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教員、先生、教師コミュの学校の先生は知っておいた方がいい劣等感の話

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「劣等感」
最近あった学校の先生の事件などを見ていて
特にこの心理についての話は重要なんだと
そう、感じています。

学校の先生やその上にいる先生たち
人を育てる立場にいる人たちは、
絶対に知っておいた方がいい内容です。

以前から劣等感についてブログに書いたりしていましたが
劣等感を持つ人の特徴を主に書いています。

一見みると、そうでもないように見られる
態度であったり、言葉であったりするのですが

「劣等感」というのは「本人が感じたくない感情」
であるため

「人を思ってその様にしている」と美化して
相手に対する言葉や行動が自分の思いやりであるかのように
無意識的に選択するようになっているのです。

なぜ無意識的にそれを選択しているのかというと
「感じたくない感情を守るため」です。


「自己の存在価値を無条件に認められない」ということは
命のレベルで見ると、とても辛いことで

自然の存在を認めていないというのは
命そのものの否定です。
辛いのは当たり前でしょう。

人も自然の産物ですが、知的生命であるため
基本的な欲求として
自分の存在価値を認めてもらいたい。という感情が存在します

それが幼少期
条件的に存在価値を感じた経験が多いと

○○をしているわたしは存在価値がある。
○○ができているわたしは存在価値がある

と、何かの条件を満たさないと「わたし」という
存在は認めてもらえない。と判断し
それを様々な人との交流のなかで
「これがわたしなんだ」と決定を繰り返しながら
大人になっていきます。

これは、TA(交流分析)でも一番最初に
伝えられることでもあります。


無条件の愛情とは「自己犠牲」の上に
成り立つものではない。

無条件の愛情というと、キリスト教のように
崇高な教えを思い出す人もいるかもしれません。

相手のために自己を犠牲にしても、それを責めることなく
どんな痛みも受け入れるという愛情の深さです。

それが、無条件の愛情であると信じている人はいませんでしょうか?

わたしは間違いなくそうでした。


宗教的な思想は「人のために」という大義があり、
人のお役にたち、人のために働かせて頂く。という思想。
それは本当に素晴らしい考えだとも思っています。

しかし、「人」とはあなた以外の・・ということではなく

あなた自身もその中の「人」であると言えます。


劣等感という前提思考を上塗りするように
「相手のために」という一見「快」である宗教的で崇高な思考
で相手に何かをしようとすることで、行動と奥底の感情が一致せずに
人を責めたり、イライラしたりという不快を感じることになります

それは単に、劣等感をベースに
人のために何かをする事で
相手よりも優位な立場を取ることで自分を安心させているに過ぎません。

「自分には価値があるでしょ」と相手に気づいてもらいたい。
ただ、それだけが根底にあるのです。

ですが

これが思いとおりに行かないと
感情的で衝動的な言葉や行動となってしまいます

それを論理的に押さえる人でも、チクリと嫌味ぐらいは言います。

そうやって、相手の感情の中に
自分も持っている「劣等感」を植え付け
相手よりも優位な自分で居続けることを選択しているのです。

日記では、潜在意識の事や自己暗示について
様々な話を書いています。興味のある方はぜひマイミク申請
して頂ければと思います。

よろしくお願いします。

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