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地元で漱石発見コミュの漱石と和歌山 「現代日本の開化」

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明治44年8月15日、和歌山県会議事堂(現・一乗閣)で大阪朝日新聞社主催の夏目漱石講演会「現代日本の開化」が行われています。 講演当日、台風による暴風雨で、和歌の浦の宿に帰れなかったようです。私は旧県会議事堂跡は訪ねましたが、一乗閣へは出かけられていません。

漱石は開化を大きく2つに分けました。一つは「内発的」のもの、他は「外発的」のものです。内発的とは自然な開化で、個人で言えば、何か、自分にあったものを見つけて、それを極めていくという性質のものです。学問の道を指していることが多いが、日常的には趣味とか道楽にも通じます。すなわち、好き好んで苦労して時間をかけて極めて行くものです。「エネルギー消費型の開化」です。

一方、外発的開化とはその逆で、自分でしたいわけではないが、やむを得ぬ事情で不承不承する仕事にかかわる開化です。個人で言えば義務でやらなければならないようなことに関わることです。エネルギー節約型の開化です。何かを運んでくれと言われて、昔は歩いて届けていました。そのうち、馬に乗って運ぶようになり、馬にとってはエネルギー消耗もはなはだしく、かといって道楽で走っているわけでもないから、迷惑この上ないが、人にとっては著しいエルルギー節約になりました。しかし、生き物では途中何が起こるかわからないので、次は、汽車、自動車、飛行機と運搬手段が次々に開発されました。これらは、「2点間の移動が目的」で「途中はどうでもよい」のす。それが証拠に、わざわざ本人が移動するのを節約して郵便や運送業者に委託するようになりました。

漱石が生きていた頃は、黒船来航、開国、明治維新、文明開化、富国強兵、と急激に欧米の文化が流入し、否応なしに、それに適応せざるを得ない時代でした。鎖国の間に悠悠自適に「内発的に」進行した江戸文化から、ひょいと異国文化に「外発的に」飛び乗ることを強いられた時代でした。不自然に決まっています。

しかし、世の中がそのように動き出してしまい、逆らうことができなくなりました。特に、高速大量輸送の進展は著しかった。考える余裕もなく、必死でついていく模倣する開化の渦中に入ったのでした。ブラックボックスの入り口と出口だけしか見えない開化です。西洋で100年かかって築き上げた文化に10年ぐらいで追いつこうというなら、1/10に圧縮して吸収することになり、消化不良になるに決まっています。下手すると劣等感に苛まれ、消化した振りもせざるを得ませんでした。

漱石自身も英語研究のため、明治32年から2年間、外発的開化をもたらした象徴的存在であった英国へ留学しています。しかし、講義を聴いても英文学の正体は不明のままで、鬱々と引きこもる生活を強いられる。漱石の頭脳をもってしても、他国の文学を研究するだけでは限界がありました。やはり、文学の背景にある歴史文化から理解する必要があることに気づき、誰に教えてもらうものでもない自分の英文学論を打ち立てることを決意します。このとき、旨みの元、すなわち、グルタミン酸=「味の素」の発見者となった生化学者池田早苗もちょうど英国に滞在中で、漱石とはしばらく同じ下宿先で過ごしました。この時の対話が漱石にとって大いに有意義であったとされます。この頃から、「自己本位」の立場をとることで、漱石は強くなりました。列強何するものぞ、という気概に溢れました。その後は、内発的に英文学に親しみ、膨大な本や資料を集めて勉強しました。時間的制約と帰国後の雑事で文学論の満足の行くべき完成は見ませんでしたが、その時の体験から、他人の考えを鵜呑みにしたり、世の中の流れにひたすら押し流されることを拒否して「自己本位」の立場を貫き始めました。自分の得心の行くまで安易に妥協せずに追及する立場です。

「自己本位」とともに「個人主義」の立場も唱えました。これは「自己本位」を貫く自由と権利を主張すると同時に、自分の考え方を他人に押し付けるような覇権主義ではなく、他人の主張も聞くだけの理非のある立場です。しかし、国全体は「全体主義」「愛国主義」「文明開化」の時勢でしたから、往々にして左翼と勘違いされる傾向もありました。外発的開化に押し流されることなく、「自己本位」に根ざした内発的開化を貫く「個人主義」には「さびしさ」が伴うと漱石は述べました。これこそ、漱石をして胃潰瘍にならしめた原因の1つでしょう。しかし、漱石は身体よりも精神の健全性を選択しました。

現代も状況は似ています。つまり、進歩のスピードは速く、生理的とは言いがたいのですが、資本主義経済の宿命として「飽くなき利便性」の追求はとどまる所を知らず、科学万能思想に、期待だけを高められ、にんじんを鼻の前にぶら下げられてひたすら走りつづける馬の如き「外発的開化の日常」は続いています。

人間は子宮内で進化の歴史を繰り返して誕生してきます。これは古代も現代も同じでです。しかし、そこに待ち受ける文化文明は、産業革命以後、加速度的に膨大に蓄積した技術革命の産物です。便利な時代になると将来を楽観しては入られません。その文明のプロセスを消化しないで、結果だけに飛びついていては内面の変化はないのですから、それこそ「利口なバカ」になるのみです。しかし、何もかも納得できなければ手をつけないでは済まされません。「利口なバカ」にならざるを得ない時代でもあります。私たちの子孫はさらに濃縮した文明を引き継ぐのですから「利口なバカ」になる確率はより高く、尚更に大変です。

「私の個人主義(学習院講演)」と「現代日本の開化(和歌山講演)」はこういう時代にこそ、是非味わうべき内容です。漱石は、勿論、「エネルギー消費型の開化」を信念としました。現代スポーツで言うと典型的なのが『投げ練あせあせ(飛び散る汗)』で「投げるだけで幸せ目がハート」という人が和歌山に多いのも、実は漱石の講演会の影響が大きいと言われていますウインク

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