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カタカナ語が嫌いコミュのカタカナによる日本語への影響

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こんにちは はじめましてAQUIです

最近考えた文章なのですがこの場を借りて少し皆様に見ていただきたいと感じました。 何か意見があれば何でも仰ってください。よろしくお願いします。

私は帰国して間もないのですがカタカナが嫌いになりました。

私は去年一年間バルセロナ自治大学で勉強していました。

そこで、日本語を勉強している学生たちと知り合いになり、日本語について深く考える機会がありました。

皆さんに一つ、質問したいことがあります。
カタカナで書かれ外来語を使うことはかっこいいと事だと思いますか?
現代の生活においてテレビの宣伝、通勤途中の道にまで外国から伝わってきた言葉をみない日はありません。

日本人はこういった状況の中で、カタカナを使うことによって目立ったり、優雅な表現になったと感じているのでしょうか?

その上、日本社会では新しく出できた言葉を知らないと流行遅れだなどとも言われてしまうのが現実です。
そういった背景で新しく日本に入ってきた言葉をお年寄りを含め、私たちは半強制的に覚えなければならないということが上げられます。

日本語を勉強している私の友達の中には、こういったカタカナ語を滑稽だと思っている人がいます。
彼らの殆どは英語を知っています。
しかし、彼らがカタカナで書かれた言葉を見たり聞いたりすると理解できないときがあります。なぜなら日本語の音ではすべての音を正確に真似できないからです。
一つ、例を挙げてみましょう。
皆さんは『The lord of the ring』と『Batman〜dark knight〜』という二つのアメリカ映画の題名をご存じでしょうか?
これら二つの邦題は 「ロードオブザリンク」と「バッドマン〜ダークナイト〜」です。発音上このロードという言葉から「主人」という意味を知ることは難しいでしょう。ロードと聞くと普通は「道」という言葉を連想してしまいます。

もう一つ、片仮名で書かれた「バッドマンダークナイト」という邦題を初めて見たとき「ダークナイト」の部分が「暗い夜」なのか「闇の騎士」なのか区別が付けられませんでした。

このように全てカタカナで書いてしまったら本当の題名の意味が分からなくなってしまいます。

私たちは外来語の響きの前に盲目になっているのではないでしょうか。

また、日本語を学習している外国人学生にとってカタカナで書かれた外来語を読んだり書いたりするとがっかりするそうです。なぜなら本来の日本語ではないので魅力を感じないからからだそうです。

カタカナは比較的簡単に書くことができますが、外国で誰にも分かってもらえない言葉を発音するのは滑稽に見えます。
少し前に私はスペインで「McDonalds」を探していていたのですが、「マクドナルド」とカタカナ語読みして尋ねていたので誰も理解してくれませんでした。
彼らにとって「MAKUDONARUDO」という音は何の意味も持っていないのです。

日々外国から沢山の新しい情報が入ってきます。
しかしそれを物珍しげに乱用し時々意味が理解できない時があります。
その中でも意味を理解しないで使っている人が沢山います。
このようなことを続けていると私たちの語彙形態は新しいカタカナ語にとどまることを知らず侵略されていくかもしれません。

私の意見は一つの国にとって最も大切なことは言葉と人々です。
言葉は世界をみる一つの手段であり物事の考え方です。

しかも、日本語はとても古い言葉の一つで、世界的に見ても独特な言語です。

しかし、このように外来語の意味をよく理解せずに乱用していくことで取り返しのつかない傷跡が日本語に残るでしょう。

外国で日本語が大好きな友達に教わったこと、それは日本語をもっと大切に扱うことです。

それには日本語を勉強している人、日本語を話す人、日本語に係るすべての人々の努力が必要です。
なので、この文を読んでいる皆さんにお願いがあります。

よく考えてみてください私たちの美しい言語を、私たちの気持ちを表現できる言葉の多さを、そして日本語から学ぶことの多さを。

これらを実行すると私たちがやらなければいけないことが見えてくるでしょう。

私たちの言語を守るため、私たち自身のため、そして世界のために。

コメント(4)

AQUIさんが仰有りたい事の大筋は分かります。
日本語の現状、そして未来に危機感を持って憂いていることは理解します。

しかし、この文章に対する全体的な印象を言うと「権力的」「強制的」と感じました。
具体例を挙げて話をされていますが、重要な箇所に対しては抽象的で分かり難いです。


「日本語をもっと大切に扱うことです」
とありますが、「大切に扱う」尺度は人それぞれだと思います。
どう扱う事が大切なのか、定義しないといけなくなります。

カタカナ語を使おうと使うまいと、ハッキリ言っその人の勝手です。
カタカナ語を多用する人が「日本語に新しい表現を取り入れているんだ!!日本語を豊かにするんだ!!」と言ったらどう反論しますか?
「それは大切にしていることにならない!!」
と言い返しますか?
それは「価値観の強制」だと思います。

今、日本ではカタカナ語が多用されていますが、それは「受け入れられている」からです。
「何故受け入れられているのか」を考えて、使用している人達の価値観を考えてみた方が良いのではないでしょうか。



つるぎ@議長団
ご意見有難うございます。私にまた考えを与えてくれ改善の必要性を感じさせられました。感謝しています。

『カタカナ語を使おうと使うまいと、ハッキリ言っその人の勝手です。』
と仰っていますが言葉はお互いに理解してやっと機能します。広告→消費者に対してもそれが言えます。

しかし今は一方的すぎると私は感じています。

たとえば京都の介護付き集合老人住宅の名前は『アーバンヴィラ』です。
URBAN VILLA『都会の別荘』誰が理解できると思いますか?
ましてやお年寄りを相手にしているのにこういった表現を使うのは不親切だと思います。
僕は日本語や日本について外人にとやかく言われたくありませんね。まあ、今のように、日本語で存在する概念(先人が苦労して意訳したものも含む)を無理やりカタカナ語で訳してカッコイイと思っている連中には嫌悪感を覚えますが。現在のカタカナ語氾濫を防ぐには、日本人の白人コンプレックスを煽って服やら菓子やら留学やらを売りつけようとする東京人を思想改造しないと無理だと思います。
>>AQUí☆さん
どうも論点が、着目点が少しずれているようなので説明を補足します。

AQUí☆さんが危惧している、憂いている、憤りを感じていることは充分に理解しています。
私もカタカナ語を使うのは極力避けますし、使われると困る事が多々あります。

しかし、私は『カタカナ語を使おうと使うまいと、ハッキリ言っその人の勝手』だと思っています。

私は理解しにくい表現を相手がした場合「意味が分からないので説明して下さい」と説明を求めます。
それを繰り返すと『この人には分かりやすく明確に、簡潔に説明しなければならない』と思ってくれるのか、カタカナ語などを使わないように気を付けて説明してくれます。
しかし、『こいつは細かい事イチイチ指摘して面倒くせぇ〜なぁ』と思う人も居ますので、そんな人は「もういいです」と言って説明をやめます。


他国の人が日本に来た時、自国の言葉で喋るのも、日本語を喋るのも、その人の勝手です。
自国の言葉を喋るのは勝手なのですが、日本でそれが通じなければその人は非常に困るはずです。
自分が困ると必然的に日本語を覚る努力をし、日本語を喋ろうとします。


つまり「使うのは勝手ですが、困った時は自己責任ですよ」という事です。


介護付き集合老人住宅の名前が『アーバンヴィラ』であることに対し「不親切」と感じるのはAQUí☆さんの勝手。
その名前を「素敵だ」と感じる人も居るかも知れません。
『アーバンヴィラ』という名前のために、評判が落ちたり、入居希望者が集まらなかったり、そういった不具合を受けるのは『アーバンヴィラ』の自己責任です。
多分「名前が悪いから入居者が集まらない」という事を強く認識したら、
『アーバンヴィラ』はすぐに名前を変える事でしょう。


今、カタカナ語を多用している人達は、多用している事によって「不便」や「不利」を感じないから使っているのだと思います。
流行の言葉も不便・不利を感じない時は使っていますが、「既に時代遅れ」となれば、すぐに使わなくなります。
その言葉を使う事で「遅れている人」と思われたくないからでしょう。

巣鴨にあるマクドナルドでは品名をカタカナから日本語にしただけで売上が2倍になったそうです。
企業側も「不利」を強く感じれば、宣伝方法を変えるものです。


使う側と使われる側、双方の「自由(勝手)」がぶつかり合って、状態は形成されます。
カタカナ語の乱用が目立つ現在は、使われる側が文句を言わないから、使っている側が「文句を言われていると感じていない」からではないでしょうか。


AQUí☆さんの「AQUí☆」も何て読むのか私には分かりません。
しかし「AQUí☆」と名乗るのはAQUí☆さんの勝手です。
それを「受け入れる」「受け入れない」は周りの勝手です。
AQUí☆さんがこの名前について「受け入れられていない」とか「不便だ」と感じた時、名前を変えるのだと思います。


先の[1]で「権力的」「強制的」と私は書きましたが、AQUí☆さんの表現は「考え方を押しつけている印象」だったので、そう書かせて頂きました。
「押しつけ」ではなく「ぶつけ合い(私はこう思う、など)」であれば、印象が全然違っていたと思います。



※AQUí☆さんのように「カタカナ語の多用」に憤りを感じている人が居る事は、個人的に嬉しく感じております。
基本的な想いは同じだと思っております。

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