暑いとこまでいっぱいあってこの春夏秋冬通じて雨も降り、東西南北みんな方々からもらえて、こういうこのあらゆるところへ目が届きやすい素地をもらっとるのが日本人だと思う、ね、その証拠にね。・・・・・自分ていう言葉を我と、和とか我と、そういう古くからの言葉が今でも日本残っとるでしょ。我って1人称だけじゃなし、2人称3人称残っとるでしょ、これは広〜くね、みんなおんなし命もらっとるよという意識が無意識の中、残ってるから、わとか我が残って、言葉が残って、外国にどこにそんな言葉がありますか?自分ていう言葉が2人称3人称にも使えるような国がどこにありますか?どこにもない、日本にある、ね、日本刀なんか見て御覧なさい、あれ日本独自のものだけど・・・・・・やわらかくて・・・・折れない・・・・・硬くて切れる・・・・・そういう要素を、これ矛盾した要素ですよ・・・・そういう要素をピターと一つにしたものをちゃんともってる、こういう民族だからああいう刀も出来たんだと思うのね。

私あの〜・・・・原子炉が出来だした頃に日立の・・・・会社から頼まれて勝田工場へ原子炉のふたの地鎮祭に行ったことある。営業の人が頑張って注文とったんだけど、原子炉の容器をね、ふたの、注文とったんだけど、出来そうにないから和尚さん来て・・・・ってえらいことだった、いってさぁ泊り込んで拝んできた、出来たのね、間に合った、それだって観て御覧なさい、いまだに原子炉の容器は日本の十八番ですよ、世界の方々に原子炉たくさん出来てくる、ね、だけどあれの容器は日本の容器がいちばん凄い、8割は現在でも日本製なの、そういうね、いろんな要素を持ってることを無意識に知っとる民族なんだからね、そういうしかもそういうのが独自性なの、で、このたんにグローバルなんていうようなことを今新聞やマスコミの人散々いいますけど、グローバルなんてなね、統率するような意味もあるんでね、うっかりついていかれへん、おんなしものばぁ〜っかり世界に同一のおんなしものばっかり存在したら滅びる時は全部滅びる・・・・特殊性持ってるから残ったっていうことだってありうるんでね。まぁそのほうが強いと思って私はおるんですが・・・・そういうことでね、日本人の独自性をしっかりほんとのやさしさ、ほんとのね、因縁を越えたそういうものの本質を捕まえた言葉さえ残してる民族っていうのはそういうことをね、お正月に当たって年も変わるもんですから、自分たち、まず私たち自分、自分から変わること、そういうのがお正月だと・・・・今日はそういうことにしたいと思います。ね、こういう機会に・・・

そりゃ難しいよ、自分が変わるって、いやそれがやさし〜く出来る方法がある。私も50年余り、毎朝水被ってきました。今止めてますけどね、2年前に止めました。80超えてから止めました。今、昭和2年生まれですから80いくつになるのかな?忘れた・・・ふっはっはっ・・・そんなのでね、水被るんでもね、若い頃に井戸場たへ高野山なんかにおって、また岐阜県の飛騨の山奥で滝に打たれてたり、那智の滝にも入ったこともあります。そういうたら冬の冬の寒い時、零下18度ぐらいまで、まぁ大変なとこに居った時もありますけど、そういう時ね、あの、そばまで行ってね、脱ぐかどうしよか、うわぁ〜寒い、ところがそういう・・・・え〜い今日もう一生に一日しかいっぺんしかない、一生にいっぺんぐらいどうするか!・・・と思ってね、やるとあと気持ちいいんですよ。ね、だから今日から皆さん変わってほしい、もっと・・・・・・・そうしないとね、今年のこのウサギの歳・・・・繁るウサギ、ずぅ〜となんもかんもが出てくるそれがもうジャングルみたいになりやすいんですから、それで辛いが書いてある。だからそこから巻き込まれるようなんではね、ぜんぶペチャンコしますよ。ね、だから自分自身がまっすぐ、筋目を立ててすぅ〜といくとこだけは残れると・・・・とてつもない延びれるチャンスでもあると思う、だけど、横に行ったり、ぐにゃぐにゃぐにゃぐにゃしとるような暮らしぶりは全部ってぐらい巻き込まれてつぶされてしまうようなそういう年回りであるということ、だから、今日から自分自身、まっすぐ節度を通して筋を通してそういう自分に生まれ変わったお正月になってほしいです。

今申しました、一生に一日だと思ったら出来るでしょう。一生に一日だけ・・・・・つまら〜んこといわずに思わずに、ここといわず、怒らずにどんなことがあっても前を向いて、そういう一日を経てほしい、そしたらね、今晩気持ちよ〜く休めます。歳の初めの第一はほんとに気持ちよう休める、で明日の朝起きるとまた気持ちいいことになる。そしたらまた明日一日に一生にいっぺんと思ったらいい、いっぺんやったらいいんじゃから・・・一生の間ずっと・・・・ふっはっはっ・・・できるでしょう。一生にいっぺんぐらい。うん、そうやって私は50年越えました。皆さんもあれいちばんいい方法として、・・・一生にいっぺんと思ったら出来る・・・・・そういうことでね。どうぞ今年からそういう大変な年回りのとこへはいりますからほんとにぐずぐずぐずぐず横向いたり斜めなったりしてるとこは巻き込まれますよ。まず筋を立てて生きるスタートにしたいと思います。おめでとうございます。今年もどうぞよろしく、皆さんお元気で・・・・・・・

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