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日本死語研究会コミュの「ストリクラウドの日記」

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「ストリクラウドの日記」とは、人の日記に、その内容に応じてコメント欄に一方的に書かれる物語です。いわば、人の意識が作り出す物語。日本死語研究会通信の進化形です。以下にぞくぞく更新。


フレデリック・ジョンソン三等兵は言った。「感動できるのは幸せなことだ。人は、単調な毎日の前に、生き生きとした心を失う。心の乾く速さは、犬の糞が乾く速度と大差がないのかもしれない。」

フレデリック・ジョンソン三等兵はこう言った。「人生とは、眠りと眠りの間にある現実の繰り返しだ。夢と夢の間を人は生きるんだ。」
それが、私と彼の出会いだった。 (二つともアギトさんの日記に1月19日出現)
フレデリック・ジョンソン三等兵は言った。
「こんなことは、8つの時にターバン巻いた日本人に脅されたことに比べれば、屁でもねえぜ。」
 そして彼は、銃弾飛び交う大地を、全速力で駆けていった。勇気とは、時に形容しがたいからこそ、勇気なのかもしれない。

(A4紙製戦車の日記に1月19日に出現)
フレデリック・ジョンソン三等兵は言った。
「趣向をかえるってえことは、時にべらぼうに勇気がいることだ。今まで決まって通っていた道と、違う道をたまに歩いてみると、その道は犬の糞がもしかしたらとても多く、買ったばかりのハイヒールが台無しになるかもしれねえ。誰も可能性は否定できねえだろう?」
彼は、進行ルートを変えないことを主張した。それが我々の命を救ったと知ったのは、三日後のことだった。(ばば氏さんの日記に1月20日出現)
フレデリック・ジョンソン三等兵は言った。
「人ってのは恐ろしいぜ。『何でそんなこと知ってんだ。』てえことを、よくわからねえやつが知っていやがる。ガキのころ、ターバン巻いた日本人に脅されたことを、翌日にはなぜか友達のジョンの兄貴のロバートが知ってやがった。誰にも言ってなかったのにだぜ。誰か見てたんなら助けろってんだよな。人と人とのつながりの恩恵は、誰にでも平等に与えられるわけじゃねえ。」
彼は、こんな話をしながら、少なくとも5人を狙撃した。(ばば氏さんの日記に1月25日出現)
フレデリック・ジョンソン三等兵と私の命運もここまでと思われた。武装勢力に包囲され、味方はほぼ全滅。彼と私は無傷だったが、もうすぐ銃弾で穴が開くのは確かだった。突如、フレデリック・ジョンソン三等兵がつぶやいた。
「・・長年謎だったんだが、あの世にはTVゲームってあんのかな?もう少しで俺たちゃ、その真相を知ることになるぜ。あの世に行ったら、テトリスで勝負しよう。」

「こいつと一緒に死ぬのだけはいやだ!!」
なぜか、私はそんな思いに強くとらわれた。気がつけば、私は信じられない戦闘力を発揮し、フレデリック・ジョンソン三等兵と共に、包囲網を突破した。
「お前はやればできる子だと思ってたんだ。」
そうほざくフレデリック・ジョンソン三等兵は、自分のくだらないひとことで自分の命を救ったといえよう。私は、自分がいいようもなく虚しかった。(ひできさんの日記に1月27日出現)

フレデリック・ジョンソン三等兵の結婚式に出るという、文法的、物理的にありえそうにない事態に私は直面していた。奴のうれしそうな顔は信じがたいほどさわやかである。とても、あんなことを戦場で言っていたとは思えない。
「結婚?地球人じゃ俺には勿体ねえ。火星人くらいが来てようやく俺と釣り合うのさ。それまではこの自動小銃が俺の彼女だ。(そう言って彼は雄たけびを上げながら敵陣に突撃し、素行が良ければ軍曹くらいにまで昇進できそうな戦績を挙げた)」
ケーキカットの際、フレデリック・ジョンソン三等兵の顔の大きさが花嫁の倍くらいあるのに気付き、私はますます微妙な気分になった。
(2月1日、ばば氏さんの日記に出現)

フレデリック・ジョンソン三等兵は言った。
「俺の銃は、思えば8つの時にジャカルタの射的屋で、タキシードを着たインド人に叩き込まれたもんだ。何度となく、それには感謝しているよ。」
奴の銃の腕に関する話は一カ月ごとに変わる。火星人にプログラムされたとか、刑務所から脱走した中国人との戦闘で身に付けたとか、さまざまである。「俺は嘘を言わない。」という言葉が嘘な奴ってのは本当にいるもんだ。
(2月4日 アギトさんの日記に出現)

「無事たどりつけるのか?」
フレデリック・ジョンソン三等兵は言った。無理もない。炎天下でもう十時間も重装備で行軍している。死者がでてもおかしくはない。
「火星人に後ろからβ362ウイルスをかけられたほうがましだったぜ。」
彼の言葉の内容が嘘にしろ本当にしろ、理不尽なのは確かだった。
なにしろ、行軍はそれから4時間続いたのだから。
(ウチコマさんの日記に2月7日に出現)


朝っぱらから、悲鳴がしたので見に行くと、フレデリック・ジョンソン三等兵が倒れていた。
 私は即座に物陰に隠れ、周囲をうかがった。敵の狙撃手にやられたと思ったのだ。
 しばらくしてから、倒れている戦友に目をやる。血だまりはできていないから、動脈をやられてはいないようだが、安心はできない。撃たれた直後だから血があまり出ていないだけで、内臓が損傷しているかもしれない。
「助けてくれ・・・。」フレデリック・ジョンソン三等兵がか細い声をあげる。
 私は意を決して彼の元へ駆け寄り、首根っこをつかんで物陰へ引きずり込んだ。
 予想に反し、狙撃はされなかった。当然である。近くで見るとわかった。フレデリック・ジョンソン三等兵は撃たれたのではなく、自分の大事な部分をズボンのチャックに挟んでいただけだったのだ。
 こういう間抜けな、憎めないところがあったから、この破天荒な戦友はその素行の悪さにもかかわらず軍にとどまることができたのだろう。私が似たようなことをしたら、不名誉除隊になったあげく、故郷のトウモロコシ畑でかかしに愚痴をこぼす羽目になったいたはずだ。
(ばば氏さんの日記に2月8日に出現。後に削除さる。)
フレデリック・ジョンソン三等兵はある意味、隊長的役割だった。馬鹿なことも、勇敢なことも率先してやった。
「よし、俺は背中に『世界平和主義者』と書いて戦場で突撃してやるぜ。」
彼はそれを実行した。英語、日本語(漢字)、ハングル文字、キリル文字、その他ありとあらゆる言語で「世界平和」と全面に書いたシャツを軍服の上に着て突撃した。
惜しむらくは、一つ一つの文字があまり大きくなかったために、戦場ではその文字を識別することが容易ではなかったことだ。彼はその格好でかなりの戦闘を無傷で生き残り、勘違いした奴らがその服装を真似し、「世界平和部隊」なる異名をとるにいたったが、どいつもこいつも普段の素行が悪く、いくら活躍しても昇進にはつながらなかった。
(ウチコマさんの日記に2月16日出現)

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