ログインしてさらにmixiを楽しもう

コメントを投稿して情報交換!
更新通知を受け取って、最新情報をゲット!

ハプニングバー『冬虫夏草』コミュの「私は大仁田厚とターザン山本の電流爆破マッチが見たいです!!」(ハチミツ次郎)

  • mixiチェック
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

 格闘二人祭りの第二部でございます。長文でかつ国語の単位を2以上を取ったことのない31歳が書いておりますのでお見苦しい部分ばかりで申し訳ないかぎりです。誤字・脱字は特殊スパイスですので気にしないでくださいね。

 PM9時頃からいよいよ激動の第二部がスタートしたのでした。

 「ボクも出るの?」(ターザン山本)

 帰りたいオーラを爆発させながら登場したターザン氏。

 吉田豪さんに舞台につくなり「やりますよ、山本さん!!」とハッパをかけられるターザン氏。明らかに、置物必死なのは解りますけど、ちゃんとギャラが発生する仕事なんだからカラ元気でいいから、何か少しでも参加する意欲を見せてよ!!

 ターザン氏には以前お世話になったマキタスポーツさんガラミでまだまだここで語って貰わないと困ると吉田豪さん。

 控え室で久しぶりにマキタさんと顔をあわせたターザン氏はお約束のようにマキタさんのこと忘れていたそうです。

 そんなマキタスポーツさんが第二部のゲストのトップバッターとして登場されました。

 「マキタスポーツ」

 http://www.m-sports.tv/

 登場するなり、こんなうっかりさんなターザン氏に「ふざけんな!!」と不満を爆発させるマキタさん。一時は本当に仲が良くて、番組の企画とは言え、ターザン氏の元奥様の所へ潜入取材まで試みたのがマキタさんなのに、控え室で会うなりこんな感じだったようです。

 「山本さんお久しぶりです。ボクのこと覚えてますか?」(マキタスポーツ)

 「あ〜浅草キッド!!浅草キッドの三人目ですよ!!」(ターザン山本)

 あちゃ〜ですね、あちゃ〜。ちなみにターザン氏はあれだけお世話になった浅草キッドのお二人の名前も覚えずに区別もたいしてついてなかったそうです。水道橋博士さんのことをずっと「キッド、キッド!!」と読んでいたそうです。

 「チャンエンル北野」の企画で浅草キッドのお二人が積極的に仕掛け人となって行われた「ターザン山本芸人化計画」と言うものがあったそうで、ターザン氏もお二人が主催するお笑いライブ「浅草お兄さん会」なるライブに何度も出演していたそうで、マキタさんはその時代から付き合いがあったそうです。当時一緒に出演していた芸人さんを思い出して、どんどん挙げていくターザン氏。

 「東京ダイナマイトとか鳥肌も出てたし、そう!!U字工事も出てた、U字工事!!」(ターザン山本)

 現在、お茶の間の人気モノとなった「U字工事」の二人の名前を誇らしげに連呼するターザン氏。

 「この人はこう見えてもチャンピオンになってますからね『浅草お兄さん会』の」(マキタスポーツ)

 以前、こちらのイベントでターザン山本に気合を注入するために開催したイベントの中で吉田豪さんがお宝映像として「浅草お兄さん会」に出演した際の映像を上映してくれましたが、確かに今と違って目のタマが潰れるぐらいの輝きをキラッキラ放っておりました。オムツ姿から全裸にされる流れから水道橋博士とのガチでの取っ組み合いからあの全盛期の”暴走柔道王”小川直也とのカラミにしてもドコに出しても恥ずかしくない極上の笑いがそこにはありました。

 「浅草お兄さん会」のイベント中にターザン氏がいつもの用に長州批判だったり、オオニタ君(当時は高校生)批判をしたのをきかっけにスタートしたのが「チャンネル北野」の番組内で放送された「大仁田厚VSターザン山本電流獏マッチプロジェクト」らしく、長州力との電流爆破マッチを実現するために大仁田厚が毎週のようにTV朝日の眞鍋アナと二人で作り上げた「大仁田劇場」と呼ばれたプロレス界の歴史においても間違いなくこの先語りづかれること必死の鉄板コントがあったのですが、それのパロディをターザン山本を使って行う企画がこれだったようです。何度見てもハズレなし!!ただ、もっと面白いのがあったはずなんだけどな〜残念です。あの頃の「ワールドプロレスリング」は理屈ぬきに誰もが楽しめましたね。

 「大仁田劇場」

 


 


 「長州力のまたぐなよ」

 http://www.youtube.com/watch?v=EQj1oFTktEo

 吉田豪さんが持参された映像には元ネタになった「大仁田劇場」とチャンネル北野で流れた、マキタさんが散々な目にあってしまうパロディ版の両方がおさめられておりまして、この場で初めて目にする誰もが爆笑できる非常に新説なモノでございました。

 マキタさん&女性アシスタント2名が立石のターザン宅を訪問し、今回の意気込み等を訊ねながら、作戦会議を開きます。その面子の中には歌枕さんのお姿も確認出来ました。

 本家の長州さんはニタとの電流爆破マッチをOKした際にニタに練習で使った汗付きのタンクトップだかラグトップを送りつけ、対戦要求を受託したことをアピールしたので、こちらも何かニタに送りつけ対戦要求を試みようと言うことになった際にマキタさんがよく「浅草お兄さん会」で全裸にされるターザン氏のパンツを片付ける際にお味噌がこびりついているのを確認していたので、だったら、そのお味噌のこびりついた脱ぎたてパンツをニタにお贈りすればその本気っぷりが伝わるだろうということになり、早速、今日のお味噌っぷりを確かめる為に全裸になるとこの時もビッチリとトランクスについていたのです。期待を裏切らない頼もしい男でしたこの頃は。ターザン氏の私物の紺色のトランクスだと若干インパクトに欠けるということで新品の純白のブリーフに履き替えて、そちらをココロを込めて贈ろうと言うことになりまして、お味噌の付き具合をマキタさんが確認したところ、先ほどよりもクッキリでハッキリとお味噌がスタンプされていたのでした。普通なら一枚目のトランクスにこびりついて、履き替えた際にはその量は減るわけなんですけど、ターザン氏の肛門は当時「シャチハタ式肛門」と呼ばれるほど、かすれる心配のないナイスな押し心地を実現していたようです。

 ウンコ付きパンツに内容のどうしようもない果たし状を託されたマキタさんは当時、高校に通っていたニタの所へほとんど打ち合わせなしの状態で向うと、下校してきコントにしか見えない学生服に包んだオオニタ君を校門付近でキャッチすることに成功し、今回の対戦表明の主旨等をビビリながらオオニタ君に話すのでした。(誰でも腰ひけますし、仕事とは言えターザンのタメにこんなことにならなきゃイケナイマキタさんに同情すらしますよ・・・)

 イキナリ押しかけられ、しかもとんでもなく無礼な仕掛けを受けたオオニタ君はマキタさんの頬を激しく張り、首根っこを掴むと校門のフェンスに叩き付け顔面をフェンスやら壁にこすりつけます。目つきがガチです。リング上よりもガチです!!一通りマキタさんを振り回してボロ雑巾にして大見得をきったところで、オオニタ君は叫びました。

 「責任者は誰じゃ〜責任者!!!」(オオニタ君)

 「ハイ、責任者です・・・」(ハツミツ次郎)

 「人がマジメに学校に通ってるのに、何がウンコ付きパンツじゃ〜」(オオニタ君)

 場内は大爆笑に包まれます。責任者登場でさらにヒートするオオニタ君はまずは挨拶代わりにハチミツ次郎さんを張り倒します。オオニタ君の鬼気迫る表情が抜群です。

 オオニタ君の演技に力が入りすぎてしまったようで、番組側が思い描いていた以上のモノが撮れてしまった為に一度事態の収拾をつけるべく番組スタッフ側からオオニタ君に企画主旨を説明。

 企画主旨を飲み込んだオオニタ君は学生服から邪道流の正装となる革ジャン&ジーパンに着替え、改めて「大仁田劇場」をスタートさせます。

 マキタさん&ハチミツさんを正座させ、二人のこの企画に対しての真意を聞くオオニタ君。(口が開くのと同時に蹴りや張り手をドシャブリのごとく浴びせかけるのは忘れません)

 再び、今回の対戦要求の件をオオニタ君に正座させられながら説明するマキタさん。

 「お前の意思はないんか〜意思は!!」(オオニタ君)

 「ボクはターザン山本とオオニタさんが戦うのが見たいです」(マキタスポーツ)

 「お前はどうなんじゃ〜お前は」(オオニタ君)

 「私は大仁田厚とターザン山本の電流爆破マッチが見たいです!!」(ハチミツ次郎)

 「大仁田劇場」のプレミア級の名シーンを再現するハチミツ次郎。人としても芸人としてもグッジョブ!!(この瞬間笑いを堪えるオオニタ君の瞳が一瞬柔らかくなったそうです)
 
 ターザンのウンコ付きパンツを責任者のハチミツさんに被らせろとマキタさんに要求するオオニタ君。要求通りにハチミツさんにパンツを被せるマキタさん。それを見ながら、オオニタさんはウンコ付きパンツと一緒に持ってきた果たし状にライターで火をつけ燃やしてしまいます。

 無残にも灰になっていく果たし状を目の前で見せられた二人は「あれだけ身体をはったのに、そりゃね〜よ」と言う表情を浮かべながら、声にならない声をあげ、テンションがた落ち状態に・・・

 誰もが二人の電流爆破マッチの実現を諦めたその瞬間!!

 「確かに受け取った!!!!!」(オオニタ君)

 地鳴りのような拍手と爆笑が場内にあれだけ響き渡るんだから、やっぱりオオニタって天才ですよ、天才!!何度見ても鉄板です、鉄板!!

 当時の被害状況を振り返るマキタさん。どこまでが本気なのか演技なのか全く解らなかったそうで、着替える前のオオニタさんの暴れっぷりはシャレにならなかったそうです。
 
 しかしながら、あそこまでマキタさんが身体をはったにも関わらず、ついに実現した二人の危険な初遭遇はこれが悲しいことにドしょっぱいものとなってしまいます。

 「試合を組んだものとして責任を感じています」(マキタスポーツ)

 2000年2月3日に後楽園ホールで開催された大仁田興行のメインで二人の危険な初遭遇が実現。試合前にマキタさんがアシスタントの女の子二人とターザン氏を連れてオオニタ軍の控え室にインタビュー及び挑発に向う予定だったのですが、ビビッたターザン氏は打ち合わせを無視して途中まで行ってどこかに隠れてしまいます。試合前に絶対に必要なパートなのに、覚悟決めてよ、ターザン!!ここでもマキタさんだけが控え室への出入りを止められた際に当時、ニタの付き人だった菊澤(現・菊タロー)に激しく静止されとばっちりを受けます。この企画中のマキタさんの憂鬱な表情が忘れられません。

 試合前に出場する選手で打ち合わせをしたとゲロするターザン氏。しかしながら、入場曲がかかった瞬間にみんなの頭の中に入っていたはずの台本が全てぶっ飛んでしまったそうです。

 「ワイルド・シング」が爆音で木霊する中、いつものようにモミクチャにされながら入場してくるオオニタ君。オオニタ君の入場シーンはプロレス界の財産である。それと反比例するように客席からはターザン氏に向ってとびっきり大きな声で「殺せ!!殺せ!!殺せ!!」とごくごく自然な形で発生し、セコンドとしてエプロンサイドに陣取るはめになったマキタさんはその異様な場内の盛り上がりを肌で感じ緊張したそうです。
 
 ミスター・ポーゴ組の悪徳マネージャー件味噌っかすとして先にリングインしていたターザン氏のもとにまずは以前からターザン氏をココロから憎んでいた菊澤選手が飛び掛り、ガチの蹴りをぶち込み、リング下へとターザン氏を追い払います。

 「菊澤の野郎が本気でここを蹴ってきたんですよ、えべっさんさんが」(ターザン山本)

 この話になるとずいぶんと前の話なのですが、まだまだ根に持っているようで、やたらと元えべっさんの正体を暴露し、営業妨害をを計るターザン氏。

 エプロンサイドに居たマキタさんからすれば、あれはコントでもプロレスでも一緒であの場に素人が混ざってると邪魔でこの先スムーズな展開にならないから、それを察した菊タローが積年の恨みもこめつつ一石二鳥な形でターザン氏を排除したんだと語っておりました。

 試合中あまりターザン氏とオオニタ君の直接的なカラミと言うのは少なく、唯一の見せ場はエプロンサイドで倒され、身動きを取れなくなったオオニタ君にターザン氏がナックルパートをお見舞いすると言う、千載一遇のチャンスが訪れたのですが、ここで見せたターザン氏のナックルが酷いこと、酷いこと・・・あれだけ、試合がスタートしたらオールアドリブで「セメントだった」と豪語していた男があそこでプロレス心を全く感じさせないスン止めパンチを打ち込んでしまう様を見て、吉田豪さんが「セメントであれは酷い」と呆れながらツッコミを入れておりました。わざわざ、オオニタ君が自ら寝てくれて「殴れ、殴れ」とチャンスを与えてくれたそうなのですが、いざ、目の前にオオニタ君の顔があるとターザン氏は「殴るのはダメだと思ったんだよね〜」と完全に鎮火してしまいました。ターザン氏の遺影にはあの写真を使って欲しいとボクは思いました。誰かにTシャツを拵えて欲しいくらいです。

 試合前にオオニタ軍がリングに入ってきた際に誰かが持参したベルトをターザン氏に投げつけたらしく、いつもならドン亀のごとく鈍いターザン氏があの日に限っては、軽快なフットワークで飛んでくるベルトをかわしたそうで、その避けたベルトがマキタさんを直撃したなんていう災難もあったそうです。何故、あの時にかぎってベルトを避けることが出来たのか不思議でしょうがなかったそうで、その疑問をマキタさんがターザン氏にぶつけておりました。(ハッキリとした回答はなし)

 「あれは大失敗だった」(ターザン山本)

 「何をイマサラ!!」(マキタスポーツ)

 当時、散々な目にあいすぎたマキタさんが一番聞きたくなかったお言葉をサラりとゲロるターザン山本さんなのでした。

 「チャンネル北野」企画で江ノ島の海に行った際に、海の中でターザン氏が100万もする入れ歯を落とし、スタッフ総出で探したエピソードやターザン氏の元奥様が開催していた陶芸教室に潜入を試みるも、やたらと疑り深い元奥様にかなり怪しまれ、結局潜入に失敗したことだったり、ジャイアント馬場モデルの赤い紙オムツを履き爆笑を誘ったり「浅草お兄さん会」が開催されていたシアターサンモール(400人収容)の舞台嬢でフルチンのまま胴上げされたりと12年前のあの頃のターザン氏は輝いていたとマキタさんも申されておりました。昨年、開催されたこのイベントでオムツ姿になることすら嫌がったことを吉田豪さんがマキタさんに告げるとターザン氏からはこんな一言が飛び出しのでした。

 「オムツ姿になる歌さんが嫌がるんですよ。ジェラシーを持つんですよ」(ターザン山本)

 どんな師弟関係?お互いに別の道を歩んだことは間違ってなかったようですね。

 ここで到着次第登場予定だった杉作J太郎先生と”映画とエロの伝道師”こと町山智浩さんがご登場となりました。お二人への期待度の現われか場内の温度が上がったような気がした。

 「町山智浩」

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BA%E5%B1%B1%E6%99%BA%E6%B5%A9

 「ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記」

 http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/

 町山さんを真ん中に座らせたがる杉作先生。今日もお金の取れる笑顔満載でありがたいかぎりの杉作先生でございます。

 お二人が着席するなり、町山さんとは『初対面』のはずのターザン氏が自分の周りに町山さんのファンが多く、是非とも逢いたかったと伝えます。

 「20年前くらいに逢ってるんですけど、覚えてないですか?」(町山智浩)

 町山さんは別冊宝島のプロレスムック本の旗揚げに参加しているそうで、ターザン氏にこの時は上田馬之助さんについての記事を頼んだそうです。

 ここで客席から寄せられた質問を読み上げる吉田豪さん。

 質問:「町山さんに質問です。ターザン山本はどう思いますか?」

 「それは尊敬してますよ」(町山智浩)

 SWS騒動の際の”カリスマ編集長”時代のターザン山本の書き上げる文章を読むたびにハマショーのコンサートに行ったような気分になって身体が熱くなったそうです。毎週、毎週、何かをアジテーションしまくりの文章を書き、翌週にはすっかり忘れているそんなスタイルから目が離せなかったそうです。この当時の週プロの売り上げは30万部だったそうです。(今からすると天文学的な数字ですよね)

 「”メガネ”の頃、ここに来ているお客さん”メガネ”って解るよね?」(町山智浩)

 「メガネ、メガネって知らない人は『うる星やつら』のメガネ(千葉繁)かと勘違いしますよ」(吉田豪)

 SWS騒動についてはこちらで確認ください。

 「SWS」

 http://ja.wikipedia.org/wiki/SWS

 「いしかわじゅん」

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%84%E3%81%97%E3%81%8B%E3%82%8F%E3%81%98%E3%82%85%E3%82%93

 吉田豪さんから「町山さんは揉め事好きですよね」と振られ「そんなことはない!!」と謙遜しながら否定する町山さん。

 「杉作さんは読んでた?」(町山智浩)

 完全に別のことを考えていたと思われる杉作先生がドキっとした表情を浮かべながら「そりゃ〜読んでましたよ。カリスマ性を感じておりました」とここ最近で一番薄っぺらいおべっか発言。「タモリ倶楽部」のカルタ企画で共演したこともあったとも付け加えておりました。出演できたのはマキタさん曰く浅草キッドのプッシュだろうと言うことで、一時はあそこまで昇りつめていたのにと現在のターザン氏のションボリ具合に嘆いておりました。誰にも気付かれないように置物へと変貌していったターザン氏を「とりあえず塩水でも飲んでおけよ、奇跡が起こるかもしれないから」とマキタさんがイジって置物化を阻止しようとしますが、ニヤけるだけで炎上はなし。かなり失礼なこと言われてたんですけどね〜イジってもらえて嬉しかったのかな〜

 最近、めっきり過去の記憶が薄れている杉作先生は包み隠さずに素直にSWS騒動ってどんなモノでしたっけ?とこのタイミングで壇上の皆様に質問。(だんだん杉作先生のエンジンの回転数が上がりだす)

 ターザン曰く、プロレス界の人間国宝である馬場さんを自分が守らないで誰が守るんだと思いつつ、ビジネスとしてメガネ屋さんを潰しにいったと語っておりました。この発言に対しての杉作先生のリアクションはこちら。

 「立ち位置は人それぞれですからね」(杉作J太郎)

 「時が経てばなんでも許されます」(杉作J太郎)

 大好物のJ作さんにこんなことを言って貰えたターザン氏は舞い上がります。

 「いいキャラしてるね〜仏様みたいだよ、仏様」(ターザン山本)

 久しぶりにウットリするターザン氏を拝見いたしました。

 町山さんがターザン氏と初遭遇した際に佐山サトルの名著「ケーフェィ」は自分が書いたんだとバラされ衝撃を受けた話から、第二次UWFが大ブームの頃に取材で松浪健四郎先生のところに当時よく一緒に仕事をしていた馳星周さんと訊ねた際にUWFのカラクリをばらされ、二人してショックを受け、馳さんにUWFについて原稿を書いて貰うとしたところ、あまりのショックですぐには書けませんと呟かれたそうです。馳さんてサッカーファンのイメージが強かったんで以外でした。もしかしたらこの日を境に変わってしまったのかな〜

 グレイシー柔術と言う謎の集団があるということで作家の夢枕獏先生や漫画家の板垣恵介先生や大道塾の市原海樹選手なんかとホイス・グレイシーの試合が収録された何処かから入手した秘蔵映像を見たことがあったそうで、当時は今と違って、映像を見ていても何がなんだか解らない状態で、こんな細っこい奴ならチョロイと思った夢枕先生は一緒に見ていた大道塾のエースの市原に焚きつけたそうです。(この面子でのビデオ上映会をよく行われていたそうです)

 「それであの格通にあのお詫び文が掲ることになったんですね」(吉田豪)

 「ホイスグレイシーVS市原海樹」

 


 「市原海樹」

 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%8E%9F%E6%B5%B7%E6%A8%B9

 この一戦が彼の人生を狂わせたのは皆様ご存知ですよね。当時、この模様はNHKのBS放送で夢枕先生が取材する形で放送されたのをなんだか覚えてます。デンバーまで応援に行っていた平直行(グラップラー刃牙のモデル)が「市原さんが負けたんじゃ、もう誰も勝てない」と号泣しながら語っていたのが忘れられないです。大道塾の主催興行「THE WARS '93」でヤン・ロムルダーからバックブローで逆転勝ちしたあの試合最高でした。クレープ屋台でせっせとバイトする市原選手の姿を覚えている人居ますか!!

 市原選手はこの試合の同じ年に開催された大道塾の北斗旗無差別級の決勝戦で山田利一郎選手に破れ、全盛期のままひっそりと引退していくのでした。

 夢枕先生は格闘技通信に「群狼の旗」と言う90年代初期の我が国の格闘技界(K−1やリングスやら時にはUFCも)についてのエッセーを連載しておりました。その中には日頃から非常に深い交友関係を結んでいた大道塾について多く書かれていたこともあり、もちろん市原の敗戦についてもたっぷり触れておりました。その後両者はの関係は悪化したのか、市原に何かがあったのか、2000年の2月に発売された格闘技通信にこのようなお詫び分が掲載されたました。

 「私は、格闘技については、まったく理解できないにもかかわらず、好き勝手な発言により、格闘家の皆様の精神を害したことにつきまして、ここにお詫びいたします。とくに、数年前、もと大道塾・市原海樹氏に対しましては、その人物像を数回にわたり、無許可、無報酬で、出版物に掲載し、多大なる御迷惑をおかけしたことにつきましても、お詫び申しあげます。」(夢枕獏)

 結構、毎号楽しく読んでいたボクにはびっくりなお詫び文でした。

 詳しくはこの2ちゃんのスレッドで確認ください。

 「市原-夢枕の関係」

 http://piza.2ch.net/test/read.cgi/k1/982959477/

 「群狼の旗の読書日記」

 http://yasu-raku5.jugem.jp/?eid=1288                
 
 ※写真1 マキタスポーツ

 ※写真2 何度も読み返させて頂いた町山智浩さんの名著

コメント(0)

mixiユーザー
ログインしてコメントしよう!

ハプニングバー『冬虫夏草』 更新情報

ハプニングバー『冬虫夏草』のメンバーはこんなコミュニティにも参加しています

星印の数は、共通して参加しているメンバーが多いほど増えます。

人気コミュニティランキング