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70年代のラジコン機&Uコン機コミュの昭和50年代の世界

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昭和51年札幌の藻岩山の麓にあった大学に入学し、中川ライター店に通い出し、Uコンの世界に入っていきました。
当時、理論派の那須さんが札幌に戻っていて、コントロールラインの日本選手権を目標に何人か育成しており、その中に入れてもらい、2ヶ月少々でF2Bパターンを習得しました。
練習方法は変わっており、変形横8字(宙返りをし、頂点から背面のまま逆宙返りに入る8字をし、徐々に横に長く伸びた8字にしていく)を繰り返し、そのうち、自然に背面飛行ができるようになる練習など短時間でパターンを覚えることができる練習プロフラムをつくって効率的な練習を考えてくれました。
機体はリボルバーFXの原型とでも言うような板飛行機。これで本当にF2Bが出来てしまったのに驚き、その後しばらくスタント競技にのめり込んで行きました。この時代、札幌、苫小牧、室蘭に仲間がおり、しばらくの間各地で競技会を行っていました。
仕事についたあとも、勤務先で非行クラブをつくり生徒たちとグランドでUコン機を飛ばしていました。この時代がUコンが子供たちの趣味として行うことができた最後の時代だったように思います。
その後、当時住んでいた家の近くにあった奥村模型の店主にラジコン飛行機の飛ばし方を教わり、初めて単独飛行ができるようになりました。そして、ニトロメタン・クロッツオイルのパイロンレースの世界にのめり込むことになります。これが私の昭和50年代です。ニトロベンゼンとはまた違う甘い香りにやられたのです。

皆さんの昭和50年代を教えてください。

コメント(2)

その頃は、ボートにハマッテましたね、それとホンダモンキーの改造も同じくらい、この頃からラジコンに興味が薄くなる頃です、画像はその頃使っていたスーパータイガー65です、私は19・40・60クラスのエンジン全てスーパータイガー使ってました、OSやエンヤでは無理でした・・・・少したってOSが40FSRを出し始めてタイガーが少しずつ減り始めた頃です、タイガーがXシリーズを出した頃はラジコン辞めてましたが、今度はエンジンコレクターになり、東京に行く時はレブアップモデルスに寄っては変なエンジン買ってました、その頃エンジンが200台ぐらいありました。
昭和50年代といえば、NHKの連続ドラマ小説で「雲のじゅうたん」が放映されていたのをご記憶の方はいらっしゃいますか?日本初の女性飛行士を題材にしたドラマなのですが、SEA&SKY誌の記事で、?地上滑走用実物大模型はフォルクスワーゲンのエンジンを積んでいて、?飛行シーン撮影はラジコン飛行機(エンヤ29か35を搭載)を使用したそうです。

あと、飛行機モノではNHKのシリーズモノで「人間は何を作ってきたか・飛行機」のテレビ放映を食い入るように見たのを覚えています。(小生、当時小学生)アメリカのスミソニアン博物館展示機の他にライトフライヤーレプリカやWW?の頃の複葉機、スピリットオブセントルイスのレプリカなど、実際に飛ぶ飛行機の飛行シーンが多くて圧巻でした。

自分は・・・エンヤ09?でUコン機を飛ばし、エンヤ19?BBTVでRCボート「なみはや600S(東京堂)」や「ジャガー60V(地球堂)」を走らせていたものです。あと「スピードマスター300(京商)」なんてのもありました。

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