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【函館】コミュの参考、高田屋嘉兵衛 11/11日淡路島鳴門海峡見学

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日帰りで西宮市シルバセンターで淡路島、渦潮の鳴門海峡へ
      http://www.nishisilver.com/ 大型バス4台約150名位 @\3000

参考、Whirlpools at Big Naruto Bridge - 大鳴門橋の渦潮 You−Tube
http://jp.youtube.com/watch?v=2aF7v7QrWyc&feature=related

阪急西宮北口8:00集合⇒8:30出発⇒大鳴門記念館 うずしお科学館10:30〜11:45⇒
                    http://kinen.uzunokuni.com/
                    http://kinen.uzunokuni.com/kagakukan/midokoro.html

⇒道の駅うずしお 鳴門みさき荘(鳴門大橋、鳴門海峡渦見学)⇒高田屋嘉兵衛記念館
 (12:00~12:30)ちょっと豪勢な昼食でした                14:15〜15:00
                                         http://www.takataya.jp/
 http://www.takataya.jp/index.html 
 
参考、高田屋嘉兵衛 すごい方だったようですね
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E7%94%B0%E5%B1%8B%E5%98%89%E5%85%B5%E8%A1%9B

高田屋嘉兵衛公園 ウェルネスパーク五色
〒656-1301 兵庫県洲本市五色町都志1087
TEL:0799-33-1600(代) FAX:0799-33-1603
案内ムービー http://www.takataya.jp/information/movie.htm

高田屋嘉兵衛って、どんな人? http://www.takataya.jp/study/index.htm
 http://www.takataya.jp/study/hall.htm 紹介映画があって良かったです。

高田屋嘉兵衛は明和6(1769)年、淡路島五色町の貧しい農家の長男として生まれました。
幼い頃から海に親しみ船を愛した嘉兵衛は、やがて優秀な船乗りとなり、
大坂(大阪)から蝦夷地(北海道)へ至る西廻り(日本海)航路で交易する
廻船問屋として活躍を始めます。
 28歳で1500石積の大船辰悦丸(しんえつまる)を建造して独立。
当時はまだ寒村に過ぎなかった箱館(函館)を拠点として、単なる商人としてだけではなく、
幕府の要請を受けてエトロフ島とクナシリ島間の航路を拓くなど、
北方の開拓者としても優れた功績を残しました。
 その生涯の絶頂期に不運にも巻き込まれた「ゴローニン事件」では、
自らが囚われの身 となりながら、その英知と勇気と人間愛に貫かれた「高田屋外交」で、
日露両国の和解を成し遂げました。

嘉兵衛物語 http://www.takataya.jp/nanohana/kahe_abstract/kahe.htm

 1769(明和6)年、高田屋嘉兵衛は淡路島都志本村(現・五色町都志)に
6人兄弟の長男として生まれました。
幼い頃から海に親しみ船を愛した嘉兵衛には、
少年時代、近くの川に玩具の船を浮かべながら、
潮の満干を調べて大人達を驚かせたといった逸話が語り継がれています。
22歳で兵庫(現・神戸市)に出た嘉兵衛は、
大坂(大阪)と江戸の間を航海する樽廻船(たるかいせん)の水主(かこ)となり、
船乗りとしてのスタートを切りました。

やがて優秀な船乗りとなった嘉兵衛は、
西廻り※航路で交易する廻船問屋として海運業に乗り出します。
28歳で、当時国内最大級の千五百石積の船「辰悦丸(しんえつまる)」を建造し、
まだ寂しい漁村にすぎなかった箱館(函館)を商売の拠点としました。
当時千島列島を南下してくるロシアとの国防対策を急ぐ幕府に協力して、
エトロフ島とクナシリ島間の航路を発見したり新たな漁場を開くなど、
北方の開拓者として活躍します。

※大坂(大阪)を拠点として、瀬戸内海を通り下関を経て、
 日本海の湊(みなと)を結びながら蝦夷地(北海道)へ至る航路

 嘉兵衛が北方で活躍していた頃、鎖国を理由に通商を断られたロシア使節レザノフが、
武力行使で日本側に通商を認めさせようと、
本国の許可も得ず、民間船二隻に命じてエトロフ島の日本人部落を襲うといった
一連の蛮行事件を起こします。
日本側が厳戒態勢を取る中、たまたま蝦夷(北海道)沖の地理を調査中であった
ロシア皇帝艦のゴローニン艦長が、クナシリ島で水・食料の補給を得ようと上陸した途端、
警備隊に捕らえられるという事件がおこりました。

 艦長を失ったロシア船ディアナ号はその消息を聞き出そうと、
偶然近くを通りかかった嘉兵衛の船を捕らえ、
嘉兵衛を配下五人と共にカムチャッカへ連行抑留します。
囚われの嘉兵衛と副艦長リコルドは同じ部屋で寝起きし、
「一冬中に二人だけの言葉をつくって」交渉、
嘉兵衛はリコルドに、一連の蛮行事件は、
ロシア政府が許可も関知もしていないという証明書を日本側に提出するようにと説得、
その言葉を聞き入れたリコルドは嘉兵衛と共に日本に戻り、
この両者の協力が遂にゴローニン釈放にいたる両国の和解を成し遂げました。

 晩年は、故郷淡路島にもどり、港や道路の修築など、郷土のために力を尽くし、
1827(文政10)年、59歳で自宅で静かにその生涯を閉じました。
高田屋嘉兵衛は、小説「菜の花の沖」を書いた作家司馬遼太郎がこよなく愛した人物で、
「今でも世界のどんな舞台でも通用できる人」と称えています。
 小説『菜の花の沖』を書いた作家司馬遼太郎は嘉兵衛をこよなく愛し、
「今でも世界のど んな舞台でも通用できる人」と称えています。

参考、新刊書のご案内「高田屋嘉兵衛のすべて」
http://www.takataya.jp/blog/log/eid46.html
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/32145352
司馬遼太郎『菜の花の沖』に描かれた高田屋嘉兵衛の波瀾の生涯。


参考、菜の花の沖 一〜六 文庫 620円(税込)
http://www.7andy.jp/books/detail/-/accd/30724135
江戸後期、淡路島の貧家に生れた高田屋嘉兵衛は、
悲惨な境遇から海の男として身を起し、
ついには北辺の蝦夷・千島の海で活躍する偉大な商人に成長してゆく…。
沸騰する商品経済を内包しつつも頑なに国をとざし続ける日本と、
南下する大国ロシアとのはざまで
数奇な運命を生き抜いた快男児の生涯を雄大な構想で描く。

参考、函館高田屋嘉兵衛資料館 http://www.ikemi-net.com/takadaya/

北海道の祖 高田屋嘉兵衛 http://www.ikemi-net.com/takadaya/
淡路島に生まれた嘉兵衛は、若干28才で当時最大の和船「辰悦丸」を駆りやってきました。
彼は、箱館を拠点に択捉航路を開き、北洋漁業の基礎を築きました。

参考、高田屋嘉兵衛 
http://teru.twincle.net/kokunai_3_2005/8%20takataya_kahei/1.htm
「裸一貫から財をなし、たった一人で国際紛争を未然に防いだ大人物」

参考、嘉兵衛物語 http://www.geocities.jp/matutaka23456/kaheistory.htm

参考、竹中直人主演 菜の花の沖 〜高田屋嘉兵衛〜(ビデオ全5巻/分売可能)
http://www.kyoto-wel.com/item/IS81212N00866.html


⇒たこせんべいの里(コーヒー無料)⇒阪急西宮北口18:00過ぎ着
  色々なせんべいが沢山ありました

曇りがちでしたが雨が降らずに良かったです。曇り揺れるハート

たこの燻製を買って帰ってきました・・・
 兵庫県洲本市本町1丁目4−1 ?うず志ほ名産店R5 賞味期限09.03.24 300g
  http://www.awaji-is.or.jp/uzusio/ @\1050 uzusio@awaji-is.or.jp 0799-22-0724

それと「たこのせんべいの里」一番安いせんべい「みりん小丸」@315 200g 買って来ました。揺れるハート

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