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阪神大震災コミュの「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間」

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自分は京都出身で被災はしてませんが、5年前阪神淡路大震災の舞台を踏ませて頂きました。

資料を調べに神戸に行き、震災資料館や慰霊碑にも行かせてもらいました。

その後、新潟中越地震のボランティアに行かせてもらったりと、実際に被災はしておりませんが、阪神大震災への思い入れは、人一倍強いと思っております。

その僕がご縁がありまして、
「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間」
という震災15年目2時間ドラマに出演させて頂きました。

是非とも観ていただきたいと思い書き込みさせて頂きます。


自分は京都新聞社員役で出演させて頂きます。

フジテレビ
2010年1月16日午後9時〜11時10分


「阪神・淡路大震災から15年 神戸新聞の7日間」

〜命と向き合った被災記者たちの闘い〜


あらすじ
1995年1月17日(火)午前5時46分。阪神・淡路大震災発生。当時神戸新聞と京都新聞は新聞制作に、コンピューターを導入し始めていた当初、突発的なシステムダウン を想定し、緊急時に互いを助け合う援助協定を結んでいた。
 京都新聞が紙面の制作を了承し、震災当日の夕刊を出すことになった。京都で神戸新聞の紙面を作るため、三津山(櫻井翔)は整理部長の首藤(高嶋政宏)らと京都へ向かう。京都新聞社(小野武彦・森本のぶ)の全面協力を受け、なんとか1月17日の神戸新聞夕刊が発行された。
たった4ページ。「無念の夕刊」だったが、休刊をしたことがないという誇りを神戸新聞は守り抜いた。

だが、神戸新聞に新たな試練が襲う。外からは原型をとどめている神戸新聞本社は「全壊判定」を受け、いつ崩れ落ちても不思議でない状態だった。全員撤去し、空きビルの一室を借りて、臨時編集局を開設することになった。

 次々と試練が襲い、新聞を出す意味に迷いを見せ始める神戸新聞社員。父親を震災で失った一人の論説委員長の社説が彼らの気持ちを奮い立たせる…。

 2010年1月、40代になった三津山が大震災当時を振り返る形式で、資料映像をまじえたドキュメンタリードラマをお届けする。


<出演>
櫻井 翔
吹石一恵
萩原聖人
田中 圭
小野武彦
山本 圭
高嶋政宏
内藤剛志
森本のぶ
ほか

コメント(49)

 今日の『笑っていいとも!』で、高嶋さんが番宣をしてらっしゃいました。気持ちが伝わる熱い語り方でした。
 録画して、見ます。絶対に風化させたり忘れずに、後世まで語り継がないといけない事だと…思います。
新長田で被災しました。
フラッシュバックが怖いですが、見てみようと思っています。
10月16日にこのことがMIXIニュースに出ていたので下記の日記を書きました。
1000ぐらいしかアクセスはありませんでしたが、少しでも見てくれる人が増えたらうれしいです。

昨日、とくダネで笠井アナウンサーが、当時震災の現場で報道に徹するべきか救援すべきかという苦悩があったと嗚咽を漏らしながら語っていました。
バケツリレーに加わっていた映像を東京の上司が見て中途半端なことをするなと叱責されて、ここに来て見て同じことが言えるのかと怒りを込めて語っていました。
泣きながらです。

報道と救助を考えさせられる大切な映像だと思います。
ビデオ録画して宝物にしたいと思っています。

神戸を守ってくれた新聞
http://mixi.jp/view_diary.pl?id=1311969031&owner_id=4996713
震災が、起こって一番心配されたのが、暴動が起こるのじゃないのかということだった。

電気も電話も通じないのだから、なんの情報も手に入らないのだ。

噂が噂をよんで、食料の強奪だって起こりかねない状況だったんです。

警察も機能していないのだから犯罪行為だって野放です。

全国各地から今がチャンスと犯罪者が神戸目がけて集結してくる。。

そんな中で治安が保たれたのは、地震でずたずたになっても絶対に休刊しなかった神戸新聞なんですよ。

家が倒れていたら、住んでいた人がいると思われる避難所まで新聞を配達してくれたのです。

何も情報を知らないのだから、どうなっているかわかることがどんなにありがたいか。

食料がこちらに向かっていることを伝えている。

警察が機能してなくても自衛隊が向かっていることを伝えている。

どんなに心強かったでしょうか。

新聞を配っている配達所の兄ちゃんのおやっさんは、震災で亡くなってそれどころじゃないのに、
親父なら絶対に配れって天国で言っているはずと必死で配っている。

記者たちの家族だって亡くなったりしているのに、絶対に輪転機は止めないって誓って新聞を作っていたです。

記者が、頑張って取材し全国に伝えてくれたせいで、全国に神戸の治安は保たれていて犯罪の余地がないことを

知らせてくれたのです。

盗賊や犯罪をもくろむものから神戸を守ってくれたのです。

桜井君が演ずるらしいですけど、どれだけ当時のことを伝えてくれるか、今から期待せずにいられません。
震災時、大学生で
神戸に下宿していました。

>5年前阪神淡路大震災の舞台

↑たぶん、これ観に行ったと思います!

ネットで知って本を買って
東京の舞台を観に行きました。


感慨深いです・・・・。


震災一週間後に 演劇部の卒業公演を予定していましたが
でぎずに終わり
舞台からは遠のいていました。


あの震災の舞台を観て、

ささやかながらも、
また舞台にかかわってみたいと思った
大きなきっかけになりました。
ありがとうございました。



今回のドラマも、もちろん観ます!
明日で震災から15年ですが、あの当時の光景は今でも忘れてないです。

ドラマもしっかり見ようと思います。
15年経つのですね…。
震災の折、灘・東灘・長田に派遣された元自衛官です。

いまでも惨状が思い出されます。
★かたせい★さん

あの時は、本当にありがたくうれしかったです。
この場を借りて。。

ありがとうございました。

> ほっちゃれさん、御礼を戴けるようなことなど何もできなかった…。

  ただ、生存者を救出できた小隊の無線を聴いて、皆で喜んだことを覚えてます。

  忘れられないのは…。

  古いアパートで亡くなった男性。
  その恋人であろう女性の涙。

  心に焼き付いてます。
番組…始まりましたネ…
すでに泣きそうです…
私は今は大阪ですが、当時15歳で淡路島の洲本(実家)にいました。
高校卒業し、長田区に5年ほどいました。

10年目の時に今でもボランティアを続けてる方と知り合い、3年、参加しました(今は諸事情で参加できなくなりました)
今でも17日は眠れないか、5時ぐらいに起きてしまいます

写メは少し前のですが、洲本市内です
こんなに元気になりました
私は東灘出身で、当日まだ小3でした。
何となく目が覚めた時、父親に『布団に潜れ!!』と言われたのを覚えています。
外に出た時、戦争を体験した事はないのに、同じ光景の様に思えました。
幸い家も家族・知人も無事で良かったけれども、街があんな姿になってしまったのは非常に哀しかったです。
15年という年にこのようなドラマが放送されて、とても嬉しく思います。
直接震災には遭ってないのですが、震災の1年前まで西宮や加古川に住んでました。

よく見知った神戸・三宮の惨状に愕然としたこと。
妊娠中だった姉が西宮で震災にあいまったく連絡とれず心配ばかりが募ったこと。
震災の数日後、姉が身を寄せていた千里中央に行くまでの雑然とした街の様子。
さまざまなことを思い出し、映像を見てまた涙があふれてきました。

当時のことを風化させないため、地震に対しての危機管理を再度確認するためにも、たくさんの方に見ていただきたいです。

10年目から3年復興住宅等を回るボランティアを続けていたのですが、神戸のラジオや沖縄の八重山の毎日新聞の取材を受けました

忘れません
当時、芦屋の避難所で少しだけですがボランティアをしていました。

そこで見て、聞いて、経験したことは、確実に私の何かを変えました。

忘れません。
最初の15分でチャンネルをかえました

鳥肌がたち 息苦しくなり…15年たったのに無理でした

録画しているので いつか見れる日がきた時に見たいです

最初から最後までしっかりと見届けました。

涙が止まりませんでした。

幸いにも僕の家族は無事でした。しかし、数人の友人が犠牲となりました。


決して風化させてはいけません。
今日、改めて実感しました。
私は、震災の2年前まで兵庫に住んでいました。
震災当初は名古屋で大学生をしており、深夜バイトを終える頃、揺れを感じたのを覚えています。
関西へ支援へ行く為、授業を休む同級生が何名かいましたね。

震災の中心地で経験された方のお気持ちを理解しきる事は、経験していない私には出来ないです。
ただ、予備校までを関西で生活し、神戸の町が好きなだけに他人事とは思えないです。

皆さんが経験された「良い事」も「悲しい事」も、非常に大きな出来事で、番組の内容で充分とは思いませんが、少しでも状況を感じ取れて良かったです。

素敵な番組の紹介ありがとうございます。
悔しいです・・・
見られなかった

気付いた時には最後の10分でした。
遺体にカメラを向けてシャッターを切る勇気
涙が出ました・・・

録画されている方がいたらお譲り頂きたいです・・・
仕事で神戸へ行って被災した者です。やはり当時の映像を観ると、鮮明に思い出してしまいます。

忘れちゃいけないんですかね
見終わって一息ついたところです

自らも被災者でありながら被災者に取材する
使命感と葛藤の中でそれでも前に進む神戸新聞の方々

当時消防や警察、医療関係やライフライン携わる方
他にも多くの方々が同様なやるせない気持ちだったのでしょうか

伝えること
震災は人それぞれに違うものを残していると思います

今回のマスコミ側からのアプローチというのは
ドラマ仕立てとすることで、震災にあわれてない方にも
何かが伝えることが出来たのではないでしょうか
私はそうあってほしいと思います
拝見しました。
伝える側視線というのが興味深かったです。
当時の記憶にある映像、紙面が満載。ずっとウルウルしてました。
役者さんみなさんも臨場感が伝わる気持ちの入った振る舞いで、見ていてなんか嬉しく思いました。
被災者です、西宮の家は平行四辺形になりました。
当時この神戸新聞の話を聞いて意気に感じそれ以来購読しています。
視ました

垂水で震災を経験した者です
家は一部損壊だったんですが、大変感動しました
また毎日紙面を読んでた記憶が甦りました
神戸は確かに街並みが綺麗になりましたが、まだ以前の神戸に戻ってない…
ドラマの中にあった「本当に復興出来るまで10年、20年…いや50年かかるかもしれないが、神戸新聞は震災を忘れずに追い続ける!」…的な台詞があったと思います
いつまでもあの台詞どおりに頑張ってほしいです
僕は訳あって今は神戸を離れてますが、いずれ神戸に帰りたいと思います
それを強く思いました
フジTV のドラマ 見て 中々 何十年ぶっりーい でしたが いいドラマでし                                           ったなあー、私自身TVドラマは40年ほど見たこと                                           無いのですがああー、 見れましたねえー、 キャストも好く                                              上出来 でしたねえー、 今 ネツトの日記に 書き込み                                                しとります。 指でOK
きっしゃんさん
http://www.youtube.com/watch?v=FlxzTaM7rsg
http://www.youtube.com/watch?v=nf9zzVGjEUE
http://www.youtube.com/watch?v=DPWQIbZPTB8
http://www.youtube.com/watch?v=wyJN0ehYKAM
http://www.youtube.com/watch?v=inOm0lDqt_M
http://www.youtube.com/watch?v=zsAqFmUodT4
http://www.youtube.com/watch?v=6xp1jY1U4LU
http://www.youtube.com/watch?v=oJzCrGryq7k
http://www.youtube.com/watch?v=DJ5XOYpZ8Xs
http://www.youtube.com/watch?v=uNNls2AGQCQ
http://www.youtube.com/watch?v=ym2VIezRuUk

ネット上にあがっていました。
あまり良いことではありませんが、歴史に残さなければならない映像です。
DVD化されたら必ず買おうと思っています。
最後の明日にかける橋を聞いただけで、当時のみんなの明日に進もうという誓いあったことを思い出します。
神戸市東灘区で被災しました。家は全壊に近い半壊で、自宅の四方だけで十数名が亡くなられました。
2号線と43号線の間で、被害の激しい地域でした。

震災後3日目くらいでしたでしょうか、自衛隊の方が来るまで、水も飲めませんでした。県知事や、村山元首相がのんびりかまえていなかったら、救えた命も沢山あったのに。。

ドラマ、、見ることができませんでした。
まだ、思い出すと辛いのです。避難所に何日いたのかも覚えていません。
震災当時の記憶が、断片的にしかないのです。。
父が糖尿病で、薬が切れる前に必死で大阪の親戚の下へ避難しましたが、
親戚の家を転々としたあと、大阪府の被災者救済措置で一人だけ大阪に残り、
夜中まで働いて、休みの日に神戸の自宅まで4時間ほどかけて片付けに通っていました。SMAPの「がんばりましょう」を心の支えにしながら。。

当時神戸に災害支援で来られた自衛隊の方、水道・電気・ガスなどライフラインの復旧の支援に全国から神戸に来てくださった皆様に心から御礼申し上げます。
>>44

いけないことと知っているがやはり「うp」は有り難いですね。
見逃しちゃったのでどうしようかと思案してました。
これから見ます。
私もドラマを拝見しました。
涙、涙でした泣き顔

私自身、軽度の聴覚障害者ですが、あの時は聴覚障害者の救援活動に参加していました指でOK
詳しくは日記に書いています。もし宜しければ、ご覧下さい顔(願)

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