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ハプニングバー『冬虫夏草』コミュの「なんとなく嫌だった」(永島の親父)

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 2009年10月29日(木)新宿ロフトプラスワン

 「よし、すぐにロフトプラスワンを押さえろ!」

 PM6時30分 開場

 前売りを購入していなかったので、久しぶりに開場前にロフトプラスワンの階段の列に並ぶ。開場時間を今か今かと待ちながら東京駅にあるお気に入りのパン屋さんで購入したソーセージフランスパンをパクついてたら、やたらと胸板のぶ厚く姿勢がとんでもなく良い紳士が一人階段をゆっくりと下りてきたのが目に入る。

 「ピ、ピ、ピーターだ!!」(真・加勢ココロの声)

 胸板がマジで厚いんだわな〜これが。ピーターパワーでトレーニングすれば、あの胸板が手に入るんだろうか?開演一時間前にきっちりと来場するなんてゲストの鏡ですね、全く。

 7分押しくらいで開場。チケットをお持ちの方から入場と言うことで、ボクが場内へと足を踏み入れた際には毎回この会場に来るたびに座ることが出来ている具合が非常によろしいナイスポジションな席が全部埋まっていたため、適当に真正面なお席をマイミク様のお席も含めて3席ほど占領させてもらう。マイミク様到着後は前日にあったバニラビーンズのインストアイベントの話を聞いたり、ハッスルのほぼ消滅話を聞いたり、ペトロシアンがいかに素晴しいかの話なんかをさせてもらって、イベント前からすでになんだか満足する。ボクらの前に座っていた人が若干動きが不審で怖かったな〜

 PM7時30分 開演

 ぶっちゃけたところ”本家”格闘二人祭の方でも最近はなかなか客入りが厳しい時もあるもんで、今回も客席の埋まり具合が心配ではありましたが、開演時間が迫るとほぼ満員なくらいのお客様が集まっておりました。

 まずは本日の司会を務めらっしゃいます吉田豪さんと永島勝司さんがお馴染みの出囃子をバックに壇上へと登場されました。吉田豪さんが着ておられた新日本プロレスのジャージには本日のもう一人のゲストのミスター高橋レフリーのお名前が入った超お宝品でございました。

 それにしても、永島さんが以前見た時よりもかなり痩せられていて、歩き方にもなんだか元気が無く、イキナリ不安な気持ちでいっぱいになりました。

 「こんばんは!!」(永島の親父)

 声は思ったよりも元気な永島の親父。

 「永島勝司」

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E5%B3%B6%E5%8B%9D%E5%8F%B8

 今回のイベントがどのようにして決まったのかを早速、永島の親父に聞く吉田豪さん。事の発端は今年の1月に宝島社からリリースされたプロレス関連の本で対談したことがきっかけだったようです。(永島の親父はこの対談には乗り気でなかったそうです)

 「わけわからないんだよ、ワケが解らない!!」(永島の親父)

 永島の親父には理解しがたいことがミスター高橋レフリーに対してあるそうです。

 (結局、なんでこのイベントに二人が集まれたかの話はされたのか、どうだったかはなんだかボヤケたままだった気がします。)

 2001年に発売され、とてつもない破壊力でマット界にとっては”禁断の書”となったミスター高橋さんの名著「流血の魔術最強の演技―すべてのプロレスはショーである」について批判している永島親父の著書についてフレる吉田豪さん。

 「プロレス界を揺るがした10人の悪党」(著)永島勝司

 http://www.amazon.co.jp/%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E7%95%8C%E3%82%92%E6%8F%BA%E3%82%8B%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%9F10%E4%BA%BA%E3%81%AE%E6%82%AA%E5%85%9A-%E6%B0%B8%E5%B3%B6%E5%8B%9D%E5%8F%B8/dp/477551251X/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1256838823&sr=8-2

 永島の親父が書かれたこちらの一冊にはミスター高橋本についての批判がボンヤリとしか書かれていないことを吉田豪さんにツッコまれると永島の親父は「あの本は読んでない」と素直にお答えになっておりました。それもあってボンヤリとした批判しか出来なかったようです。
 
 全てはこの一冊から始まったのです!!一度でも”プロレス”体験してしまった人でこれ読んでいない人なんて居るのかな?

 「流血の魔術最強の演技―すべてのプロレスはショーである」(著)ミスター高橋

 http://www.amazon.co.jp/%E6%B5%81%E8%A1%80%E3%81%AE%E9%AD%94%E8%A1%93%E6%9C%80%E5%BC%B7%E3%81%AE%E6%BC%94%E6%8A%80%E2%80%95%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%81%AF%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%81%A7%E3%81%82%E3%82%8B-%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%AB%98%E6%A9%8B/dp/406211075X/ref=sr_1_2?ie=UTF8&s=books&qid=1256839180&sr=1-2
 
 「当時は新日本はこの本について無視したんだよ」(永島の親父)

 プロレス界はマスコミも含めて誰もこの本について当時は触れておりませんでした。

 GKなんかはこの本が原因でプロレス人気が落ちたと語っていたそうなのですが、永島の親父からすればこの本が原因でプロレス人気が落ちたと言うことはなかったそうです。もっと別に原因があったと思っているようでした。

 当時、様々なところからこの本についてコメントを求められた永島の親父はこう一言だけ答えたそうです。

 「リングは闘い!!」(永島の親父)

 カッコよく決めた永島の親父だったのですが、すでにイベント前からかなりお酒を飲んでいることを吉田豪さんにバラされてしまい、イマイチな締まらず。

 今日は果たしてちゃんと二人の間で様々なモノが成立するのかを永島の親父に訊ねる吉田豪さん。

 「あっち次第でしょ」(永島の親父)

 どうせなら、一線を越えて二人の取っ組み合いが見たいと煽る吉田豪さん。

 「腕力では敵いませんよ、俺は頭で勝負するんですから」(永島の親父)

 ツカミの部分からすでに永島の親父は控え室のミスター高橋レフリーを挑発するような発言が数多く飛び出し、アルコールもおかげでいい塩梅のご様子でした。

 永島の親父に言い足りないことはないかを確認する吉田豪さん。永島の親父も元気よく「ない!!」とお答えになったので、ここで二人目のゲストでありまする、ミスター高橋レフリーをお呼びすることとなりました。

 「ミスター高橋」

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9F%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E9%AB%98%E6%A9%8B

 うわ〜本当にこの二人が同じ空間に一緒に居るよ〜一昔じゃ絶対に考えられないツーショットだよ。左から吉田豪さん・ミスター高橋レフリー・永島の親父の並びでお座りになっておりました。(二人の間にはモチロン埋まることのない一定の距離がありました)

 ミスター高橋レフリーは(愛称はピーター)着席する前にお客様の方にきっちりとした一礼をしてからお座りになりました。(されたこっちがかなり恐縮しちゃいました)姿勢が本当にいいのよ、マジで!!

 入場してきたピーターを見て「なんだか入場もプロレスラーみて〜だな〜」と野次ることを忘れない永島の親父。

 ピーターはこちらの会場に来るのは二回目だそうで、前回は西口プロレス関連のイベントで来場されたそうです。

 吉田豪さんにここまでの永島の親父の発言は聞いていたかを尋ねられたピーターは静かながらもしっかりと永島の親父を挑発するように「聞いてませんでした」とご回答。ハナから永島の親父のことなんてどうでもいいんだよ的なニオイがプンプンしちゃってるのが素敵だわ〜

 永島の親父の本は読んだかを聞かれたピーターは基本的にマット界に関わる人が書いた本と言うのは一生懸命書いたものだからと言うことでちゃんと購入して読むそうで、永島の親父の本も読んだそうなのですが、とても一生懸命書いた本には思えなかったそうです。

 ピーターも頭からガンガン前に出てきますよ〜

 お二人のこれまでのお付き合いを尋ねる吉田豪さん。

 「ない!!」(ご両人)

 この日数少ない貴重なシンクロっぷりを見せたお二人。永島の親父が東京スポーツの記者をやっていた頃からほとんどお付き合いはないそうです。

 「なんとなく嫌だった」(永島の親父)

 はっきりとずいぶんなことを本人目の前で言いますね〜このゴマ塩は。

 これを受けてのピーターの反撃。

 ピーターとしては東スポの記者時代は別に悪い印象はなかったが、新日本にフロントとして入ってきてからはイケスカナイ野郎だと思ったそうです。

 「なんだこいつ?このド素人がって思いましたね」(ミスター高橋)

 丁寧なお言葉なんですけど、凄みがあるんだよな〜いちいち。

 永島の親父が新日本プロレスに入ったのは最初の東京ドームの興行が行われた頃だったそうです。(1989年4/24「格闘衛星in闘強導夢」)

 ピーターがアノ頃の思い出話をスタートさせ、ちょうどこの頃にマッチメイカーがピーターから長州現場監督に代わったみたいな話をしてくれたりしていると、ピーターの話に割ってはいるような形でロシアのレッドブル軍団の交渉等をまとめたのが永島の親父と倍賞鉄夫氏だったみたいな話をはじめちゃった気がします。永島の親父は全体を通してかなり強引なカットインが多めでございました。

 東京ドーム大会のマッチメイク会議の席にイキナリ永島の親父が座っていて、あ〜だこうだと意見するのを見て「なんでコイツはここに居るんだ!!」ピーターは非常に不快だったそうです。ここはアントンがちゃんと永島の親父のフロント入りの説明していなかったのが悪かったようです。 

 ドーム興行はアントンと永島の親父はヤル気マンマンでしたが、他のフロントの皆様は絶対に反対だったと当時を振り返った永島の親父をさえぎるように今度は「俺は反対なんてしてないよ!!」ピーターがカットイン!!

 東京ドームの杮落としとして美空ひばりさんのコンサートが開催された同じ日に後楽園ホールで興行があったそうで、後楽園の裏の階段からドームから駅へと向うお客様の数を見て、ピーターがいつかドームでプロレスの興行を行えたら素敵だな〜とポツリともらしたところ、それを聞いたフロント連中は「絶対に無理だ!!」とバカにされたそうです。

 ロシアとの繋がりはあっちのボクサーを我が国に連れて来て育てようという話が持ち上がり、その流れでレスラーも一緒に連れてきちゃおうと言うことになったそうです。(ユーリーとかよりもずっと以前の話だそうです)高崎での興行の後にアントンにこの話を持ち替えた永島の親父。アントンは車の中で5分程熟考してからGOサインを出したそうです。

 ロシアからレスラーを連れてくることになるのなら、勝負をかけるのは東京ドームでの興行しかないと思った永島の親父。やり方次第で絶対に成功すると自信マンマンの永島の親父は日本とアメリカとロシアによる三ヶ国による対抗戦を思いついたそうです。永島の親父がデザインしたポスターの評判が良かったそうで、それについて嬉しそうに語っておりました。

 吉田豪さんからこの記念すべきドーム大会のチケットをアントンと関わりの深いある宗教団体(手をかざすと不思議なことが起こることでお馴染み)に売ったという話は本当ですか?と言う大変デリケートでソリッドな質問が永島の親父に浴びせられたのですが、これについて永島の親父は「それはない。売ってない」と答えておりました。

 アントンとは記者時代からウマがあった永島の親父。最初は一緒に新聞を作ろうと口説かれたそうです。アントンは新間さんのような過激な仕掛け人を欲していたようです。東スポの記者をやめ、作家をしていた時期もあった永島の親父はアントンの猛烈なラブコールを受け入れマット界の住人の仲間入りをしたのでした。

 「騙されたのかな〜猪木にいい悪いは別にして」(永島の親父)

 かなりしみじみと語られておりました。

 成り行きでマット界の真ん中どころかど真ん中に足をつっこんで大変な目にここまであってきた永島の親父なのでした。

 重要なことに関してあまりアントンからのまともな説明を受けなかったと語るピーター。長州一派がジャパンプロレス終りで新日本にUターンしてきた時も何も聞かされてなかったそうです。レフリーであり、マッチメイクにも深い関わりのあったピーターが知らないということはリングで戦うレスラー達も当然のように何も聞かされていなかったわけで、それもあって、あの若き日の破壊王がヒロ斉藤選手にセメントを仕掛け、指を折ってしまうという事故が起き、その報復に控え室で長州一派にリンチされるという事件まで起きてしまったようです。(破壊王に焚きつけたのは我等がドン荒川さん)

 もう少し言ってくれてたら、あの時もいくらでも対応できたと語るピーター。

 話題はドーム興行のお話にリターンしまして、ピーターがこんなセンチメンタル思い出話を語ってくれました。

 東京ドームの杮落としとして美空ひばりさんのコンサートが開催された同じ日に後楽園ホールで興行があったそうで、後楽園の裏の階段からドームから駅へと向うお客様の数を見ながら、ピーターがいつかドームでプロレスの興行を行えたら素敵だな〜とポツリともらしたところ、それを聞いたフロント連中は「絶対に無理だ!!」とバカにされたそうです。

 ドーム興行に関してはテレビ朝日から来ていた役員さん二人にも「バカ野郎!!そんなことできるわけないだろう!!」と猛反対を受けたそうで、永島の親父はこの二人と大喧嘩をしたそうです。

 アントンとは出鱈目な部分が共通点で、とにかく失敗してやってみなきゃダメなんだと考えるあたりも似ているそうです。(永島の親父談)

 「失敗したらまたやればいいんだよ」(永島の親父)

 「周りは悲惨ですけどね」(吉田豪)

 あの大会ではピーター一押しのカードとして船木VSジェッキー・チェンのカードも用意されていたのは有名な話でございますね。(消滅した理由に当時先輩だったライガー(山田恵一)の助言が深く関わっているっていうあの話は本当なの?)

 とにかく、マッチメイクの会議の席では永島の親父はピーター曰く「クソ生意気なことを言うんだよ」だったらしく、永島の親父も全然ピーターとは話がかみ合うことがなかったとはっきりと語り、唯一、意見があったのがメインのアントンとチョチョシビリ戦のレフリングの際にチョチョシビリ(柔道家)がロシア語しかできなくて、英語を理解できないので、ルール説明の際に言葉が通じないから、試合中のチョチョシビリへの注意やら指示はそこは国際的に共通の柔道式の「待て」とか「立て」で伝えれば解って貰えるんじゃないかというアイデアをピーターが提案したところこれには永島の親父もそれは名案だとばかりに賛成してくれたそうで、このことはよ〜く覚えているとピーターが語っておりました。

 永島の親父のことをアントン(虎)の懐に潜り好き勝手にやるもんだから、まるで「虎の衣を借りる狐虎」ならぬ「虎の衣を借りる狸」のような存在だと茶目っ気一切ナシでその人間性をズバリ言い当てておりました。業界関係者は永島の親父のことを「狸」と称することが多かったと吉田豪さんが申されておりました。

 「騙すつもりはないんだけど、結局騙したことになっちゃうんだよな〜Uインターの時とかも」(永島の親父)

 自覚はあるようでした。ある意味でタチ悪いですね。

 アントンVSチョチョシビリ戦で使用された特注の円形リングについてのご説明してくれた永島の親父。とにかく世間一般に届くような面白いことをやりたい!!と言う想いが強い永島の親父が発案したのがあの円形のリングだったそうです。ノーロープで非常にバランスの悪かったあのリングはある一箇所を踏むとリングが崩壊する危険があったそうで、その箇所だけは踏まないようにとレフリーを務めたピーターやらアントンやらチョチョシビリにご説明したそうです。

 プロレスラーにとってロープと言うモノは何かと大事なモノらしく、それをとっぱらった状態で試合を行う言うことは非常に不利で危険が伴うということを試合前にアントンに諭したピーターだったのですが、アントンからは「バカ野郎、それがお前と永島の違いなんだよ」と笑い飛ばされたそうです。

 ロープが無いという状況はレフリーのピーターにとっても非常に不安なものだったそうで、リング下に落下する危険を一番心配していたようです。

 「落ちたら面白かったのにね」(永島の親父)

 完全に本音でございました。

 「落ちたらそれは面白かったでしょうね。ドジなレフリーだって笑いものにに出来て!!」(ミスター高橋)

 真っ向から受けるピーター。

 あんなお初でプロレス的な常識から逸脱した試合に当時の新日本のメインレフリーを務めていたピーターではなく二番手だったタイガー服部を使えば良かったと語り「服部なら『忍者ハットリ君』みたいにピョンピョン飛びながらレフリングしただろうに」とかなり強引なゴマ塩ギャグでピリリとした空気を一変させようとしたのですが、すかさず吉田豪さんが「この大会後からメインレフリーが変更になったんですよね」と突っ込まれ、完全に墓穴を掘った永島の親父・・・

 ミスター高橋からタイガー服部にメインレフリーが変更になった理由を聞かれた永島の親父はここでもボンヤリと「覚えてないな〜」とグズグズな返答。覚えてないわけないじゃん!!アノ場に居た誰もがなんとなく察してるんだから!!

 長州現場監督誕生にともなってのモノなのは確かでしょうね。(坂口&長州&永島政権樹立)

 ピーター曰く、長州さんは新弟子の頃からピーターのことを煙たがっていたフシがあったそうです。

 「アントニオ猪木VSショータ・チョチョシビリ」

 

 
 アントンの異種格闘技戦初黒星の試合がこれですよね。残念なことにチョチョシビリさんは今年の8月に癌のため死去されました。ご冥福をお祈りいたします。

 ピーターはガイジン選手が乗り込んだバスに乗車し、永島さんは記者時代からも日本人選手乗車のバスに乗り込むことが多く、会場に入っても挨拶はする程度の関係で「話すこともあんまりね〜な〜」ぐらいの相手でしかなかったとはっきり物申す永島の親父。ピーターもはっきりと「話すことは全く無かった」と激しくロックアップ!!

 ピーターと新日本との関係を文字通り完全に終わらせてしまった警備会社についての話題について訊ねる吉田豪さん。興味津々でございます、このデリケートな話題については皆様興味津々なご様子でした。

 引退後のレスラーの第二の人生をバックアップすべく、新日本が立ち上げようとした警備会社があったようで、そこの代表にピーターは任命され、それもあってレフリーを引退することを決意したのですが、ピーターの引退の日が近づいたある日に突然、警備会社の話はポシャったと言われ辱めを受けたピーターは周囲のレスラー達に合わす顔も無くなり、新日本を去ることになったようです。メジャー団体出身のレスラーだからといって、引退後の生活の保障なんて無いわけですから、その身体を活かして出来るお仕事なんて限られているわけですよ、だからこそピーターも「今度、こんなセクションが出来るぞ!!」みたいな感じで色んなレスラーに話していたわけですよ。それが突然無くなりましたではあわす顔もないですよね。

 「新日本は悪いよね〜」(永島の親父)

 かなりノンキな発言をするゴマ塩!!このことに関しては時間がどうにかしてくれそうな問題じゃないですよ!!

 吉田豪さんがあの件に関しての黒幕は誰かを聞くと「知らない」と答える永島の親父。

 「猪木さんですか?」(吉田豪)

 「猪木は知らないでしょ、こんな話」(永島の親父)

 「倍賞だろうね〜倍賞は得にならないことはしない男だから」(永島の親父)

 グッと何かを耐えながら話を聞いているように見えるピーター。

 「倍賞は今何処行ったのかな〜シンガポールあたりかな〜仲良かったんだよ、倍賞とは」(永島の親父)

 永島の親父と一時代を築いた賠償さんも現在は若干行方不明中だそうです。あの頃のブイブイ言わせていた新日本の背広組は現在かなり大変な状況みたいです、どなたも。

 現在、新聞社に勤務する永島の親父は朝5時起きで、かなりお疲れ&お眠なご様子で、さらにアルコールをかなり嗜まれていることもあって呂律がまわりきらない部分も多々ありました。しかし、お酒を飲むとスイッチが入り、元気になるそうで、元気よく御代わりコールをすると、ここで豪快な乾杯の音頭をとったのですが、当然のようにピーターとはグラスをガチコーンとあわすことはございませんでした。

 ※写真1 「流血の魔術最強の演技―すべてのプロレスはショーである」

コメント(2)

>g仔じかさん
ありがとうございます。非常に年季の入った大人な緊張感がお二人の間にあってこんな空気を味わったのは久しぶりでございました。

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