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NHK大河 江〜姫たちの戦国〜コミュの本能寺の変 豊川悦司の織田信長

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本能寺の変 豊川悦司の織田信長

(関連記事)

○トヨエツ信長「キリストのよう」 本能寺の変(産経新聞 2月6日(日)20時19分配信)
「本能寺の変」のセットでポイントとなる池がスタジオに登場。信長と明智軍がこの場所で入り乱れて戦う=第5回「本能寺の変」(2月6日放送)
 徳川2代将軍、秀忠の正室、江(ごう)の生涯を描く大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」。2月6日は、第5回「本能寺の変」が放送。織田信長(豊川悦司)の傲慢さが理解できず「二度と会わない」と宣言した江(上野樹里)だったが、信長の本心を知り、再び、京で会う手はずとなった。一方で、信長に領地を取り上げられ、羽柴秀吉(岸谷五朗)の配下で毛利攻めに加わわれと命じられた信長の家臣、明智光秀(市村正親)の決起の時が近づく…。今回は、序盤のクライマックス、「本能寺の変」のシーン撮影にかける現場スタッフのこだわりなどをお届けする。
 ■ど真ん中に直球投げた緊張感を味わって
 「本能寺の変」の撮影は、昨年末、計2日間で行われた。演出の伊勢田雅也氏によると、本能寺のおもてで信長軍と明智軍が戦うシーンに1日、信長が覚悟を決め本能寺の奥に入っていく道中や、最期のシーンで1日撮影、という具合だったという。「本能寺の変」をテーマにした撮影は、時代劇の演出家にとっては特別なものだという。伊勢田氏も「戦国ドラマの見せ場で、いつかはやってみたいと思っていて、ようやくかなった。『本能寺の変』を撮影して、やっと、大河の演出家になったんだなという思いでいます」と感慨深げに話す。大河の歴史の中では、「これまで10回近く『本能寺の変』を撮影している」(NHK広報)といい、その全ての現場に立ち会ってきたスタッフもいるとか。「このシーンは、過去の大河との比較をどうしてもされがちです。かかわったスタッフも『何か新しいことを』と考えるのですが、やりつくされていることもあり、今回は逆の発想で、『変わったことをしなくても、いいものを作れないか』という気持ちで臨みました」(伊勢田氏)
 信長が鉄砲を打ち放したり、大きな火炎を上げたりといった視覚的な変化球は控えめで、信長の人間性を淡々と描く演出方針が決定。それがよかったのか、仕上がりを見た前出の「本能寺」ベテランスタッフは、「非常にまっとう」「正攻法の本能寺」という印象をもったという。「ど真ん中に直球を投げた緊張感を、視聴者の方には味わってほしい」と伊勢田氏。信長の光秀への呼びかけや、長く信長に付き従った森蘭丸(瀬戸康史)との別れ、そして、「思うままにまっすぐ生きよ」とメッセージを託した江との交流の“結末”の描き方に注目だ。信長の死を知った江の叫びが第5回の終盤に盛り込まれるが、その撮影時にはこんなエピソードが。「ゴウちゃん(伊勢田氏はヒロインをこう呼ぶ)は静かに泣いたほうがいいのかなと思ったんですが、上野さんは『号泣したい』と。『撮影が始まって、まだ(自分自身の)殻を抜けきれていない、このシーンで号泣することによって、江になれそうな気がする』と言われ、なるほどと思い、最初の方針を変えました」(伊勢田氏) 
 ■本能寺に「池」
 正攻法のチャレンジの中でも、工夫も見られる。平成18年の大河「功名が辻」の「本能寺の変」では、大階段をしつらえ、そこでひとり見栄をきる信長役の舘ひろしが印象的だったが、今回は、本能寺の庭に縦6メートル、横11メートル、深さ30センチの大きな池が作られた。美術チーフの丸山純也氏によると、池の存在に信長軍と明智軍の距離感を込めたという。戦いの中で、「信長の時代であれば必ず出てくるのがこのシーン。単に刺した刺されただけでなく、何か新しい動きを出せないか」(丸山氏)と美術デザインの案を練っていたところ、ヒロインが“湖のほとりで生まれた姫”であり、水がキーワードになっているドラマであるという面から、池の設定を思いついた。池をはさんで対峙する両軍。戦いの火ぶたが切られると、池に両軍がなだれ込み、織田と明智の“結界”が消滅。無数に上がる水しぶきが戦いのシーンのすさまじさを底上げする。本能寺に池を設置したのは過去をみても珍しいチャレンジで、その本格的な作りを見た上野も「まるでロケのよう!」と驚嘆していた。
 ■トヨエツ信長の衣装は?
 信長の最期の“姿”にも注目してみよう。寝込みを襲われる信長は、本来は袴をつけず着物のまま。しかし、今回は黒い衣装が多かったこれまでの信長とのコントラスや、ビジュアルの格好良さも考慮に入れ、あえて白い袴をはかせたという。髪は髷を結わずに、すべて下ろしている。チーフプロデューサーの屋敷陽太郎氏は「神を意識した男の最期として、狙ったわけではないですが、映像の仕上がりを見たら、はりつけにされた時のイエス・キリストのように見えました」。視聴者はどのような印象を抱くだろうか。丸山氏によると、豊川は衣装合わせの段階から、以前の信長のイメージとは違うものを出したいというこだわりを持っていたという。丸山氏もその意識に感化され、「信長の戦場シーンでよく着ている印象の南蛮鎧は、部屋の飾りには使いましたが、今回、あえて1回も着なかった。その代わりに、鎖帷子のような『まんちら』(満智羅=オランダ語のマンテル〈マント〉が語源ともいわれる)を着用させて戦場に出た。鎧の中につけるものを逆に表に出したんですが、豊川さんの雰囲気に合っていたのでは」と振り返る。当の豊川も、ビジュアルに関して「大満足の仕上がり」とスタッフの仕事を絶賛した。「最初の衣装合わせから、『信長だったら』って特別な刀や陣羽織とかが、とにかくどんどん出てくるんですよ。思った以上に、みんな信長が好きなんだ、みたいな(笑)。あれだけ大河をつくり続けているベテランのスペシャリストたちが、それでも好きなのは信長なんですね。『前回はこれでしたけど、今回はこれをお勧めします』とかアイデアもいろいろ出てきて、すごくありがたかったです」そして、豊川の撮了の感想は−。「俳優のみならず、スタッフのみなさんも、今までとは違うものを、今回は今回の『本能寺の変』をつくりたいという思いがすごく感じられて、やっていて充実感がある撮影でした」
 役者とスタッフ、“相思相愛”のラストシーンになったようだ。(萩原万貴枝)

○孤高のカリスマ、トヨエツ信長の魅力
配信元:2011/01/16 22:22更新 産経新聞
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(1)原作・脚本の田渕久美子さん「国を変えていくチャンスいただけた」に戻る
 徳川2代将軍、秀忠の正室、江(ごう)の生涯を描く大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」。本日1月16日は、第2回「父の仇(かたき)」が放送。父を信長に殺された江が、初めて“仇”と対面。それに合わせ、連載「素顔の『江』」第2回では、ピカイチの存在感を放つ“織田信長役”にスポットを当てる。
 信長といえば、戦国随一のカリスマキャラクター。これまでの大河ドラマでは、昭和48年の「国盗り物語」で、今や時代劇の大御所となった高橋英樹が若き時代に演じ、役者としてブレーク。ほかにも、石原プロの渡哲也が「秀吉」(平成8年)で、後輩の舘ひろしが「功名が辻」(18年)で挑戦するなど、名だたる役者がふんしてきたスター枠の役柄だ。面白いところでは、初代仮面ライダーでおなじみの藤岡弘が、昭和56年の「おんな太閤記」で信長役で出演後、再び、64年(平成元年)の「春日局」で信長として再出演。大河では珍しいパターンだった。
 「江」では、トヨエツこと豊川悦司が信長役を務める。最近では時代小説家、藤沢周平の名作を映画化した「必死剣鳥刺し」で主演したが、彼のこれまでのキャリアの中で、時代劇は数えるほどしかない。しかし、実は平成5年の「炎立つ」で、平安末期の東北地方の豪族、清原家衡を演じたことがあり、今回は18年ぶりの大河登板となる。
 最近の大河では、信長にテーマ性を持たせることが多い。例えば、舘が演じた信長は「狂気」。舘は「気持ちがいいくらい演じがいのある役だった」と当時を振り返る。今回のトヨエツ信長は、「カリスマが抱える孤独」を前面に押し出すのが特徴だ。
 主人公の江(上野樹里)は、父、浅井長政(時任三郎)を信長に殺され、かたきと恨むが、面会を重ねるごとに、そのパワーにどんどんひかれていく。トヨエツ信長と初対面したシーンを演じた上野は、共演の感想をズバリ、このように話した。
 「信長と私(江)は、おじと姪の関係で、信長は“親戚のおじさん”という感じなんですが、豊川さんの存在感と信長の(役衣装を着た)ビジュアルは、もうすごいとしか言いようがない!」
 江は、母の市(鈴木保奈美)や、姉の茶々(宮沢りえ)らから父のかたきの存在を聞かされ、信長に反発する気持ちを抱く。しかし、父が死んだ時は赤ん坊だった江。ここで、信長に対して、姉たちとは違った気持ちが生まれる。
 「父が殺された時、江は生まれたばかりで、かたきの意識は姉たちほどはないんです。“おじ上”に父の影を追っているところもあるかもしれない。ものすごい勢いで前にすすむ信長を、江は追いかけてるんです。そして、今回は、憧れ…、恋に近いのかな…、江にとって、信長はそんな対象として描かれています。江は信長という戦国時代のカリスマ武将を前に、知りたかったけどなかなか聞けずにいた“本心”に触れる。そのシーンは楽しみにしてください(第3回「信長の秘密」、1月23日放送)。女性のみなさんは、信長のイメージのギャップにひかれてしまう描かれかただと思いますよ(笑)」
 原作・脚本の田渕久美子さんも「この回は個人的に、かなり好きです。(人に対して)遠慮なくつっこんでいく江を通じて、信長の魅力を浮き彫りにできたと思います」と大満足。さらに、「信長を書いていると、女性ホルモンがドバドバ出てきました。なんとも言えない気持ちになって、これはよほどいい男だったんじゃないかなぁと(笑)」と本音全開。信長の存在は執筆のスピードに好影響を与えたようだ。
 「あの時代にあってとんでもない発想を次々とした信長の、孤独の深さは誰にもわからなかった。まさに孤高の天才で、死をまったく恐れない人だったとも感じています」
 田渕さんが思う信長像の一端を、「人に見えないものが見え、聞こえない声が聞こえる」と、千利休(当時は宗易、演じるのは石坂浩二)の口を通じて語らせるシーンも注目だという(第3回)。
 2月6日放送の第5回「本能寺の変」まで、“もう一人の主役”のようにじっくりと描かれる信長。次回以降の連載でも、引き続き取り上げたい。
(萩原万貴枝)

○アイデアマン!トヨエツ信長
配信元:2011/01/23 22:38更新 産経新聞
【素顔の「江」3】
 徳川2代将軍、秀忠の正室、江(ごう)の生涯を描く大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」。1月23日に放送の第3回「信長の秘密」では、比叡山の焼き討ちなど、なぜ織田信長が世間や家臣たちに恐れられる非道な行動をとるのか、豊川悦司演じる信長本人が思いのたけを江(上野樹里)に語る。屋敷陽太郎チーフプロデューサーは「脚本の田渕久美子さんならではの解釈。そこから信長の二面性が堪能できる展開になっている」と見どころを話す。
 演出の伊勢田雅也氏によると、「豊川さんは、とにかくアイディアがすごくある方」という。
 例えば、先週の第2回「父の仇」で、江と信長の初対面のシーンの終盤。信長の部屋に“突撃”した江が去った後、ひとり部屋に残った信長は、一息ついた後、持っていたヤリを投げ飛ばし、窓の格子を突き破ったところで場面が終わる。見ていてギョッとするが、信長の“普通でない”人物像を端的に表したカットになった。
 しかし、この場面は、はじめのプランでは普通にヤリを床にブスリと突き刺し終わるものだった。それが、豊川の発案で先の演出になったという。「ヤリを外に向かって勢いよく投げることで、『思うままに生きよ』と江にメッセージを伝えようとする信長の爽快感が出ました」と伊勢田氏。「豊川さんは表現手段が豊富で、いろいろなプランを出してこられる」と、打ち合わせの段階から感嘆しきりという。
 まだ先になるが、第5回「本能寺の変」(2月6日放送)でも、豊川発案の“NHKコード破り”が実現している。
 大河ドラマは、幅広い年齢層の視聴者が見ることをふまえ、戦いのシーンなどでの「血」は控えめにしている。画面が血みどろ、というのは、確かにお茶の間ではいただけないものだが、本能寺で倒れる信長の迫力を出すために、豊川は血のりの量にこだわった。その様子をみると、白い着物には相当量の赤い“血”が施されている。豊川は顔にも思いっきりつけたかったらしいが、そこは踏みとどまったとのことだ。
 ちなみに、上野と豊川が今回の大河で初めて撮影を共にしたのが、この「本能寺の変」の信長の最後のシーンだった。「初めまして」の2人が、いきなりクライマックスシーンを撮影…。なかなか厳しい状況だろう。伊勢田氏ら現場のスタッフも、序盤の最大の見せ場がうまく撮れるか「ドキドキしていた」が、「2人とも(役者として)初めて会うなんて全然感じさせないテンションで、すばらしいあがりになりました」(伊勢田氏)。
 さて。ここで、「ん?」と思った方もいらっしゃるだろう。信長の最後のシーンに、江がいるの…? どんな演出になっているかは、見てのお楽しみだ。(萩原万貴枝)

○<江>上野樹里が号泣志願 演出家が語る「本能寺の変」
まんたんウェブ 1月31日(月)8時1分配信

大河ドラマ「江姫たちの戦国」の第5回「本能寺の変」の1シーン=NHK提供
 女優の上野樹里さん(24)が主演するNHK大河ドラマ「江 姫たちの戦国」は2月6日放送の第5回「本能寺の変」で最初の山場を迎える。日本の歴史を揺るがした最重要事件がどのように描かれるのか、また父親の敵ながら伯父という織田信長の死に対し主人公の江がどのような感情を抱くのか注目されるが、このほど同ドラマの伊勢田雅也チーフ演出が見どころを語り、上野さんが自ら号泣を志願したエピソードを披露した。
 「江」は、織田信長の妹・お市と近江の戦国武将・浅井長政との間に生まれた“浅井三姉妹”の三女・江が、波乱万丈の戦国時代をしなやかに生き抜き、江戸時代の幕開けを見届ける様を描くドラマ。第5回「本能寺の変」は、1582年5月、織田信長(豊川さん)に二度と会わないと宣言していたことを悔やんでいた江(上野さん)が家康(北大路欣也さん)に招かれ、京で信長と会う手はずになる。一方、信長に領地を取り上げられた家臣の明智光秀(市村正親さん)は、豊臣秀吉(岸谷五朗さん)の下で毛利攻めへの合流を命じられる。そして6月2日未明、光秀は謀反ののろしを上げ、信長のいる本能寺を包囲した。大阪・堺から京への道中にいた江は明智の追っ手から逃れるため、家康と共に伊賀越えへ向かう。しかし地侍に囲まれ、絶体絶命の危機を迎える……という物語。
 撮影は、信長らが明智軍と戦う場面と本能寺の奥でのやりとりとに分け、2日間にわたった。女性である江と、本能寺の変を絡めたストーリーにすることは難しく、脚本家・田渕さんのアイデアを基に「多少ファンタジックにしている」という。またドラマの中では、2人の姉が嫌悪する信長に対し、率直な物言いで心を通わし敬愛の念さえ抱く江。当初、信長の死を知り、静かに泣くという予定だったが、上野さんは「号泣したい。私はまだ殻を抜けきられていない。このシーンで号泣することで江になれる気がする」と自ら志願したという。江役の上野さんと織田信長役の豊川悦司さんはこの回の撮影が最初の共演シーンの収録だったというが、「それを感じさせない仕上がり」という。
 同作の演出について「オーソドックスに。普通がいちばん」と繰り返し語る伊勢田・チーフ演出は、本能寺のシーンについても同様で「ぎゅっと濃縮された空間、時間が作れた。派手なことは何もしていない良さがある。ど真ん中の直球を投げたぞという緊張感を味わっていただければ」と見どころを語り、信長とその近習・森蘭丸の「2人の別れの良さも見せ場の一つ」と話している。(毎日新聞デジタル)

コメント(32)

そうですか・・・

私は髪を下ろしてたし、白い着物だったし、光の中に消えたので見たかんじそう思いました。

十字架にかかるというより十字架の道行ってかんじだけど。
☆snoopy & bell☆さん

記事は、チーフプロデューサーの屋敷陽太郎氏の話を紹介し、
「神を意識した男の最期として、狙ったわけではないですが、映像の仕上がりを見たら、はりつけにされた時のイエス・キリストのように見えました」
と言っている。

ものの見方には、多様性があっていいわけで、
屋敷氏のような見方もあれば、
あなたのような見方もあるわけですね。

どちらが正しいというのではないでしょう。
私はカトリックですが、別にどうとも思いませんでしたよ。

あれ?キリストに見えるけど何かな?と思ったら

髪型・髭・血まみれ・ふらつきながら死に場所に向かう様子が似てたんだと思います。

人となりがどうという事ではないけど別に宗教的には平気ですよ。

そりゃ色々な人がいるでしょうけどね。
そうでしたか。

神になろうとした信長についてはどこだったかでやり取りしたような気がします。

とりあえず死んだら日本では神様になれますし

天皇家が今まで残ってきたのも神話のお陰だと思いますし

明治政府後には天皇は生きた神(現人神)だと言った礼もあり、なんの疑問も持たず皆が天皇は神だというのを信じていた時期もあります。

日本の神様はちょっとゆるいのかなと思い、良く考えてみるとそういうのもありかなと私は思います。

「キリストのよう」というのは、あくまでも見かけの問題で中身の問題ではないので・・・・

でも不快だったわけですね。

私は信長の霊が現れて江を逃がす為に馬を走らせたことが嫌でした。

嫌だっていのは感情だからどうしようもないですね。
龍馬伝も江もフィクションですから・・・・

龍馬は別に民主主義を目指してたのではなく、尊皇攘夷を目指してたはずなんです。それを誤魔化す為に色々細工してありました。

明治になっても宗教弾圧は続き、諸外国から圧力がかかるまで宗教の自由も認めなかったし「国家神道」という新興宗教をつくって国教にしてました。

アメリカが自分達と同じ民主主義の国に・・・と日本の構造を変えたので今の時代があるのであって龍馬のお陰ではないです。

信長は宗教を信じないのに神となろうとしたから殺されたわけでも無いと思います。

なので、私はNHKに「この物語はフィクションです。実際に起きた歴史的事実と異なる場合があります」って書いて下さいと頼んだのですが、ホームページに書いてあるからわかってるはずだと回答されました。

映像と一緒に流してくださいって言ったら「担当者に言っておきます」と。
夜でまっくろだから真っ白な服で目立つようにしたのかと思ってましたw
誰が見ても信長とわかる人を、キリストの磔刑をモチーフにした演出をすることが、何か問題なのでしょうか。誰かの顔や、フライパンの模様を差して「キリストに似ている」と言ったところで、それはキリストそのものではありません。

>自身を神と言う信長に似ているなんて、不愉快です

信長がキリストに似ていると言ったのであって、キリストが信長に似ているとは言っていません。

>ジーザス・クライスト・スーパースターも同じ様な問題が、ありました

それは、明らかにキリストを主人公とした作品が、聖書と食い違いがあったからでしょう。
信長の最期を、キリストのような装束・髪型にしてそれに似せるという演出や、それを指して「キリストに似ている」と発言することが、聖書のどこに反しているのか教えて下さい。

>嫌いな所は、自分を神だと言った事です

信長が、石を指して「今後はこれを自分のご神体と思って拝め」と言ったのは、ルイス・フロイスの記述にありますが、他の史料には見られないため創作と考えられています。すなわち、信長が自分を神だと言ったという「事実」は、確認されていません。

>信長が死んだのは、自分の事を神だと思い込み、沢山の血を流して来た。自分を神だと言いながら、神など居ないと言ったから、滅びたんだと思います。

それ、全部フィクションです。

>明智光秀の怒りは、ご最も。しかし、光秀も同じ罪を犯したから滅びたんだと思います

いいかげんなことを書くのはやめましょう。
ジーザスクライストスーパースターとかパッションとかキリスト教徒が制作して異論反論が出るケースも結構ありますよね。

でも統制されていないところが私は良いと思います。

皆が同じことを言う宗教は嫌かな?個人的に。
[キリスト]って救世主の「クライシス」の意味でしょ?
ある意味、今回の信長は、日本を新しくしようとした「救世主」=「クライスト」でもいいのでは?

「イエス」と言ったら、違うかもしれませんが・・・
人それぞれ違うんだから、考え方とか相違があって当然だし、
たとえ同じ案件や、同じ事実に対してでさえも、サイドによっては見え方も違ってくるものです。
だから、むしろ賛否両論があって然るべきだとも思います。

トピから外れてしまってるかもしれませんがm(__)m
信長についてもいろいろ説があり、、例えばプラスだけを取り上げ、信長はこうだと決めつけ押し付けるのも如何なものかなとも思いました。
ドラマについては、信長信者ではない私には…やはり?もありましたけど、、
あくまで江というドラマであり、江のサイドから見た信長だと思えば納得も出来ました(^^)
豊川悦司も格別ではないけど(←多くの絶賛されてる方々…m(__)m)演技としては好感を持っています。

今の段階では、まだドラマの始まりというか、基礎というか、前提とか紹介とかみたいな所だと思うので、
これからを期待して見ていきたいと思います。
特に春日局や家光との関係をどう描くかとか←楽しみ(^^)


長文m(__)m
カトリックコミュで同じ質問をしましたが、

キリスト教絡みの話が出てくれれば、それでキリスト教に興味持ってくれる人もいるかもしれないし良いんじゃない?とか

キリストに見えたなら仕方ない。それを違うというのは偽善ではないか

というようなかなりプラスの意見が出ました。否定した人はいません。

キリスト教も保守派やらエキュメニストやら色々いますから全員がそうだとは言いませんが。
☆snoopy & bell☆さん
お体を大事にしてください。

ちなみに、もともとの記事は

トヨエツ信長の衣装について
チーフプロデューサーの屋敷陽太郎氏は
「神を意識した男の最期として、狙ったわけではないですが、
映像の仕上がりを見たら、はりつけにされた時のイエス・キリストのように見えました」
です。
狙ったわけではないと言っているので、
単純にトヨエツ信長の見た目、外見、ビジュアル的な面で、
「イエス・キリスト」に似ていると言っているので、
あまり深い意味はないような気がします。

そう軽々しく使ってほしくないと信者さんがおっしゃるのも
もっともだなと理解できます。

YukaさんやてれじあGさんがおっしゃるとおり
両者とも理解できますわーい(嬉しい顔)

話が盛り上がり、深く考えることができましたのは、
☆snoopy & bell☆さんに問題提起していただいたおかげです。
ありがとうございました。

早くよくなって、書き込みに復活していただけることを
心からお待ちしております。
キリストをモチーフにした演出は、欧米では多用されています。
タイトルは忘れましたが、こういう映画がありました。

裏通りで女性が、ナイフを持った暴漢に金を出せと脅されています。そこへHIVキャリアの主人公が通りがかり、立ち塞がります。暴漢が切りつけると、主人公は手の平に負傷します。彼が、血の流れる手の平を暴漢にかざして「俺はエイズ患者だ!」と叫ぶと、暴漢は逃走します。

手の平から血を流すことで人を救うという筋書きが、キリストの磔刑をモチーフにしていることは明らかです。

「ジーザス・クライスト・スーパースター」は、イエスの説教の旅を、人気ロック歌手の巡業に見立てているというロック・オペラです。イエスはヒッピーの外観で、ユダはマネージャー、マグダラのマリアはグルーピーのように描かれました。裏切り者のユダを、ブラックな存在として黒人が演じたことは当然ながら非難されましたが、イエスは白人、マグダラのマリアは東洋人が演じているのには、意図がありそうです。なお現実のイエスはユダヤ人なので、白人ではありません。イエスを面長に描くのは北方アーリア人の特徴ですが、ユダヤ人は丸顔で、瞳は茶色で、髪はちりじりだったことでしょう。
映画版のラストシーンで、一座が十字架のイエスを放置したまま引き揚げるのは、イエスが今も十字架にかかり続けられたまま、人々の罪を贖い続けているという意味に解釈したのですが、どうでしょうか。
映画版はイスラエルで撮影され、衣装も当時のものを再現していますが、原作者のロイド・ウェバーは、これに批判的でした。彼はイエスを、時代を超えて人々に訴える存在として描くために、あえて年代不明の演出を想定したのです。もっとも映画版も、ローマ兵が機関銃を持っているシーンがあるのですが。いずれにせよ本作が、イエスを茶化すためではなく、イエスをあらゆる年代・あらゆる階層の人々に訴える「スーパースター」として顕彰していることだけは確かでしょう。だから髪型や黒人俳優やロックが気に入らないと言う人は、特定の人だけがイエスを受け容れればいいと主張するようなものです。
映画版でのヘロデ王のはじけっぷりは最高でしたが、浅利慶太演出の「ジャポネスク・バージョン」ではさらに、舞台を江戸時代に翻案し、役者たちが歌舞伎風の隈取をしています。花魁姿のコーラスを従えたヘロデ王を演じたのは、数奇なことに市村正親でした。


動画:劇団四季「ジーザス・クライスト・スーパースター/ジャポネスク・バージョン」より「ヘロデ王の歌」。
http://www.pusstv.com/bMO_vSA60Txn4
写真左:よくある面長・碧眼のイエス像。
写真右:若いころのアインシュタイン。彼はユダヤ人。
おっと、長文を書いている間に、管理人が28を投稿していますね。
ここの管理人は、実に温厚な人ですなあ。
>ハーバーセンターくん さん

携帯からは長過ぎて見れなくなってるし、
本題からもズレて来てるし、
いい加減、その辺で放っておいてあげたら如何ですか?(^^)

ジーザス・クライスト・スーパースター(映画)は私の好きな映画の1つで、(コミュにも入ってる)
その説明をどこから引用されたのか、或いは、貴方のご意見感想かは分かりませんけど、
これについては言いたい事もありますが、本題とは関係ないので控えます。
ただ記憶ですが、バチカンや一部キリスト教国では当時上映禁止になってたと思います。
やはり神経を使ってあげるべきものだと思慮します。

本題と関係ない内容、失礼しましたm(__)m
キリスト教徒がつくった映画にキリスト教徒が批判するっていうのは良くある話だから。

むしろ皆同じじゃないってとこが自然です。

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