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∞コワバナ∞コミュの師匠シリーズ【058】

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「人形  後編」

本当に古い写真マニアだったのかこの人は。いや、というよりは、やはり心霊写真好
きが高じてというのが本当のところだろう。
「というわけで、銀板写真は明治の写真屋の技術ではないんだ。だからこれは商売
 道具で撮影したものではなく、回顧的もしくは技術的興味で撮られた写真だろう。
 像も鮮明だから、露光時間が短縮された改良銀板写真技術のようだね」
やはり感じたとおり、材質は紙ではなかった。銅版なのか。
俺はしげしげと3人の女性を見つめる。100年も前の写真かと思うと、不思議な気
持ちだ。本当に写真は時間を閉じ込めるんだな、と良くわからない感傷を抱いた。
「魂を抜かれるって、聞いたことがありますね。真ん中で写っちゃいけないとかも」
礼子さんの言葉に師匠は頷きかける。
「うん。それは当時の日本人にとっては切実な問題だったんだ。鏡ではなく、まるで
 己から切り離されたように自分を平面に写し込むこの未知の技法を、どこか忌まわ
 しいもののように感じていたんだろう。この写真の女の人たちが目を背けているの
 も、その頃の俗習だね。視線を写されるのは不吉だとされていたらしい」
本来の目的を忘れて師匠の話に耳を傾けていると、そこから少し口調が変わった。
「この、真ん中の女性が抱いている人形もそうだ」
みかっちさんの肩も緊張したように、わずかに反応する。
「真ん中の人間の寿命が縮むというのは明治時代、日本中に広がっていた噂でね。今
 で言うミーム、いや都市伝説かな。そんな噂を真に受けて不安がる女性客に、写真
 屋が手渡すのがこれだよ」
師匠は女性の膝の人形を指さす。
「人形を入れれば、全部で4人。真ん中はなくなる。それに椅子に斜めに腰掛けるこ
 とで、人間ではなく膝の上の人形が正確に写真の中心にくるような配置になってい
 る。つまり寿命が縮む役の身代わりということだ。そうした写真の持つ不吉さを、
 人形に全部被せていたんだ」


ゾクゾクしはじめた。
身代わり人形だったのだ。
"穢れ"の被り役としての。
恐らく、写真屋は同じ人形を使い続けただろう。その頃、写真を撮るような客は上流
階級に属している者ばかりのはずだ。そんな客に、使い捨ての安っぽい人形を持たせ
る訳にもいくまい。つまり、こういう、上質な市松人形のようなものが、ずっとその
役目を負い続けるのだ。意思を持たないものに、悪意を被せ続ける……
そのイメージに俺はぞっとした。
何年何十年という時間の中で穢れは、悪意は集積し、この人形の内に汚濁のように溜
まっていく。そして……
シーンと静まる家の中が、やけに寒く感じられた。
「ちょっと、なんでそういうこと言うのよ」
礼子さんの口から鋭く尖った言葉が迸った。
「この子は私のひいひいおばあちゃんの大切な人形よ。そんな道具なんかじゃない。だ
 ってずっと大事にされて今の私にまで受け継がれたんだから。見ればわかるわ」
そう捲くし立てて礼子さんは凄い勢いで部屋の出口へ向かった。
唖然として見送るしかない俺の横で、師匠は叫んだ。
「そんなものが実在すればね」
一瞬、礼子さんの頭がガクンと揺れた気がしたが、彼女はそのまま部屋を飛び出して
いった。
「どういうこと?」
とみかっちさんが訝しそうに眉を寄せる。
「まあ見てな」

師匠は余裕の表情で革張りのソファに深く体を沈めた。俺は写真にもう一度目を落とし、
人形を良く観察する。色こそついていないが、やはりあの絵と全く同じ人形のようだ。
髪型や表情、帯や着物の柄も同じに見える。師匠はこの写真からなにかわかったのだろ
うか。
やがて静まり返っていた家の中に、女性の悲鳴が響き渡った。
全員腰を上げ、客間を出る。スリッパの音がバラバラと床を叩いた。みかっちさんが
先導して1階の奥の部屋へ足を踏み入れると、広々とした和室に礼子さんの後姿が見えた。
「いないのよ。あの子が」
屈み込み、取り乱した声で畳を爪で引っ掻いている。
和箪笥など古い調度品が並ぶ中、奥に床脇棚があり、その上に空のガラスケースが置
かれていた。
ガラスケースの中には薄紫色の座布団のような台座だけがぽつんと残されていて、丁度
あの人形が納まる大きさのように思えた。
「誰なの。どこへやったの」と呻く様に繰り返している礼子さんに、みかっちさんが駆
け寄り「落ち着いて」と背中をさする。
次の瞬間、バン、という大きな音がして横を見ると、師匠が後ろ手で壁を叩いた格好の
まま険しい顔つきで女性二人を睨んでいる。
「落ち着くのは、キミもだ」
そう言いながら床脇棚に近づき、ガラスケースを持ち上げる。台座を触り、その指を二
人に見せ付けた。
「この埃は、少なくとも何年かここに人形なんか置かれていなかったことの証だ。あの
 絵を見た時からおかしいと思っていたが、写真を見て確信した。人形なんかこの家に
 はないじゃないかと」

礼子さんが怯えたような顔で、頭を抱える。みかっちさんも目の焦点が合っていない。
「先日の温泉旅行、その人形がバッグから出てくるところを見たのは彼女の他にキミだ
 けだ。それは本当にあの人形だったのか?」
師匠の詰問に、みかっちさんはうろたえて「え、だって」と口ごもった。そして「あれ?
 あれ?」と両手で自分の頭を挟むように繰り返す。
「人形を絵に描いたと言ったが、具体的にどこでどうやって描いたか、今説明できるか」
「え? うそ? あれ?」
みかっちさんは今にも崩れ落ちそうに小刻みに震えながら、なにも答えられなかった。
「あの写真持ってきて」との師匠の耳打ちにすかさず従い、ほどなく俺は3人の前に写
真を掲げた。
「僕はその人形を描いたという絵の着物の襟元を見ておかしいと思った。それは合せ
 方が通常と逆の左前になっていたからだ」
師匠は洋服とは違い、和服は男女ともに右前で合せるのが伝統だと語った。
「これに対し、死んだ者の死装束は左前で整えられえる。北枕などと同じく葬儀の際
 の振る舞いを"ハレ"と逆にすることで死の忌みを日常から遠ざけていたんだ。だから
 子どもの遊び道具であり、裁縫の練習台であった、いわば日常に属する市松人形が
 左前であってはおかしい」
こんなことは説明するまでもなかったか、と呟いてから師匠はみかっちさんの方を
向いた。
「モデルを見て描いたのであれば、こんな間違いは犯さないはずだ。絵の技法上の
 意図的なものでない限り、彼女はその人形を見ていないんじゃないかとその時少
 し不審に思った」
そして写真を指さす。


「そこで出てきたのがこの銀板写真だ。銀板写真は明治の志士の写真などで知られる
 湿板写真やその後の乾板写真と大きく異なる性格を持っている。それは被写体を
 左右逆に写し込むという技術的性質だ」
え? と俺は驚いて写真を見た。
文字の類は写真に写っていないので、左右が逆であるかどうかは咄嗟に判断がつかない。
そうだ。
着物の襟だ。と気づいてからもう一度3人の女性の襟元をよく見た。本人から見て左側
の襟が上になっている。
「ホントだ。左前になってます」と言うと、師匠に話の腰を折るなと言わんばかりに「バ
 カ、左前ってのは本人から見て右側の襟が上に来ることだ」と溜め息をつかれた。
あれ? じゃあ写真の女性は右前なわけで、正しい着方をしていることになる。左右逆
に写っていないじゃないか。
師匠は人さし指を左右に振ってから続けた。
「これが日本人の迷信深いところだ。銀板写真が撮られた当時、被写体は武家や公家な
 どの支配階級の子弟たちだったわけだが、出来上がった己の写真が死装束である左前
 となっていては縁起が悪いために、わざわざ衣服を逆に着て撮影していたんだ。もっ
 とも単に見栄えの問題もあったのだろう。武士など刀まで右の腰に挿し直して撮って
 いる。当時の銀板写真を良く見ると、襟元や腰の大小が変に納まり悪く写っているか
 ら、彼らの微笑ましい努力の跡が垣間見えるってものだ」
ということは、つまりこの着物姿の3人の女性も撮影時にわざわざ左前にしてカメラの
前に座ったのか。
俺は感心し、言われなかったら気づかなかったであろう100年の秘密に触れたことに、
ある種の快感を覚えた。


「そこで、もう一度この真ん中の女性が抱える人形を見て欲しい」
師匠の言葉に、視線をそこに集中させる。
人形の襟元が、他の女性たちと逆に合せられている。左前だ。銀板写真は左右を逆に写
すので、つまり撮影時には右前だったことになる。
「市松人形としてはこれで正しい。ただ撮り終わったあとの写真が間違っていただけだ。
 だから……」
と言って、師匠はみかっちさんに視線を向け、笑い掛けた。
「キミのあの絵は、この写真の一見左前に見える人形を描いたものなんだ。キミは人
 形を絵に描いたと言いながら、人形を見ていない。奇妙な記憶の混濁があるようだ。
 なぜならそんな人形はもう存在していないんだから」
キャアァー!!
という甲高い金属的な悲鳴が家中に響き渡った。
俺は背筋を凍らせるような衝撃に体を硬直させる。頭を抱えて俯いている礼子さんの口
から出たものにしては、おかしい。まるで家中の壁から反響してきたような声だった。
「その人形がどうしてなくなったのかは知らない。あなたの口からそれが聞けるとも思
 わなけど。戦争で焼けたのか。処分されたのか…… ただあなたの中に棲みついて、
 そこにいる友だちの中にも感染するように侵入したそれは、この世に異様な執着を持
 っているみたいだ。自分の存在を、再び世界と交わらせようとする意思のようなもの
 を感じる。実際に、絵という形で、一度滅びたものが現実に現れたんだから」
ミシミシという嫌な圧迫感が体に迫ってくるようだ。
これは、髪が伸びるだとか、涙を流すだとかいう人形にまつわる怪談と同質のものな
のか?
いや、絶対に違う。
俺は底知れない嫌悪感に体の震えを止めることが出来なかった。


「その人形。あなたの先祖の家業だった写真屋の、これは商売道具のはずだ。だから
 実のところ、一見して左前に見えてはおかしいんだ。衣服だけでなく刀などの道具
 立ても左右逆にしつらえて撮るように、膝に抱く人形だって持ち主に合せるべきだ。
 市松人形はもともと女性や子どもの着せ替え人形なんだ、合せ方を逆にして着せる
 なんて容易いはず。同じ目的でずっと使う人形ならばなおさらそうすべきだ。しか
 し、この写真に残されている姿はそうではない。何故だかわかるかい。それは」
師匠は憂いを帯びたような声で、しかし俺にだけわかる歓喜の音程をその底に隠して
続けた。
「真ん中に写ったものが早死にするという噂のためにこの人形を真ん中に据えるって
 ことと同じ目的のためだ。写真にまつわる穢れをすべて人形に集中させるため、徹
 底した忌み被せが行われている。つまりわざわざ死者の服である左前で写真に写る
 ように、この人形だけは右前のままにされているのさ」
吐き気がした。
師匠につれまわされて今まで見聞きしてきた様々なオカルト的なモノ。それらに接す
る時、しばしば腹の底から滲み出すような吐き気を覚えることがあった。しかしそれ
は大抵の場合、霊的なものというよりも人間の悪意に触れた時だったことを思い出す。
「付喪神っていう思想が日本の風土にはあるけど、古くから人間の身代わりとなるよ
 うな人形の扱いには特に注意が払われていた。しかしこいつは酷いね。その人形に
 蓄積された穢れの行き着く先を誤っていれば、どういうことになるのか想像もつか
 ない」
柱時計の音だけが聞こえる。
静かになった部屋に、畳を擦る音をさせて師匠が俯いたままの礼子さんに近づいた。

「あなたが魅入られた原因は、実にはっきりしている。なくなったはずの人形がこの
 世に影響を及ぼす依り代としたもの。それは真ん中で写ったものの寿命が縮まると
 いう噂と同じくらいポピュラーで、江戸末期から明治にかけて日本人の潜在意識に
 棲み続けた言葉。"写真に写し撮られたものは、魂を抜かれる"という例のあれだ」
師匠は俺の手からもぎ取った写真の人形のあたりを手のひらで覆い隠すようにして
続けた。
「あなたがおばあちゃんから貰ったというこの写真こそが元凶だよ。人形の形骸は滅
んでも、魂は抜かれてここに写し込まれている」
そう言いながら礼子さんの顔を上げさせた。
目は涙で濡れているが、その光に狂気の色はないように思えた。
「これは僕が貰う。いいね」
礼子さんは震えながら何度も頷いた。師匠は呆然とするみかっちさんにも同じように
声を掛け、「あの絵は置かない方がいい。あれも僕が貰う」と宣告する。
そうして最後に俺に笑い掛け、「おまえからは特に貰うものはないな」と言って俺の
背中を思い切りバンと叩いた。
いきなりだったのでむせ込んだが、その背中の痛みが俺の体を硬直させていた”嫌な感じ”
を一瞬忘れさせた。
引き上げようと、師匠は静かに告げた。

その後、礼子さんは糸が切れたようにぐったりと客間のソファーに横たわった。その
顔はしかし、気力と共に憑き物が取れた様に穏やかに見えた。俺たちは礼子さんに心を
残しつつもその大きな家を辞去した。



みかっちさんが青ざめた顔で、それでも殊勝にハンドルを握り元来た道を逆に辿って
いった。
「あんた何者なのよ」
小さな交差点で一時停止しながら掠れたような声でそう言って、横の師匠を覗き見る。
彼女の中で、『gekoちゃんの彼氏』以外の位置づけが生まれたのは間違いないようだ。
その位置づけがどうあるべきか、迷っているのだ。それは俺にしても、出会った頃か
らの課題だった。
「さあ」と気の無い返事だけして師匠は窓の外に目をやった。
車は街なかの駐車場に着いて、俺たちはグループ展の行われているギャラリーに舞い
戻った。
「ちょっと待ってて」と言ってみかっちさんは店内に消えていった。
と、1分も経たない内に「絵がない」と喚きながら飛び出して来た。俺たちも慌てて中
に入る。「どこにもないのよ」
そう言って閑散としたギャラリーの壁に両手を広げて見せた。
確かにない。奥の、照明が少し暗い所に飾ってあったはずの人形の絵がどこにも見当た
らない。
「ねえ、私の人形の絵は? どこかに置いた?」
とみかっちさんは受付にいた二人の、同年齢と思しき女性に声を掛ける。
「人形の絵? 知らない」と二人とも顔を見合わせた。
「あったでしょ、4号の」
畳み掛けるみかっちさんの必死さが相手には伝わらず、二人とも戸惑っているばかりだ。
俺と師匠も絵があったはずのあたりに立って周囲を見回す。
人形の絵の隣はなんの絵だったか。瓶とリンゴの絵だったか、2足の靴の絵だったか……
どうしても思い出せない。しかし、壁に飾られた作品が並んでいる様子を見ると、他の
絵が入り込む隙間など無いように思える。

薄ら寒くなって来た。
やがてみかっちさんが傍に来て、「搬入の時のリストにもないって、どうなってんの」と
打ちひしがれたように肩を落とす。
「なんかダメ、あたし。あの人形がらみだと、全然記憶があいまい。何がホントなのか
 全然わかんなくなってきた」
それは俺も同じだ。つい数時間前にこの目で見たはずの絵が、その存在が、忽然と消え
てしまっている。
「ねえ、このへんから変な声がしたり、黒い髪の毛がいっぱい落ちてたりしたよね」
とみかっちさんは再び仲間の方へ声を掛けるが、「えー、なにそれ知らない。あんたな
に変ことばっかり言ってんの」と返された。
「その髪の毛は一人で掃除したのか」
納得いかない様子ながらも、師匠の言葉に頷く。そんなみかっちさんは兎も角、俺たち
まで幻を見ていたというのか。
師匠にその存在を否定されてから、あの人形の痕跡が消えていく。俺は目の前の空間が
歪んで行く様な違和感に包まれていた。まるでこの世を侵食しようとした異物が己に関
わるすべてを絡めとりながら闇に消えていくようだった。
「まさか」
と俺は師匠が脇に抱える布を見た。木枠に納められたあの写真をグルグルに巻いてい
る布だ。
これまで、どうにかなっているようだと、それこそ頭がどうにかなりそうだった。
「これは、見ない方がいいな」
師匠は強張った表情でしっかりとそれを抱え込んだ。
そのあと師匠がそれを処分したのかどうかは知らない。


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