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新日本プロレスvs全日本プロレスコミュの'90スーパーファイトin闘強導夢

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タッグマッチ60分1本勝負
×木戸修・木村健悟
(15分6秒・体固め)
○ジャンボ鶴田・谷津嘉章

タッグマッチ60分1本勝負
長州力・×ジョージ高野
(18分59秒・リングアウト)
天龍源一郎・○タイガーマスク(三沢光晴)

IWGPヘビー級選手権試合・60分1本勝負
△ビッグバン・ベイダー
(15分47秒・両者リングアウト)
△スタン・ハンセン

東京ドームの伝説興行といえば、95年10月9日の「新日本VSUインター全面戦争」がよく取り上げられますが、僕の中では、こっちのほうが伝説です。本当の意味で実現した唯一の「新日本VS全日本」だったと思いますし残念ながらノーTVでした。当時は中学生で福岡在住だったものですから、会場には行けなかったんですが、雑誌で全日本勢の参加を知って本当に興奮しましたし、その場に居れない、またはテレビでさえ観れない無念さを昨日のことのように覚えてます。テレビではベイダーVSハンセンのみ放送されましたね。これだけでも会場が異常に盛り上がっていたのが分かりました。その数年後長州組VS天龍組、木村組VS鶴田組の試合は裏ビデオを入手することが出来ました。やはり会場の盛り上がりは異常でした。たしかこの試合が初めて東京ドーム興行で超満員札止めになったと記憶しています。

本来、この東京ドーム大会の目玉はリックフレアーVSグレートムタのNWA世界戦、ベイダーVS長州のIWGP戦だったはず。それがフレアーの来日キャンセルで大幅なカード変更を強いられた坂口社長が、全日本の馬場社長に頭を下げて実現した当時超ど級のラインナップですね。

この時藤波が腰痛で長期離脱中だったので、鶴田との遭遇が実現せず。もし藤波が出ていたら
藤波・木村の初代IWGPタッグ王者チーム VS 鶴田・谷津の五輪コンビチームが実現していただろうだけに非常に残念です。

それにしてもこの3試合で新日本勢は一勝もしてないんですよね・・・・

コメント(44)

なつかしい〜ですよね。
たしかベイダーの目がプックリ腫れ上がっちゃってましたね。
私は選択をせまられ前日のタイソン対タップス
にいっちゃいました。今思えば新日行けばよかった。

川田はその時はフットルースだから弱いでしょう。

それとジョージ高野は札幌にいて高校教師と
ガチで腕十時を取られて脱臼してもタップしなくて
なんとか時間切れだったらしいですよ。
それも5年以上前の話だから今は知らないや。
でもタップしないで試合したってのがプロレスラー!

マサは私も強いと思う。
マサ斉藤さんってアメリカで警官殴ってムショ入ってたんだよね。アメリカの警官より強いなんて!!!!!!!
>マサ斉藤さんって
確か酒場で他のレスラーが喧嘩始めて、、が事の起こりと聞いてます。結局、マサさんだけが逮捕されて刑務所行き・・でもこの件で名をあげたマサさんはアメリカのレスラーから慕われているとも聞きました。なお、服役中、考えた必殺技、いわゆる「監獄ロック」という技があったと思います。

そ〜いえば、今は亡き名レスラー、ヒロ・マツダさんをリーダーにマサさんもいましたが「狼軍団?」ってありましたよね?確か最後はマツダさんと猪木の試合がメインで、セミは当時のJrのチャンピオン藤波と剛竜馬の試合もありました。
おお、何か急にこのトピが盛り上がってて嬉しいですっ。
当日のマサ斎藤のAWA奪取もなかなか感動的でしたね。
私はこの大会でハンセンがIWGPに挑戦した試合が一番印象に残ってます。IWGP構想が発表された時(80年頃)、ハンセンといえば優勝候補の一人でした。81年に新日が全日の看板外人レスラー、ATブッチャーを引き抜きこれで決勝リーグは猪木、ハンセン、アンドレ、ブッチャー、ボックで争われるものと思ってました。ところが全日がTJシン、ハンセンと報復の引き抜きをしハンセンのIWGP参戦は幻に・・・。当時小学生だった私はひどく落胆したのを覚えています。結局、83年に開催されたIWGP決勝リーグは通常のMSGシリーズと変わらないものとなり6.2蔵前の優勝戦では皆さんご存知の通り猪木がHホーガンのアックスボンバーの前に沈みTKO負け・・・。まぁ、当時の私にはこれはこれでショッキングな出来事でしたが・・・。(最近ではこの時の猪木TKO負けに関しても色々、暴露話が出ていますね 笑)このハンセンのIWGP戦は私が落胆してから丁度10年目に実現したわけです。まぁ、この交流戦も坂口体制だから実現したのでしょうね。猪木が社長だったら馬場さんも選手を派遣する事はなかったでしょう。あとは猪木の一、二、三、ダーもこの大会から始まりましたね。
>ハンセンがIWGPに挑戦した試合
ベーダーの目がゴルフボール並みに腫れた・・試合ですよね?最初、ノーコンテストか両者リングアウトで延長した試合?だったような・・いずれにしてもアンドレvsハンセンと並ぶ外国人同士の試合のベストバウドと記憶しています。

この試合により眼底骨折をしたベーダー、アメリカで眼球摘出の手術を受けました。その復帰戦が長州vsベーダーのIWGP選手権、長州がその手術した目にラリアットを数発かましてベーダーからタイトルを取りました。まだまだプロレスが元気だった頃の話でした。
自分はプロレスが何となく好きだったのですが、この時のハンセンVSベイダーを見て、「何処までこの2人はやるんだろう?」っていう戦いを見せ付けられて完全にプロレスファンになりました。
後、プロレス見て感動したのもこの試合が初めてです。
どんなにがちがちに殴りあったりしても倒れない、本当のタフガイコンテストって感じで、とにかく言葉では語り尽くせない名勝負でした。
よーたんさんのおっしゃるとおり、あそこまでとことん追いつめて試合をするハンセンとベイダーはまさにプロレスラーでしたね。あれだけ目を腫らせばPRIDEだとすぐに試合止めちゃうかな。
いやー 16年前の話ですが よく覚えてます 現場にいました! もうね第一試合開始前から客が出来上がってたよ 試合前のケロちゃんの本日のカード発表の時ケロちゃんの口から鶴田天龍って言葉聞いただけでも鳥肌たったもんね そんな古きよきプロレス時代ですよ ちなみに私はカセットレコーダー持ち込んで入場曲選手コールを録音してました 久しぶりに聞いてみよう(^-^)
ジョージ高野には悪いですが、長州&グレート・ムタ(武藤)VS天龍&タイガー(三沢)
だったらもっと夢カードだと思う。
でもフレアーVSムタも見たかった。 NWAバリバリの世界チャンピオンと昨年までNWAトップヒールのムタの試合を日本で見たかったっす。
皆様のコメント読ましていただいて、かなり見たくなったので探していたらベイダー×ハンセンはあったので貼り付けておきます!

http://www.youtube.com/watch?v=_N7V3mJG-T0&mode=related&search=

鶴田戦とか見たかったなぁ・・・
ペガサスキッドのデビュー戦でしたね。(笑い)
 古きよき時代ですね。。。

 プロレスがプロレスらしく、純粋に楽しめました。最近は団体をまたいだ良いカードが実験するのは結構ですが、その分夢のカードがなくなってきましたね。
当日は、リングサイド7〜8列目、2万円の席で観戦。
ちなみに、これは全日参戦発表前に購入した席です。
フレアー対ムタ、長州対ベイダー、北尾デビュー、橋本対蝶野、そして対戦者未発表ながら猪木も出場なら、2万でも高くないですよ。無論、全日参戦、猪木&坂口対蝶野&橋本というカード変更で、得をしたと思いましたが
ベイダーVSハンセンのテレビ中継時のゲストが田代まさしだったのもレア度高いです。
思い出した!いたね。 外野席から放送席向かう姿見た記憶ある  馳健はだれとやったっけ?思い出せない 出ていなかったっけ?
馳健は、その年のドームに出ていません。
馳は第三試合に出場

○後藤達俊、ヒロ斉藤、保永(体固め)×星野勘太郎、馳、小林邦昭

後藤組は、前年の秋からブロンド・アウトローズを結成


健介は海外修行中で、ドーム終了後の「坂口引退シリーズ」の最終戦、後楽園ホールで武藤ともに帰国挨拶をしました。
その後、秋に馳とのコンビでIWGPタッグを奪取、91年3月のドームに馳健としてシュタイナーズと対戦。
そっか思い出した まだ二人ともそんな位置だったですね。 ありがとございます 昔はすらすら出てきたのになぁ( ̄□ ̄;)
第一回スーパーJカッブでて欲しかったなぁ ウルティモ
頭から全部読ませて貰って皆さんが『この頃の馳は…』と書いてたので記しますが、馳選手が文字通りに『生まれ変わった』のは、この後の六月二日の福岡国際センターの八人タッグで後藤のバックドロップを受け損ない、後のハンセンVSベイダー戦のセコンドに付く為に花道を駆け出した所で昏倒し、その儘意識不明に為って危うく死の一歩手前に迄行ったアノ事件があったからこその変身ですよ
(実際本人は幽体離脱を体感したとか)それからは、何が起こるか判らない選手生命の一試合一試合に常に最高のコンディションを以って臨める様にと気持ちを入れ換えて意識の変革に勤めたそうです(参考文献・別冊宝島『プロレス必殺技読本』)
 この試合の裏ビデオ見ました。凄い盛り上がりですね。それにしても鶴田、谷津組はさすがですね。あのしょっぱい2人相手に濃度の高いプロレスを展開。
 天龍の方は何かバタバタした感じ。高野の気合いの入ったドロップキックの高さはビックリ。さすがアステカイザー!!!
まだ中学生だった息子と行きましたよ。
なんといってもあの強いジャンボにグーパンチかましてぐらっとさせた健吾兄さんの強さが印象的でした。
かませ犬の強さはライブで見ないと解らない。
健吾最強説を持ってますが誰も共感しないんでしょね?
息子は共感してます。
どうですかあ〜〜〜〜!
大阪から会社休んで行きました。ムタがアメリカでNWA連続挑戦してたんですが、いつもなんくせつけられて取れませんでした。

それが今回は日本でのタイトルマッチ!あの時はNWA、AWA,IWGPの3大タイトルマッチで挑戦者は全て日本人で新日本が3本とも取るために策略?を張り巡らせてるとうわさもあったもので、はりきって行きました。

ムタがフォールして、会場全体で1、2、3、と叫ぶシーンを夢見て。それがとんでもないことに(笑)

北尾のデビュー戦は失笑の連続でした。

いまだに忘れられないのは鶴田のテーマが鳴って、彼が姿を現した時の歓声の凄さです。テーマ曲が聞こえなかったです。
北尾君がブレーン・バスタ^^カマす時ビガロが持ち上げてもらえるようにジャンプしたのをハッキリと目撃してしまいました。
たぶんあれで猪木以後を信じられなくなってしまったような気が…mm、あれだけでは勿論無いのだけれど。
>ドリーJUNKシニア兄
決してその事でビガロを責めないで下さい
逆に言えばビガロだからこそ北尾相手に彼処まで成立させられたんですから
責められるべきは当の『超闘王』であり、新日首脳陣なんですので
後にレッスルマニアでアメフト選手(素人)の相手にも指名され、見事大役を果たせたのも彼のセンス有っての事だと思うので
2・10スーパーファイトイン東京ドームは、プロレス史上最大級の興行でしたね。夢のオールスター戦、2・10、新日対インター、猪木引退試合はプロレス史に残る興行ですね。
このドーム大会は僕も中学生でしたがはっきり憶えてますぴかぴか(新しい)


当時は、全日本派対新日本派でどっちが強いexclamation & questionexclamation & questionexclamation & question


なんて討論を極少数のプロレスフリークの中学生が暑苦しく語り合ってました(笑)


全日本派の僕は狂喜乱舞の大会でしたねグッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)グッド(上向き矢印)





でも今思うと

猪木、馬場の互いの一番弟子であり
ある意味正統後継者の鶴田、藤波が遭遇する最後のチャンスだったんですよね。。。。。。。


あのとき格闘頂点の鶴藤がぶつかり合いをしていれば、間違いなく後世に語り継がれる超ベストバウトになったと思いますムードムードムード桜走る人走る人

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