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関西クリティックコミュのITについて

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最近、仕事の必要上、
どうしてもインターネットに関わらなければならなくなっている。
使ってみると、なるほど、便利だし、
これによってかなり省力化されているのは間違いない。

だが、こうした未完成の技術を、自分の意志に反して使わされるのはカンにさわる。

パソコンはロードに時間がかかる。
こちらの意思に関係なくアップデートを申し込んでくる。
次々に新しいバージョンがでるのは、未完成だからだ。

開発者に対し、僕は尊敬の念を禁じ得ないが、それを利用する段階ではない。

かつて女の子にそそのかされて、携帯電話を手にしてしまった経緯があるので、
僕はもうこれ以上先端技術をとりいれたくない。

携帯電話も手放したいとすら思っている。

こちらから選んで使うならともかく、使わされている
あるいは、サービスを提供してもらっているという位置関係が不愉快だ。

いままで必要なかったものを、どうして必要とするのか?
新しいという理由だけで必要とする、これはよくあることだが、時間の無駄だ。

今、ともに仕事している人を批判しているように聞こえるが、
それは誤解である。

ITのことを知るのがよくないとは思わない。
それどころか、今一番ホットな分野である情報の世界を発展させているのは、
そうした最先端に好奇心をもっている人たちである。
僕も、彼らから助けられて、いろいろとその恩恵にあずかっている。
身近にそういう人がいることは、僕にとってありがたいことだ。

ただ、僕自身はITの発展には興味が薄いし、未完成の段階で使うメリットを感じない。
中途半端に便利なツールの操作、これに習熟するための時間は苦痛である。

手書きでできることを電気を使ってやること自体は、たいしたことではない。
僕は、テキストがコピーペーストできる便利さや、
時の読みやすさ、編集の簡便さを紙媒体以上に感じていて、
この点、使う価値がある。

僕は、だめだと言われてもパソコンで文章を書くのをやめない。

情報が手に入りやすくなったかというと、何とも言えない。
かなり情報源として助かっているが、紙媒体の本以上には活用できていない。
それよりも、携帯電話のおかげでよけいなコミュニケーションにつきあわされるのが
シャクである。

インターネットでなら、遠くの人ともつながることができるが、
僕は、身近な人と関係できれば十分である。
インターネットの処理能力ほど、僕個人の処理能力は高くない。
偶然出会った人との関係を大切にする以上は、容量オーバーである。

僕の中に、どこかITに対するコンプレックスがあって、
これを使わない、とは言えないのである。
ところがこの技術は人を無個性にするものなので、僕としては認める訳にいかない。
目標は、なんとかこの煩わしさから抜け出ることなのだが、
いったいどこまでが必要で、どこからが不要なのかわからない。
しかし、自分の立ち位置を見失うわけにはいかない。

明治維新のとき、幕府側にいたのだろうな、僕は。
平家物語では、平家の方にいたと思う。
かっこわるいと思うし、できることなら、新しいものの方についていたい。

大学を卒業してから、そのあとの価値観にも追いついていない。
まだ、多少の焦りがある。

腹が立つ。
自分の意見をこうして文書にすることすら、
心理的な問題からブレーキがかかってしまう。

何を考えているのか、はっきりさせたいのだ、僕は。
これから、どう生きていくのか。
ITの話は、触媒にすぎない。
職場という小さな社会に自分のあり方を見いだすことから、
この世界とのつきあい方を見いだそうとしているのだ。

僕は、興味のないことに時間を使わない。
ITも、興味が出た時にはやる。
今は、僕の興味をあまり惹かない。

そして、僕の怒りはこうだ。
僕に興味のないことをさせるな。
僕に、くだらないことをさせるんじゃない。
(他の人がやればすばらしい仕事が、僕の手にかかるとくだらなくなる)

違うな。そんなことじゃない。
それは間違っている。
こんな意見は言うべきじゃない。

生活を自分でデザインしたい。
貧しくても、余裕のある生活をしたい。
持ち物が一定以上ゆるされないなら、その中で完璧な生活を営みたいのだ。
必要ないものを、他の人が持っているという理由で渇望させられるのは嫌いだ。
必要ないものは必要ない。
それによって人が貧しくなるわけがない。

なにが言いたい?

僕に立場を認めてほしいのだ。
誰も、認めないとは言ってない。
いや、認められてない。
認めてるよ。

認めてほしい自分とは何のことだ?
怠惰はゆるされないぞ。

認めてほしい自分とは何なのか、それを思い出す時間が欲しい。

社会人として不当であるということはわかっていても、
心の中にある衝動、欲望を表に出さないことには克服できない。

僕は、アーティストになりたいんだ。
役者にでもいい。
コンセプトを扱い、直観を論理で裏付けして勝負したい。

それを許されないのはなぜだ?
周りが認めないから。
というのは、よく言われることだが、客観的には不当だろう?

主観的には、それにも関わらず、なにか不当な感じがしている。
それを丸呑みにするのが大人だが、丸呑みにするほかないか?

僕が認めてほしいと欲しながら認められていないと感覚し、
それが不当であると感覚するのは、何か理由があるんじゃないか?
錯覚であったり、思い込みであるかもしれない。
それも理由なのだ。

ながいこと、こうして心情のまま書くということをしてなかったな。
川端さんの「ウダウダとくだらないことを書き並べるクソ」になるのがいやだから。

だが、ウダウダと下らないことを書き並べることで、ようやくクソを吐き出せる。
クソを吐き出さずして、新しいものは取り入れられない。
間違った欲望、稚拙な願望、弱さは、書くことによって明らかになる。
それをただまき散らしてまわりに迷惑をかける人もいる。
そして、このクソを分析して、取り入れるものを改善することもできる。

僕はこの文章で妥当なことは書かないだろう。
これは論文ではない。
せめて、蔓延する単一の価値観への反抗にはしたい。

自分が、月並みな批判しかできないことに腹が立つ。
何か一言、いいたい。
むしゃくしゃする。

携帯電話、iPhoneはクソだ。
インターネットもクソだ。
マスコミもクソだ。
何がクソの根源だ?
自分がうまくいってないからだろう?

自分がうまいこと生活にハマッてないから、そのストレスを外に投影してるだけだぜ、僕は。
自分がなんとかなるしかないんだ。
進むべき方向へ一日一日、少しずつか以前していれば、そんなふうには言わないもんだ。
あと、お金がないからだね。
お金がないのに、いろいろと余計な会合につきあわされるからだ。

断れない僕が悪い。
他人の好意に対して、ノーと言えない僕が招いた災難だ。
それを人のせいにするな。
最前の生活をイメージせず、無駄な人間関係や、
何のメリットもない活動にかり出される。

嫌われたらいい。
もともと付き合いの悪い人間が、いい顔をして何になる。
面白いものや、珍しいものを人に教えてもらって何になる?

人間関係は大事だ。
だが、僕はへたくそだ。
人間関係の作り方がへたくそだ。
媚びることしか知らん。

下らん流行や、世の中の常識に巻き込まれるな。
すり減るだけだぜ?
人は、必要なものと不要なものは自ずから察知するものだ。
本能的に興味がわかないものは、必要ないんだ。
論理的に必要を感じようとしたって無駄だ。

必要と思う時がくるまで、必要としなくていい。
興味のあることを追い続ければいい。
それじゃだめだという人もいるだろうが、
それは、個人差ということを考慮しないガキか、
自分が興味を追いかけられなかった恨みを、他人に向けようとするアホのどっちかだ。

ITは今後、必要となる時がくるだろう。
そのとき、頭をさげて教えをこえばいい。

頭を下げて、教えをこう。
この姿勢作りが一番難しい。
頭を下げて教えを請うことができれば、いつまでも年をとることはない。
頭を下げて教えをこえるのは、自分が縦横無尽に興味を追いかけて、
その文脈で教えを請う時だろう。
頭を下げるくらいなんとも思わない。
それが、聞き時。

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