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柳田国男・物語コミュの柳田国男をめぐって/作者不詳

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 柳田国男が『遠野物語』を出版したのは1910年、明治の終わり、大正デモクラシーの少し前の時期であった。大逆事件を受けて石川啄木が「時代閉塞の現況」を書く直前のこの著作には柳田には珍しい一種独特の緊張感があり、民俗学を嫌った三島由紀夫などもこの『遠野物語』については絶賛したという。
 さて、この『遠野物語』は当時ささやかに出版された作品であり、いきなり世間の注目を集めることはなかったが、その序文には不穏な言葉が連なっている。「思うに遠野郷にはこの類の物語なお数百件あるべし。(中略)願わくはこれを語りて平地人を戦慄せしめよ。この書のごときは陳勝呉広のみ」などといった文面は、柳田が少なからず興奮し反乱を企てているようで、当時エリート官僚であった人物の言葉としては異様である。
 そこで、柳田がこうした興奮をもって描こうとしたものは一体何だったのかを『遠野物語』とそれに連なる彼の後年の書物である『山の人生』とで絡めて探ることがこの小論の課題となる。
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■遠野について
 まず、『遠野物語』の舞台となる遠野を少しだけ紹介しよう。遠野は早池峰山・六角牛山・石上山にかに囲まれた北上山地中の一盆地であり、花巻からJR釜石線で一時間強、南部家横田城の城下である。水田の続く広い盆地で、中央を猿ヶ石川が南西に貫き、小さな山や岡が入り組んだ複雑な地形をなしている。水田地帯と山と隣り合わせとなっており、山中に少し足を踏み入れると人里と無縁な奥地に入ったかのように感じる、平地と山とのコントラストが印象的な土地である。
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■我々によって語られる異界
 さて、『遠野物語』において重要な意味をもつ異界は山である。山には山の神や天狗、山人や山女、それに獣などが棲んでおり、子供や若い女が消えていく場所でもある。そこは人里からは超絶した世界であり、畏怖の対象であった。そこでまず、『遠野物語』において山がいかに語られるかを見てみたい。

90) 松崎村に天狗森という山あり。その麓なる桑畠にて村の若者何某という者、働きていたりしに、しきりに睡くなりたれば、しばらく畠の畔に腰掛けて居眠りせんとせしに、きわめて大なる男の顔は真赤なるが出で来たれり。若者は気軽にて平生相撲などの好きたる男なれば、この見馴れぬ大男が立ちはだかりて上より見下すようなるを面悪く思い、思わず立ち上がりてお前はどこから来たかと問うに、何の答もせざれば、一つ突き飛ばしてやらんと思い、力自慢のまま飛びかかり手を掛けたりと思うや否や、かえりて自分の方が飛ばされて気を失いたり。夕方に正気づきて見ればむろんその大男はおらず。家に帰りて後人にこの事を話したり。その秋のことなり。早池峰の腰へ村人大勢とともに馬を曳きて萩を刈りに行き、さて帰らんとする頃になりてこの男のみ姿見えず。一同驚きて尋ねたれば、深き谷の奥にて手も足も一つ一つ抜き取られて死していたりという。今より二三十年前のことにて、この時のことをよく知れる老人今も存在せり。天狗森には天狗多くいるということは昔の人の知るところなり。

  ここでは山の住民たちの非常に力強い姿が描かれる。彼らは顔が赤く、目が凄く、非常に巨大であり、我々の知りえない不思議な力を持っている。山には様々な怪事が起こり、人々はそれを半ば当然のように受けとめているようである。山は一種隔絶した存在だったのである。

 さて、柳田は『遠野物語』を出版して九年後の1919年に貴族院書記官長を辞任し、1922年には朝日新聞社に入社する。そして1925年に『アサヒグラフ』において彼の山人研究の頂点をなす『山の人生』を執筆する。そこで徹底して描かれるのは人(里)と山との関係であり、『山の人生』に描かれる山は『遠野物語』のそれのような我々の世界に対する超越性とは別なものが強調されている。その山は、我々がフッと消えていき、山人もややもすれば降りて来て、我々と交わるような入り組んだ関係となる。そこで次に、我々から完全に隔絶した異界ではなく、我々の間に入り組んだ異界とはどのようなものかを見てみたい。
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■我々の内部にある異界

 異界は我々の外部にのみに存するものではない。それは我々の内部に絶えず侵入してくるのだ。我々はそれを孕み、生き、ときに殺す。そうした侵入する異界の一つの例をあげてみる。

55)川には川童多く住めり。猿ヶ石川ことに多し。松崎村の川端の家にて、二代まで続けて川童の子を孕みたる者あり。生まれし子は斬り刻みて一升樽に入れ、土中に埋めたり。その形きわめて醜怪なるものなりき。女の婿の里は新張村の何某とて、これも川端の家なり。その主人人にその始終を語れり。かの家の者一同ある日畠に行きて夕方帰らんとするに、女川の汀にうずくまりてにこにこと笑いてあり。次の日は昼の休みにまたこの事あり。かくすること日を重ねたりしに、次第にその女の所へ村の何某という者夜々通うという噂立ちたり。始めには婿が浜の方へ駄賃附に行きたる留守をのみ窺いたりしが、後には婿と寝たる夜さえ来るようになれり。川童なるべしという評判だんだん高くなりたれば、一族の者集まりてこれを守れども何の甲斐もなく、婿の母も行きて娘の側に寝たりしに、深夜にその娘の笑う声を聞きて、さては来てありと知りながら身動きもかなわず、人々いかにともすべきようなかりき。その産はきわめて難産なりしが、ある者の言うには、馬槽に水をたたえてその中にて産まば安く産まるべしとのことにて、これを試みたれば果してその通りなりき。その子は手に水掻あり。この娘の母もまたかつて川童の子を産みしことありという。二代や三代の因縁にはあらずと言う者もあり。この家も如法の豪族にて〇〇〇〇〇という士族なり。村会議員をしたることもあり。

 ここで描かれているのはまさしく我々の中に侵犯する異界である。この類の記述は『山の人生』にも「一七・鬼の子の里にも産れし事」として、大柄な、歯の生えた異形の子供が産まれた話がいくつか紹介されている。

 興味深いのは、共同体の中ではこうした子供を産む家が「因縁」があると考えられている点である。『遠野物語』では川沿いの裕福な家がその対象になっているようだが、河童の子が生まれる過程の記述を見ると、それは「因縁」よりも性的関係が暗示されているようであり、不義の子を殺す話として読み替え可能なものである。しかし、この記述においては最後に家と河童との浅からぬ「因縁」を持ち出すことで、それを異界の侵入によるものとして、共同体の中での子殺しを了解可能なものとしている。

 ここで柳田が注目するのはこのような異形の子に対する人々の態度である。『遠野物語』の河童の小話にも見られるとおり、異様な子を殺すのは長らく一般的な慣習とされたようであり、柳田はそのような慣習に対する反感を隠さない。

 けだし人はとうてい凡庸を愛せずにはおられなかった者であろうか。前代の英雄や偉人の生い立ちに関しては、いかなる奇瑞でも承認しておきながら、事ひとたび各自の家の生活に交渉するときは、寸毫も異常を容赦することができなかった。近世に入ってからも、稀には歯が生えて産まれるほどの異相の子を儲けると、たいていは動転して即座にこれを殺し、これによって酒顛童子、茨城童子のごとき悪業の根を絶った代わりには、一方にはまた道場法師や武蔵坊弁慶のごとき、絶倫の勇武強力を発揮する機会をも与えられなかった。これおそらくは天下太平の世の一弱点であったろう。

 しかも胎内変化の生理学には、今日なお説き明かし得ない神秘の法則でもあるのか。このような奇怪な現象にも、やはり時代と地方とによって、一種流行のごときものがあった。詳しく言うならば、鬼を恐れた社会には鬼が多く出てあばれ、天狗を警戒していると天狗が子供を奪うのと同様に、牙ありまた角ある赤ん坊の最も多く生まれたのは、いわゆる魔物の威力を十二分に承認して、農村家庭の平和と幸福までが、時あって彼等によって左右せられるかのごとく、気遣っていた人々の部落の中であった。

 もちろん、ここで述べられているように鬼の恐れられている地方では鬼が生まれ、天狗の恐れられている地方では天狗のような子が生まれるというのは、不都合な子供を間引きする口実として利用されているのではないか、と思わせる事実であり、柳田がそのような危惧を抱いていたことは明白である。しかしながら、柳田がもっとも問題視したのは、異界を抹殺しようとする我々の意志であるように思われる。

 すると、柳田は我々と異界との間にどのような関係があり得ると考えたのであろうか。『遠野物語』に描かれる人里の内部にも、異界に近い関係を持つもの、両者の中間に位置するものが少数ながら現れる。

99)遠野も町に芳公馬鹿とて三十五六なる男、白痴にて一昨年まで生きてありき。この男の癖は路上にて木の切れ塵などを拾い、これを捻りてつくづくと見つめまたはこれを嗅ぐことなり。人の家に行きては柱などをこすりてその手を嗅ぎ、何物にても眼の先まで取り上げ、にこにことして折々これを嗅ぐなり。この男往来をあるきながら急に立ち留り、石などを拾い上げてこえrをあたりの人家に打ち付け、けたたましく火事だかじだと叫ぶことあり。かくすればその晩か次の日か物を投げ付けられたる家火を発せざることなし。同じこと幾度となくあれば、後にはその家々も注意して予防をなすといえども、ついに火事を免れたる家は一軒もなしといえり。

 芳公馬鹿は共同体の内部にありながら、共同体にとって理解不可能な人間である。しかし共同体によって、芳公馬鹿の嗅覚が火事の予兆が結び付けられている。もちろん、我々は嗅覚によって火事を予知しえない。それならば、芳公馬鹿の予知能力の意味するものは果していかなるものだろうか。

 実は、それは我々が芳公馬鹿という媒介によってそれをなしているのではないだろうか。彼は白痴であり、その能力について何も説明することはない。もしも彼がそれを言語によって説明しようとすれば、我々はそれを笑うだけである。しかし、理解不可能な人間の行動に、我々はとまどい、何か意味を求めるに違いない。我々は、その内部に意味のないものを許容できない。そうすると、異界を孕んだ芳公馬鹿は共同体によって意味が付加され、その意味付けによって我々との和解がなされたといえる。

 もちろん、我々の内部で、ある閾値を越えて異界のものが侵入すれば「我々」という関係自体が壊れてしまう。そうすると、我々は少数の異界を意味づけし馴化するか、または排除するしかないのだろうか。そこで、柳田の異界の人間に対する視線を辿ってみたい。

 大正四年の京都の御大典の時は、諸国から出て来た参観人で、街道も宿屋もいっぱいになった。十一月七日の車駕御到着の日などは、雲もない青空に日がよく照って、御苑も大通りも早天から、人をもって埋めてしまったのに、なお遠く若王子の山の松林の中腹を望むと、一筋二筋の白い煙が細々と立っていた。ははあサンカが話をしているなと思うようであった。もとろん彼等はわざとそうするのではなかった。

 大正天皇の京都における大嘗祭において、「この上もない光栄、一家の名誉」と感激する貴族院書記官長の柳田は、山の中腹の煙をもって「サンカ(山で移住して暮らす人々)が話をしているなと思うようであった」と語る。「思うようであった」などは、語る主体をぼかすような語り口ではあるが、どうして柳田は天皇のいる風景にサンカを想ったのであろうか。「もちろん彼等はわざとそうするのではなかった」という柳田は、天皇などとは全く関係のなく飯でも食っているであろうサンカの姿に自分をダブらせているようでさえある。そもそも山の煙でサンカを想起するなどはいかにも唐突であり、天皇の前にいる柳田は、その存在を必要としていたと考えるのが自然である。

 しかし、もちろん彼は向こう側には行かない。天皇とサンカを対立と捉えることもしないし、和解を目指すこともない。ただ、自分の中のサンカを心に秘めて、天皇に侍っているようである。ここで柳田にとってサンカとはどのような意味を持っていたかは、非常に重要な問題であり、それを最後に考えることになる。
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■現実の物深さ

 『山の人生』は飢饉による飢えのために二児を殺した男の話と、許されぬ結婚をした後に生活に困り、一家心中を図って生延びてしまった女の話が冒頭に語られている。柳田は続けてこう言う。

 我々が空想で描いてみる世界よりも、隠れた現実の方がはるかに物深い。また我々をして考えしめる。これは今自分の説こうとする問題と直接の関係はないのだが、こんな機会でもないと思い出すこともなく、また何人も耳を貸そうともしまいから、序文の代りに書き残しておくのである。

 柳田はどうしてこのような話を最初にしたかを明らかにしない。ただ、現実の物深さを強調するだけである。そして、現実の物深さとは、子殺しの話のように、やりきれないような残酷な現実の中に我々があるということである。すると、『山の人生』には我々は普段気がつかないようなこうした残酷さ、矛盾を我々に示して見せる狙いのある作品ではないかと思うのが自然である。

 確かに、前述したような天皇とサンカのいる風景は、どこか埋めようのない裂け目がある。『遠野物語』の序文において、先輩としての『今昔物語』に対する対抗心をむき出しにして、『遠野物語』は「目前の事実である」と語る柳田は、執拗に現実の中に存する異界を描き続ける。そこで柳田が描きたかったのは、一見のっぺらとした現実が異界によって歪み、裂けている姿である。そうした現実の裂け目を描き出す『遠野物語』が、明治の終わりという、のっぺりした時代に生まれたのは単なる偶然ではあるまい。

※上記レビューは過去にどこかのHPからコピーしていたもので、作者は不明です。勝手にUPさせていただきました。問題があればご一報下さい。

コメント(4)

民俗学のコミュニティに同じ内容について書いたので、
ここでは簡略化した事を書きますが、
飢饉の際、子供を間引くのは姥捨と同じく共同体の中で
生産性の無い者の排除にあたり、コガエシと言って神様
の元に子供をお返しするという観念のもと行われてきた
ようです。飢饉でないときでもある程度凶作でギリギリ
のくいぶちしか無い時にも同様でしょう。

「河童の子が生まれたので殺して埋めた」などという
記述は子供を間引く際の罪の意識を無くす言い訳である
という説を最近読み、納得してしまいました。
遠野以外にも全国間引きの風習がある場所はありますが、
遠野の場合、以前GOさんと話しましたが、「遠野の河童の
顔が赤い」のは赤子の顔が赤いところからではないか
という推理をするとやはり他所では見られない独特のもの
が感じられます。

と、僕もちょっと生意気な文章になりました(;;)
>hiderockさん
はじめまして!
僕も探しているのですが、中々・・・
遠野物語の付録の地図と現代を地図を見比べていますが
遠野の詳細な地図が中無いものでして、どこにあるか
判らない場所が特に「拾遺」の方で多くて参ってます(^^;
渋谷区にお住みのようですので、246と山手通りの立体
交差の近くの地図センターに行ってみてはいかがでしょうか?
何か良い地図があるかもしれません。

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