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白石善章ゼミコミュの百貨店再生への道

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流通科学大学、そして、白石ゼミとして、百貨店について研究された方も
多数いらっしゃるかと思います。
5月の日経ビジネスオンラインで、松岡真宏氏が『百貨店の復活する日』というコラムを綴って
おられたので、抜粋して紹介します。

◆「三十貨店」では魅力がなくて当然でしょう
現在、百貨店を取り巻くニュースは酷いものばかりです。有楽町で、池袋で、吉祥寺で、京都でと大消費地の店舗が続々と潰れ、リストラをやむなく慣行し、けれども日本の国内消費が一向に回復しないので、どの策も焼け石に水。 ああ、かつて流通の王として君臨した百貨店はもはや見る影もない。
けれども、涼しい顔で「百貨店、復活できますよ」とおっしゃる方がいらっしゃる。それが本連載に登場する松岡真宏さんです。

 松岡さんは1990年代から2000年代前半にかけて、外資系証券会社にてナンバーワン流通アナリストとして広くその名が知られていました。切れのいい分析力と何より流通業界に対する深い愛情が買われ、産業再生機構に参加、ダイエーの建て直しのチームに加わり、自ら現場の店頭に立って陣頭指揮にも当たり、ダイエーの再生が一段落したのち、現在では企業再生とM&A(合併・買収)を専門とするコンサルティング会社であるフロンティア・マネジメント(東京都千代田区)の代表取締役を務めています。
 流通業を、アナリストとして、コンサルタントとして、企業再生の経営陣の1人として経験してきた松岡さんの「百貨店復活」のあっと驚くお話、それではお聞きいたしましょう。

―― 松岡真宏さん、「百貨店が復活する」とおっしゃいますが、現状を見るとぼろぼろです。
 最近では、伊勢丹吉祥寺店が閉店し、西武有楽町店も2010年12月の閉店が決まりました。とても復活するとは思えないのですが?
松岡 真宏(以下、松岡):確かに、百貨店の業績は極めて悪い。でも、なぜ悪いのか、その理由がちゃんと説明されていません。日本の消費市場が冷え込んでいるから、と一言で片付けられていますね。
 本当にそうでしょうか。1990年のバブルピーク時の日本の消費支出と2006年とを比較すると、1990年100に対して、2006年は95。たった 5%しか落ちていません。となると、百貨店がこれだけ苦境に陥る理由としてはいささかパンチが足りません。

◆日本はアメリカよりファッションに消費しない
―― じゃあ、何が百貨店を苦境に陥れたんですか?
松岡:ここに面白い数字があります。同じく1990年の日本の消費支出のうち、衣料アパレルの消費は何%を占めていたか? 7.4%です。それが2006年になると、なんと4.3%まで落ち込む。1990年の衣料アパレル消費を100とすると、2006年の消費は55。この20年近くで、日本人のファッション市場は金額ベースで半分になってしまったのです。
これがどれくらいひどい数字かと言いますと、アメリカ、カナダ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリア、韓国、そして日本の先進8カ国中、日本の衣料消費の比率は、ビリ(注:前ページ「消 費支出に占める割合」の数値と本ページ「先進8カ国の消費支出に占める衣料の割合」「先進8カ国の消費支出に占める食品の割合」の数値が一致しないのは、国際比較するために帰属家賃を算入しているため)。「ファッションにあまりお金も気も遣わない」と言われがちなアメリカよりも低いのです。

―― 日本のアパレル消費はこの20年近くの間に、半分になっちゃったわけですね。なぜですか?
松岡:1つは中国の台頭で安価な衣料が大量に作られ、日本に輸出されるようになったこと。もう1つは、その流れともつながっていますが、ユニクロを筆頭とする「ファストファッション」の普及ですね。
 消費者の高級ファッション離れとも相まって、日本人がファッションにかける金額はバブル時の半分になってしまったわけです。ファッションの購入点数そのものはそれほど落ちていないのかもしれません。けれども商品の単価が劇的に下がりましたから、市場規模は当然縮んでしまうわけです。
―― なるほど。ファッションはもともと「ブランド」価値という「機能」価値とは異なる、数値化できない価値がその値段に反映されていただけに、製造・流通面でのコストダウンと消費者の価値転換が起きると、一気に値崩れしてしまうわけですね。
松岡:その通りです。既にお話ししたように日本の消費は1990年から2006年の17年間で、5%しか落ち込んでいません。一方で、食品の支出は、いまだに先進国でも最高水準レベルです。
また、先ほど紹介した「消費支出に占める割合」でお分かりの通り、交通・通信は携帯電話やインターネットの発達もあり、2割前後伸びています。日本の消費がすべて落ち込んでいるわけではないのです。この20年の間に、日本人は消費のポートフォリオを変えました。そこで衣料が一人負けしたわけです。
―― 衣料がそこまで落ちていたとは知りませんでした。ということはやはり・・・。
松岡:ええ、ご推察の通り、百貨店はこのアパレル不況、衣料デフレの波をもろにかぶったのです。
 1980年代以降、どこの百貨店も衣料分野へのシフトを進めました。地下の食品売り場と、1階の化粧品売り場を除くと、ほとんどのフロアで売っているのは衣料アパレル。実際、百貨店の売り上げのうち、衣料アパレルの売り上げの割合は半分を占めます。このため、現在のように、衣料アパレル分野がここまで不況になると、百貨店は逃げ場を失い、大打撃を受けてしまったのです。
 この消費の変化のあおりを受けているのは、百貨店ばかりではありません。もう1つの流通の雄、GMS(総合スーパー)も衣料分野は赤字に陥っています。食品分野が堅調なので百貨店に比べ目立たないだけです。高級ブランドの多くも苦戦しています。銀座などの一等地から店舗を撤退するブランドも出てきました。
 「百貨店不況」とみんな騒ぎますが、その裏にあるのは「衣料アパレルデフレ」であり、消費者の衣料にかけるお金がバブルの半分になってしまった、という実態が、衣料頼みの百貨店の経営を直撃したのです。おおざっぱな「百貨店不況」という言葉に踊らされず、この現状を正確に把握していないと、百貨店経営の本当の問題点を見誤ってしまいます。

◆「百貨」店を積極的にやめたのでは?
―― 今の百貨店の苦境は衣料分野に特化したことが原因なのですね。でも、不思議です。先ほどのお話ですと、1980年代半ば以降、日本の百貨店はいずれも、多様な商品を扱う「百貨」店であることを積極的にやめて、衣料と地下食品売り場に特化していったはず・・・。
松岡:そうです。昔は、百貨店で家電もカメラも家具も扱っていました。ところが、家電にしろ、カメラにしろ、家具にしろ、それぞれの商品を専門に扱う小売りが進化して、百貨店の売り場に競争力がなくなってしまった。
 そこで、自分たちが得意とする衣料アパレル分野に経営資源を集中させ、「百貨」店から、「五十貨店」「三十貨店」になっていったほうが、サバイバルできる。多くの百貨店経営者はそう考えたんですね。
 でも、その考えは間違いだったわけです。
――え、間違い? 衣料不況に出会ったのは不幸だったかもしれませんが、得意分野に経営資源を集中させるのは必ずしも誤りではないのでは?
松岡:その発想自体がとんでもない間違いです。だって、消費者のニーズを無視していますから。
 現実の街を見てください。かつて新宿三越南館だったところには、何がありますか? 大塚家具の大型店です。同じく池袋三越の跡には、ヤマダ電機が入居しています。その向かいにあるのは、ビックカメラです。ほら、百貨店のあった場所には、家具も家電もカメラも売っているじゃないですか? しかも堂々の本拠地です。
―― あ、確かにそうだ。じゃあ、1980〜90年代、百貨店が採っていた衣料アパレル分野への特化、という戦略自体が間違いだったと。
松岡:そうです。百貨店は、その名の通り、駅前立地の「百貨」店であるべきだった。当時、多くの流通コンサルタントたちが「自分たちの得意分野である衣料アパレルに特化したほうが、流通戦争で生き残れますよ」という甘言をささやいていましたが、その甘言に乗ったのもいけませんでしたね。

◆コアコンピタンスを取り違えた
―― ちょっとここで、話を整理しましょう。まず、今の百貨店不況の原因は、衣料アパレル不況にある。なぜなら衣料アパレル分野の消費はバブル時の半分まで落ちてしまったから。そして衣料アパレル不況に直撃されるようになったのは、百貨店が「百貨」を捨てて高級衣料専門店化して、売り上げを衣料アパレル分 野に頼るようになったから。
 こうやって整理すると松岡さんのおっしゃる通り、「百貨」を捨てたのは間違いですね。でも、なぜ百貨店は、「百貨」であることを捨てて、衣料アパレル頼 りになってしまったんですか?
松岡:それは百貨店自身が、自分たちの業態が何であるのか、自分たちのコアコンピタンスが何であるのかを完全に取り違えてしまったからです。
 では、百貨店とはどんな業態か。何が他の小売りと徹底的に異なり、何がコアコンピタンスなのか。答えを先に言っちゃいますね。
 百貨店とは、「都市部の駅前」に立地する、「多様な消費=百貨」に応える小売業態。以上です。
――都市部の駅前? 1990年代には郊外百貨店がずいぶんできたはずですが。
松岡:ほとんど討ち死にしているはずですよ。日本でも有数の優良消費者が住む東急田園都市線の郊外、港北ニュータウンに1998年にできた港北東急百貨店はわずか8年で改装を余儀なくされて、港北東急として専門店ビルとなり、ホームセンターやユニクロや大塚家具が入りました。東京最初の大型郊外住宅地、多摩ニュータウン にできた柚木そごうも1992年に登場したのち、2年ほどで閉店に追い込まれています。
 百貨店は、日用品を購入するGMSやホームセンターとは顧客層や顧客のニーズが異なります。百貨店の場合、都市部の駅前立地というのが、業態の一部なのです。百貨店の世界では数少ない勝ち組と呼ばれる伊勢丹だって、本当に堅調だったのは新宿本店など限られています。あれだけ消費者の多い吉祥寺ですら、苦戦を強いられることになりました。
―― でも、一方で、新宿や池袋のような大都市の駅前でも、三越は店を閉じましたよね。
松岡:こちらはもう1つの業態である「百貨」を捨てた、ということで説明がつきます。まず、池袋と新宿の三越新館はあきらかに規模が小さかった。ゆえに衣料専門店のような装いでした。
 新宿と池袋は、それぞれ日本を代表する百貨店激戦区です。池袋には駅に西武と東武の旗艦店が直結し、新宿には伊勢丹の本店、高島屋、小田急、京王がしのぎを削っています。衣料一本やりで勝てるわけがありません。
 その跡地には先ほど述べましたように、大塚家具とヤマダ電機の本店が入居しています。家具と家電は、1970年代までの百貨店にとっても重要な商品でした。家具や家電が駅前で売れなくなったのではない。百貨店自身が自分たちの業態を見誤ったから、経営が悪化したのです。

コメント(6)

◆「情報のフラット化」で窮地に立つバイヤー
―― 前回は、現在の百貨店が苦境に陥っているのは、品揃えを衣料アパレルに特化したところに衣料デフレが直撃した結果であるという松岡真宏さんの分析をお聞かせいただきました。では、百貨店は、どんなふうに自分たちの業態の強みを考えていたのでしょうか?
松岡:百貨店は、自分たちのことを「自主マーチャンダイジングで店舗を設計できる小売業態」と思っていたんですね。おそらく今も多くの百貨店関係者がそう認識していることでしょう。
 自主マーチャンダイジングとは、商品の品揃えを社員のバイヤーが決めていくことです。その多くが呉服問屋からスタートした百貨店にとって、自分たちの眼鏡にかなった商品をセレクトしたり、あるいは発注して作らせたりする、といった自主マーチャンダイジングという仕事のやり方は、DNA(遺伝子)のようなもの。ゆえに「自主マーチャンダイジングできる小売り=百貨店」と信じてきましたし、そこに誇りを持っていました。

◆バブル景気がアパレル志向を強めた
松岡:ところ が、1970年代以降、日本の経済がピークに達し、高度成長期が終わり、消費が多様化すると、百貨店の自主マーチャンダイジング路線は揺らぎ始めます。それぞれの商品分野で専門店のほうが市場のニーズを捉えたよりきめ細かな品揃えができるようになっていったからです。
 百貨店は、家電やカメラなど比較的不得手な分野から順番に切り捨てていき、1980年代半ばには商品アイテムを最初から衣料アパレルに絞った西武有楽町店や阪急有楽町店などが登場しました。いわゆる「五十貨店」「三十貨店」路線です。
―― なぜ、その時点で間違いに気づかなかったのですか?
松岡:バブル景気があったからです。幸か不幸か、1980年代後半、日本は円高景気のバブルに突入し、ブランドブームが起きました。海外の高級アパレルを取り揃えた百貨店の売り上げは伸び、結果として、アパレル志向をますます高めていくことになったのです。
 しかし1990年代初頭のバブル崩壊以降、日本のアパレル市場は金額面で衰退の一途をたどっています。購入点数はそう変わらないかもしれませんが、単価は大きく下がっています。この結果として、生活者の消費支出に占める割合が、1990年には7.4%だったのが、2006年には4.3%と半分近くにまで なってしまった。(出所:総務省『家計調査統計』よりフロンティア・マネジメント作成)

その過程で台頭してきたのが、郊外に拠点を構える紳士服チェーンであるアオキや青山商事、コナカなどであり、ユニクロであり、ここ数年海外から進出してきたスウェーデンのH&M(エイチ・アンド・エム)やアメリカのFOREVER 21(フォーエバー トゥエンティーワン)、スペインのZARA(ザラ)です。いずれも価格破壊が売り物で、百貨店がこれまで採ってきた高級アパレル志向とは正反対の戦略です。
「自主マーチャンダイジング」にこだわるあまり衣料分野に特化し続けた百貨店は、アパレル衣料分野の価格破壊という、この巨大な波に飲まれてしまったわけです。

◆「素人」の消費者でも新しい情報を得るネット時代
―― 百貨店の現在の苦境ぶりは、消費者の消費性向の変化に対応することなく、自分たちの得意な業態に拘泥したことが原因だったわけですね。顧客志向をいつの間にか失っていたわけですか。
松岡:しかも売り物だったはずの衣料分野での「自主マーチャンダイジング力」も実はどんどん弱くなっているのです。
―― え、そうなんですか? 百貨店といえばバイヤーと言われるマーチャンダイジングのプロがいて、新しいブランドを海外から連れてきたり、店頭から新しい流行を生み出したりしていましたよね。靴下やストッキングなどを製造販売する福助(東京都渋谷区)の事業再生などを行った伊勢丹出身の藤巻幸夫さんなど、名バイヤーの方の名もよく聞きますが。
松岡:確かにかつて百貨店の売り物は、社員バイヤーにおける店作りでした。けれどもまず、平成バブル以降、海外の高級ブランドが日本での直営に乗り出し、百貨店が口を出せる部分がどんどん減っていき、百貨店のバイヤーの口を出す余地が減っていきました。
 それ以上に影響力が大きかったのが、インターネットの発達です。消費者に対するバイヤーの情報優位性がなくなってしまったのです。海外の情報が瞬時に手に入るようになりましたからね。場合によると、「プロ」の百貨店バイヤーよりも、「素人」の消費者のほうが、より新しい消費情報を得ることが可能になってしまった。衣料分野でも百貨店の自主マーチャンダイジング力は、もはや効力を失っているのです。
―― じゃあ、どうすれば百貨店は復活できるのでしょう? 自主マーチャンダイジング路線を突き進み、衣料中心の業態になったら、衣料デフレの波をもろにかぶってしまった。いったい、復活できる方法はあるのですか?
松岡:あります。それどころか、再び百貨店にチャンスが巡ってきています。

◆百貨店を百貨店たらしめるポイントとは?
―― え、本当ですか?
松岡:本当です。
 その前に、なぜ今の百貨店が凋落したのか、もう一度おさらいしてみましょう。まずは、百貨店のビジネスの要素を因数分解してみます。
 すべてのビジネスは、ヒト=労働力とモノ=設備と場所の力、の組み合わせで成立します。この方程式を百貨店に当てはめると、ヒトの力とは従業員の情報発信力、サービス力、そして品揃え力になります。
自主マーチャンダイジングとは、まさにこのヒトの力で成り立っていたわけです。モノの力とは、立地。これに尽きます。言い換えれば、「場の力」です。最初に申し上げた大都市部の駅前立地。これが百貨店の大いなる競争力の源泉です。
―― 自主マーチャンダイジング力とサービスという「ヒト」の力と、大都市の駅前立地という「場」の力とが、百貨店を百貨店たらしめる大きなポイントだった、というわけですね。
松岡:はい。 1960年代から1970年代にかけて百貨店の価値は、ヒトの力と場の力の双方が生み出していました。いい立地にいい品揃え、素晴らしいサービス。ところが前回お話ししたように、バブル前後から人の力が弱くなっていきます。社員の力がものを言うはずの自主マーチャンダイジング力が低下していったのです。
 ヒトの力が価値を生み出さなくなった、というと、百貨店関係者が聞いたら頭から湯気を出してお怒りになるでしょう。でも、残念ながら事実です。
 なぜそうなったか。原因の1つは、先ほど申し上げたように、インターネットの発達に大きな理由があります。インターネットが普及したのは1995年以 降。まだ15年しか経っていませんが、その間に、百貨店のバイヤーたち、マーチャンダイザーたちから大切な力を奪っていきました。
 それは「情報」です。
 昔は、海外はおろか日本国内においても、地方に住んでいて都会の情報を入手するのはとても困難でした。ましてや、ファッションの発信地だったフランスやイタリアの最新情報を素人が手に入れるのは不可能に近い。海外の専門誌を手に入れることすら難しかったのですから。素人とのこの「情報格差」こそが、百貨店の「ヒトの力」でした。
 それがインターネットによって、プロはもちろん消費者でも、気軽に海外のトレンドを知ることが可能になりました。情報が伝わるまでの時間差を価値としていたバイヤーの力は著しく減じられることになったのです。

◆それでも百貨店には追い風が吹いている
―― インターネットの登場による情報のフラット化が、百貨店の業績に影響を及ぼしていたわけですか。
松岡:はい。そのうえ、バブル以降の百貨店は、欧米の有名ブランド頼みの品揃えを行った。多くの場合、ブランドの直営店がテナントとして入っているだけ。自主マーチャンダイジングにこだわってアパレル衣料にシフトしたものの、一番得意分野だったこの分野においてもマーチャンダイジングの力が落ちてしまいました。
 百貨店は、かつてヒトの力で、他の流通業態では不可能な、豊富で独自性のある品揃えを行い、文字通り「百貨」を標榜していました。けれども、消費の多様化と、インターネットの発達による情報のフラット化により、一流通業の力で消費者のニーズに応えられる品揃えを行うのは至難の技となったのです。
 そんな時代に、もはや効力を失った「自主マーチャンダイジング」にこだわり、社内の「ヒトの力」に頼ろうというのは、まさに死を意味するのです。
―― うーん、ここまでお話を聞くと、やはりどう考えても復活の目はなさそうですが・・・。
松岡:おっと、待ってください。ビジネスにおける、もう1つの要素「場の力」の話がまだですよ。百貨店の「場の力」とは、都市部の「駅前立地」のことです。実はこの「場の力」に視点を移すと、時代は再び百貨店のほうに風が吹いているのです。
3.プライドを捨て、「場の力」を最大限に活かせ
◆消費の中心はロードサイドからレールサイドへ
―― これまで2回にわたって、百貨店不況の原因を松岡真宏さんに解説いただきました。実は衣料デフレの波をもろにかぶったものであること、そして衣料頼みになったのは自主マーチャンダイジングという仕事のやり方にこだわりすぎたためであること、その結果、衣料こければみなこける、の状況に陥ったのが根本的な問題であること。
 まさに目からウロコのお話しだったのですが、それでも「建て直す方法がある」と松岡さんはおっしゃいます。そのヒントは「場の力」=「駅前立地」にある、と。
 でも、バブル崩壊以降、流通といえば、イオンに代表される郊外ショッピングモールやロードサイドショップが花形というイメージがあるのですが・・・。
松岡:皆さん、そうおっしゃいます。確かに地方都市などでは、自動車の普及で郊外のショッピングモールに人の流れが移り、駅前の古くからある商店街はいわゆる 「シャッター商店街」になってしまった、という話をよく聞きます。
 そもそも、日本の流通の郊外化の流れは、1970年代後半に端を発し、1980年代そして1990年代にかけて大きく発展しました。郊外化はよくモータリゼーションが主要因と言われていますが、実態は全く異なっています。実は、アメリカの郊外化はニューディール政策による住宅投資加速と都市のスラム化が主要因でしたが、日本ではアメリカに遅れること数十年、地方への公共投資ばら撒きによる道路開発と都市部の地価高騰が相まって「郊外」=ロードサイドが新しい流通の拠点となりました。かつて駅前立地を争っていた小売業態がこぞってロードサイドへ店を展開していきました。

◆2000年代に入って人の流れが変わった
―― ですよね。だったら駅前に位置する百貨店に勝ち目はないのでは?
松岡:でも、この流れは2000年代に入るにつれて明らかに変わってきています。地方への公共投資が一段落し、加えてバブル崩壊によって都市部の地価が大幅に下落すると、郊外人口の増加がストップし、今度は一転して「都心回帰」という言葉に象徴されるように、都市部=駅前に人々の流れが戻ってくるようになったのです。
 そこで新たな勝者となったのが、例えばJRグループですね。鉄道業である利点を生かし、駅そのものを消費の場と変えていきました。JR東日本(東日本旅客鉄道)が山手線や東海道線などで展開している駅ビル「アトレ」や「駅ナカショップ」が典型ですね。
アトレには、品質へのこだわりを特徴とする成城石井がスーパーマーケットとして進出しているほか、大手書店や様々なフードショップが出店しています。ユニクロや無印ブランドの良品計画など集客力のあるブランドも常連です。そのJR東日本はこの春スーパーマーケットの最高峰である紀ノ国屋の株も取得しました。駅をさらに消費の中心地にしよう、と積極的に動いています。
以上のJRグループの好調ぶりは、消費の中心がロードサイドからレールサイドへ、郊外から駅前に戻ってきている証拠です。
―― ロードサイドからレールサイド!
松岡:衰えたとはいえ、都市部の、とりわけ東京の消費の大きさがどれだけ巨大なものか、百貨店の売り上げを見れば一目瞭然です。2008年の百貨店の売り上げを地域別に比較してみました。

◎百貨店の地域別売上高 (2008年、単位:億円)
全国      72,450
6大都市    40,682
東京      18,335
横浜       3,736
名古屋      4,417
京都       2,859
大阪       9,326
神戸       2,007

地方都市   31,767
北海道      2,421
東北       2,444
関東      12,576
中部       1,220
近畿       2,095
中国       3,488
四国       1,437
九州       6,082

地区別百貨店売上高(単位:億円)
東京・日本橋 4,723
上野・浅草     698
池袋      3,171
新宿      5,488
渋谷・玉川   2,242
銀座・有楽町 1,854

例えば、北海道全体の売り上げは2421億円ですが、渋谷+玉川地区でほぼ同規模の2242億円の売り上げがあります。新宿地区にいたっては5488億 円と、名古屋全体の百貨店売り上げ4417億円を1000億円も上回る規模です。
 と、ここまで見れば分かりますね。いまや消費は郊外から駅前に、さらに地方から都市部へと移っています。となれば、大都市の駅前立地を誇る百貨店は、消費の拠点として改めてとても大きな潜在力を秘めていることになるのです。

◆ディズニーランドよりも集客する新宿伊勢丹
―― なるほど。消費環境の変化、郊外から都市部、ロードサイドからレールサイドへの流れが、そのまま百貨店復活の後押しとなる、というわけですね。
 でも、先ほどのお話ですと、衣料に傾きすぎた今の百貨店の経営では、衣料デフレのマイナススパイラルから抜け出ることはできませんよね。経営そのものを建て直さないと、いくら環境が改善しても復活は難しいのでは?
松岡:その通りです。経営面での復活のポイントは、たった1つに収斂できます。すなわち、自主マーチャンダイジングにこだわるのをやめ、「場所貸し」のプロになることで、もう一度「百貨」店を目指そう、ということです。
―― でも、数少ない勝ち組である伊勢丹新宿本店などは、自主マーチャンダイジング路線を貫く数少ないアパレル中心の百貨店と言えませんか?
松岡:伊勢丹新宿本店の1年間の来店客数は約3000万人で、東京ディズニーランドの入園者数(約2500万人)より多いんです。もちろん店舗が優秀だから、という点もありますが、立地の優位性が極めて大きい。これだけの来店客数があれば、自主マーチャンダイジングではない選択肢で利益を出すことも十分に可能です。
つまり、新宿伊勢丹のビジネスモデルは、伊勢丹のモデルではないのです。あくまで新宿伊勢丹モデルであり、同じ仕組みで相模大野や吉祥寺で百貨店経営ができるというわけではないのです。なぜか。それほど人が来ないからです。
―― やはり立地が大きな要因、なのですね。じゃあ、自主マーチャンダイジングを捨てて、どうすればいいんでしょう?
松岡:実は、百貨店内部に成功の秘訣が隠されています。
 1990年代以降、凋落を続ける百貨店業界の中で、唯一元気の良いフロアがありました。そう、デパ地下=地下食品売り場です。デパ地下に関しては、百貨店は早々に自主マーチャンダイジングを諦め、場所貸しのプロに徹し、飲食のプロや欧州のブランド菓子業界などに、店頭作りは任せました。その結果、デパ地下を舞台に健全な競争が起き、もともと駅前立地という優位性もあって、デパ地下は百貨店にとって数少ないお客さんの呼べる場所になりました。
 飲食や人気パティシエなどのブームも、デパ地下が発信源となるケースがたくさん出てきましたが、もし自主マーチャンダイジングにこだわっていたら、それは到底叶わなかったでしょう。場所貸しのプロに徹し、優良テナントにしのぎを削らせたことで、多様性のある、しかも魅力的な店頭ができたのです。
◆ファッションは「不確実性の世界」
―― 確かにデパ地下は百貨店不況とは無縁で、今も活況を呈している店が少なくないですね。
松岡:このデパ地下で行った改革を全フロアで展開すればいいのです。そのためには自主マーチャンダイジングにこだわる、古いプライドを捨てねばなりません。
 そもそも、日本の経済成長がピークに達したバブル以降、消費者の主観で人気が左右されるアパレル=ファッションの世界は、何が当たるか分からないリスクマネジメントが難しい、不確実な市場となっています。言ってしまえば、絵画や小説のようなアートの世界に近くなったのです。すなわち、どのブランドが売り上げに結びつくか、蓋を開けてみないと分からない。このように不確実性の高い仕事を社内においては、百貨店のようなビッグビジネスはできません。
 かつては、イタリアで流行っているこのブランドを日本に持ってきたらだいたい70%の確率で当たる、という具合にリスクを取ることができた。つまり、消費者との情報ギャップを利用してマーチャンダイジングしていたので、先進地で流行っているという事例を輸入すれば、ある程度の確率でヒットすることが見えていたのです。
 ところが、今では世界中の情報は瞬時にウェブを介して共有されてしまいます。消費者と百貨店の間の情報ギャップは埋まってしまいました。しかもファッションブランドも出尽くしています。結果、「次に何が当たるのか」というのが、「海外のどこそこで当たっているから」という理由で計ることが難しくなった。経済学者であるフランク・ナイトの不確実性の議論を使えば、ファッションビジネスは「リスク」を取ることが難しい、「不確実性」の世界になってしまったということができます。
 海外のブランドを持ってきたら即ヒットということは、もはやありません。何が当たるのか、プロでも見極められない。それはもうビジネスではありません。作り手からしたら「アート」だし、売り手からしたら「ギャンブル」の世界に近い。そんな極めて不確実な仕事を、企業の中で主軸に据えるのでは、それこそリスクが大きすぎます。
 じゃあ、どうすればいいのか? 外に任せればいいのです。
 分かりやすい例えをすれば、出版社と作家、テレビ局と制作プロダクションや芸能人の関係に近いですね。作家や芸能人は、誰が当たるか分からない。ビジネスである前に、「アート」の世界だからです。だから出版社もテレビ局も、作家や芸能人を「社員」にはしません。そして当たりそうな、あるいは当たった作家の本を出したり、芸能人の番組を作ったりする。しかも制作は、いまや外部のプロダクションが行う。
 これと同じです。今生きのいいブランドやショップを、テナントとして契約すればいい。百貨店側に求められるのは、マーチャンダイジングの能力ではなく、どんなブランドに場所を貸すのが一番売り場として魅力的になるか、という「場貸し」のプロデュース力、というわけです。テレビ局や出版局に名物プロデュー サーがいるのがその証左です。
消費者は常に「尖った新しいもの」を欲しています。でも尖った新しいものは、社員がリスクを考えながらおずおずと仕事するような形では提供できません。むしろ外部の生きのいい会社、生きのいいクリエイターをセレクトして、場所を貸せばいいのです。
◆M&Aによる再編は、事業再生の道筋
―― 百貨店業界は、今M&A(合併・買収)が進んでいますね。伊勢丹と三越、大丸と松坂屋のように。破談になってしまいましたが、最大手だった高島屋も阪急阪神との経営統合を検討していました。
松岡:ビジネスにおける「場の力」と「ヒトの力」のバランスが崩れると、何が起きるか、という疑問に対する答えが、百貨店業界のM&Aの進行です。「ヒトの力」がなくなって「場の力」だけが残った百貨店のような企業は、M&Aの対象になりやすいのです。土地の資産価値はあるけれども、従業員の価値が相対的に落ちている業界は、買収して経営を再編するのに最適だからです。
 1990年代後半から、日本の百貨店業界は急速にM&Aが進みましたが、まさに「ヒトの力」がなくなり、すなわちマーチャンダイジング力の価値が減って、駅前立地という「場の力」だけが残ったからです。そして、三越と伊勢丹が、大丸と松坂屋が、西武とそごうが、阪神と阪急が一緒になったわけです。
 この流れを見ても、自主マーチャンダイジングへのこだわり、すなわち社内の「ヒトの力」に過剰に頼りきった店作りをする方法はもう限界に来ていると言えます。消費の都心回帰で好立地に恵まれた「場の力」に優れた百貨店は、資本の論理でM&Aを繰り返し、資本規模を大きくして「場の力」を最大限に生かす形 で事業再生を行うのがまっとうな道筋だと思います。
―― 資本の論理で、経営を統合し、駅前立地を生かして、場所貸しに徹しながら多様な消費者の好みに合わせた店作りを行う。それが百貨店の生きる道だと。
松岡:百貨店は 都市の消費のインフラ産業に徹するべきなのです。そうすれば、立地に恵まれた百貨店は、都心回帰や人口の高齢化や都市のコンパクトシティ化といった時代の追い風を受け、新たな消費の主役に返り咲くはずです。そのためにも、繰り返しになりますが、「自主マーチャンダイジング力」という誤ったプライドを捨てる必要がありますが。

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