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George Szellコミュの「George Szell A Life of Music」

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初めて書き込みをさせてもらいます。

マイケル・チャリーという人の書いた
「ジョージ・セル 音楽の一生」という本を
読みました。
2011年にイリノイ大学出版局から出された
本で、セルの「唯一の本格的伝記」だそうです。
筆者はクリーブランド交響楽団で
セルの下で副指揮者を務めた人だとか。

 同書の「イントロダクシオン」からセルの履歴を
(やや自由に)訳してみます。

「セルは1897年、ブダペストのユダヤ人家庭に生まれましたが、
のちにカソリックに改宗し、家族はセルが三歳の時に
ウイーンに移りました。
生涯を通じて、セルはハンガリー出身であることに
複雑な気持ちをもち、母方の係累からチェコ系であると
言っていました。1919年に誕生したばかりのチェコスロバキアの
市民権を取得し、その後、クリーブランド交響楽団の音楽監督
となった1946年にアメリカ市民となっています。」

「神童として幼いころからピアニスト、作曲家として
評判を呼びましたが、のち20代半ばには指揮者に専念することを
決めました。
セルはベルリン歌劇場の副指揮者としてリヒヤルト・シュトラウス
に可愛がられ、わずか20歳にして、シュトラウスの推薦で
ストラスブール歌劇場の第一指揮者になりました。
「1929年から37年までプラハのドイツ歌劇場の首席指揮者を
務めたあと、1930年にはセントルイス交響楽団を指揮して
アメリカに進出、1941年にはトスカニーニの招きで
NBC交響楽団を指揮しニューヨークにデビューしました。
セルは1946年にクリーブランドの音楽監督になるまで、
1942年からメトロポリタン歌劇場の首席指揮者の一人として
活躍しました。
1936年からアムステルダムのロイヤル・コンセルトヘボウ・
オーケストラ、1943年からはニューヨーク・フィルの客演指揮を
亡くなるまで続け、1960年にはニューヨーク・フィルの
「音楽アドバイザー、上級客演指揮者」になっています。」


作者はセルの未亡人をはじめ、数多くの関係者とインタビューし、
当時の批評の掲載した記事などをもとに、その生涯を
時系列で追って書いています。事実関係を基調として
多くの人や記事が出てきます。公平を期したのでしょう、
作者の想像や推測は抑えられています。
作者の経歴からはもう少し音楽的な考察があっても
よかったのではという気もします。

巻末に、セルがNYタイムズに書いたシューマンの交響曲に
ついての記事などが掲載され、デイコグラフィーと並んで、
セルがクリーブランドで指揮したレパートリーの一覧が
曲目ごとにまとめられています。
ドボルザークの8番はこんな具合です。

Symphony no.8 op.88
47-48,54-55,58-59R,60-61,63-64,65-66,69-70R
(69−70は1969年から翌70年のシーズンの意味。
末尾のRは録音が行われたことを指す。)


 たまたまアマゾンで見つけ、発注したものです。
ハードカバーで約400ページほど、分かりやすい英語です。









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