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山月記コミュのYour Sangetsuki

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高校時代、授業で読んだ山月記。

読む程に李徴に自らの姿が重ねられ、青年期特有の自己陶酔を気づかされた物語でした。現代文の時間に周りが淡々と読み上げる中、悶々とした気持ちでいたことが今でも思い出されます…。

山月記に関する思い出等、あなたと山月記との関わりを何でも書き殴っていってください。

コメント(14)

リチョウの言うことを鵜呑みにしてはいけない。自尊心と羞恥心で虎になった云々は確かにそうかもしれないが、それと詩人として成功しなかったことはあんまり関係ない。
リチョウの詩に欠けていたのは心情を素直にあらわすこと。
リチョウは成功するために詩を書いていた。そんな詩は詩と呼べない。
虎になったリチョウが最後に詩を詠んだときにエンサンはリチョウをはじめて「薄幸の詩人」と表現している。
彼は虎になって俗世の成功から切り離されたことで真に詩人となったのだ。
でも本人はそのことに気がつかないで、虎になった理由を考え続けてやがて人格を失い虎になりきってしまうのだろう。
そこにこの物語の悲劇性が集約されていると思います。

李徴は遂に発狂した

このフレーズが
高1?高2?から
離れません
「おれの毛皮が濡れたのは、夜露のためばかりではない。」

この台詞が
一番印象深かったです

よろしくおねがいします
当時、高校生だった自分にとって衝撃的な作品でした。


『己は詩によって名を成そうと思いながら、
 進んで師に就いたり、求めて詩友と交って
 切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。
 かといって、又、己は俗物の間に伍することも
 潔しとしなかった。
 共に、我が臆病な自尊心と、
 尊大な羞恥心との所為である。』


イラストレーターを目指していた自分と重なって
未来の自分を見たような気がしました。
高校二年の時だったと思います。
現代文の授業で初めて山月記を読みました。
最初は難解な漢文調が理解できず、辞書を引きながらでしたが、2人の再会からの告白の流れに、ぐいぐい引き込まれていきました。
教科書をあんなに夢中に読んだのは後にも先にもなかったです。

新型コロナウィルスの影響で、家で過ごす機会がまだまだ多いと思われます。
ご自宅で過ごす際のお供にと思いまして、僭越ながら朗読をさせていただきました。
お楽しみいただけましたら幸いです。
よろしければ、下記よりお聞きくださいませ。

https://youtu.be/YiwJDRLPrZc

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