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中国五県平和条約コミュの我々の伝統・歴史・愛着・尊厳性の象徴で在る、中國の名称を僞『中国』と我々を蔑視する者から守ろう!

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我々の地方名が公称されたのは、14世紀中期、持明院統朝廷(北朝)の室町幕府(成立当初は鎌倉殿、義満の代から室町殿、幕府と言う表記は江戸中期から以後室町幕府と記す)の中國管領、大覚寺統朝廷(南朝)の中國探題と言う役所且つ公的機関が成立した。

此は、律令國制で表記すれば、伊予・讃岐・阿波・淡路・土佐・長門・周防・石見・安芸・出雲・備後・因幡・備中・伯耆・美作・備前・但馬・播磨・丹後・隠岐を名目上(南北朝の勢力の進退に因り変遷する)管轄とする、其の後、南北合一に因り、中國探題は廃止し中国管領が中国筋を管轄する公的機関となり、細川家が中國管領を務める、然し応仁の乱以降は、細川宗家の勢力は衰退し、四国は、細川宗家家宰の三好家が四国で台頭、山陽道は、大内・毛利と赤松・浦上・別所・宇喜多や荘・三村や三浦・後藤・山名が台頭、中国管領のなは有名無実となり消滅す、
然し、本能寺の変に因る、備中高松城撤退の中国大返し、
江戸時代は、中国筋や中国表と言う表記が文献上残ってます。


対して、中華民國や中華人民共和國の中国は、公的な略称で在り、辛亥革命後に満洲人の植民地から独立して後で、自らの自称に至っては、長く支那人と名乗り、革命後も1946年まで、自らの自称を支那人と中国人を共称したのが事実です。

中国とは我々の伝統・歴史・愛着・尊厳性が籠った我々の地方名で在り、
中国人とは、歴史・伝統・愛着・文化・尊厳性の籠った我々中国地方に住む者の呼称です。

何人たりとも我々から名を奪う権利は無いと思います。

中国地方に住む同胞の方々、我々の地方名を守りましょう。

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