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ミネルヴァたちの囁きコミュの【議論】代理母出産に関して

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10月17日の社説〜10月18日の天声人語の流れで朝日新聞がなにやら微妙なことを書いていました。
何となくしっくりこなくて、どうにも違和感が消せなくてことばにならなくて…。
どう解釈していったらよいか…と思いまして。
ドキドキしながらトピをたててみます。

17日 社説 http://www.asahi.com/paper/editorial20061017.html#syasetu2

18日 天声人語 http://www.asahi.com/paper/column20061018.html

コメント(22)

携帯からのヒトのために、本文を貼っておきます。

17日 社説
代理出産 法整備は待ったなしだ

 祖母が孫の生みの母。生殖医療の進歩が、こんなややこしい親子関係を作った。違和感を持つ人は少なくないだろう。

 50代後半の女性が、がんで子宮を失った娘とその夫の受精卵を自らの子宮に入れて妊娠し、出産したのだ。祖母による代理出産である。手がけた長野県の産科医が明らかにした。

 代理出産をめぐっては、タレントの向井亜紀さん夫婦が米国での代理出産で生まれた子供を実子として扱うように求めた裁判も注目を集めている。

 生殖医療が急速に進む一方で、ルール作りが追いつかず、さまざまな混乱が広がっている。

 その合間を縫うように新しい命が誕生する。手段はどうあれ、現実に生まれたならば、子供を第一に考えねばならない。向井さん夫婦の訴えに対し、東京高裁が実子としての出生届を認めるべきだとしたのも、生まれた子の将来を重く見たからだろう。

 だが、代理出産という医療の是非は、個々の事情をめぐる裁判などとは別に冷静な立場で考えなければならない。

 関連する学会や厚生労働省の専門委員会は、すでに代理出産を禁止する方向を打ち出している。

 第三者である女性を、危険の伴う妊娠、出産の手段として利用するうえ、生まれてくる子供の幸せの観点からも好ましくないとの判断からだ。

 代理母と依頼者との間で、子供の奪い合いも起こりかねない。祖母による代理出産を手がけた医師は、母子間での代理出産なら問題は少ないという。だが、妊娠年齢をすぎた母親は、本人の希望とはいえ高齢出産の危険にさらされた。

 政府は専門委員会の提言に基づき、代理出産を罰則付きで禁止する法律を作ろうとした。しかし、国会議員の関心が低いこともあって成立の見通しが立たず、法案提出は見送られている。

 世界的には、米国の一部の州のように代理出産を認めている地域もあるが、禁止が大勢となっている。また、英国のように非営利に限って、例外的に認める国もある。

 決して安易に認めてよい方法ではない。しかし、この方法でしか子供を得られない人がいることも事実だ。そうした人たちのことを考えれば、原則的に禁じながらも、例外的に認める必要があるかもしれない。

 もし認めるならば、どういう条件を付すべきなのか。少なくとも、金銭のやりとりは許されないし、代理母を命の危険にさらしてはならない。

 身体的にも倫理的にも問題をはらむこうした医療には、第三者も加わったチェックが欠かせない。そのためにも、法的な枠組み作りを急ぐ必要がある。

 新しい技術は次々に登場する。それをどこまで認めるか。人々の考えも変わっていくだろうが、原則を打ち立てることなく、現実を後追いする事態だけは避けねばならない。


18日 天声人語
ここはどこだろう。まっくらだ。ワタシがだれなのかもわからない。まわりには、ワタシのようなものはいないようだ。これから、どうなるのだろうか。

 てがかりは、とおいかすかなきおくにしかない。いつかどこかで、ふたつのものがあわさってワタシというものがはじまったようなのだ。まだみてはいないが、このそとには、せかいというひろいところがあるらしい。そこには、オトコといういきものとオンナといういきものがいて、それがであってあたらしいいのちができる、ときいたきおくがある。

 ワタシは、ひにひにおおきくなってきた。せまいこのばしょではきゅうくつだ。そろそろ、せかいのほうにうつるころなのだろうか。

 「カッパ」といういきもののせかいでは、そとへのでぐちで、きかれるそうだ。アクタガワリュウノスケさんによると、チチオヤが、ハハオヤのおなかにむかっていう。「おまえは、このせかいへうまれてくるかどうか、よくかんがえたうえでへんじをしろ」。「いやだ」といえば、でなくてもいいらしい。

 あれあれっ、そとへおしだされそうだ。すごいあつりょくだ。だれも、でたいかどうかきいてくれない。きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい。

 ついに、そとへでた。ひかりがまぶしい。あたらしいせかいのはじまりだ。からだに、ちからがわいてくるようなきがした。ワタシをあのくらいところではぐくんでくれたオンナのひとが、ワタシのハハオヤのハハオヤだとは、まだしらなかった。
連続投稿です。
トピのたてかたから良くわかってないので…読みにくかったり不親切なたてかただったらごめんなさい。
そして、コミュの中で日記を書く状態のことしか言えませんが、自分の日記に書いていたことをまとめた感じです。

子どもは「父親」と「母親」というものがいなければ幸せではない…そういいたいのだろうか。むしろ、「父親」と「母親」から生産されて、「母親」から産まれなければ人間として(子どもは親を選べないし生まれる場所を選べないのだから)不幸だ…とでも言いたいのか。ご丁寧にアクタガワリュウノスケさんまでだしてきちゃって、暗に、人間は「父親」というものと「母親」というものがあって、その二人がセックスした結果の産物としてでなければ産まれてきても「幸せになれない」とでも言うのだろうか…。

本当に弱者は誰なのかも考えずにこういう話題になると途端に自分の価値観を振りかざして「一般論」でものを語ろうとする。そんなダブルスタンダードがどうしても好きになれない。

条件つきで代理母出産を認めるのであれば、どのような条件になるのだろうか。不妊治療であれば認めるということか。何をして不妊症で、何をして健康体だというのか。そして、健康な女性であれば、必ず子どもを産まなければならないのか…。
子どもは次世代を担う宝だとか言っておきながら、結局はいわゆる「フツウ」の家庭に生まれた子どものことしか考えていないのではないか。

代理母出産のデメリットってなんだろう。
「母親」以外の人間に命の危険がある?
現代は医学も進歩しているから一昔ほどではないにしろ、それでも出産に命がかかわるというのは分かり切ったことだ。
それを引き受けるのには相当の覚悟もいるだろうし、安易にまわりが引き受けざるを得ないような状況を作るための圧力(無言の…ってのもあるよね)をかけちゃダメなんだと思う。
臓器移植のドナーカードのように、献血のように、ユニセフ募金のように…。個人の意思とは離れたところで有形無形の圧力がかかるようになるのであればやめた方がいい。

一般的な「善意」からの押しつけほどやっかいなものはない。
当事者が子どもを欲しいからって、誰かが犠牲になる必要性はどこにもないはずだ。
子どもを産むって大変な仕事なんだろうし。
産む産まないが選択できるようになってきている今、価値観の多様化もあって、何が正解かわからなくなる。

子どもが出来ないかわいそうなヒトのために「私が代わりに産んであげる」になったら、明らかに弱者と強者の理論になってしまうし、この場合母親であったからまだ遺伝子の乗り物的に人間を考えても問題ないが、もし他人だったらどうなるのだろう。
やっぱり、自分が産んだ子だからな〜私が欲しいわ! とかいう争いが全くないとは言い切れないのではないか。
そうすると、やっぱり法整備も必要になってくるのだろうか。

「フツウ」の家でもいろいろと相続とかなにやらも絡んでくるし、天皇家も人工授精で男の子を作ったり代理出産とかはじめちゃうのかなとか…。きっと、オトコかオンナかのコントロールくらいなら今の技術である程度出来るんだろうしね。

どこまで人間が関与してイイ問題なのか…。
感情論だけで突っ走るのであれば、「養子」と「実子」は違うと思う。「実子」が持てないんだから「養子」で我慢しろ的な法律の発想はイマイチ好きになれない。
好き嫌いの問題ではないけれど、自分の子どもが欲しいというのがさっきもいったように親のエゴであるならば、一番の弱者は誰なのか。
産まれてくる子ども…か。

生と死と考えても、イキモノは子孫を残していかなければ種が滅びてしまう。
そんなことを考えたときに、子どもが欲しいという感情は、種の保存のためになるのか。
不妊治療の技術が進んで、子どもを持ちたいと思う人間が増えたときに、「コドモを持って当たり前」という価値観からの押しつけだけはいやだ。
選択肢が増えて、欲しいと思えば持てるし、欲しくないと思えば産まなくてすむ。
そんな世の中になってほしい。
バースコントロール
女性しかまだ子どもを産めない世の中で、一番いい道を選択できるそんな風になっていくといいな…なんて漠然と思う。

そして、ポエムの解釈が…イマイチ違和感があって何とも言い難いです。
美月さん、トピたてありがとうございました。

朝日の社説、なんかずいぶんとビミョーな文章ですね。
天声人語もまた、産まれてくる赤ちゃんの立場を意識させたいという意図なのはわかるんですが…

>だれも、でたいかどうかきいてくれない。きかれても、なんといえばいいのかわからないが、きかれないのもちょっとさびしい

出生児に人権や選択の自由がある、という主張はわかるけれども、でもそれがお腹のなかにいる段階で、いったい誰がどのようにそれを代弁できるっていうのだろう、そしてどんな「誕生」をよしとするのだろう、というところにひっかかります。美月さんがお書きのように、

>人間は「父親」というものと「母親」というものがあって、その二人がセックスした結果の産物としてでなければ産まれてきても「幸せになれない」とでも言うのだろうか…。

という違和感を私も感じました。
なんかだれも書いてくれないので(泣)、いくつか情報提供を。

不妊治療で思い出したのですが、立法の問題のほかに、日本産科婦人科学会などの学会のガイドラインというのは、クライアントにとってけっこう大きい問題ですよね。
事実婚では不妊治療はできない、というのもずいぶん長く言われてきてましたが、今年になって不妊学会がゴーサインを出したということがありました。こういった問題も、どんな誕生を良しとするのか、についてのひとつの価値観を形成していますよね。
http://www.jsfs.or.jp/funin/guideline/2006.html
事実婚はオーケーになったけれども、たとえばシングル女性で子どもを欲しいと思って不妊であることがわかっても、治療を受けることはできない。それって、当たり前じゃん、と言ってすませていいことなんでしょうかね。

「政治・政策」コミュでも「代理母」問題でトピが立っていますので、参考までにリンクつけておきますね。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=11262620&comm_id=13263

それからずいぶん昔ですが、不妊治療が話題になった他コミュ。
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2279212&comm_id=80678
http://mixi.jp/view_bbs.pl?id=2279897&comm_id=34363
トピのたて方が悪かったのでしょうか…。
未熟なのでごめんなさい。
率直な意見が聞きたいです。
読んではいたのですが、考えがまとまらず、書き込めないでいました……。
うーん、難しい問題ですね。


「自分の子どもを残したい」という希望を叶えることは権利として認められるべきだとは思うのですが、「血の縁」ってそんなに重要なんだろうか、と思ってしまいます。


代理母、産みたいけど産めない人にとっては希望の光なのかもしれないけど。
ただなんとなく、ベストなのは、夫婦の子を妻の胎内から産むこと、次点は夫婦の遺伝子をもっていること、血の繋がらない子はその下、という価値観を強めてしまいそうな気もしています。
 うーん、いくつかの次元をとりあえず分けて考えるとよいのかなあ?

 たとえば、いまのところ、1.感情/2.価値観/3.法的整備、くらいの次元が区別されているように思います。
 1.2.としては、実子/養子/試験管ベービーが好き/価値ある、子供なんか要らない等・・・基本的にはどのような感情/価値観があってもいい、と私自身は思ってます。
 1.2.がある種、私的な人生の選び方に関わるとすれば、3.は公的な空間をどう編成していくか、ということに関わるわけです。で、3.をどうするかにあたって、1.2.のどの点をカウントすべきか(すべきでないか)。
 たとえば、産院で取り違えられ、実の親を探している男性がいますが、彼の思いのうちに、「血のつながり」への無根拠な執着を認め、それをただ批判する、というようなことは、私にはできません。かといって、「血のつながり」を公的空間で第一義的に優先してよいかというと、そうでもない、と思うわけです。

 公的空間にとって「子ども」とはどういう存在者なのか、という問いから、「子ども」のさまざまな産み方・育て方の様式の是非を考えるといいのかなとも思います。まだ漠然としていますが。
解釈できてるか自信はないのですが、思いつくままですが。。。


?氏・生まれを揶揄することを、新聞社が率先して行うということについての違和感

  そもそも、法律上、ダメという決定も出ていないのに、
  なぜ、「・・・ハハオヤのハハオヤだった」と締めている。
  これはある種のバッドジョークか。オチのない。
  ハハオヤのハハオヤから生まれた子供(たとえば
  この形ではない養子縁組の子とか)は、揶揄や非難の
  対象になるべきものなのか。
  この現在生まれいずった子供は、同様に、他者に
  揶揄されながら育つようにと、新聞社自身が‘指針’を
  決めたのか。

?文学としての違和感

  思考停止。
  もしその子を主にした一人称なら、きっとこう続くか、
  こう続かせるようにしてしかるべき。
  「・・・ そこまでして生んでくれて ありがとう」
  
  子供の立場に立った風の書き方。
  
  その子は悩むよ〜、みたいな訳しり風。

  でも、そもそも、子はイロンナ事で悩まないか。
  自分の能力・外見・親との確執・・・
  やんごとなき事情で、実の親に育てられていない子
  だってたくさんいるし、その子達も同様に悩んでいる。
  けど、そこで救われるのは、
  「大丈夫。自分には自分を受け入れてくれる人がいる」
  という自信ではないか。
  そして、そうあるべきと、いわゆる社会でも言われてきて
  いるのではないのか。そこまで思考が至っていない。

  新聞上に載せる文学としての欠如。


?人類のニーズとしての違和感・・・法整備

  少子化云々とか形を決めていくだけで、具体的には
  票稼ぎにならないから、ということで、
  前々から問題提議されている、‘高度生殖医療’
  について。
  で、どうしたいのか。
  子供を増やしたいのか。
  認めないのか。
  それを進めたいのか。進めたくないのか。


?人類のニーズとしての違和感・・・動物として

  この文章(ポエム?)が、もし揶揄するものであれば
  人間(地球上の動物の一種)として、繁殖し
  種を保存していこうと考えるように
  どうやらインプットされているが、
  その本能をあきらめろ、という結論にまで導き
  たいのであろうか。

?女性として

  上記の?に続くのだが、それでは、今後の議論として
  社会の感覚が変わり、
  種を残そうと思わない女性が増えることを歓迎できる
  のか。


?当事者として

  子宮から流れ落ちてきた魂の残骸を2度自分の目で
  見たものとして、
  そしてその傷がずっと癒えないものとして。
  
  気がふれても
  どんな事をしてでも子供が欲しい、と
  治療を続けることは・・・。
  他者が語るべきことは、
  何か。


次はいつ?
まだ?
欲しくないの?

「私できないんです」

・・・あら・・・(沈黙)



子供を生めないという女性の性としての欠落を自ら嘆いているのに、さらに追い討ちをかけるような‘一般社会’。
落伍者のような印。

不妊は、女性を2回切り刻む。


そこを見落として欲しくないな、と思いました。
トピたてといて、恐縮ですが、今週の土曜に試験なので、読んではいるのですが…新しく書き込みたいのですが、すみません。暫く追い込み(後数日だけど…)に徹します。

…語学の足切りこわいよぉ(>_<)
すみません。
9ウツさん
こどもがほしい、というのはどういうことなのか<
これは、すごく考えさせられる問いかけですよね.

私自身、「こどもがほしい」という動機で産んでいただいた様なんですが、子供心にそれを聞いて、すごく葛藤した記憶がある.
「私とは無関係に物事が進んで、私という命が生まれるとは、これ如何!?」てな心境でした.

天声人語の著者の動機はなんなんだろう.
「一石を投じる」つもり?それにしても、もうちっと練ってほしかったような気はします…

実際にその子がこれを読んだら、どう思うかなぁ.なんだか、「なんで知らない誰かがわたしの代わりに喋ってるの!?」とか思わないかなぁ.

御医者さんの集まりとか、政治家とかが、あーすべきだ、こーすべきだという議論を進めつつある、というのは、他の新聞でも読んだけど、それら皆すべて現場から計り知れないほど遠い気がした.
しかも、私が読んだ記事では「はやいとこ決めちゃわないと、これからどんどん出てきて大変!」みたいな、付け焼刃的な感じが漂っていたのがすごく不安感をあおった.
現場に近いところまで議論がおりてくる前に勝手に法律で決めちゃうのはやめてほしい、というのが、一番の今の気持ちかなぁ.

11美月さん
テストがんばって下さいね!フレーフレー
 …コソっと…


ゴメンナサイ

怒りにかまけてつらつらと書いてしまったばっかりに、
トピックストッパーになってしまいました。


>10.malibu
>…他者が語るべきことは何か

これが自分できついかな、と自省です。


語ってしかるべきです。
できるだけ語るべきです。



…コソッと…


失礼しました。
トピが動いてて 少しホッとしました(汗)

ちょっとだけ参加させてください

>21. 桐生玲さん

>>性的・経済的スティグマ

なにかににてるな、と思ったら、「売春」に反対する意見のときにでてくるキーワードなのを思い出しました。
「だからなんだ?」というわけではないですが…(汗)
で、やっぱりそのとき思うのが、
『私の体はだれのもの?』
そこに職業が存在しているのを、存在していなかったごとく歴史などをリセットできるのであれば可能でしょうが・・・
自己の身体に関する決定は自由であるほうがいいのかな、なんて思ったりします。

    *  *  *

現在「代理母産業」は、経済的に余裕のある家庭が利用できるビジネスです。1千万円以上のお金がかかります。その際、母体をイロイロ選べます。
そのときに、あえてすでに‘経済的スティグマ’を背負っているような底辺で生活してきた母体を選ぶことはありません。要は「優秀そうな母体」を「選べる」のです。
「代理母」を含め、現在の高度生殖医療ビジネスにおいて、‘‘『2つのスティグマ』’’を強調させることになるとは言えない気がします(まあ、裏ビジネスもあると思いますが、現に「子」を選び取り作ろうとしている親が、値段を値切ってまで安価な「子」を選ぶとは考えられません…)。




最近、勝手に一人で思っているだけですが(汗)、「代理母」の問題を考えるときに、「女性」のキーワードから外れて考えたほうがいいかな、なんて考えたりします(フェミの学術コミュなのに。。。スミマセン)

それは、

1.「子を持たない」「持ちたくない」という価値観を推し進めるべきか否か
2.(特に)高度生殖医療の発展と優生学

です。まあ両方いびつに絡み合ってはいますが。

1についてですが、「代理母」を含む高度生殖医療を推し進めることは認められないとの意見が、多方面になおかつ多数であるのであれば、
ならば、子を持ちたいという本能(?)というか価値観は捨てるべきだ、となってもいいのでは?と思ってしまいます。
なぜなら、片方では「子を持つべき」という価値観は維持されたままだと、片方では、その価値観を大事にしてるが身体的な問題を抱えているという人は袋小路に追い詰められてしまうという現実の問題があるのです。
で、あれば、「子を持つべき」神話を推し進めるべきではないのでは、と、極端かもしれませんが思ってしまうのです。
「子を持つべき」神話が崩壊すれば、セクシャリティの役割の固定など形骸化するだろうし(!)

子ができない人にとっては、どこに向かっていけばいいのか、この状況だと見えないのです。


2ですが、「代理母」ビジネスでも書きましたが、高度生殖医療の「優生学」への序曲というか・・・
実際に精子バンクビジネスも、価値ある精子は高額です。卵子ビジネスも同様に、価値ある卵子は高額です。経済的に余裕がある人間のみ高度生殖医療を利用でき、なおかつ優秀な「子」を獲得できる商売としてすでにスタートしています。
その商売が、どこまですすむのか…?バベルの塔が崩れるまで?
「代理母」もそうですが、もうすでに「女性」というキーワードだけでは語れなくなっている気がします。
(けど、ホントすみません。フェミニズムコミュなのに・・・ 汗)

すみません 以上独り言です。

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