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メインストリーム
「斎藤道三」

時の流れに乗じて、幾度もその名を変え職業を転々とする間ついに一国の主になり得た人物、と言われて浮かび上がるのは下剋上の雄、斎藤道三です。
彼は武人と言うよりも商人と言うよりも、まず‘策師’でした。油商人として京から美濃に入った松波庄五郎は、実際に商業で財を作るほどの成功の下に道を歩んだわけではなく、また‘道三’を名乗るその後の歩みを辿っても、「合戦」を積極的に行い権威を外に向かって知らしめようとする、いわゆる戦国の世の頭領らしき動きのほとんど見られないことは、彼自身、彼個人の人間性や独特の才覚に起因しているものなのでしょう。

1520年代、道三が出入りし始めた時期の美濃国は、戦乱で荒廃する京都に比べ豊かで、経済、軍事情勢に明るい地域でした。
関で生産される刀は室町時代には明への主要な輸出品として、また国内では内乱が頻発するに従って大きな需要を抱えるようになって行きます。おそらく関の刀の産出量はこの時代、備前と並んで国内最大規模であったと思います。美濃国が軍事の要所となり得た大きな背景でもあります。
美濃紙の生産もこの地方の主要な財源となりました。大矢田で定期的に開かれる市から、近江商人の一団を通して京都への専売ルートが確立されており、16世紀以後は紙の産出量も飛躍的に伸びて行きました。こちらも、国内の不安定に乗じた民間レベルでの技術の進歩や、紙の用途、需要の広がりが一因に挙げられるものかも知れません。
現在の岐阜市周辺地域は、長良川上流域の多くの富を一手に引き受けることのできる拠点として栄えました。
道三、当時の名前で松波庄五郎は、当時のこの地域の主要な勢力であった土岐、斎藤、西村、長井、等の力の隙間に入り込み、策に策を重ねます。
美濃国は、もともと主要な勢力の均衡によって平穏が保たれていたのだけれども、やはり時勢の流れは例外を許しませんでした。

現代に生きる人々は結果から全ての物事を見ようとします。それが歴史を歴史として語り、形作って行く基礎になります。
乱世、時勢の流れ、とは本来意味をなさない空虚な言葉なのだと思います。結果から考えて、やはり道三の人生はこの時代の大きな流れを掴んでいたものだった、と説明するべきなのでしょう。道三本人にはまったくそのような自覚などあり得るはずもなく、ただ、混乱に乗じてもしかしたら何らかの利権を手にすることができるかも知れないという‘予感’が全てでした。その予感の下に彼が「美濃」という土地を選び、権力構造のわずかな隙を見逃さなかったというのもまた彼独自の才覚、と言うか、彼にとっては至極漠然とした、成り行きに過ぎないことだったのではないでしょうか。
「因果歴然、善悪二つの道理、天道恐ろしく候なり」という一貫した哲学の上に立って'信長公記'を遺した太田牛一は、書の中で、道三の生涯に渡って現れる陰の側面を、信長の力強い人生とはっきりと対比させたかったのかも知れません。言うまでもなく、16世紀中葉から世に出始めた織田信長を逸早く「見抜いていた」人物は斎藤道三でした。牛一は、道三の策に策を重ねた生涯と嫡子義龍に討たれた惨めな最期を「因果」として結びつけることによって、同じく本能寺で重臣に討たれた主君信長の存在にも、何らかの意味を問うていたのでしょうか。
「因果歴然」とは結果がその人の全てを物語るものだという諌めであり、「善悪二つの道理」と、善悪の判断を乗り越えたところにある一定の価値を認め、「天道恐ろしく・・・」とは、自らは謙虚なまなざしを以てこの世をまっすぐに見届けたいと欲する、気持ちの表れなのだと思います。


土岐氏の庶流である金森五郎八が尾張の織田家に仕えるようになるのは、ちょうど、美濃国で斎藤道三が台頭して土岐頼芸を追い詰めていた時期と重なり合います。幼少の吉法師、後の信長の養育係となった事実も稀有な話ではあるけれども、五郎八の中には早くから時勢を冷静に捉えるために必要な立体的な精神構造が芽生えて行ったのではないかと、僕は思っています。
ここでは現代からの目線で時勢という言葉を使ったけれど、つまり彼は‘土岐氏の存続’という彼自身の深層心理の中の不動の価値基準が崩壊してしまい、絶望を受け入れなくてはいけない状況に若くして陥っていたのではないでしょうか。
当時は、足利幕府と、幕府を盛り立てるべき各地の有力な守護、地侍が社会を動かしていると、そのようにある‘べき’時代でした。土岐と斎藤の二大ブランドが美濃国に両立しているとして、そのどちらか一方が台頭しもう一方が完全に滅ぼされてしまう、という結末はこの当時の感覚ではまず異例の事態だったと思います。もしかすると五郎八自身が将来「土岐」の名前を背負って家を再興し、美濃の豊かな土地に根を張り足利幕府を助けることにもなるのだろうというかすかな望みも、ここにほぼ失われてしまったことになります。そして、当の斎藤家の頭領は正体不明の‘まむし’であるらしい。


Daichi Furuta

コメント(4)

うん、斉藤道三・・・

ひょっとしたら、私の人生の考え方に
大きな影響を与えたひとりかもしれないなぁ

中一ぐらいの時の読んだ「国盗り物語」が、
当時すごく衝撃的で愛読書だったことを覚えている。
>いつどこさん

国盗り物語は僕も読みました。
躍動感のある内容で、感触がずっと残ります。

そう言えば最近やっていたNHKのドラマ「坂の上の雲」、面白いですね。
はじめまして!

斉藤「山城入道」道三のことが書いてあっては、

その流れをニックネームに持つ私、にゅうどうが食いつかないわけにはいきますまい。

まるでこれを書き上げた後、近い将来にワシと出会うことを予感したような・・・

そんな不思議な感じさえ受け取れますよ。
>山城にゅうどう殿

以前、「信長の棺」という小説を元にしたテレビドラマがありました。にゅうどう殿が勧めてくださったんですよね。
あれくらい近い目線での脚本で道三が演じられたら、どうなるんだろう。

日頃の鍛錬の骨休めに、このようなコミュニティにも足をお運びくだされ〜指でOK

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