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MUSIC FOR PEACE♪コミュの核兵器廃絶音楽プロジェクト

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NPO未来に残そう青い海とJETT EDWARDS(ジェット・エドワーズ)は日本から核兵器廃絶を訴える「MUSIC FOR PEACEプロジェクト」を立ち上げました!
是非みなさん応援してください。
2010年の5月にニュー・ヨークで全世界の核保有国が集まって核の問題を討議する「
NPT再検討会議」が開催されます。
原爆を落とした国の代表であるオバマ大統領の核兵器廃絶を誓ったプラハ演説からノーベル平和賞受賞、それに世界で唯一の被爆国であるこの日本。民主党新政権にも期待が掛かっています。
被爆者の声を代表する日本被団協とともに私達は日本から世界に音楽で核兵器廃絶を訴えて行きたいと思っています。
1982年のこの会議では何と100万人もの人々がセントラルパークに集まりました!
来年はもう地球環境にとっても待ったなしのファイナルカウント状態です。是非一人でも多くの人々が核兵器の廃絶と、この地球環境を救う活動を自らの意志で行って更にはより多くの人々にお伝えください。

ムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムードムード

管理人の☆KOJI。です。
仲間と一緒に今年の7月(2009年)にNPOを立ち上げました。
「未来に残そう青い海」という環境のNPOです。

その活動の一環としてこの度、音楽をリリースします。
オバマ大統領のノーベル平和賞受、および来日を記念して音楽で核兵器廃絶を訴える活動をスタートしました。
私どもの代表の齋藤理事長は広島で被爆し、その影響で入退院を繰り返していたのですが、そんな彼を救ったのが海でした。
海に出て潮風を吸い込むと不思議と元気を取り戻せたそうです。
そんな齋藤理事長は海への感謝も込めて海上保安庁の環境ボランティアで海の大切さをより多くの方々に知ってもらう啓蒙活動を続けられてきました。
 また被爆されて本当に悲惨なことを経験し、その悲惨さを世の中の多くの方々に知ってもらうために闘病中に描いた体験記が「青いトマト」であり。「聞け!神の声を!」なのです。
その体験記をこの度のオバマ大統領に差し上げようということになり、それを昨年のアメリカ大統領選挙でオバマ候補のキャンペーンソングを歌ったJETT EDWARDS氏に曲にして歌ってもらい世界に第二のWe are the world!のような活動に拡めていこうということになりました!

TEDカンファレンスでの齋藤理事長のスピーチ
http://tedxseeds.org/
http://www.ted.com/

JETT EDWARDSオフィシャルサイト
http://www.jettedwards.com/

「Greene Tomatoes」(青いトマト)

Written By; JETT EDWARDS

You say yes, then I say no
It’s not easy when you watching your young boy grow
Mama’s, cooking my breakfast; she’s so sweet
She put sugar, on the tomatoes that I don’t wanna to eat
【You say yes, then I say no
男の子を育てるのは楽じゃない
やさしい母さんの朝ごはん
きらいなトマトに砂糖かける】

They started dropping bombs all around our heads
Hiroshima, to Nagasaki blue skies burning red
People were running and crying in the streets
And lying at my feet
【周り中は爆弾の雨
広島と長崎、青空が燃える
人は、逃げ惑い、泣き叫び
道端に倒れこむ】

Where Greene Tomatoes
【Where Greene Tomatoes】
Greene Tomatoes
【Greene Tomatoes】

I still hear, Screams, and Moans, Faces of those that Died
Death came to get me, but God stood by my side
Who’d ever thought, I’d have so much to gain
Maybe he left me alive to teach mankind how to Change
【いまだに叫び、うめき、死者の顔
自分の横には、神様がいた
生きのびたなんて思わない
きっと神様がぼくにくれた使命】


So let’s all stop dropping Bombs, on each other’s heads
Destroy those nuclear weapons, before we all end up dead
Right or wrong, simple and plain, the greatest weapons
Your brain
Lift your heads to the sky & take aim
【さあ、みんな!爆弾なんてやめてくれ
みんなが死ぬ前に核兵器なくそう
いいとか悪いとかじゃなく君の頭脳こそ最大の武器
頭を空にむけ、はじめよう】


Like Greene Tomatoes
【Like Greene Tomatoes】
Greene Tomatoes
【Greene Tomatoes】
Sing it with me, Greene Tomatoes
【Sing it with me, Greene Tomatoes】


Oh, Mama I wish you were here with me now
You’d never guess just what I’ve found
I’ve got two in my pocket and one is for you
These greene tomatoes made the world brand new
【ああ母さん!今も一緒にいてくれたなら
わからないよね、ぼくが摑んだもの
ポケットにふたつある、一つはあなたに
青いトマトが世界をあたらしくした】


Greene Tomatoes

Mama you could see me now
【母さん!今もぼくを見てたなら】
They help me change the world some how
【なんとか世界を変えるよ!たすけて】

Greene Tomatoes
【Greene Tomatoes】

Greene Tomatoes

オリジナルの齋藤理事長の体験記です。
青いトマト
斉藤 孝 横浜市鶴見区在住
当時一五歳広島三・〇km
 僕はトマトが嫌いだった。
 この南アメリカ原産の羽状復葉ナス科に属するトマト、独特の青いくさみがどうしても好きになれなかった。母や祖母が何とか僕に食べさせようと、よく冷やしたり、砂糖をかけたりして努力してくれた。しかし僕は一口でも食べたことがなかった。
 昭和二十年八月六日、午前八時十五分。ヒロシマの上空で超高熱の太陽が炸裂し、目もくらむ灼熱の閃光が、蒼考を引きさいた。
 そして僕はそこに、この世の阿鼻地獄をみた。
 当時、僕は十五歳、中学二年生、学徒動員で爆心より約三キロの工場で、大型旋盤工として、ロケットの砲弾をつくっていた。
 ヒロシマの街は、多くの美しい河が流れ、橋が一杯かかっていて、そのたもとには、名物の牡蠣船がつなげてあり、わが家の庭から直接釣りが出来た、美しい水の都であった。
 八時より作業開始、その日は、悲しいくらい晴れ上がった青空、風もなかった。モーターがうなり、ベルトが回り、火花を散らしてネジを切る。
 八時十五分、写真のフラッシュを千個も一万個もたばねて、目の前でたいたような白熱の閃光。
一瞬全身が灼熱の釜の中にたたき込まれたよう、大きな工場が、すっと傾いて行く、音も聞こえず、恐怖もなく倒れる! そして暗黒の奈落の底にひきづり込まれた。
 どの位の時間がたったのだろうか、永遠とも思うし、数分間とも思われる。パチパチという物が燃える音、煙が充満してきて、激しくむせる。全身が何かにはさまれている。
息が出来ない! 苦しい! 助けてくれ! 声にならない叫び声を上げる。やっと意識がもどる。
 空襲だ! 逃げろ! がむしゃらに夢中でもがく。ガラガラと頭や背中の上のものが動く。しめた! 渾身の力をふりしぼって、重い物をどける。手さぐりで板を破る。
 やっと外に脱出できたようだが、暗くて何も見えない。
手さぐりで防空壕を探して飛び込む! 空襲だ! 空襲なんだ。訓練で教えられた通り、目と耳を両手で押さえ、腹這いになる。しかし一体どうしたんだろう。空襲警報もなかったし、どうしてこう暗いんだ。どうして音が聞こえないんだ。そしてどうして一人もこの防空壕に入ってこないんだ。
 顔をおう手がぬるりとする。はっと見ると血が流れているらしい。泥と血とほこりで、どす黒い血、頭に手をやると髪に中は、ガラスや砂でジャリジャリ、傷はわからない。
痛さは感じない。友だちは! 先生は! 工員さんたちはどうしたんだろう。おそるおそる壕から首を出した。そしてそこに見たものは、正にこの世の地獄だった。
 工場はくずれ落ち、大勢の学友や工員さんたちは中にとじ込められたまま、燃え始めていた。血だらけの先生が、気ちがいのように屋根を破って中の人間を助け出そうとし
ている。
 助けてくれ、出してくれ、苦しいよ、の叫び声。「斉藤、兵隊さんをよんでこい!」「はいっ」僕はかけ出す。しかし辺りは一面の火の海だった。工場も、住宅街も、兵舎も、すべて紅蓮の炎に包まれていた。そして見た。おばけを! 全身やけただれた肉の塊り! わずか靴を残してすべてを焼きつくされ、全身の皮がベロベロにむけてぶらさがり、髪の毛もチリチリにやけこげて、血と肉汁が流れ、それに泥とガラスなどの瓦礫がこびりつき、高熱のために顔はフットボールのようにふくれ上がっている。とうてい人間とは思えない。この世のものとは思えない幽鬼の姿だ。
 門のところで、そんなお化けの一人が僕の足にしがみつく、「斉藤!おれだよ!」。ギョツとする。友だちの一人だった。顔にも怪我をしていて、ほほに穴がぽっかりあいている。かすかに見えるらしい目は真っ赤だった。だが意識ははっきりしている。
 「外に出ていて空を眺めていたらB29が一機飛んでいった。飛行機雲がきれいだったよ。そして落下傘がふわふわ落ちて来て、そしたらピカッとしたら、それっきり後は分からなかったよ」 と。
 そして 「水をくれっ」 といって横になった。助けようにも助けようがなく、もう工場の中は、なすすべもなかった。
 中からまだ助けをよぶ声、うめき声が聞こえる。屋根をぶちやぶり重い梁を必死にどけて、四、五人は助けたが、もう駄目だ。かんにんしてくれ、神様助けて下さい! 僕は泣きながら畠の中にひっくりかえる。もう動く力も、考える力もなかった。
 頭からの血は止まったらしい。ただむしょうに咽がかわいた。水が欲しい。ふっとそのとき手にふれたもの、青いトマトだった。思わずかぶりつく、うまい! うまい! 泣
きじゃくりながらかぶりつく。
 うまい! 僕は生きているんだ。そうだ僕は死なないぞお母さん。そうだお母さんのところへ帰ろう! 僕は青いトマトを三個ポケットに入れて、わが家の方へ向かって歩
き始めた。
 何十万というお化けがうごめいていた。これをお化けと呼ばずにいられようか。もはや人間ではなかった。祖母によく聞かされていた地獄、人間悪いことをするとこんなところへ送られるよ、と見せられていた地獄図、それがそこにあった。
 そして絵や芝居で見るお化けは、両手を七三に構えて体の前にだらりとさげていたが、その通りだった。全身はやけただれ、ふくれ上がり、もはや男女の見わけもできない。
皮膚をぶらぶらとぶら下げ、両手をお化けのように構えて、血と体液がにじみ出る。全身にガラスなどがつきささり、泣き、叫び、うめきながら、火に追われて逃げようとはい
ずり廻っていた。
 そんな肉のかたまりが、赤ん坊らしい肉のかたまりを僕に差し出し、「助けて!」と訴える。しかし、どうしようがあるのだろうか。僕も火に包まれて前にも後にも進めない。
どぶや、防火槽の水をかぶり、体に火がつくのを防ぎ、息をするのがやっと!
 橋は落ちていて河にとび込む。もはや屍なのか、まだ生きているのか、肉のかたまりが見渡す限り浮いている。必死で泳いで渡る。
 夜になってやっと広島駅に到着。その裏は広々とした練兵場で、遥か向こう側の山の麓にわが家があった。いや、あったはずだが無い!特徴のある白い壁や、大きな屋根が見えない!
 もう夜の八時過ぎだったが、ごうごうと音をたてて燃えている家並みのために真昼のように明るく、練兵場一面に照り出される光景は正に凄さんだった。火に追われた数しれぬお化けの集団がうごめいていた。神様! どうか、お母さん、おばあちゃん、兄弟姉妹たち、どうか生きていますように! 祈りながら近づく。
 家の近くに、わが家の客ぶとんにくるまったお化けが一人。恐ろしくてそばに近寄れない。わが家の広い庭も負傷者で一杯。看護していた一人がふり向く。「お母さん!」声もなく、抱きつく、はらはらと泣きながら、きつく、いつまでも抱きしめてくれる。青いトマトを出しながら言う。
「お母さん、僕はもうトマトを喰べられるよ!」
 奇蹟だった。祖母と妹たち三人はちょうど家の中に居て、くずれ落ちた屋根の下じきになり、爆風でさらに数メートルも押し飛ばされた。母は一人畠で仕事をしていて爆風に飛ばされ、やけどで顔が真っ赤だった。母は必死に屋根をぶち破り、祖母たちを一人一人ひっぱり出したという。怪我一つしていなかった。弟も動員先の工場で作業中、二階からふきとばされたが、背中に怪我とやけどをした程度で、これも奇蹟的に帰ってきていた。一日中帰らなかった僕は、もう絶望視されていた。
 全壊はしたが、延焼だけは何とかまぬがれたわが家、崩れ落ちた屋根の下のタンスに、将校らしき一人が断末魔の苦しみで、へばりついたまま死んでいる。別棟になっている広い風呂場、離れ、庭先の茶室も、軍人たちの重症者と死体であふれていた。そして庭から一望できる広い練兵場は、見渡す限り、火に追われて避難してきて、力つきて横たわり、うごめき、のたうち回っているお化けの群だった。
 神が人類に与えた試練なのか、人間のおろかさを、みにくさを焼きはらう劫火なのか、ごうごうと音をたてて一晩中、燃え続ける赤い火に照り出される光景は、阿鼻叫喚、正に生き地獄そのもの。
 「水をくれ、水を、水!」全身やけどをしていても意識はある。やけどは水はいけないと祖母がいったが、その頃、隣の呉市から海軍の軍医たちが救助に来ていたが、ただ黄い薬を塗ったガーゼをべたべた貼るだけ。「もうどうせ助からないのだから水をのませてやれ」 と言う。
 ヤカンに水を入れて、だき起こす。べっとりと皮ふや血が手につく、どこが口だかわからない位、フットボールのようにふくれ上がっている顔、唇らしきところに水を注ぐ。
もうすでに水をのむ気力のない人、そのままのどをごろごろならし息がたえる。
 ふと気がつくと、あるグループだけは、頭の毛だけがちりちりにこげて、わずかに残っている。訓練中の兵隊さんが鉄かぶとをかぶっていたために髪だけは、わずかにちりちりに助かったらしい。将校らしきお化けの一人が軍刀をつえに体をおこし、「俺は○○中尉だ、もうだめだ。くにに伝えてくれ」 とつぶやき、どたりと倒れる。
 隣の奥様が爆風でとばされ、そのショックでお産が始まる。トタンで回りを囲い、焼ける炎のあかりの中で母がお産婆さん替わり。お化けの一人が苦しまぎれにはいずり回り、トタンをばりばりとぶっこわす。その中でやがて「オギャーオギャー」 といううぶ声、ああこの赤ちやん、幸せにと祈る。
 母もお腹の中にいる子供がいて、大きなお腹をしていたが、その腹帯を負傷者の縮帯にして、数え切れない位の人々を不眠不休で看病した。やがて練兵場で死体を焼き始める。
マキを組み、その上に死体を山のようにつみ上げ、油をぶっかけて、来る日も、来る日も焼いていた。すさまじい臭い。
 三日たっても、まだ生きている肉のかたまりがうごめいている。軍医が顔のガーゼをパッとはぎとる。「アツ」僕は叫んだ。すでに人間の顔ではない。眼窟から口の中から、ぽっかりあいている傷口から、無数の白いうじ虫が出たり入ったり、胸も背中も一面にウジ虫がはいずり回っている。
「神様! こんなことが、こんなことが地球上に起こってもよいのでしょうか」
 やがて、わが家の庭の中に三つも各部隊の仮の受付が設置され、わが子、わが夫の消息を尋ねて、大勢の人々が並んでいた。そしてそのヒロシマに入ってきた人たちがくにに帰ると、ぽっくりと死ぬという話が伝わってきた。一度助かった近所の人たちも、血を吐き、ぽっくり死んで行く。僕も、むらさきの斑点ができて、髪の毛がぬけ、歯ぐきから血が出て来た。
 不思議に思っていた爆弾が、何か恐ろしい特殊爆弾だというニュース。ひたひたと音もなく、しのび寄るぶきみな死の音を聞いた。屍を焼く音、煙の匂い、その中で終戦の 「玉音」を、広島駅からのスピーカーで聞く、ポロポロと涙がこぼれる。ヤンキーが上陸して来たら、オヤジの替わりに家族を守らなくてはと、空気銃を手入れし、工場でつくった刀をみがいた十五歳の僕。
 父は、満州で病気になった親友と交替しようと、渡満したとたんに終戦、父の親友はヒロシマに帰って来たと同時に被爆、行方不明で奥様が毎日、必死に焼け跡を探していたが、ついに骨も見つからなかった。正に運命、神のさだめという他ない。
 とにかく一日も早くヒロシマを脱出し、生まれ故郷のヨコハマへ帰ろうと、やっと汽車の切符を手に入れる。異変を感じてぴったりと僕から離れない愛犬、無理にくさりにつながれて悲しそうな鳴き声と、練兵場一面にちらばっている人骨のさくさくという音を聞きながら、ヒロシマ駅に歩いて行った。
 母は祖母と長男の僕を頭に七人の家族を、最後の力をふりしぼってヨコハマまでひきづって来た。そしてお産が終わると同時に、ついに倒れた。
 父は満州で生死不明、ヨコハマの家も空襲で全壊、住むところもなく、食べるものもなく、頼りにならない甚六の僕と、生まれたばかりの赤ん坊を含めて六人の子供を残し、とても死んでも死に切れない。「兄弟柿妹仲良く、力を合わせてがんばって」。僕の手をしっかりにぎり息を引きとった。
 毎年八月六日、僕は必ず青いトマトを喰べる。
 (『社民連』第79号、80号、一九八二・八〜九に掲載)


コメント(1)

ジェームス・キャメロンも原爆の映画を撮るようで、今年のNPT再検討会議は期待が持てそうでするんるん

http://eiga.com/buzz/20100108/13/

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最新作「アバター」が全世界で大ヒット中のジェームズ・キャメロン監督が、広島と長崎への原爆投下を題材にしたノンフィクションの映画化権を獲得したことが明らかになった。

英エンパイア誌によると、同書は1月19日に刊行されるチャールズ・ペレグリーノによるノンフィクション「The Last Train from Hiroshima: The Survivors Look Back」。著者のペレグリーノは、純古生物学や天文学を研究する科学者で作家。小説「ダスト」やノンフィクション「キリストの棺」といった著書が邦訳されている。また、キャメロン監督の「タイタニック」や「アバター」に科学コンサルタントとして参加していることでも知られる。

同書は、被爆者と米軍パイロットへの綿密な取材をもとに、広島と長崎に原爆が投下されたあとの2日間を科学的なアプローチで再構築したノンフィクション。なかでも、1月4日に93歳で亡くなった、広島と長崎の両方で被爆した二重被爆者の山口彊(つとむ)さんの体験が作品の重要な部分を占めているという。

実は、「アバター」のプロモーションで昨年12月に来日したキャメロン監督は、ペレグリーノ氏とともに長崎の病院に入院中だった山口さんを訪問していた。その際山口さんから、自分の体験と核廃絶のメッセージを世界中の人々に伝えてほしいという願いを託されたそうで、そのことは欧米の映画サイトでも広く報じられた。

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