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★R172学修大学の部★コミュの感動…

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さっき、ある天理教の教会のホームページに次のような文が載っていました。感動しました。お読み下さい。



3月7日、快晴。京都は春の訪れを感じる過ごしやすいいち日だった。10時50分。予定通りおぢばから来た学生生徒修養会大学の部の生徒たちが京阪三条駅から出てきた。この学修の記録を頼まれた私は、他の3人と友にカメラを持って待ち受けていた。みんなはさっそく各班ごとに神名流しをしながら京城大教会へと向かう。拍子木の音があたりにこだまする。南無天理王命と染め抜かれたのぼりを先頭に10人ほどがひと班になって歩く。はっぴを来た若者たちがみかぐらうたを高らかに歌いながら三条大橋を渡ってきた。鴨川を流れる風がまだ少し肌寒い。みんなはまだ慣れないせいか、少しはにかみの表情を浮かべながら歩いている。
 大阪と京都で行われたこのにをいがけ。京都へは31班から40班までが神名流し、路傍講演、パンフレット配りなどのにをいがけを体験する。多くの者が初めての経験、さぞ緊張しているにちがいない。河原町通りの繁華街を進む。突然聞こえる拍子木の音に振り返る人たち。その人波を縫って神名流しの一行が進む。参加者はすべて大学、専門学校などの学生なのだが、はっぴを着ていなければその横を通り過ぎる若者たちと何ら変わりはない。おしゃれな髪型、茶髪の子も多い。四条大橋を渡って鴨川沿いを南へ進む。春近い京都の街を見ながら美しく整備された遊歩道を歩く。京城大教会へついたのは11時30分頃、さっそく神殿で参拝し、昼食を頂いてしばしの休憩だ。
 午後からは各班ごとに決められた場所でにをいがけを展開する。京都市役所前、四条河原町など八カ所だが、いずれも人通りの多い繁華街だ。私は八坂神社のたもとでにをいがけする班に同行した。京城大教会前の道を東に少し行くと南北に東山通。そこを北へ進むと右手に八坂神社がある。各自でビニール袋をもってゴミを集めながら歩くみんな。するとテレビドラマなどで度々登場する赤い門が見えてきた。その前あたりで路傍講演をはじめたのは40班。まず男子カウンセラーさんが一声を発する。「御通行中の皆様方に申し上げます。我々は天理教の学生のものです。この世人間をおつくり下された神様のお話をどうぞお聞き下さい」顔を真っ赤にして手振りも大きくできる限りの大きな声で街行く人に問いかける。その声に周りの人が振り向いた。何事かというような顔をしている人もいる。パンフレットを配る者があたりに散らばった。多くは受け取ることを断られるパンフレットだけどみんなはそんな人たちにも「ありがとうございました」と礼を言って見送っていた。                         私はそれらの姿を写真に修めようとする。真摯なにをいがけの姿を。一生懸命に努力する学生がこんなにもいることを多くの人に伝えることが我々の役目なのだ。少しでも真実を表現できる写真を撮ろうと躍起になる。カウンセラーさんの話が終わると順番に生徒たちが話を始めた。お道のありがたさを体験談を交えて真剣に問いかけてる参加したち。じっくりと腰を落ち着かせて聞く人は少ないけれど、その前を通る人たちの一瞬にも、この熱い言葉と姿は心に残るに違いないと信じる。信号を渡ったところでパンフレットを配る生徒がいた。誠実でおとなしそうな男の子なのだがなかなか受け取ってもらえない。そこに女子カウンセラーさんが近づいて一緒に配り始める。そんな優しい心遣いもカウンセラーさんの大きな役割なのだろう。                                              そこから少し離れたところに39班が路傍講演をしていたのでそちらに行くことにした。ある生徒が私を道行く人と間違えてパンフレットを渡そうとしたのだが、その時のにこやかな表情が印象的だった。「スタッフです」というとその子はケタケタと笑って「そうなんですか」と言った。                 一人の生徒が路傍講演に立った。その声は街の喧噪をかき消すくらいの大きさで語り始めた。「この身体は人間のものじゃないんです。神様からのかしものなんです。分かって下さい」。彼はその言葉をゆっくりと繰り返した。見ると、彼の目からは涙があふれている。とても饒舌とは言えないが、その言葉を繰り返している内に彼はほとんど泣きじゃくるといっていいほどになった。私は彼がどのような経験をしてきたのかは知らない。でもその言葉から、彼の親神様への感謝の気持ちが胸を刺すくらいに感じることができた。その後ろにならぶ生徒たちも知らぬ間に涙を流していた。小学生の一行があるスタッフになぜ彼が泣いているのかを聞いていた。それを聞くと拍手をして彼の前を通り過ぎていった。    パンフレットを配る女の子を少し離れたところから望遠で撮影することにした。その柔らかな優しげな表情に心打たれた。様々な事件を通してすさんだ心が問題とされる現代の若者。しかし、少なくてもここにいる者たちにはそのような心配はかけらも感じない。親神様の御守護の深さと現代における信仰の必要性を感じた。八坂神社の前に行くと外国人の観光客と話している生徒がいた。観光客はこの若者たちが何をしているのか興味を持ったのだろう、その問に一生懸命答えようとする参加者。「ベリーインポータント・・・」などという声が聞こえる。終始にこやかなまま彼らは握手をして別れた。40班の方を見るとおさづけを取り次ぐ姿が目に映った。横断歩道を渡ってそちらに向かう。周りのものが手を合わせているなか、ひとりのおばあさんに男子カウンセラーがおさづけを取り次いでいた。終わってから2.3人の参加者とそのおばあさんはしばらくの間話をしていた。写真は少し離れた所からを撮ることから、街行く人のささやきが耳に入ってくる。悪口をいう人は無かった。「ああ天理教か」とか「えらく力が入ってるな」なんていう人もいたけれど、「若いのによくがんばるね」という言葉も耳にした。そこからみんなは四条通りをまっすぐ西の方へゴミを集めながら歩き、各班ごとに京阪電車に乗っておぢばへと向かった。                                                          京阪四条駅前ではまだある班がにをいがけを続けていた。そこで目に留まったのはパンフレットを配る女の子。茶髪で高いヒールの靴を履く、いかにも「いまどきの子」なんだけど、彼女たちの表情がとても良かった。街には彼女らと見まがうような若者が数多く通り過ぎるのだが、その表情が彼女らとは格段に違う。一見同じように見えても、信仰を持つ者と持たない者とではこんなにも違うのかと感じた。断られても、無視されても表情を崩さず微笑みを浮かべながらパンフレットを配り続ける彼女たち。その姿から、とても明るく暖かいものを感じた。1人の男の子が路傍講演に立った。よほど緊張しているのか、最初のひと言がなかなか出ない。こんな人前で話すのは初めてなのだろう。彼の真剣さはその表情からも見てとれる。そのとき彼の表情が激しく揺れた。道行く人のひと言が彼の逆鱗に触れたらしく、激しい言葉を吐いて、その場から離れてしまった。あわてて彼を連れ戻すカウンセラーやスタッフの人たち。よほどそのひと言が悔しかったのか、彼は目に涙を浮かべている。少し離れたベンチで彼とカウンセラーさんとの話し合いが数十分続いた。あまりに真剣だからこそ生まれた彼の行動だったのだろう。しかし、カウンセラーさんたちの言葉を身に感じたのか、彼は気を取り戻してパンフレットを配り始めた。その横にはそっと彼をフォローする生徒の姿があった。
 彼らは、この「にをいがけ」に何を感じたのだろう。人と違うこと、かっこの悪いことを非常に忌み嫌う現代の若者に、このようなことをさせるのは酷なことなのだろうか。しかし、彼らの表情は充実感で満ちているように思った。「私は天理教です」ということ、「天理教はこういう教えです」ということを臆することなく人前にさらすことが「にをいがけ」の始めだとすれば、かっこわるい、恥ずかしいということを突き抜けたところから陽気ぐらしの第一歩は始まるということなのだろうか。なにはともあれ、一番彼らに影響されたのは教会の一青年として過ごす私自身だった。帰り道、私は今日感じた感動をいかに解するかを悩み、その後の時間を少し呆然と過ごした。
「ひとにわらわれそしられて めずらしたすけをするほどに」




見ている人は見ているんですね。
最後の、
「ひとにわらわれそしられて めずらしたすけをするほどに」
は、自分がにをいがけに行くときに、心の支えとしているお歌の一つです。自分はこれに、
「ひとがなにごといほうとも かみがみているきをしずめ」
と、この二つを心の支えににをいがけをしていたので、びっくりしました。


これは、お道の人の感想である。でも、我々のにをいがけの姿が、この人の心を打ち、心に語りかけたことは間違いない。にをいがけというのは、お道じゃない人に天理教のことを知ってもらい、助かってもらうだけがにをいがけやないと思う。今回でも、自分は何人かのお道の人と話をした。
 その中に、ある70代のおばちゃんがいました。そのおばちゃんは「あんたらみたいな若い人が頑張ってにをいがけしているから、私は、教会や本部に参拝させて頂くだけでいいんや。もしあんた達若者が頑張っていなければ、私は、今でもにをいがけに行き、老体にむちうってるやろね(笑)」と、笑いながら話してくれた。
 涙が溢れてきた。いくらにをいがけをしても、にをいがかからなくて落ち込むことも多々あった。しかし、この人のお陰で救われた。自分達若者が、頑張っていをいげけをしていることで、助かっている人がいたんです。自分は、今までやってきたことかいがあったと思った。
 
 自分たちが、やってきたこと、やっていることは、形には余り表われてきません。しかし、このおばちゃんみたいに、助かっていす人がいるんです。これだけで十分じゃないですか。そりゃぁ、別席を運んでくれたり、修養科に入ってくれたりすればいいですが、私たちの目指すべきゴールは、「陽気ぐらし」という島なんです。お道を信仰すれば陽気ぐらしができるとは限りません。お道やない人でも、お道の人よりも、神様の思召にかなう心遣いをしている人はたくさんいます。そんな人が増えれば陽気ぐらしは実現できます。
 自分は、神様の思召にかなう心遣いのできる人が増えるようなにをいがけをしたいですね。

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