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ピーチスマッシュ!コミュの2話:監禁

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 猿島が目覚めたのは、薄暗い部屋の中だった。
「ここは?」
 電気がついていない、向こうの壁に窓らしきものが一列にあったが、木板のような固い目隠しで外からの光を遮断している。目隠しの隙間から、わずかに光が漏れ、ぼんやりとだけ部屋の間取りが見える。
 物があまりない部屋だった。というより、部屋そのものが広く天井が高いので、狭さは感じらない。部屋の端に何かしらの物は置いてるだろうが、それが一体何なのかまでは、今の猿島には見当もつかない。
 いや、正確にはどういった場所かまでは予想できる。部屋に漂う湿った空気、広さ、尻に当たるひんやりとした木板の感触。そこから推理して、おそらくは何かの武道の道場だろう。
 しかし、どうして道場に? 猿島は状況を整理しようと頭の中で過去をめぐった。
「そうだ。あの時俺は……」
 そこから先の言葉を出しながら、立ち上がろうと腰を浮かした瞬間、猿島の身体は急に地面に引っ張られ、元の位置に戻された。
「な!」
 両の手首が、腰の裏でガッチリ縛られている。
「どういうことだ?」
 ドンっと背中が固い物体に当たった。柱。道場内の柱に、おそらくは手錠。頑丈な金属の拘束器具で手首を縛られ、猿島の自由を奪っている。ちょうど映画で悪者に捕まった善人が、椅子に縛り付けられているような、そんな構図で。
「ち、チクショオッ!」
 ガチャガチャと捻ったり、外そうと試みたが、一向に外れる気配はない。どうやら、かなり頑丈に縛られている。腕力には自信がある猿島だが、これを外すには鍵がないと無理なようだ。
「そう焦るなよ」
 声が聞こえた。猿島は自分以外にもこの部屋に誰かがいることに驚き、声が聞こえた方向に首を向けた。
 おぼろげながら、闇の中に人らしきの輪郭が見えた。おそらく、今の猿島と同様に、柱に両手を縛られ、身動き一つ取れない状態にされているはずだった。はずだと猿島が確信を得るのに、二つ理由がある。もしもその男が自由に動けるのだとしたら、敵にしろ味方にしろ、こちらに歩み寄ってくるものだ。が、それがない。もう一つは、こちらに話しかけた男の近辺から、カチャカチャと金属が擦れ合う音が聞こえてくるからだった。
「あんたは?」
「先客とでも言うべきかな」
「ということは、あんたもつかまったクチかい?」
「まぁな」
 声の主は、そう猿島に返した。低い声質。男の声である。闇に慣れた目を凝らして猿島は見てみると、シルエットにしか認識できなかった男の身体つきが、多少わかるようになった。
 ガッシリとした肉付きである。普通の成人男性の身体と比較しても、確実に鍛えられた肉体の持ち主だ。だが、それほど身長や体重がある方ではなく、猿島や一般のプロレスラーなどのような巨漢に比べたら、多少は劣っているように見える。
 脂肪がほとんどない、引き締まった筋肉を持った男だった。
 猿島は今のこの状況と、そして自分の身分を照らし合わせ、頭の中で「もしや」と推測した。
「あんた、ひょっとしてボクサーかい?」
 しばらくの沈黙があった。
「ほう、どうしてそう思う?」
 興味深そうに、声の主は猿島に聞き返した。
「何となく……当てずっぽうだ」
「あんたの勘はなかなかだな。青田の猿島さん」
 ピクッと猿島は反応した。
「俺を知ってるのか?」
「ああ。何度か試合は見させてもらってる」
「そいつは光栄だな」
「『つくり』の試合だが、あんたの戦い方は勉強になるからな」
 声の主が言った『つくり』という言葉を聞き、猿島は無言となった。『つくり』とは、プロレス用語でシナリオや脚本という意味である。別称でブックとも呼ばれてもいる。
 つまるところ、真剣勝負ではなく、あらかじめ誰が勝ち、誰が負けるか決めるということ。
 早い話が、八百長である。
「あんた。名前は?」
 猿島が言った。
「犬山剣次……」
「犬山?」
 猿島はその名を聞き、ピンと来た。
「ミドル級日本ランカーの犬山か?」
「へぇ、よく知ってるじゃないか」
「こっちもあんたの試合を見させてもらったよ。生でな」
「ふふ、そりゃとんだ恥をさらしてしまったようだな」
「そうでもないさ。惜しかったな。もう少しで日本チャンピオンだったじゃないか?」
 犬山と名乗ったその男は、口を閉じて黙った。猿島が観たという犬山の試合。それはチャンピオンカーニバルと呼ばれるボクシング界では恒例の試合だ。
 プロレスにもチャンピオンカーニバルが存在するが、ボクシングの流れとに差異がある。
 ボクシングの場合、団体によって多少違いはあるが、おおむね上位一〇位以内(世界戦は一五位以内)にランクインした選手に対してタイトル挑戦権が与えられる。
 タイトル獲得後は原則六ヶ月以内に防衛戦を行う事が義務付けられる。また、初防衛後一定期間内にランキング一位の選手との防衛戦が義務付けられ、これを指名試合と呼ばれる。
 そして年に一回、必ず行われる各階級の王者とのタイトルマッチが、チャンピオンカーニバルである。
 犬山は、ミドル級の一位で、去年の秋に行われたチャンピオンカーニバルに参加し、ベルトをかけた試合をチャンピオンと繰り広げた。
 結果は、猿島が言った通りであった。
「とりあえず、ここがどこなのかあんた知ってるか?」
「さあな? 俺も目が覚めたら、ここに縛られていたんだ。あんたがのんきに気絶している間、俺も色々頑張ってみたが、こいつはどうしようもねぇ。とにかく首謀者のあのガキを待つしかないだろ」
「あんたらも……そうなのか?」
 ふいに、また違う声が聞こえた。こちらも男の声で、猿島と犬山は、声が聞こえた方に首を向けた。
 僅かにだが、自分たちが縛られている柱のもう一つ向こうの柱に、人間らしきシルエットが見えた。例によって、柱に縛り付けられている状態であった。
「あんたは?」
「こっちが聞いてるんだ。あんたら、あのクソガキに負けたんだな?」
「それを答える前に、一つ名乗ってくれないか? それが大人の礼儀って奴だろ?」
 猿島が言った。猿島はあえて強調するように、「大人」と言った。それはあの名前を知らない無礼な少女に対し、同等に扱って欲しいのか? と、暗黙の了解を得ようとしている猿島なりの気遣いであった。声の主はちっと舌打ちし「わかったよ」と言った。
「雉谷だよ。雉谷実」
「雉谷……知らないな。あんた知ってるか? 犬山さん」
「源光館の雉谷か?」
 源光館と聞き、猿島はピンと来た。
「フルコンタクト空手か……」
 フルコンタクト空手とは、パンチとキックの攻防のある打撃格闘技の空手で、顔面と金的を除いて全身のどの場所でもを当てていい空手である。超実践空手とも呼ばれ、世界中に三桁以上の支部があるという。総合格闘技に出場している選手の中でも、この流派の出身者は多いとされている。
 常に実践を想定した源光館のフルコンタクト空手こそ、地上最強の格闘技ではないかと揶揄するテレビや新聞は多く、また総合格闘技の世界でも、源光館出身者の空手使いの何人かが、確かな実力でベルトを手に入れている事実を猿島は知っている。
「雉谷っていえば、二年前ほどに行われた源館の公式大会で準優勝の?」
「よく知ってるなアンタ。そんなマイナーな大会を」
 雉谷と名乗った男が、ふんと不機嫌そうに言った。
「マイナーとはとんでもないな。うちのジムに通う練習生にも、源光館の出身者はいるんだぞ」
「そうかい。そりゃすげぇな。だが、実際そこのレスラーの旦那は知らなかったみたいじゃねぇか。プロレスやボクシングに比べたら、無名だからな」
 暴言気味に、また自虐的に雉谷は吐き捨てた。言ってることはあながち間違いではない。プロレスラー、プロボクサーたちとは違い、空手は柔道と同じく「プロ」という概念はない。有段者といっても、リングやスポットライトがある試合場で、観客を金で呼んで試合をすることはない。もし、それをやってしまえば、それは空手(アマチュア)の試合ではなくなる。観客が金を払って観る空手(プロ)の試合が、今ブームに乗っている総合格闘技やキックボクシングがある。それに憧れ、多くの空手家が総合格闘技やキックボクシングの世界に足を踏み入れている。
「あんたもやられたんだな?」
 猿島は雉谷に訊いた。
「そうだ」
 雉谷は臆することなく言った。
「だが、俺は負けちゃいない。あんたらボンクラと違ってな」
「何?」
「どういう意味だ?」
 猿島と犬山が、身を少し浮かせて雉谷に向いた。
「俺は少し、あのクソガキの相手をしてやっただけだ。実力で負けたんじゃない。それに、今日は少しコンディションが悪かった。それを不意打ちであいつが……」
「ほう、そうか」
 ククッと、嘲笑するように犬山は言った。
「何がおかしい?」
「いや、なるほどなって思ってよ」
「あん?」
「所詮は、空手はアマチュアってことさ」
「何だとッッ」
 激怒し、立ち上がった雉谷だが、両手を縛る手錠の存在を忘れていたらしく、勢いよく立ち上がった反動で、ガクンッと身体が地面に引き戻され、尻餅をついた。
「テメェ……」
「お前らやめろバカ。今はそんな場合じゃないだろ?」
 嗜めるように猿島が言った。
「ああ、そうだったな。とにかくこっからどうやって出るか考えないとな」
「俺は逃げないぜ?」
 へっと、雉谷が言った。
「お前、何言ってるんだ?」
「あんたら腰抜けどもはさっさと逃げろよ。俺は、あいつと決着をつける」
「何が決着だ。相手は小娘じゃないか」
「だからだ。俺は手加減はした。けど、勝った気でいるあのガキが許せない。絶対、ぶっ殺してやる。そうでなきゃ気が済まねぇんだ」
 腹の底から押し出すように、雉谷は二人に対して言った。二人に対して言ったというより、自分に対して言い聞かしたようにも聞こえた。この雉谷という男、猿島と犬山の二人とは違って、随分と子供的な、否、負けず嫌いな面を持っている印象が強かった。
 たまらず猿島はため息を落とし「いい加減にしろ」と言った。
「それをするにも、まずはこっから出なくちゃどうしようもないじゃないか」
「あん? だったら、あんたどうにかできるってのかい? レスラーごときに何かできるってのか?」
「落ち着け。まずは状況整理だ。俺たち三人がどうしてこんなところに縛り付けられているのか、考えろ」
 そう猿島が言った後、三人は口を閉じて黙ってしまった。
 プロ、アマチュア、世間の認知度や流派は違えど、三人とも共通して格闘技を身につけた男である。
 格闘技は、己の身体一個で相手と戦う技術だ。言い換えれば、暴力に立ち向かう技術。もっとわかりやすく喩えるなら『ケンカ』の技術だ。
 つまり、格闘技を身につけた男は、強い。
 肉体的にも精神的にも、強いはずだ。
 誰にも負けない自信はいつだってある。少なくとも、素人とガチンコで殴りあいになろうと、負ける要素はどこにもない。
 それを、あんな年端もいかない少女に、弄ばれた――。
 猿島は犬山に対し、どのように「負けた」かまでは聞こうとは思わなかった。雉谷はああ吼えているが、実際は負けた気分でいっぱいなのだろう。その気持ちはわかる。猿島も正直に「負けた」と思いたくはないのだ。
 だが、事実として自分の肉体がここにあるということは、あの少女との勝負に『敗北』したということになる。どう解釈するかは本人の自由だが、猿島にとってそれは認めざるを得ない結果だった。
「あいつ、一体何者なんだ?」
 そう犬山が独り言のように呟いた瞬間、部屋の奥からガラガラと戸を開けるような音が聞こえた。
「お〜す! みんなぁ」
 満面の笑顔の少女が、そこに立っていた。
 開かれた戸の外から入る光に、闇に慣れた三人の目には刺激が強すぎて、「うっ」と三人は咄嗟に顔を横に反らした。
「おーおー、みんな元気そうで何よりだぁ」
 相変わらずの満面の笑顔で、少女は三人に言った。着ているのは薄いピンク色のキャミソールに紺色のデニムのハーフパンツ。素足にサンダルと、随分と涼しそうな格好であった。
「え? どうしたのみんな。顔暗いよー」
 とぼけた口調で少女は言うと、部屋の入口の近くにある電灯のスイッチを押した。ブブブっと白熱電灯の接触音が鳴り、電気がつく。光が部屋いっぱいに広がり、周囲の様子が一目瞭然となった。猿島が想像したとおり、やはりここは何かの道場らしく、黄土色の木板の床に、白熱電灯が吊り下がっている白い天井、擦りガラスの窓、猿島から見て向かい合いの壁は木板の床とは違う材質の木材で出来ているが、それを挟むように存在する壁は、白いペンキが塗られたコンクリートの壁であった。
 剣道場や、合気道場、その他の武術の道場らしい造りの空間だった。
 しかし、剣道場にしては、防具も竹刀も見当たらないし、合気道場やその他の武術の道場なら、掛け軸や名札が壁に掛けられているものだが、一つも見当たらない。
 在るのは、なぜか道場には似つかわしくない、赤ペンキが塗られた『鉄骨』だった。
 天井から床下まで貫き立ち、まるで一本の柱のように真っ直ぐ立っている。道場の支柱の役割を担うにしては、あまりにも不恰好であり、そしてあまりにも無意味に見えた。
 しかも、その鉄骨の柱は一本だけではなく、部屋のあちらこちらに不規則に立っており、蝋燭を無造作に突き立てた誕生日ケーキの内部を垣間見ているかのような光景だった。
 その鉄骨の一本ずつに、猿島、犬山、雉谷の三人は縛られていた。
 感触で察したとおり、手錠であった。それは猿島の目の前にある鉄骨に縛られている犬山の姿を見て、確認が取れた。だが、ただ手錠で両腕の手首を繋ぎ止めたのではなく、それに自動車の駐車場に使われるような大きな鎖が上から何重も巻かれていていた。なるほど、これなら確かにどうしもうない。と、猿島は思った。
 だが、驚くべきところは、鉄骨の存在だけではなかった。
 注目したのは、鉄骨の『形状』であった。
(な、何だこりゃ……?)
 相撲に“鉄砲”と呼ばれる稽古法がある。
 簡単に説明すれば、相撲の打撃技の一つである張り手の練習をする方法なのだが、相撲の練習場内にいくつかある木の柱に向かって、張り手をひたすら叩き込む。柱を対戦相手と想定し、技の型や威力を上げるのを目的に行うこの稽古は、ボクシングやキックのような、サンドバックやウォーターバックにパンチを当てる練習に似ている。
 それに見立てて、模範したというのだろうか。
 確実に人体の骨よりも硬い鉄骨に、パンチやキックを当てるなど、愚考にも程がある。素手の手や足で鉄骨を叩けば、先に砕け壊れるのは素手の方である。少し考えれば誰でもわかる理屈だ。けれども、この目の前にいくつも立つ鉄骨の様をどう解釈すればいいか、猿島は悩んだ。
 ぐにゃぐにゃだった。
 直線状の鉄骨が、粘土のようにぐにゃぐにゃに折れ曲がっている。
 間近で見て鉄骨だと辛うじてわかるが、もしこれらを遠くから見れば、松か梅の樹と見間違われてもしょうがない。それほど、ここに存在する全ての鉄骨の拉げ様は、凄惨だった。
 猿島が、どうしてこれらの鉄骨が機械や道具によってこのような姿になったと推察したか、理由があった。
 それは、鉄骨の拉げた部分、そのどれもに人間の『拳』の跡がくっきり残っているからである。拳だけではなく、足の甲など、爪の形が肉眼でわかるほど、くっきり凹んでいる。よほどの力でなくては、まずこうはならない。
 常識の範疇を超えすぎている。
 もはや、人間が成せる所業ではなかった。
「……ハッタリだ」
 へっと雉谷が唇の端を吊り上げて言った。
「うん? 何が?」
「これでハッキリした。オメェが一体何の目的で俺たちをさらったのかわかんねぇが、少なくともテメェの実力はまぐれだってのだけは、一つ明白になった」
「さらった? 誰が? キビが?」
「あんた、自分で何やったのかもわかんないのか?」
 雉谷が少女に、凄んでみせた。が、少女はパッチリ開いた両目を大きく開け、雉谷に言った。
「もちろん、仲間探し!」
「は?」
 鉄骨に縛られた三人が、同時に同じ音を口から出した。
「何言ってるんだあんたは?」
「えぇ〜! 何言ってるのはキビの方だよぉー。みんなOK言ったじゃなーい」
「いつ、俺がお前にOKなんか言った?」
 犬山が言った。それを聞き、少女は犬山に振り向くと、ニコッと微笑み、犬山が縛られている鉄骨に歩み寄った。
「ほら、こんな感じでぇー」
 犬山の左横に立った少女は、腰を下ろした。と、ガシッと犬山の下顎を右手で鷲掴み、続いて左手で髪の毛を毟り取るように上から握り、犬山の顔面を固定した。
 力が相当強いせいか、顔面を掴まれている犬山の表情は、苦痛に歪んだ。
「ねぇ? ワンワン。キビとバトってキビが勝ったんだからぁー、キビの家来になってくれるよね?」
「が、がは……」
「「うん! ボク、キビちゃんの家来になるワン!」」
 パクパクと、少女は犬山の顎を上下に無理やり動かし、下手な腹話術のように声色を変えて言った。
「ありがとーワンワン! 大好き」
 チュっと、犬山の頬に少女はキスし、掴んでいた手を離して立ち上がった。一瞬、犬山の顔が硬直した。
「ね?」
「ね? じゃねぇーよ」
 雉谷が吐き捨てるように言った。
「え? コケコッコーもああ言ったんだよ?」
「お前、頭わいてるんじゃねぇか? とんでもねぇガキだな。それでオメェの思うとおりになってると勘違いすんじゃねぇーよ」
「勘違いじゃないよー。キビは、みんなの同意を得て、ここに連れてきたんじゃなーい。もーひどいなーコケッコッコーは」
「じゃーなんだ? これは! 明らかに俺たちを捕まえてる証拠じゃねぇか」
「ああ、そかそか。そうだね。ごめーんね。あたし動物の飼い方ってイマイチわかってなかったからさぁー、とりあえずはこうかなぁーって」
 少女はぺろっと舌を出すと、拳で自分の額を軽く叩いた。
「て、テメェ」
 眉間に刻まれたシワの次に、血管が浮き上がってきた雉谷が、奥歯を強く噛んで少女を睨んだ。
「落ち着け雉谷さん。相手は子供だ」
 なだめるように猿島が言った
「どうやって落ち着けってんだよ!」
「そう熱くなるな。とりあえず、あんた。名前だけでも教えてくれないか?」
 冷静な眼差しで、猿島は少女に尋ねた。
「あり? まだ教えてなかったっけ?」
「ああ、まだ俺は君の名前を知らない」
「キビは知ってるよー、モンキッキーにワンワン。コケッ―――」
「俺の質問に答えな」
「もーわかったよ。そう怖い顔しないでよーモンキッキー」
 ふんっと唇を尖らし、少女は鼻息を出した。
「ふざけるのも大概にしねぇかお嬢ちゃん……」
 顔を伏せ、ギリギリと歯軋りする雉谷が、喉の奥から押し出すように少女に言った。
「大人をバカにすると、えれぇ目に遭うぜ? 縛られてなかったら、あんた今頃天国行きだったぜ」
「ふーん。あ、そう?」
 とんとんと板の床を歩く少女が、雉谷が縛られている鉄骨に歩み寄ると、ジーンズのポケットに手を突っ込み、中から小さな鍵を取り出した。
「うん、わかった」
 そう言うと、少女は雉谷のすぐ横に腰を下ろし、雉谷の両手首に嵌められた手錠に鍵を差込んで手錠を外すと、次に雉谷の両手首にぐるぐるに巻き付けた大型の鎖を繋ぎ止める南京錠の鍵を外したような、カチンと音が金属が弾く音が聞こえた。
「これで、取れたよ」
 少女はそこから離れ、軽い足並みで雉谷の前に立ち、中腰で雉谷の顔を真っ直ぐ覗き込んだ。
「えれぇ目に合わすのでしょ? キビを」
 ジャラジャラと音を立て、鎖を取っ払った雉谷が、床に片手を置いて立ち上がった。
 猿島は改めて、この雉谷という男の身体付きに目を見開かされた。
 何度も洗って汚れが取れなくなったボロボロの空手着、使い込みすぎて黒ではなくもはや灰色に近い黒帯。だらしなくなく、きっちり着こなしている。
 そして、着ている空手着の内側に存在する肉の厚みが、服に隠れて見えない部分であっても、感じ取れる。プロレスラーやボディービルダーとまではいかないが、大きく太い筋肉が、腕や胸の皮膚を張っている。
 黒髪の長髪、女のようにきれいにまとまってなく、ばさばさに乱れている。両目の眼は、この男の抑えられぬ闘争心やプライドを象るかのように、猛禽類さながらに鋭く光っている。
「あんた、土下座できるかい?」
「ん?」
「もし俺に土下座して、泣いて謝るってーなら。許してやるよ」
「ふーん」
「……もう、俺は手加減できねぇ。お前が女だろうが子供だろうが、顔面に拳を打ち込むつもりだ。それでもいいのか?」
 身長の低い少女を上から見下ろす雉谷が、言った。
 少女は雉谷とは目を合わさず、立ち上がり、頭をポリポリ指先で掻いた。
「うーんとー……まぁ、どっちでもいいっスよ。キビ気にしないし」
「ほぅ、いい度胸だ。なら、いつ始め――」
 そう最後まで言い終わる前に、雉谷の後頭部が鉄骨に強くぶつかっていた。
 余韻が、しばらく耳の奥に残った。
 初めて聞く、人間の頭が鉄骨にもろに衝突する音は、想像していた以上に凄まじく、えげつなかった。
 両足を揃え、両足の裏で雉谷の顔面に蹴りを放った少女は、トンと先に片手を床に着地させると、バランスを取りながら、鼻血や口の中を切って吐き出された血で濡れた足で、地面に着地した。
 予備動作も何もない、少女の奇襲――。
 当然ながら、雉谷は白目をむき出し、鼻血や口から泡を吹いて、その場で気絶し、倒れた。
「ドロップキック……」
 至近距離で蹴りを放った。しかも一度跳躍してから繰り出すプロレス技のドロップキックをしてのけるなど、まず常識で考えれば有得ない。しかも、あまりに早過ぎて、猿島にも犬山も、少女がいつどのタイミングでドロップキックを放ったのか、まるで見えなかった。
「できたできた! エンズイ切り! 見た? 見た? モンキッキー!」
 キャッキャと喜ぶ少女に、猿島は開いた口を閉じ、かぶりを振った。
「……延髄斬りじゃねぇよ」
「え? うそ〜! だって、イモキがさぁ〜」
「し、死んだのか?」
 犬山が唖然となった顔で、言った。
「ん? まっさかー。ないないない。それはないよ。まぁ、あんまりうるさかったから、しばらく寝てもらおうかなー思ったからさ」
 さらっと言いのけるこの少女に、猿島は言葉もなかった。どうやら、まともな常識で話ができる相手ではないようだった。
「で? こっから俺たちをどうするってんだい?」
 皮肉っぽく、そして半ば諦めたような口調で、猿島が言った。
「ん? どうするって?」
「とぼけるんじゃねぇよ。いい加減、あんたの目的を話してくれないか? スーパーガールちゃんよ……」
 優しく、小さな子供と接するように少女に訊ねた。
「もちろん! キビとモンキッキー、ワンワン、コケコッコーが集まったら、やることっていったら一個っしょー」
「だから、何するんだい?」
「お・に・た・い・じ!」
 満面の笑顔で、少女は言った。

 〜続く〜

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