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∞コワバナ∞コミュの師匠シリーズ【071】

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「天使 後編」

私は心臓が高鳴りはじめたのを感じて いた。
剣の10が暗示するものは、《破滅》《決定的な敗北》《希望の喪失》《さらなる
苦しみ》……
間崎京子はその最終結果を島崎いずみに飾ることな く告げたのだろう。そして彼女
は泣いた。
悩み事に対する答えとして、この仕打ちはあんまりだった。それが良いとこ取りば
かりをしない、占いのあるべ き姿だとしても。ましてそれが、島崎いずみ自身の運
命だったとしても。
私は誰に向けるべきなのかも分からない波立つような怒りが身の内に湧いて来るの
を感じていた。
私の様子を不審げに見ていた石川さんが、「もう教室に戻るけど」と言うのを制し
て、これが最後だからと、『太陽』のカードの位置を聞いた。
「確か、真ん中のへん。ごめん、ホント忘れた。え? 向き? 太陽に向きなんて
 あるの?」

聞き出せたのはそこまでだった。
礼を言って、教室の前から立ち去る。
彼女はきっとこれから昼ごはんを一緒に食べる仲間たちと私の噂話をするのだろう。
なんか、気持ち悪いよね。占いとかしてる人って。
石川さんも占いばかりしていた中学時代の私に、後ろ指をさしていた一人だったは
ずだ。胸の中に渦巻く 怒りと微かな棘の痛みが私の心を揺さぶり、平常な精神でい
られなくした。
私は教室に戻らず、昼ごはんも食べないまま校舎裏の秘密の場所で時間が過ぎるの
を待った。
結局数行読んだだけで捨てたあのラブレターには校内で見かけたという私の容姿の
ことばかり並んでいた。差出人もこんな私の本性を知れば出す のを止めただろうか。
煙草の吸殻が何本足元に落ちても、誰も来なかった。風が遠くの喧騒を運んで来る。
すこしずつ、身体の中に硬い殻が形成されるようなイ メージ。誰も傷つけない。誰か
らも傷つけられない。
空は高かったけれど、まがい物のような青だった。

4日後、あの日早退して以来休んでいた高 野志穂がようやく登校してきた。青白い
顔をして、緊張気味に唇を固く引き結んだまま誰とも挨拶を交わそうとしない。気
がついていなかっただけで、あるいは 彼女はいつもそうだったのかも知れない。
周りのクラスメートたちは、遠巻きに、そして腫れ物に触るように接していた。彼
女たちにとって、島崎いずみと高野 志穂は区別のない同じ存在なのだろう。
島崎いずみはまだ学校に来ない。退院したという噂は聞いたが、今も家に閉じこもっ
ているのだろうか。


学校はまったく自殺未遂のことに触れようとしない。私たちがしている噂話を漏れ
聞いていないはずはないのに。あるいは学校との関わりが確認されない限り、無 視
を決め込んでいるのかも知れない。
けれど私はどうしてもこのままにはしておけなかった。高野志穂に話しかけたくて
うずうずしていた。
その気 持ちを見透かされたのか、ヨーコが眉を寄せて私を見る。
「ちょっとちひろ。なんか嗅ぎまわってるみたいだけど、やめときなよ。こんなこ
 とに関わらない方 がいいよ」
面と向かってそう言われると、確かにそうだという良識が私の中で頷く。
この数日で、かなりのことが分かっていた。同じ中学で、二人とも苛めを受 けてい
たこと。そして今の学校での、そしてクラスでの立場。これ以上何を知っても不快
なだけだ。私自身クラスで浮いている身であり、その私がなにか出来る ことなどな
いし、なにより面倒くさい、どうでもいいという投げやりな気持ちの方が強かった。
休み時間にも俯いて机の上に広げたノートをじっと見ている高野 志穂の姿に、好奇
心以外の気持ちが湧かない自分に気づく。彼女はしきりに顔の絆創膏を気にして触
っている。このあいだよりまた増えていた。
その様子 を見ていて、オリンピック精神という言葉が一瞬頭をよぎる。
これだけは意味が分からない。この一連の出来事にそぐわない響きだ。間崎京子は
一体なにを思っ てそんなことを言ったのか。あれから何度かあの教室を覗いたが、
彼女はすでに早退した後か休みかのどちらかで、結局会えなかった。もともと休み
がちだった というが、これはどういうことなのか。透けるような色白で、スラリと
伸びた細すぎる身体に病弱そうな雰囲気は感じ取ったが……
ともあれ、オリンピック精神 と聞けば「参加することに意義がある」とかいう陳腐
なフレーズしか浮かばない。それが自殺未遂にどう繋がるのだろう。


高野志穂が在籍しているというバレー部となにか関係があるのだろうか。そう言え
ば、島崎いずみの方はいわゆる帰宅部で、中学時代からなんのクラブ活動もして い
なかったらしい。
毎日の放課後、バレー部の練習のために学校に残る高野志穂と別れ、寂しそうに一人
で帰る姿をいつも目撃されている。
「オリ ンピック精神」
小さく口にしても、真実に迫るようなインスピレーションはなにも湧いてこない。自
殺未遂にはそぐわない、健康的なイメージばかりが浮かんで は消える。
そう言えば、間崎京子はなにかクラブ活動をしているのだろうか。
そう思った時、横からヨーコに小突かれた。
「ちょっと、ちひろ。重症ね。 もうそんなこと忘れてパーッといきましょう。今日、
 放課後、私と遊ぶ、OK?」
ヨーコはすっかりいつもの調子だった。
苦笑して、頷いた。
背 中に高野志穂の怯えたような視線を微かに感じながら。

「ねこがフェンスでふにゃふにゃふにゃ〜」
というヨーコのでたらめな歌を聴きながら空き地の金 網のそばを歩く。
「トムキャットのフェンスって、良い曲だよ。でもカラオケに入ってないんだよね」
くるりと振り向いたかと思うと、そう訴える。ヨーコはい つも唐突だ。一緒にいる
と疲れることもあるが、いつも楽しげな彼女を見ているとこちらも元気づけられる。
「そうそう、最近オープンしたおしゃれな喫茶店が 近くにあるんだけど行かない?」
連れられるまま5分ほど歩くと、古着屋やレコードショップなどカラフルな外観の
店が立ち並ぶ通りに目的の喫茶店が現れた。 さすがに真新しく清潔感のある店先だ。

中高生などの若い女性客が多く入っているのがウインドウ越しに見てとれた。
店内に入ると、白を基調にした壁に可愛らしい天使の絵が一面に描かれている。
「おすすめケーキふたつ。あとアイスティーもふたつ」
と勝手に注文するヨーコを尻目に、私はなにか引っ掛かるものを店内から感じていた。
席について、 いついつの情報誌にここが出ていたなどと語るヨーコの話にも上の空
で、私は壁の絵ばかりを見ていた。
「あー、これなんか見たことある」
そう言ってヨ ーコは一つの絵を指さした。
椅子に腰掛けて両手を胸にあてる女性に、羽の生えた人物が何かを語りかけている。
処女であるはずのマリアに、天使が受胎を告知 する聖書のワンシーンだ。しかし随分
デフォルメされてしまっていて、子どもじみた絵になっている。
「ガブリエル」
私の言葉にヨーコが「え?」と聞き 返す。
「この天使の名前」
ヨーコは感心した表情で、「天使に名前なんてあるんだ。みんな一緒かと思って
た」とつぶやく。
私は心臓が裂けそうに ドキドキと脈打つのを感じていた。そして頭の中で言葉が鐘の
ように鳴る。
天使。
天使の名前。
そうだよ、ヨーコ。天使に名前はあるんだ。
私は椅子の足を鳴らせて、席を立った。

「どうしたの」と聞くヨーコを横目で見ながら、「ゴメン、急用思い出した。先帰
る」と一方的に言って、おすすめケーキとアイスティーの代金をテーブルに置き 、
出口に向かう。ヨーコの非難するような声が背中に届いたが、無視した。
店を出た後、その足を町の図書館へと向ける。
嫌な予感がする。自分の記憶が 間違っていてくれたら、と思う。
けれどその30分後、広げた大きな事典の中にその名前を見つけた時、人気の無い
静かな図書館の片隅で私は深い息をついた。
心臓が冷たい血を全身に送っている。そしてそれはぐるぐると巡り、もう一度心臓
に還って来る。すべてが繋がっていく。とても冷酷に。バラバラだったパズルの 欠
片がひとつ、ひとつと繋ぎ合わされ、見えつつある絵の向こうから途方もなく暗い
誰かの目が覗いていた。

怖い夢を見ていた気がする。
枕 元の目覚まし時計を止め、身体をベッドから起こしながら思い出そうとする。カ
ーテンの隙間から射し込む光に目を細め、思い出そうとしたものを振り払う。
セ ーラー服に袖を通し、朝ごはんをかきこんで家を出た。
足がスイスイと前に出ない。気分が沈んだまま、いつもより時間をかけて学校にた
どり着いた。
人 でごった返す昇降口で、靴箱から上履きを出していると廊下の方に目が行った。
スラリとした長身。ショートカットの髪が耳元に揺れる。切れ長の涼しい目。透き
通るような白い肌。
間崎京子だった。

あっという間に通り過ぎて見えなくなった彼女を、その残像を、睨みつけて私は心の
中で暴れる感情を抑えていた。
その日の1時間目は英語の授業だった。
黒板の英文をノートに書き写している私の机に、丸めた紙がコツンと落ちて来た。
広げると『やい、ちひろ。おかげでケーキふたつも食っちまったゾ。おデブちゃ ん
になったらどうしてくれる `皿´』という文面。
『スマン。スマンついでに昼休み、ちょっとつきあってくれ』と書いたノートの切
れ端を返す。
『OK』の返事。
何事もなく時間は過ぎ去り、やがて昼休みを告げるチャイムが鳴った。
ざわめきが教室に広がるなか私は立ち上がり、高野志穂の席へ向う。
「ちょっと来て」
その瞬間、緊張したような空気が周囲に流れる。
私はかまわず、金縛りにあったように身を固くした高野志穂の腕を取って、強引に
立たせた。
「ちょっと、ちひろ」
と言いながら近づいてきたヨーコにも、有無を言わせない口調で「一緒に来て」と
告げる。
クラス中の匿名の視線 を浴びながら私は二人とともに教室を出た。
早足で、校舎裏の秘密の場所に向かう。相応しい場所は、そこしかないような気が
していた。
なにかぶつぶつ 言いながらもついてくるヨーコは不機嫌な顔を隠さなかった。高野
志穂は蒼白とも言っていい顔色で、足取りもふらついて見える。私は彼女の腕をつ
かむ手に軽 く力を込めた。しっかり歩け、と。


誰もいないその場所に着いて、私は高野志穂を壁側に立たせた。
今は遠くのざわめきも聞こえない。校舎の壁に反射して、陽射しが目に痛い。白く
輝きなが ら、夏がもうそこまで来ている。
「怖がらずに答えて欲しい」
高野志穂は生唾を飲みながら、それでもコクコクと頷く。その目は正体なく泳いでいる。
「 島崎さんが自殺しようとした理由を知ってるな」
頷く。
「そのことで、彼女は間崎京子の所へ相談に行ったな」
頷く。
「占ってもらった結果を知っ て、ショックを受けた彼女は思い余って手首を切った」
頷く。
「その絆創膏の下は、バレー部の練習でついた傷じゃないな」
頷く。
「島崎さんとあ なた。二人とも誰かに恐喝されていたな」
……頷く。
「かなりの額のお金を脅し取られていたな」
頷く。
「他の人に言えば、もっと怖い人から酷い 目に遭わされると?」
頷く。頷く。
「恐喝していたのは、こいつだな」
ヨーコが悲鳴をあげた。
私が強い力で腕を引っ張ったからだ。
「ちょ 、ちょっと、なに言うのよ、ちひろ。痛い。痛いって」

わめくヨーコの目の前で高野志穂は今にも倒れそうな顔つきをしながら、しかし
歯を食いしばるように必死で頷いていた。
私は冷たい心臓が送り出す血が、 体内でチロチロと低温の火を点しているようなイ
メージを抱きながら、言葉を続けた。
「あなたたちが私の方を怯えたような目で見ていたのは、いつも隣にいた こいつを
 恐れていたからだったんだな」
またヨーコが悲鳴をあげる。暴れる腕を遠慮ない力で捻りあげた。
「私はあなたたちが想像したような人間じゃ ないから安心しろ。こいつを今こうし
 ているのが証拠だ。だから答えてくれ。いつからだ。どうしてこいつに?」
高野志穂は震えながらもやがてボソリ、ボソ リと語り始めた。
自分と島崎さんは奥さんと同じ小学校だった。その頃、二人は奥さんとそのグルー
プから酷い苛めを受けていた。中学校に上がって、奥さんと は別の学校になれたが、
やっぱりそこでも別の人たちから苛めを受けた。もう、この輪から抜け出すには自
分が変わるしかないと思った。高校に上ったら運動部 に入って、引っ込み思案な自
分の殻を破りたい。そう思っていた。しかしその生まれ変わる場所のであるはずの
高校には、あの奥さんがいた。あの頃の乱暴なだ けの少女とは少し違う、狡猾な顔で。
小学校の頃に命令されるままにやった窃盗のことをバラすなどと理不尽なことで脅
され、お金を要求された。自分も島崎さ んも、抵抗する気さえ起きなかった。明るい、
にこやかな表情で、自分たちの腹や背中を殴り、蹴りつける彼女に冷酷で無慈悲な
悪魔をダブらせた。バレー部に 入った私には、傷が目立たないだろうと顔まで殴った。
おかげで顔から絆創膏がな取れるとはなかった。奥さんは、私だからまだいいんだ、
と言った。私の友だ ちがキレたら、おまえら「売り」をさせられるよ、と言った。
その友だちは他校の不良とつるんで、そんなことばかりしている本物の怖い人だと。
「ウソよ、ウソ。あんたなにウソ言ってんのよ。謝りなさいよ。ふざけんなよ」
わめくヨーコを壁に押し付け、耳元に顔を寄せた。
「おい。私が不良だのな んだのと、噂を流したのはおまえ自身だな。私がそんな噂
 にいちいち弁解して回らないタイプの人間だと判断した上で。あの二人の様子に
 私が不審を抱いた 途端に、そんな噂があるとバラして、恐喝の秘密から遠ざける
 …… ずいぶんと知恵が回るじゃないか。でもな、ずっと学校を休んでいた子が、
 バレー部の 練習にも出てないのに絆創膏が増えてたってのはいただけないな。お
 まえらしくないミスだ」
学校を休んでいる間にも呼び出し、口止めを図っていたのだろう 。
私に動きを封じられたままヨーコは、ガチガチと歯を鳴らして涙を浮かべている。
なによ。なによ。
私を憎しみのこもった目で睨みつけながら、そんな 言葉を口の中で繰り返している。
「金がそんなに欲しかったのか。ブランドものの服を買って、好きなものを食って。
 それが他人を踏みつけて得た金でも、な にも感じないのか」
ぺっと、唾が頬に飛んできた。
目をつぶり、開けた瞬間、己の中の冷たい怒りの炎がいつの間にか暗く悲しい色に
変わっていることに 気づいた。
「友だちだと、思っていたんだ、陽子」
ゆっくりと、それだけを言うと私は彼女の頬を思い切り打った。
その勢いで身体を強く壁にうち、ヨー コは崩れ落ちた。
嗚咽が、丸めたその背中から漏れる。

「落ち着いたら、高野さんに謝るんだ。それから島崎さんにも謝りに行こう。私も
 ついていくから。それが済んだら……絶交だ」
ヨーコの背中にそんな言 葉を投げかけ、高野志穂には「もう教室に戻りな」と言っ
た。
それから私は二人を残して駆け出し、校舎の中に入った。一直線に間崎京子の教室
へ向かう 。廊下でスレ違う平和ボケしたような女子生徒の顔がやけにイラつく。
「どけ」
そんな言葉を吐くと、相手は怯えたように道をあける。自分は今どんな顔をして い
るのだろう。
閉まっていたドアを乱暴に開けると、教室の中からハッと驚いたような気配が返っ
て来た。
かまわずに、間崎京子の元へ歩み寄る。
彼女は席に座ったまま肘をついた両手の指を絡ませ、まるで来ることを知っていたか
のように平然と私を見上げながら薄っすらと微笑みを浮かべている。
「 島崎いずみを脅していた相手を知っていたな」
答えない。
「事件のことで石川さんにカマをかけられた時、おまえはこう言ったな。"オリンピ
 ック・スピ リッツ"と」
"オリンピック精神"と、又聞きで伝えられた私にはその意味が分からなかった。し
かしそう言い換えた石川さんは責められない。そちらの方が確かに 馴染みのある言
葉だからだ。ただ"オリンピック・スピリッツ"には同じ響きで、もう一つ別の意味が
あった。この事件の真相を言い当てる意味が。
あの日、図書館で私は天使の名前が網羅された事典を開いていた。
そこにおぼろげだった記憶の通りの名前が出てきた時に、私はすべてを知ってしまっ
たの だ。
天使とはユダヤ教やキリスト教、イスラム教などに現れる神の使いの総称だ。それ
らの天使には階級があるとされ、多くの天使がそのヒエラルキーに取り込 まれてい
る。ミカエルやガブリエルなどの有名な四大天使は、その名の通り大天使として第
8階位、つまり下から2番目の低位につけられていたりする。その9 階位に属さな
い天使も数多くあり、様々な宗派によってその役割も象徴する意味も異なる。
その中に、オリンピアの天使と呼ばれるグループがある。聖書ではな く、魔術書に
現れる天使だ。その、人間の役に立てるために使われるという性質は、どちらかと
言えば天使というよりデーモンに近い。日本語に訳される時も「 オリンピアの天使」
とする場合もあれば「オリンピアの霊」などと表記される場合もある。英語では、
「Olympic spirits(オリンピック・スピリッツ)」とも。
それらは惑星を支配する存在とされ、それぞれに象徴される7つの星が当てられる。
水星はオフィエル。金星はハギト。火星はファレグ。木星はベトール。土星は アラ
トロン。月はフル。そして太陽は――オク。
奥陽子。
その名前をあげつらって、間崎京子は言ったのだ。オリンピアの天使、オリンピック・スピリッツと。
黒魔術などのオカルトに詳しい人間でないと絶対に分からないだろう。そういう人
間だけに向けて彼女は真相を発信したのだ。すべてを知りながら 。頼ってきた島崎
いずみを言わば見殺しにして。あまつさえ、剣の10という最悪の結末の暗示を本
人に告げて。私にはそれが許せなかった。知っていたならば 、なにか出来ることがあったはずだ。傍観者としてなにも行動しなかった私自分にもその怒りの刃は向い
て、身体の中のどこかを傷つけた。

「太陽は。太陽のカードは、ケルト十字の2枚目に出ていたんだな」
答えない。
ケルト十字スプレッドにおける2枚目のカードは1枚目の上に交差されるよ うに置 かれる。それはやがて周囲に展開されるカードの並びの中で、十字架の真ん中の位置となる。表すものは「障害となるもの」。
大アルカナ22枚のうちの19番目のカードである太陽(The Sun)は、正位置ならば《創造》《幸福》《誕生》etc. 逆位置ならば《破局》《不安》《別離》etc.
しかしこの 場合、陽子という太陽を暗示させる名前そのものを指している。少なく
とも、島崎いずみ自身にとっては。彼女の悩みの根源を成す「障害」として。
そしていつ かの私に対する警告。「恨みはなるべく買わないほうがいい」というあ
れは、すべてを見透かした上での言葉だったのか。
「彼女の手にした刃物は、結局自分に 向かった。それは彼女自身の選択よ」
間崎京子の口から音楽のように言葉が滑り出した。
「おまえは何様なんだ」
周囲から、固唾を飲んでこのやりとりを 注視している無数の気配を感じる。誰も表
立ってこちらを見てはいない。しかしその無数の悪意ある視線は、確実に私の心を
削り取っていった。
「あなた も、まだあの子を救える気でいるなんて、おめでたいわね」
ヨーコのことか。なぜそんなことをこいつに言われなくてはならない。
「7つの星に対応する数多く の象徴の中で、7つの大罪がどういう配置になってい
 るかご存知?」
表情はまったく変えていないのに、微笑が、嘲笑に変わった気がした。その時私は、
この女をはじめて恐ろしいと思った。
「水星は大食。金星は欲情。火星は憤怒。木星は傲慢。土星は怠惰。月は嫉妬。そ
 れから太陽は――」
芝居じみた動きで彼女は指をひとつ、ひとつと折り 、7番目となった左の人差し指
をゆっくりと折り畳みながら言った。
「強欲」
その言葉と同時に、私は彼女の机を両手で強く叩いた。周囲がビクリとして 、一瞬
静かになる。そこに、冷ややかな言葉が降って来る。
「ねえ、わかるでしょう。彼女は彼女自身の星からは逃れられないわ。この世界に
 は、変わ ろうとする人間と、変わろうとしない人間しかいない。それはあなたの
 せいでも、わたしのせいでもない」
怒りだとか、悲しさだとか、悔しさだとか、そんな 様々な感情が私の中で嵐のよう
に渦巻いて、目の前にパチパチと輝く火花を発している。
私は唇を噛んで、この氷細工のような女を殴りたい気持ちを必死で抑え ていた。そ
んな私の姿を一見変わらぬ笑みで見据えながら、彼女は誘惑するような甘い囁きで
こう言った。
「かわりに、わたしがあなたの友だちになって あげる」

それが、間崎京子との出会いだった。

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