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実は創価学会ですコミュの仏教の影響を受けた日本文化

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仏教は古代インドから直接日本へ伝来したのではなく、仏教は様々な地域に広がった後に日本へきました。
時代は6世紀に伝来したとされています。
その百年後、中国では玄奘三蔵が自国の仏教の教えがあまりにも教える人によってバラつきがあるため、本当の仏の教えを知るために天竺へ旅をしています。これは中国の仏教が当事統一された教えではなく様々な解釈がなされていた事を証明していると思います。
日本に伝来したのは密教であり、インドで仏教が衰退した時にヒンドゥに飲み込まれました。密教とはヒンドゥの影響が強いとされています。
空海は即身成仏になる事で平安だとか疫病を鎮めるなどの効果があると教えていたようですが、最古の仏典スッタニパータにはそのような教えはありません。
また、死ぬ事で成仏と言い仏になれるという考え方は日本だけかもしれません。チベットではダライラマは死ぬと転生すると教えられています。
しかし仏陀は死後に関して「毒矢のたとえ」というお話しをしている事から、死後に転生する事も成仏する事も天国や地獄へ行く事も認めてはいません。
「死んだ後の事んなもんわかるかい。考えるだけ無駄。無駄な事うだうだ考えてたら寿命が尽きて死んじゃうから、とっとと修行しなさいよ」という仏陀の説法が「毒矢のたとえ」である以上、仏教において仏陀も「わかりません」と言っているのに後の人が仏の教えとして成仏するだとか転生するだとか天国や地獄へ行くだとか言うのはおかしい話しです。
チベットにおいてはダライラマの転生というものに関して、常に可能な限り、立派な国家元首を作るシステムという考え方をしている人も居ます。
仏壇に位牌を供える風習が日本では一般的ですが、これは後漢時代の中国儒教の教えです。
位牌なんかぶん投げたって仏は別に怒りません。
罰なんかいちいち当てないでしょう。
釈迦は三宝を大切にしろと言いました。
その三宝とは仏と法と僧です。仏と僧は今でも大切にされていますが、仏の教え、つまり最初の教典、即ち法はあまり大切にされていないという事が上記の説明で理解できると思われます。

日蓮大聖人を大切にしろ。なんて言ってません。

教典の中でも般若心経なんかは酷くて
「観自在菩薩」という修行者が、釈迦の十大弟子の「舎利子」というとんでもない偉い人に教えてるお経なんですね。
【菩薩】というのは修行者の事です。
いろいろな考え方もありますが【舎利子】とは仏陀の十大弟子であって、仏陀から直接の指導を受けて悟りを得たとする考え方もあります。
修行者がもっとすごい修行者に教えるお経ってなんなんだという事です。恐らく誤訳だと言われています。
空即是色というのも間違いです。説明すると長くなるから省くけどそういう間違いがあるお経なわけです。漢語のお経ですからね。
色即是空・空即是色。つまり物質(色)と空は完全に同一であるという教えですが、完全に同一であれば龍樹はわざわざ空の概念なんか考えません。色(物質)は色(物質)と教えれば良いだけです。
空とはサンスクリット語では0を意味します。
それを日本人は、「ありがたや〜」とやってきたわけです


過去の聖職者達は、輪廻や地獄については明確な答えを出してないし

輪廻や地獄があることを証明出来てません。

誰も輪廻や地獄があることを証明できないexclamation

須弥山を中心にした世界のこと。これをそのまま現代の宇宙観に当てはめる論はかなりの無理がある。ブッダは宇宙について言及していない。ブッダ以降に須弥山世界の宇宙観が登場した。

仏教の宇宙観では、須弥山を中心とするのであるが、ここに人間は住まない。

人間が住むとされるのは閻浮提(えんぶだい)という土地、その地下に八大地獄があり、それに付随する地獄がある。

さらに、この地獄思想はインド・中国・日本のそれぞれの民間(土着)信仰と結びついて、発展を見せている。(例:地獄の境涯など)

シュメール文明の時代に「地獄」という概念が明確化して、東西の文明社会に広まったと思います。
悪い事をさせないためです。

古代エジプトとか、インカ文明があった、アメリカ先住民の死生観では「天国と地獄」の概念はありません。

死後は、極楽も地獄もない人間の作りごと

生きてるときに地獄や極楽があります。

例えば一日八時間の仕事ですが、嫌々やっていれば滅茶苦茶長く感じるでしょ

でも不思議なことですが、一所懸命にやっていればさほど長くは感じません。

自分自身の心の状態で同じ環境でも感じ方が天地の差がある訳です。

心の濁った人は物事を「面倒くさい」とか「うざい」とか感じたり、何かにつけて「怒り」を感じたり、他者との関係を軽んじて「孤立化」したりすることが多いのです。

地獄に堕ちるとは常にこういう精神状態でいることを指してる。


南極や赤道直下の屋外なんかは「地獄」と言えるでしょう

病気や戦争等で苦しむのも「地獄」と言えると思います。




コメント(11)



日蓮大聖人は好きですが、日蓮本仏論の洗脳信者は好きではありません。

洗脳信者は日蓮大聖人のようでは、ありません。振る舞いが悪い!

信念は嘘よりも危険な真実の敵です。



五重相対

自己弁護、自己追認の為に産み出した自我の投影で元来在るはずの無い価値判断。

其れに基づいて客観性の無い主体(自我)に由る分別・教判である。

他・外と己自身が認識分別した者・物・モノを蔑み貶めてこそ自身の存立安定を謀る最悪の

煩悩の一つの顕れである。

此れは己自身の貪瞋痴を減滅して行く事で心の浄化、寂静へと向かう。

ーーーー

精神分析学の中に
「投影性同一視」
というのがありますが、これは、
 相手側に言っているのですが実は自分の事という事です。

 極悪・邪淫・詐欺師・気狂い・守銭奴等々を教祖が敵対宗派に聖狂新聞でコメントをしてましたが、全部が池田犬作の事ですよ。
他を悪く言う内容は池田犬作に当てはまってます。

ーーーー

自分のことを棚に上げて他人を、非難するパターンを、他にもいくつか挙げてみましょう。

私の存在を無視するようなことをするな。
   → 自分自身が他人を無視するようなことを平気でしている。

お前はマトモじゃない。狂っている。常識というものを知らない。
   →  自分自身が狂っていて常識というものを知らない。

お前は卑怯で陰険なやつだ。
   →  自分自身が卑怯で陰険なことをしている。

なんで私の言うことが信用できないんだ。
   → 自分自身が他人を信用していない。

お前は私を支配しようとしている。
   →  自分自身が他人を支配しようとしている。

お前は欠点だらけだ。
   → 自分自身が欠点だらけ。

お前のようなやつは、誰からも相手にされないぞ。
   → 自分自身が誰からも相手にされない。

お前は態度がでかい。生意気だ。
   → 自分自身が生意気で、でかい態度を取っている。


自己投影による洗脳で自己愛になってしまう

自己愛性の男は、自分が○○だって攻撃されたとき
「お前のほうが○○だ。」って落ちついた態度で反論するよ。

相手の言葉尻を捕らえてその言葉を利用して
まったく見事に相手を○○に仕立て上げるよ。
相手が(自分は本当に○○なんじゃないか)と思うところまで論理を展開する。
自己愛って、自分が宿主になりきりつつ、逆に自分の欠点を宿主に押しつけてきますよね。
まるで中味を交換しようとでも言うように。おぞましい限り。
自己愛は自分自身に対するコンプや怒りを、タゲに自己投影して叩きます。
タゲは自己愛の投影を受けているので、自分が「自己愛性人格障害のような人間」と思い込むようです。

>>[1]
一言申し上げさせていただきます。
「好き嫌い」の表現は、現在の自分の感情を中心に判じていることになりませんか。「善か悪か」の評価が大切ではないかと存じます。
 確かに信念は危険性が有ると思います。しかし、信念を持つことは、人として生きることでも有ろうかと思います。日々、常に、己の信念が正しいかを、反省しつつ生きること。その反省の基準が信心でも有ろうかとも思います。従って、信じる宗教は、全く正しくなければならないと思います。おっしゃる「真実」は「全く正しい仏法」であって、私たち凡夫は持ち合わせていないと思います。
大聖人様さえ、ご自身を糞袋とおっしゃておられたか所が有りますね。
ただし、中身には黄金が入っているのだから、袋が汚いからと、中身まで捨ててはいけないと。
 大切な事は、「だから自身はこのように正しく信心をしていこう」となることなのではないでしょうか。
>>[003]

はじめまして

おはようございます猫


ありがとうございます


お勉強になります。
>>[2]
おっしゃる内容はほぼ正しいと思います。
ただ、人間の命を表層から捉えた場合だと思います。
ですから人間の範疇になろうかと思います。
仏法は、天才と言われる人も含み、普通の人間の認識できうる世界を越えた、命全体の悟りに基づくものではないでしょうか。その命を体系化し、本来あるべき命の姿に、いかにすれば到達できるのかを教えてくださっていると思うのです。
>>[3]

こちらこそ、勉強させていただいております。

いたらない信心をさせていただいています。


色心不二

この世において、肉体(色)と霊体(心)は表裏一体、不可分のものである。

肉体と霊体は表裏一体 色心不二


>>[7]
素晴らしいことです。
私は、「色」は、自身の肉体のみならず、環境と認識している全てと理解しています。
ですから、衆生の「心(境界)」と「色(国土)」も表裏一体だと。
>>[1]
信念(我)を、真実(仏)にしていくことが、仏道修行かも知れませんね。

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